鉄の王
潮風の当たる岩壁を削り造られた家。
入口は常緑樹の陰に隠され、そこに在ると知っている者しか辿り着けない。
夜の森を出てから、フィニィはグウェトに連れられここまでやってきた。
岩壁の中は薄暗く空気がひんやりする。
入り口の他、窓があり階段があり、それを上っていけば見張り場などもある。フィニィは家と思ったがどちらかといえば砦に近い構造をしている。
グウェトが歩くと鉄の足が石の床を叩く音が響き渡った。
そしてその一歩が聞こえたところで、各部屋から階段の上から、武装した人影が急いで駆けてきた。
フィニィは哲学ネズミを握りしめる。
グウェトの後ろに隠れて様子を窺っていると、狭い廊下で人々が跪いた。
「ご無事で」
黒い服を着た男が言った。
丸められた背がグウェトには大型の犬に見える。
彼らの何人かは背後の子供を訝しんでいた。
「これは案内人だ」
グウェトはそんなふうにフィニィの紹介を済ませ、他の肝心なことを尋ねた。
「城の様子は?」
「本日ギレン殿下の戴冠式が執り行われます」
「そうか。いっそ私が生きておれば次王は呪いを免れるとでも思ったのか。無駄だというに。冠を戴いた瞬間の奴の絶望が目に浮かぶ」
グウェトは上機嫌であった。
「悪夢は早々に打ち砕いてやるのが慈悲であろう。出立の用意を整えよ」
「御意に」
男たちは一切の無駄口をきかず散会した。それから岩壁の中は人や馬の出入りする音と鉄の装具が擦れる音でにわかに騒がしくなっていった。
フィニィだけが、ここがどこで、彼らが誰で、これから何をしようとしているのかわからずにいる。
「安心しろ。こやつらは非常時のために隠していた兵たちだ。私の手足を切った輩などはこの場所を知らない」
グウェトが何を言っているのかフィニィはよく理解できない。
正体不明の不安が少しずつ増してきた。
できれば今すぐ夜の森に逃げ込みたい。しかし鉄の手がフードを強く掴んでいた。
「最後まで見ていくがいい」
なんの最後か。
誰の最後か。
「私は後悔し続けている・・・」
手の中で哲学ネズミが苦しげに呻いていた。
☾
そこは灰黒色の無機質な城。
厚い塀の中に何本もの暗い塔が立ち並び、四方八方を見張っている。特に背の高い東西南北の四本の塔の上に砲台があるばかりでなく、城壁にも移動式の大砲が幾百とその口を覗かせていた。
黒い鉄の門扉は彼の号令を鍵とした。
鉄の国の多くの兵士は彼の生存を知らず、今まさに内部で戴冠式を行っている者たちの計画すら知らされていなかった。
だから彼らは、破れた衣服を着替え堂々と帰還した彼の歩みを止めなかった。
黒服の兵たちはそんな彼に粛々と付き従う。
フィニィは大型の犬のような男に手を引かれていた。
行進する彼らを中心に騒ぎの波が広がっていく。
ついにそれは玉座まで届いた。
窓の一つもない白い壁に囲まれた場所。彼を見て恐れおののく人々と、冠を戴いた少年がいた。
まだ十四の子供に過ぎない。だが悪事も善事も為すには十分な歳だ。
「父上・・・」
恐怖を宿す赤い瞳が彼を睨む。
顔立ちは彼よりも彼の妻のほうに似ている息子だ。性格や物事の好みにおいても共通点が少ない。ただ結果的に取った行動は同じ。親を殺し王になろうとした。
しかし、なりそこねた。そこはかつての彼と大きく違う。
なのに少年の手足は冠を戴いた瞬間から、灰黒色の金属への変質が始まっていた。
「陛下をお守りしろっ」
そう叫ぶ玉座の傍にいた者には強固な意志があった。
還ってきた男を再び王とは仰がぬという最後の意地である。
黒服の兵士たちが玉座の周囲の者らを切り伏せ、グウェトは自らに背を向けた子の体を右腕で貫いた。
ちぎれた心臓が足元に落ちた。
血の塊がぼとぼとと床を濡らす。
鉄錆びのような匂いが一気に濃くなり、フィニィは息を止めた。
グウェトはゆっくりと右手を引き抜いた。鉄が血を吸って黒く変色していた。
破けたギレンの体は意思なくその場に落ちた。
「片付けろ」
しんと静まり返っていた城の兵士たちに王が命じた。
間もなく、彼らは震えを抑え仕事に取りかかる。
グウェトはフードをかぶってうずくまる子供のもとへ行った。
「フィニィ」
びくりと震える子の腕を掴む。痣が残るほどに強く。
「怯えるな。私を裏切らねばああなりはしない。簡単なことだろう? 友よ。魔法の国には帰らなくて良い。夜の国を渡り歩くその力で、これからも私を助けろ」
本来ならばたくさんの時間と金をかけねばらない距離を瞬きの間に移動し、世界中の好きな場所に現れる。
たとえばそれを彼の軍隊ができたなら。突如として夜の森より出でる敵に何者が備えられようか。しかも夜の魔法を一時的ながら防ぐ魔法薬があることを彼は知ってしまった。
フィニィは夜の国の案内人。
少なくともこの思いつきを一度試してみるまで彼が子供を解放することはない。
ぐいと腕を持ち上げられ、フィニィはグウェトに引きずられた。
鉄の手がとても冷たい。
怖かった。痛かった。逃げたかった。
だがどうにも叶わない。
グウェトはフィニィを黒い塔へ連れていった。
魔法の国にある塔とは違う。魔法の国の塔は石と木でできているが、鉄の国の塔は鉄でできていた。
地上に入り口はなく、最上階の部分が城の通路に繋がっている。
分厚い鉄の扉の中へフィニィは放り込まれた。
「どんな魔法を使おうが鉄の中からは逃れられんぞ」
そんな声だけが最後に聞こえた。
扉が閉まるともう何も聞こえなくなった。
床も壁もすべてが黒い鉄で構成され、他には何もない。
細い通気口がフィニィの背の届かない上のほうにあって、入ってくる光はそこからだけだ。
まるで鉄釜の底に放り込まれ蓋をされてしまったかのよう。
座って、フィニィがよく床を見てみれば、人の目鼻口がそこかしこにあった。
錯覚ではない。
この鉄の塔は、夜の呪いで鉄に変えられた者を溶かして作った塔なのだ。中には歴代の王も混ざっている。
ただただ、哀れであった。
フィニィはどうしてグウェトがこんな仕打ちをするのかわからない。手足を取り戻した途端、別人に変わってしまったように思える。
友ではありえない、これは奴隷の扱いだった。必要な時に取り出して使う道具と同じ。逃げられないよう厩に鎖で繋ぐのと同じ。
フィニィは扉を叩いたり魔法薬を使ったり色々してみたが、魔法の力を弾いてしまう牢獄ではどうにもならなかった。
首元で哲学ネズミがもぞもぞ動く。
それを両手で抱きしめて、フィニィは黒い部屋の隅にうずくまった。




