おまけ3 弟子の試験
その日、アクウェイル邸に小さな依頼人が訪ねてきた。
栗色のコシの強い髪を頭の左右で縛っている十歳くらいの少女。きゅっと引き締まった口元はいかにも意思が強そうで、初対面の大人に緊張した様子でありながら、自分の望みをしっかりと話した。
「おばあちゃんを走れるようにしてください」
彼女、トルデの祖母は去年の夏頃から出歩くことが難しくなった。彼女の家は日用品を扱う商店を営んでおり、昼間両親が忙しい間はトルデが祖母と一緒にいる。祖母はトルデが退屈しないよう、魔法の国の不思議な話や自分の子供の頃の話をよく聞かせていた。
昔の祖母はかけっこがとても速かったらしい。城壁から守人のいる黒い塔まで、また風のように走り抜けてみたいと零したことをトルデは本気にした。
そこで行動力のある彼女は噂に名高い魔法使いのもとにやってきた。
机に置かれた重い革袋は、これまでこまごまとした手伝いなどで稼いだ彼女の全財産だ。
レトが失礼して袋の口を広げてみれば、中にはまともな銀貨もあるが、どこで拾ってきたのか粗悪なものも混じっている。見た目のわりに大した額は入っていない。
「先生どうします?」
ひととおり見聞きし、アクウェイルは決めた。
「レト。お前がやれ」
「・・・へ?」
「試験とする。合格すれば一人前と認めてやる」
「・・・は?」
いきなりのことでレトは理解が追いつかなかった。
なので先にアクウェイルはポマの葉ジュースを飲む小さな依頼人に説明した。
「お前の依頼は弟子の試験に使わせてもらう。そのかわり依頼料を半額にしてやる。こいつが失敗した時には私がかわりに依頼を完遂してやろう。その場合の追加請求はしない。それでよければ契約だ」
しっかり者のトルデはわからない言葉をきちんと聞き直し、理解してから頷いた。
願いを叶えてくれるのならば彼女は誰でもよかった。
「では契約だ。己の名は書けるか?」
弟子が了承しないうちに師匠によって正式な契約書ができあがった。
依頼達成の期限は七日後。報酬については物が仕上がってからの後払いということになった。
呆然と依頼人を見送り、それからようやくレトは慌て始めた。
「つ、つまり卒業試験ってことですか!? こんないきなり言うことあります!?」
「依頼の難度はちょうどよく依頼主は物わかりのいい子供。条件の整ったこの機会を逃す馬鹿はない。せいぜい励め」
契約書を弟子に放り、アクウェイルは己の仕事の続きのため調合室へ向かう。レトはその後を早足で付いていく。
「待ってくださいよっ。あの、どんな魔法薬を作ればいいんですか? それとも歩行補助の魔法道具的なもののほうが・・・?」
「これという正解などない。自分で考えろ」
「せ、せめて方向性くらい教えてくれても。七日じゃとても足りないですよっ」
「相手によっては時間をかけるほど依頼を取り消される可能性が高くなるぞ。だが無理だと思うなら自分で交渉しろ」
「丸投げじゃないですかぁ」
「お前が受けた依頼なのだ。当然だろう。これを完遂できるのなら私のもとにいる必要はない」
「そんな・・・だって、どうすれば」
「まずはトルデの家に行ってこい。よく観察し己が何をすべきか考えろ」
調合室の扉はレトの目の前で無慈悲に閉められた。
依頼主のおおまかな住所は契約書に控えられている。まだまったく頭の整理のつかないレトだったが、仕方なくとぼとぼ出かけていった。
☾
「ぅぐぅ・・・」
そこはアクウェイル邸で与えられたレトの部屋。机やベッド、本棚、彼専用の大釜など必要なものがそろっている。
トルデの家に行った翌日、レトは部屋にこもり、これまで教わったレシピをまとめた授業ノートや、魔法の素材について説明されている図録をめくり、朝から何時間も一人で唸っていた。
トルデの祖母のウーテは歩行が完全に不可能というわけではなかった。ただ骨が弱り走れるほどの筋力は残っていない。杖を二本使いよたよた歩いていた。
ウーテはレトが訪ねてきて初めて孫の行動を知り驚いたが、もし叶うのであれば、と最終的には期待を寄せていた。
自分は修業中の身であり、今回の依頼は彼の師匠の一存で勝手に試験に使わせてもらっているのだと話しても気を悪くする様子もなかった。優しい人であった。
それでレトはますますプレッシャーを背負ってしまっている。
「足をうまく動かせないんだから、義足的な魔法道具を作るか・・・いや、あの人は、自分の足で地面を蹴って走りたいんだよな。子供の時のように」
レトもウーテの昔話を聞いてきた。とてもありふれた、まぶしい記憶だった。
彼女の依頼内容は『風のように走りたい』だ。自分の体を使って、ということである。
レトは早く考えをまとめるために独り言を続けていく。
