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フィニィの魔法の国  作者: 日生
一章 夜の森
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色を失くした獣1

 黒い水底から浮上し、息を吸った時フィニィは目が覚めた。


 またベッドに寝かされており、首元で茶色い毛玉がもぞもぞしている。起き上がろうとすると、視界の横から伸びてきた手が頬をなぞった。


 魔女の指は滑らかで、館の主が使っていた陶器の皿を思い起こさせた。ただしフィニィは高価な食器には触らせてもらえなかったため、想像の感触である。


 なんにせよ気持ちが良く、おとなしくなでられていた。


「腹は空いたか」


 頷くと魔女が大釜から麦粥をよそう。


 先に哲学ネズミに食べさせようとして、フィニィが麦粥を鼻先に持っていってやると、ネズミは寝惚けながらスプーンの先を齧った。


 フィニィもまだ少し頭がはっきりとしない。それもそのはずで、実は二日ほど眠り続けていたのである。

 しかし魔女は特段気に留めておらず、本人にわざわざ教えてやろうとも思わなかった。


 フィニィらが食べ終えると、魔女は大きな肩掛け鞄を渡す。


「使いの続き。ツタの卵を二つ。一つは鞄に入れて持っておいで。道を忘れているならアンテに聞けば教えてくれる」


 アンテ、とフィニィはかすれ声で繰り返した。


「私の小さな姉だ」


 羽の生えた少女のことを言っているらしい。

 フィニィは鞄を肩に斜めにかけ、哲学ネズミをフードに放り込み、さっそく洞窟を出て行った。


 昼夜問わずユピの森の中は真っ暗だ。よってフィニィには今が昼か夜かもわからない。一方で、なぜか眠る前よりも黒い木の影や、張り出した根の形が詳細に見えるようになっていた。


 宙に、明かりが一つ浮いている。


 虹色の羽を背中に四枚生やした小さな少女が、きょろきょろしているフィニィのもとへ、風に吹かれる綿毛のように寄ってきた。


 少女の肌と髪は水銀のようであり、白いドレスの滑らかな生地の表面にも肌にも、不思議な虹色の波紋が浮いていた。


(きれい)


 フィニィは見惚れながら歩を進めた。アンテはキンキン言いながら付いてくる。

 道をまちがえるとうるさいくらいに耳元で騒いで追い立ててくれる彼女のおかげで、フィニィはツタの卵の採れる場所まで迷わず辿り着けた。


 さっそくツタの膨らみに両手を置く。二度目ともなれば、もうあまり怖くはない。

 しかし、さする前に大樹の根の影に何か動くものが見えてしまい、息が止まった。


 影からのそりと現れたのは、まっ白な獣。フィニィを頭から丸呑みできそうなくらい大きな獅子だった。

 普通の獅子よりもたてがみが長く、地面に毛先が擦れている。


 太い足はいかにも恐ろしげなのに、フィニィのもとへ近づいてくる足取りは老人のように頼りない。白い毛並みも老人のそれと同じで、立派な体躯にぺしょりとみっともなく張り付いているだけだ。


 フィニィの前にアンテが出てきてキンキン騒ぐと、あっけなく獅子は追い払われた。しかし去ることはなく、木の影から遠巻きにいつまでも窺っている。

 悪さをした犬が赦しを乞おうとしている姿にも似ていた。


 それでもフィニィは怖かったので、獅子からもっと離れた木を探す。


 その際、無数の引っ掻き傷のついた木を見かけた。そこに巻きついていたツタも一緒に切られ、卵の外側の粘膜だけが無造作に破り捨てられている。


 爪痕はいかにも大きな獣の仕業らしく、中にはかなり深く樹体が抉られているところもあった。

 そこから覗くユピの木の芯は、意外にも金色をしていた。午後の太陽の色だ。真っ黒な樹皮からはおよそ想像もつかない明るさで、フィニィは思わず目をすがめた。


 その木を避け、別の木のツタをさすって、粘液まみれになりながら卵を採取する。一つを鞄に入れ、もう一つを抱え持つ。


 用が済んで道を戻ろうとすると、獅子が後ろを付いてきた。


 平らなところでフィニィが足を速めればその分だけ距離は広がるが、後ろの白い影は一向に消えない。ゆっくりでも追いつこうとしている。


(どうしよう)


 フィニィは何度もアンテに不安な視線を送ったが、アンテは小枝のような手で前髪をなでてくれるだけで、獅子を追い払ってはくれなかった。


「・・・恐れるべきは、闇に潜む化物か、日中を闊歩する怪物か」


 フードの中では哲学ネズミがぶつぶつ言っている。


「いや。無辜の人々をこそ私は恐れていたのではないか。怪物には剣を持てば良い。だが彼らには、どうすれば良かったのだ。私は彼らのために立ち上がったはずであったのに。あの猜疑の眼差しが、愛の失せた瞳が、私は途轍もなく・・・怖かった」


