おまけ1 大臣と魔法使い
「――覚悟しろ! 大臣様の家庭訪問じゃあっ!」
突然、出窓に少女が体当たりをし、弟子の指導をしていたアクウェイルは資料をめくる手を止めた。
ソファに寝転がっていたフィニィも驚いて飛び起きる。
少女の後ろからルジェクとヴィーレムも顔を覗かせ、三大臣は鍵のかかっていない窓を勝手に開けて侵入してきた。
「なんの用だ」
驚きと不機嫌が半々の態度で家主が詰問する。
ルジェクのみ苦笑いをしていた。
「僕は君に会いにきただけで」
「それを見かけた俺は毛生え薬の礼がてら付いてきて」
「さらに嗅ぎつけたスタラナちゃんが偵察にきた! うぇーいフィニィ元気ぃ?」
ぽかんとしている子を抱き上げその場で回り出す。
スタラナの背から生える骨の翼がからから響き、翼の先が人や物にもぶつかりそうだ。
彼女は目でも耳でも存在がとにかくやかましい。アクウェイルには愉快に思える相手ではない。
「偵察とはなんだ」
「ふっふ、しらばっくれても無駄だぜ? 噂じゃフィニィはしょっちゅうアっくんちにいるらしいじゃん。うちの卒業生がちゃんと保護者できてるかスタラナ学長ちゃんは確認せねばならんのです。でもフィニィがいるから遊ぼフィニィ!」
「つまり遊びにきたんですね」
授業の続きを諦め、レトはノートを閉じた。
「大臣とはこれほどに暇なものだったのか?」
「俺たちにフィニィより優先すべき仕事なんかないぞ。大目に見てやってくれ。これお土産持ってきたから」
ヴィーレムが不機嫌な家主に包みを渡す。中身は外遊中に手に入れた魔法の素材だ。これで少しアクウェイルの機嫌が直った。
「あの毛生え薬は助かった。うっかり多めに塗ったら髪の伸びるのが止まらなくなって怖かったけどなっ」
「一滴で十分だと注意書きを付けたはずだが?」
「うっかりだうっかり。相変わらず君の魔法薬はよく効く。特に今回のは効き過ぎるくらいだった」
「そもそもどうして毛生え薬が必要に? あ、いえ、もし伺ってもよろしければ」
遠慮がちに尋ねるレトにもヴィーレムは快活に答えた。
「火山の国にいた火炎猫に頭を焼かれてなあ。見苦しくないよう潔く丸刈りにしたんだが、なんとその国ではハゲた男を城にいれてはならぬ掟があったのだ。というのも王家には不吉な予言が伝わっていてな――」
「お、『髭大臣の冒険譚』の新作ですね? 待ってください、書き留めます」
魔法の国の安寧のため日々世界中を回り、魔法薬の売り込みや新たな国・民族との関係構築を行っている外務担当大臣の奇想天外な体験談は、聞いた者が口伝えに広め魔法の国の子供たちの寝物語となっている。かくいうレトもそのファンであった。
半分子供のような大人たちが当の子供よりも騒ぎだしてしまい、アクウェイルは招かざる客たちの追い出しを諦めた。
「ルジェク。別室にこい」
「そうだね」
二人は客間へ移動した。
窓辺のテーブルに茶も菓子も用意せず互いに対面の椅子に座る。窓からの日差しは大臣の背後に浮かぶ裁定人の体を屈折せずにすり抜け、床に落ちていた。
ルジェクは木の根に覆われていない右目で、やや厳しくアクウェイルを見据えた。
「まず苦情を言いたい。君は絶対にフィニィが王の子だと気づいていただろう」
「当然」
アクウェイルは余裕で長い足を組む。
「はじめにフィニィは魔女を探していると言った。いにしえに馬の民が草原で出会ったという女の姿をした魔法使い、時折夜の森から現れ昼の子らに魔法薬を授けたという夜の魔女の伝説、私はいずれも魔法の国の王と同一の存在ではないかと考えていた。大事なことは観察と想像だ。こんなのはすぐにわかる」
「わかった上で僕に知らせなかった理由は?」
「王の子を見つけるのは大臣の仕事だろう。王の子と王の名、どちらも我々には知らされていない。確かめられるのはお前たちだけだ。私は不確実な情報を流しむやみに混乱を招く輩ではない」
「もっともらしいことを言ってるが、フィニィが欲しい素材を取ってきてくれるから、こっそり手元に置いておきたかっただけじゃないのか?」
アクウェイルはふふんと笑うだけ。
当たっているのだろう。そして悪びれない。
ルジェクは眼差しを緩めた。
