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フィニィの魔法の国  作者: 日生
一章 夜の森
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色を失くした獣2

 魔女とフィニィは夜の森を散策することにした。

 ツタの卵を採りに行った時のように、魔女は迷わずどこかへ向かうわけではない。辺りを見回し、呪いを解くのに何が使えるか考えていた。


「フィニィ。良い具合の枝を拾っておいで」


 魔女は思いつくままに言い付ける。しかし彼女の思う良い具合の加減などフィニィが知る由もない。

 ともかくも、フィニィは黒い地面を探してみる。

 そうして長いまっすぐな枝を一本見つけて取ってくると、魔女は「それではない」と言う。


「こうだ」


 人差し指と中指を二本立ててみせた。

 フィニィは悩み、今度は先が二股に分かれた枝を探して持ってきた。


「短い。長さは前のほうが良い」


 フィニィは懸命に探し回り、自分の背丈と同じくらいの長さの、二股の枝をやっと見つけてきた。

 魔女が短いと言った枝はフィニィが持つことになる。

 枝をぶらぶらさせながら二人はまたしばらく道を行くと、やがて地面に無数の穴が開いた場所に辿り着いた。


 穴はフィニィの頭がちょうど嵌まりそうなくらいの大きさだ。それらが視界の一帯に広がっている。


 手近な穴に、魔女が木の枝を突っ込む。かなり深くまで差し込んだ後で、取り出すと二股の枝の間に銀色の糸が巻き付いていた。


 明かりもないのに、糸は朝露の付いた蜘蛛の巣のようにきらきらとしている。口を開けて見入るフィニィに、「やれ」と魔女が穴を指す。


糸吐きもぐら(キチ・ミュリオン)の巣穴だ。奥に張ってある糸を絡めとれ」


 フィニィは這いつくばって、深い穴に肩まで入れた。すると枝先が硬い何かに触れた。


「ただし繭を突くな。繭が破れると――」


 忠告の最中に、ぱきりと殻の割れるような音がした。

 

 魔女が素早くフィニィの襟首を引いた次の瞬間、銀色の糸の塊が弾丸のように巣から射出され、遠くのユピの幹にぶつかった。

 大木が揺れ、枝葉のざわめきが広がっていく。


「あっ」


 とフィニィが声を上げたのは、魔女に襟首を引かれた拍子に、フードの中で寝ていた哲学ネズミが転がり出たためだ。


 丸い毛玉は傍の穴にあえなく落ちて、数秒後に糸と共に巣外へ射出された。


「うぅ・・・」


 幹に磔にされたネズミは無力に呻く。口を糸で塞がれ、得意の独り言もぼやけない。

 フィニィが慌てて取ろうとしたが、銀の糸は指にねばつき、剥ぎ取ることもできない。


「水菓子を使ってみろ」


 魔女の助言に従い、フィニィは鞄の中から青いゼリーを掬ってネズミの周りに塗ってみた。

 すると糸は泡立ちながら溶けていく。やっと解放されたネズミをフィニィは抱きしめた。


 毛がまだべたべたとして気持ちが悪い。そこでフィニィは哲学ネズミをゼリーの中に放り込み、きっちり膜の口を縛っておいた。


「フィニィ」


 気づけば、魔女はすでに移動しようとしていた。糸の巻きついた枝を拾い、フィニィは走って追いかける。


 次に二人がやってきたのは、ユピの巨木の前。


 真っ黒な幹はフィニィが十人並んで手を繋いでも囲いきれない太さだ。そんな空恐ろしいほどの大木に、魔女は小石を投げつけた。


 一瞬で、漆黒だった幹が鮮やかな紅色に染まる。


 それはユピを覆い尽くす蝶の大群だった。羽の外側は漆黒、内側に紅色が広がっている。羽を閉じて幹に留まっていたため、はじめフィニィは蝶がいることに気づけなかった。


「捕まえろっ」


 四方に飛び立つ蝶の群れの中で魔女が枝を振り回す。フィニィも腕をめいっぱい伸ばして走り回ると、銀色の糸に蝶が幾匹か張り付いた。


 捕まらなかった蝶たちは闇の中へ散り散りに消えていく。


 魔女は深追いせず、蝶の張り付いた長い枝の持ち手をいくらか折って、フィニィの鞄の隙間に差しこんだ。


「他に赤いものは・・・」


 どうやら彼女は赤い素材を集めたいらしい。

 フィニィが黙って見上げていると、魔女はその理由を話す。


「あの白い獅子はもともと赤いんだ。毛を染めてやれば呪いが解けるかもしれない」


 呪われて白くなったから染め直す、至極単純な発想のもとに魔女は行動を決めている。毛の色が変わるだけで呪いが解ける理屈はわからないが、フィニィはそういうものかと思っておいた。