 苦悶と震えが背中から伝わってくる。フィニィはなでてやれないかわりに、揺りかごのように自身を左右に揺らしながら歩き、せめてネズミが眠れるようにしてやった。

 そのためあまり早く歩くことができず、魔女の洞窟に着く頃になっても獅子を振り切れなかった。


「おかえり」


 魔女はフィニィから卵を受け取り、さっそく大釜に放り込む。

 フィニィは黒い液体をかき混ぜる魔女の袖を引き、獅子のことを話した。

 しかし魔女は、


「そうか」


 と言うだけで、最後の卵を大釜に放り込む。


(いいのかな)


 とフィニィが心配していたのははじめだけで、そのうち魔女のしていることのほうが気になってきた。


 手伝いは必要ないか大釜の周りをうろうろしていると、魔女に抱き上げられ、石の台に座らされる。


「じっとしておいで」


 その台は魔女が素材を加工する時に使っている作業台であり、彼女の身長に合わせとても高く作られている。よって、台の上から大釜の中身を見下ろせた。


 真っ黒な液体が渦を巻く中に、ツタの卵が溶けて呑まれていく。


「陽を一匙」


 そう言って魔女が柄杓に息を吹きかけると、金色の細かな光の欠片が柄杓の底に溜まる様が見えた。眠る前のフィニィにはまったく見えなかったものだ。


 一匙分のわずかな光の粒が大釜に注がれると、中でバチバチ弾け、一つ一つがさらに大きな粒となって勢いよく噴き出した。


 突如、魔女が大釜の中に手を入れ、底から何かを引っ張り出す。


 それは、赤い木だった。細い繊維が幾重にも絡み合って根となり、幹となり、魔女が地面に置くとまっすぐ自立した。

 丈は魔女の身長ほど。細い枝の先に丸い水の塊を三つ、果実のように成らせていた。


「上着を脱げ」


 魔女はもぎった果実の膜を爪で裂き、ゼリー状になっている中身を掬うと、フィニィを後ろ向きにさせ奴隷の焼き印の上によく塗り込んだ。


 青く光るゼリーが爛れた皮膚になじむにつれ、印は消えて、フィニィの背中は元通りのまっさらな肌に戻る。


「よし」


 魔女は満足そうに笑んだ。

 フィニィ本人は何がどうなったのかさっぱり見えなかったが、これでこの子供が奴隷であったことを示すものは完全になくなったのである。


「【清浄の水菓子】。怪我をした時や、毒に触れた時、中身を傷に塗れば治る。腹が空いたら食べても良い。使いに出る時は必ず持っておゆき」


 口元を草の根で縛った果実の、たぷたぷとした感触をフィニィは少しばかり楽しんでから、鞄の中にしまった。


「さて」


 魔女が洞窟の入り口のほうへ顔を向ける。つられてフィニィも身を捻ると、白い獅子が中に入ってきていた。

 硬直するフィニィとは対照的に、魔女はすり寄ってくる獅子の頭をなでてやる。獅子はすんすん鼻を鳴らして魔女に何事か訴えていた。


「卵を食おうとして、うっかりユピを傷つけたと? 愚か者め」


 魔女は冷笑を浮かべた。獅子はそこで力尽き地に伏せてしまう。


 台から怖々とフィニィが見下ろしていると、また魔女に抱えられ、伏せた獅子の上に乗せられた。

 総毛立つフィニィの様子を魔女は愉快そうに眺めている。


「何も怖くはないぞ。そいつは夜の呪いで何もできない」


 ちょうど、フードから寝惚けた哲学ネズミが這い出て、獅子の横腹に落ちた。フィニィが慌てて回収するも、獅子は頭をもたげることすらしない。


 フィニィはおそるおそるたてがみに触れた。細い毛は簡単に抜け落ちる。剥き出しになってしまう皮膚から感じられる体温は、フィニィよりもずっと低い。


「・・・しんじゃうの?」


 上から降り、獅子に尋ねた。かわりに魔女が答えた。


「ユピの木を傷つけた者は、夜の王の呪いを受ける。呪いはその者にとって最も不幸な形で発現する」


 夜の王、という名にフィニィは心の中で首を傾げた。


「夜の王とは夜そのもの。愚かで醜悪極まる暴君だ。奴に目を付けられたら最後、悲惨な死を迎えることになる」


 魔女の言葉の端々には憎悪が滲んでおり、フィニィは怖くなってきた。

 一方の魔女は、怯える子供に気づかず眉間の皺を深くしていく。


「――思い出したら腹が立ってきたな。たまには、あいつの邪魔をしてやろうか。なあフィニィ」


 同意を求められても、フィニィは意味がわからない。

 だが魔女は自身の思いつきを気に入ってしまった。


「こいつの呪いを解いてやろう。やったことはないが、やってみよう。フィニィ、腹はいっぱいか? 眠くはないか?」


 頷けば、魔女は「よし」と立ち上がる。


「材料を取りに行く。鞄を持って付いておいで」

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