「なるべく体に負荷をかけずに走れる魔法を・・・走るっていうのが逆に難しいんだよなあ。空を飛ぶ魔法のほうがまだ簡単じゃないか? 走る・・・風のように・・・飛ぶように走れれば・・・」
どういった魔法をつくるべきか何案かノートに書きおこし、素材のもつ魔法の力を資料で確認しながらレシピを組み立ててみる。
ひとまず方向性が決まり、あとは予算の兼ね合いと実際作ってみて狙った効果が表れるかどうか。
レトは鞄を持って材料の調達に出かけていった。
資金はアクウェイルが、あの日にトルデの持ってきた報酬と同額分を用意してくれた。
経費は全部そこから出す。
レトは馴染みの素材屋に行き材料を見繕った。
そこはレトが生まれる前から長年続いている店だ。腰の曲がった長老が営み若い孫娘が手伝っている。店内は狭いがよく使う品が必ず揃えてあり、アクウェイルのお使いでもレトはしょっちゅうここにくる。
他の客がちょうどいなかったため、レトは商品棚の前を陣取り大いに悩んだ。
「先生の宿題か? 坊主」
カウンターに座する長老は勘がよかった。
普段の師匠のお使いであれば値札を睨むことなどないのだから、今日は青年が何かしらの試練を課せられているのだろうとすぐに察した。
「ええはい。作りたいものに対して予算が少な過ぎるんです。何かまけてもらえませんか?」
「それじゃあズルになるだろうが。細かいことは知らんが、おそらくそういう宿題なんだろう?」
「そうですけどぉ・・・」
いくつか考えたレシピの中で、最もレトが作りたい魔法は金がかかる。素材がこの店だけで足りず探集者に頼まねばならない。そうなると費用が格段に跳ね上がり、また採取の手間を考えれば納期も間に合わないだろう。
次点のレシピはこの店の素材で作れるが、やはりグレードがいくらか高いものを使うため、自分の報酬分がなくなってしまう。それでは仕事として成り立たない。
なるべく安い素材で作れば理想とする効果は実現できない。
レトの唸り声は店の外まで響いた。
しまいには床にしゃがみこんで悩んでいると、ふと頭に何かが触れた。
顔を上げれば、フィニィにつむじのあたりをなでられていた。
「あれっ、どうしたのフィニィ」
「レトさんが心配になるくらい唸ってるせいですよぅ」
三つ編みの孫娘の店員が教えてやった。
たまたま店の前を通りかかったフィニィは、レトが哲学ネズミのようになってしまったのかと思った。
「あぁ、ごめんね。今、先生の試験で魔法薬を作らなきゃいけなくて、それで悩んでて・・・」
レトは途中で気づいた。
目の前にいるのが、多くの魔法使いにとって非常に助かる探集者であることを。
希少素材だろうがなんだろうが言えばいくらでも取ってきて、なんなら報酬も求めない。
(いやでも王の子・・・さすがにズルでは・・・)
レトは葛藤した。師匠ほど彼は図太い精神構造をしていない。
しかし、そのやり方は近くで嫌というほど学んできた。
(・・・できれば、完璧な形で依頼を達成したい。これが卒業試験なら、なおさらだ)
色んな考えを頭に巡らせ、レトは決めた。
「フィニィ頼むっ。底なしの者の脂を取ってきてほしいっ」
フィニィは二度瞬いて、了解した。
☾
六日後、レトは自室の大釜の前で深呼吸をしていた。
作業台にはすべての材料がそろっている。
「よし。フィニィ、見守っててくれ」
踏み台にのぼってフィニィは頷いた。寝惚けた哲学ネズミもフードから出して見守らせた。
レトは材料を順番に慎重にいれていく。
最初はフィニィの取ってきたムファークのぶよぶよした緑色の脂肪。ムファークは口の中に口がありさらにその中にも口がある芋虫のような形の生き物だ。体の外側を分厚い脂肪が固めており、斬りつけても血が出ない。脂肪だけえぐり取れる。
レトはこれをひと掴みいれた。
そこへ店で買った素材を放り込む。百年苔、赤いまだらのキノコの笠、荒野の砂などは安価な素材で、やや奮発したのが馬の頭を持つ馬頭鳥の羽根。この羽根は空を駆けるように飛ぶ魔法を宿している。
最後に靴下を二ついれてよく混ぜ合わせ、頃合いを見て息を吹き込む。
「迷いを一匙」
深緑色の粒が大釜に注がれる。
はじめはゆるやかに水面を跳ね、ある時に一気に噴き出した。
柄杓を使って釜の中身を掬い出すと、ぷよぷよした緑白色の塊が二つできあがった。
「・・・うまくいった、かな? 試してみよう」
レトは外に出て、ぷよぷよした塊を靴の上から履いてみた。
塊は薄く伸びて足首まで覆う。
そのまま走り出すと、体がふわりと浮き、足をついても衝撃がこない。軽く地面を蹴るだけで体がぐんと前へ弾む。体重がなくなり羽根にでもなったかのようだった。実際、そういう魔法である。
「お、お、おお!」
あっという間にレトは塔まで行って戻ってきた。