 魔女は蝶の消えたほうへ気ままに進む。フィニィも後を付いて行くが、しばらくして前方から奇声が聞こえてきた。


 甲高い絶叫はすぐに耳を塞ぎたくなるほど大きくなり、黄色い嘴を持つ大蛇のような何かが、跳ねながら向かってくる姿が見えた。


 平たい頭から生えている毛も一本一本がミミズのようにうねっている。

 身の毛もよだつおぞましさに急いで踵を返したフィニィの襟首を、またしても魔女が引っ張った。


 怪物は細長い胴体の前方と後方に一本ずつしか足がない。よって魔女は怪物が前足を跳ね上げた瞬間を狙い、細長い体が描くアーチの下をくぐって後方へ抜けた。


 着地した怪物はすかさず後ろ足を上げて一八〇度方向転換し、もう一度飛びかかるが、またしても魔女がその下を影のようにすり抜ける。嘴はユピの根元の地面を抉るばかりだった。


「ふふ」


 魔女は片手にフィニィをぶら下げ、楽しげに怪物の襲撃をかわし続ける。

 それを五度ほど繰り返した後、そろそろ飽きたのか、魔女は不意に地面を離れて浮かび上がり、高い場所に張り出した枝に腰かけた。


 フィニィは魔女の膝に抱えられる。

 下を覗くと、怪物は一本の後ろ足で立ち上がり、魔女の黒いドレスの裾に嘴を届かせようとしていた。しかし、怪物が跳ねても魔女の服は煙のように透けてしまい、どうしても掴めない。