「――確かに王の子を見つけるのは僕らの仕事。王の話は記憶を受け継ぐ僕らがフィニィに伝えるべきことだ。君の判断はまちがいではない。王の子と察した上で仕事を頼みまくっていたのは正直どうかと思うけど、フィニィは楽しそうだからそれもいい。あの子を見ていてくれてありがとう」
「結局お前も礼を言いにきただけか」
「うん。あと相談を少々」
そこで雰囲気が変わった。
テーブルに肘をついて前のめりにルジェクは話す。
「王の子が目覚めた以上、我々は夜の王への対抗策を早急に準備しなければならない」
「なぜ私に言う。それは歴代の大臣が考え続けてきたことだろう」
「これから実際に形にしていくんだ。君の知恵を貸してほしい」
「・・・私も独自に考えていたことはあるが」
アクウェイルは人差し指でテーブルを突いた。
「先に教えろ。夜の森はあとどのくらいもつ?」
「今回、北を見てきたヴィーレムの報告では、兆しが現れているようだ。ここ十年は夜の森の拡大が緩慢になり、再生力が衰えている。はっきりした数字は掴めないが、おそらくそう遠くない未来にユピの寿命がくる。夜の森が消えれば夜の王が解き放たれ、真っ先に呑まれるのはここ。フィニィのいるこの場所だ」
「魔法の国が夜の国に取って代わられるわけか」
「それだけは許せない。ここはフィニィがいつまでも安心して過ごせる場所であり続けなければならない。君も大臣候補だった者として力を尽くしてくれよ」
「また昔の話を持ち出すな」
アクウェイルは面倒そうな顔をした。
魔法の国の大臣は、大臣自らが自身の基準で後継を選ぶ。それは血縁にも何にも縛られない。
ルジェクとアクウェイルは同時期に魔法学校に入学し、魔法の才能の目覚ましかった彼らはたまたま候補に並んだのだ。
二人は友人どうしでもある。
生まれながらにルジェクは半身が腐る奇病にかかり、体が崩れないようそこに木の根を巻き付けており、アクウェイルはそんな魔法に興味を持って彼に声をかけた。
学校にいた頃まだルジェクは少年でアクウェイルはすでに成人していたが、二人は気が合い友人と呼べる仲になれた。
その後、ルジェクが大臣に選ばれても関係は変わらず続いている。もとよりアクウェイルは己が国の調整役たる大臣など務まる性格ではないと自覚しており、面倒な役職を賜るつもりは毛頭なかったのである。
なお、二人を引退予定の大臣に紹介したのは当時から大臣兼学長の座にいたスタラナだ。
夜の子のなりかけである彼女は裁定人の魔法によって夜の侵食を抑えられており、その副作用で外見的な成長が停止している。実際はアクウェイルなどより年上であった。
そんなこともあり、突然押しかけられてもアクウェイルは彼女を強引に追い出せない。世話になった相手には彼とて多少は気を使うのだ。
「――ユピのことをフィニィには伝えるのか?」
最終的に協力を了解した後、アクウェイルが確認した。
ルジェクは頷いた。
「黙っているつもりはないよ。でも今すぐでなくていいと思う。あの子はまだ王の死を知ったばかりで、何もユピが今日明日になくなるという話ではないからね。だけど夜の森に出入りしているあの子なら、心のどこかではもう気づいているかもしれない。いずれにせよ、僕からきちんと伝えるよ」
「わかった。ならば私は自分の仕事だけに集中していよう」
「頼りにさせてもらうよ」
新たな契約が交わされた。
子供が明日を不安に感じぬように、こうして彼らは水面下で先に動くのだ。
そしてちょうど話がついたそのタイミングで、レトが客間に駆け込んできた。
「先生大変ですっ。スタラナ学長がヴィーレム卿の話に出てきた火の巨人をここで作ろうとしててっ」
「なに? 私のいぬ間にそんなおもしろそうなこと許さんっ」
大真面目にアクウェイルは走っていってしまう。
無邪気な背を見送ってから、ルジェクはゆっくり立ち上がった。
「君のそういうところにフィニィは懐いたのかな」
心の在り方が少し魔女と似ている。初代の大臣の記憶を受け継いでいる彼にはそれがわかる。
ねえ、と背後に同意を求めてみたが、裁定人は目を瞑ったまま。
ただ何も言わずに微笑みを浮かべていた。