続けてフィニィも試してみた。感覚としては魔女の作った浮き薬に似ていた。材料も共通しているのである。
「見た目はなんだけど、たぶんいけるな、これは。慣れないうちは杖も使いながら練習してもらおう。少しずつ体を動かしていけば速く走れるようになるんじゃないかな」
体全体の重さが打ち消されているため練習中に転んでも衝撃はない。地上にありながら水の中にいるようなもので、骨や筋肉への負担も少なく済む。
子供の時以上に軽やかに走ることができるだろう。
レトはこれが最適解だと思った。
「先生に見せてくるよ」
依頼人へ届ける前に師匠のチェックを受けて先に合否を聞く。
それにもフィニィが付いていくと、調合室に入る前にレトは「内緒だからね」と念押しした。
「先生、依頼の品ができました。評価お願いします」
アクウェイルは釜をかき混ぜる手を止め、ぶよぶよの魔法道具とレシピや性能が書かれた弟子のレポートを受け取った。
無言のままソファに座り、じっくりと読み込む。時折、魔法道具を片手で揉み込む。
「――ふはは」
やがて笑い声が漏れた。
レトは緊張しており、それがうつったフィニィもどきどきしてレトのズボンを掴んでいた。
アクウェイルは笑みを残した顔を上げる。
「減点一つ。安易に師を欺こうとするな。レシピが違う。ムファークの脂をいれただろう。フィニィに借金をしたな?」
「・・・やっぱばれるか」
レトはうなだれた。
探集者に依頼したムファークの脂をいれれば予算をゆうに超える。だがレトはどうしてもいれたかった。ばれなければいいと思いレポートにフェイクの材料をかわりに書いたのだが、ばれたらばれたで言い訳を考えてきた。
「はい、そうです。フィニィには報酬の支払いをしばらく待ってもらえるよう頼みました。でもこれは次の仕事の稼ぎから少しずつ返済していけばいいわけで、厳密には今回の予算を超えてないと言えるのではないかとっ」
「言えない。次の仕事でもお前は必ず同じことをする。借金を膨らませていくだけだ。大体、ツケのきく探集者などフィニィくらいのものだ。甘く見るな」
「うぅ・・・」
「金の話のついでに、これは何度目での成功だ?」
さらに痛いところを突かれ、レトは首をあさっての方向へ逸らした。
「・・・五度目です」
「失敗した四回分が経費に計上されていない」
「そ、それはおまけで見てくれても」
「いいわけあるか。破産するために魔法使いになるのかお前は。減点二つ」
普段は金に糸目を付けず高級素材を買い漁る師匠だが、その割に金銭感覚は標準的なものを備えていた。
「減点三つ。この魔法道具は十日で使い物にならなくなるぞ」
「え? ・・・あっ、保持の魔法」
「思い出したか? 魔法道具にするなら魔法の力を長期間媒体に留めておくための材料が必要だ。使い捨てにする仕様ではないだろうこれは。仕組みにこだわり過ぎて基礎を忘れたな。この減点は大きいぞ」
「と、いうことは?」
「お前は制約を破り基礎をおろそかにした。一からやり直すだけの時間も残っていない。よって不合格だ」
「やっぱり・・・」
「依頼人に同情するより試験の趣旨を理解しろ」
案の定となった結末にレトはがっくり肩を落とす。
一方でアクウェイルは改めてレポートを眺め、最初に見せた笑みをまた浮かべていた。
「だがこのレシピはいいぞ。よくぞ思いついた。お前はどうせ気づいてなかろうが、街の老人のために作った代物とは思えん。これはムファークの脂肪のごとき無敵の鎧にもなりうるぞ」
「え?」
「あらゆることを想像しろ。多くの道が見つかる。――ひとまず、これは材料を足して作り直せ。この部屋のものを使っていい。ただしフィニィの報酬はお前が自分でいつか払え」
「はーい。フィニィ、悪いけどだいぶ待ってもらうことになると思う。ごめんよ」
フィニィはそんなことは気にしない。
この場にいるが実は試験という言葉の意味もさっぱりわかっていなかった。
ただ先程レトが残念そうにしていたので、悲しいのと尋ねると、「どっちかといえば、ほっとしてる」との答えが返ってきた。
「明日からいきなり独り立ちしろって言われても、それはそれで怖いしね」
そんなふうに当人はけろっとしていた。
しかし、これからもちょうど良い依頼があるたびにレトの試験は行われることになる。
巣立ちの日は着実に近づいている。
こうして魔法の国の魔法使いは絶えず生まれ、フィニィの前で新しい魔法が創られてゆくのだった。
終
《三章のあらすじ》
いつものように魔法使いの依頼を受けて出かけたフィニィは、採取中に両手足を切られた男を見つけた。
男はクーデターに遭った【鉄の国】の王だった。鉄でできている彼の手足は、裏切り者たちによって四つの危険な場所に捨てられたのだという。フィニィは王に頼まれ、すべての手足を取ってくることになった。