怯える者(オームド)は狂っている。相手にしてもきりがないから、適当なところで切り上げろ」


 魔女はフィニィの鞄より突き出している枝から、糸の絡んだ赤い蝶を一匹つまみ取った。


「陽を一匙」


 金色の息を吹きかけると、蝶の姿が紐のようにほどけ、空中で銀色の糸と絡み合い、赤々と燃える茨に変容した。


 茨は魔女の手から離れ、怪物の長い体を縛り圧縮していく。炎の棘が食い込み怪物が絶叫するたび、噴水のように血が辺りに飛び散った。


 魔女は己のところまで飛んできた赤い液体を小瓶で受け止め、フィニィの鞄の中にしまうと、地上に降りてまた何事もなく先へ進む。


 フィニィは置いて行かれないように気をつけつつ、いつまでも後方を振り返っていた。


「よけいな血の気を抜いてやっているだけだ。死なないから気にするな」


 フィニィは何も言っていないのだが、やはり魔女が察して先に教える。魔女にはフィニィの考えていることが伝わってしまうようだった。


「お前は他者の死をやけに怖がる」


 それが良いとも悪いとも言わない。


 しばらく歩いても怪物の絶叫はまだ耳の奥にこだまし、フィニィは徐々に気分が悪くなってきた。

 とうとう、我慢できずにうずくまってしまう。


「どうした」


 先を行く魔女が途中で気づき、戻ってくる。


「腹が減ったのか。それとも眠いのか」


 フィニィは答えられない。

 膝が震え、冷や汗が背を伝う。血を噴き出す怪物の姿と、いつかの日に、厩で他の奴隷たちに暴行を受けていた男の姿が重なり、恐怖で動けなくなっていた。


「さてはオームドの魔法に囚われたか? どれ」


 魔女はフィニィを抱き上げると、手近な木の根の間に座り、骨の浮いた背をさすってやる。

 怯えきった心から恐怖が抜けるまで、何度も何度も。

 この魔女はフィニィが二日間眠りこけても平気なくらい、待つことが特段の苦ではなかった。急ぐ用など彼女には何もないのである。


 フィニィはほんの瞬きほどの間、眠ってしまった。

 再び目を開けた時には体の震えが止まり、怪物の悲鳴も、もう聞こえない。


 魔女にしがみついていた手をゆるめ、顔を上げると、眠らないはずの彼女もまた瞼を閉じていた。


 長いまつ毛の先が震え、その下からゆっくり現われる紫の瞳が日の出のように眩しかった。


「この実を食べろ」


 魔女が傍に生えている植物を指した。

 まっすぐ伸びた茎に小さな赤い実が鈴なりになっている。そのどれでもいいから一つ選べという。


 フィニィは特に理由なく手前の実をもぎ取った。丸ごと口に放り込み、奥歯で噛むと強烈な酸味が広がる。

 たまらず吐き出したフィニィを魔女は笑った。


「これは運試しの実といって、色んな味の実がなる。花が咲いている時、蜜を吸いにきた虫が運んでくる花粉によって味が変わるんだ。見た目に違いはないがな」


 フィニィは魔女の説明を聞いている余裕もなく、鞄の中で水菓子の紐をほどき、青いゼリーを口に含む。その時、ゼリーの中で溺れていた哲学ネズミをいい加減外に出した。


「こっちはどうだ」


 魔女も実を一つ選び、しかし自分では食べずフィニィによこす。


 今度は警戒しまず前歯で齧ると、脳が溶けそうなほど甘い果汁が舌の上を流れた。

 すぐにフィニィは口の中に実を放り込み、存分にその甘さを堪能する。魔女の膝の上にいることを忘れ、身もだえするほどに美味だった。


「当たりか。もっとも甘い実が当たりというのは私の母が勝手に決めたことだから、本当に運をはかれるわけじゃないが」


 母、という言葉にフィニィは反応を示した。


「うん? ああ、運試しの実というのは母が名付けた。昔の母は物を食べられたから、よくこの実を食べて一日を占っていた。運の悪い日は探検に行かない約束だった。あの頃この辺はまだ草原で、私たちは見つけた生き物に名前を付ける遊びをしていたんだ」


 今も住んでいるあの洞窟で、かつて魔女は己の母と暮らしていたのだという。


「・・・しんじゃった?」


 フィニィがおそるおそる尋ねると、魔女は背後の幹を叩いた。


「生きている。ユピが私の母だ」


 夜の森を構成する唯一の樹種。

 驚くばかりのフィニィに魔女は昔話を語って聞かせた。


「ユピとは母の名だ。母はお前と同じ昼の子だったが、夜の王に犯され私を孕んだ。母は逃げて洞窟に隠れたが、あいつは母に執着した。五十年生きるのがせいぜいな命を永遠のものとするために、母に魔法をかけ――失敗した。母は元の姿を保てず木になった。だが奴は石ころにまで欲情する倒錯者だから、変わり果てた母に変わらず痴態を晒していたよ。その間に母は急いで根を広げ、森を作り、自分の中に夜の王を閉じ込めた。――わかるか? フィニィ。ユピの森が夜を抑えているんだ。森がなければ夜は際限なく広がり続け、とっくにこの世から昼が消えていただろう」


 それはフィニィが昼の世界で聞かされた話とまったく異なる。

 ユピの森は夜を生む森。この森から夜が生み出され、世界の光を半分奪ったのだと大人たちは言っていた。


 しかし、ユピの森ができる前から夜は夜としてあり、森は夜を閉じ込めることでもう半分の昼の世界を守っているのだと魔女は言う。


「ユピを傷つければ呪いを受けるが、それはユピに執着している夜の王の仕業だ。母は私たちを守ってくれている」


 さてと、魔女は話に区切りをつけ、フィニィを膝から下ろす。

 ついでに運試しの実のなる草を根本から丸ごと折り取り、それもフィニィの鞄にしまわせた。


「お前がハズレを引いたから、今日は帰ろう」


 ごく自然に魔女はフィニィの鼻先へ手を差し伸べた。

 大きな手のひらに戸惑いながらも、フィニィが指を乗せると、手の甲まですっかり包まれる。


 大人の力で無理に引っ張られることもなく、並んで歩く二人の後ろ姿は、穏やかな親子の帰り道のようであった。

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