王の子
朝、窓から差す陽の光で目が覚める。
ソファの下に置いていた大きな肩かけ鞄を拾い、寝ぼけながら苦悩している哲学ネズミをフードに放り込む。
外に出て、まだ人通りの少ない道を城壁に向けて駆けていくと、途中で大きな花の塊が追いついてきた。
いったん足を止めたフィニィの鼻先に、花人がキスをする。
そうして彼女と一緒に城壁の向こうまで転がっていった。
未だそこには憎悪と決意に囚われた兵士たちの骸がある。
きのう供えた花は風に吹かれたか爆撃にさらされ消えてしまった。だから今朝も兵士たちに新しい花をあげる。いつか彼らが戦いの終わったことに気づき、故郷に帰れる日がくるまで。
「飯食ったのか? フィニィ」
たまたまその日、城壁に着いたのが早かったフィニィは花を供え終わり、死体を片付けて撤収していく途中のゼノに声をかけられた。
夜明けの仕事を終えた魔法の国の兵士の何人かが、これから飯を食べに行こうかという話をしていた。
やっぱりフィニィは空腹を感じることはないが、誘われたので付いていくことにした。
しかしフィニィと彼らは歩幅が大きく違う。自然と小走りになる子をゼノは肩車してやった。
「お父ちゃんか?」
「うるせえ」
すぐにからかってくるヤギ足の同僚をゼノは軽くあしらう。フィニィが城壁にくるようになってから、彼らの関係は以前よりも気安いものに変化している。
南の市場にある庇を張り出した店のベンチに座り、兵士らが思い思いの料理を注文し食べていると、ちょうど市場を見回っていた富豪の夫婦が通りかかった。
「お。戦士たちと朝食とはうらやましいなぁ、フィニィ」
ディングは黒い軍服の集団に臆せず割り込んだ。
キーラはすかさずフィニィの傍に膝をつき、ソースなどで汚れた口周りや手を拭ってやる。
「ゆっくりお食べなさいね。あなたのネズミさんの上にいっぱい落ちちゃってるわよ?」
膝の上の哲学ネズミもついでに濡らしたハンカチで拭ってやった。
肘まで手袋に隠れた彼女の両手は、以前より少しだけ人間らしい柔らかさを取り戻してきたようである。
ディングのほうはゼノたちの肩を叩き、ねぎらっていた。
「魔法の国の繁栄は諸君らの働きによって支えられているものだ。ささやかだがこの市場の商会長として礼をしたい。ぜひここは俺にご馳走させてくれ」
「マジですか! いいんすか?」
「ああ。倉庫が空になるまで大いに飲み食べてくれ」
「さっすがドグウォン商会! んじゃ遠慮なく!」
調子に乗った同僚たちがメニューを端から頼み出すなか、必要な分だけ腹に溜まればいいゼノは特に浮かれることもなく自分の皿を黙々と片付ける。
フィニィはもうお腹がいっぱいだ。
「フィニィ、うちで休んでいったら?」
そうキーラに誘われたので、彼女の家に行ってみた。
陽の当たる部屋で従業員の子供たちの遊ぶ声を遠くに聞きながら、ふかふかの絨毯の上に哲学ネズミと転がりフィニィはゆっくり朝寝した。
起きたら少しだけスパイスの入ったミルクが用意されており、それを飲んで再び出かける。
次は街の中央へ向かっていると、左手の路地に熊三匹と背の低い探集者一人が歩いている背中を見つけた。
少し気になったフィニィは彼らの影から回りこみ、熊の毛皮から出ている人間の腕に触れた。
「うぉっ、なんだ?」
熊の長男は小さく跳ねた。
夜の森で処刑人に切られた腕はちゃんと繋がっていた。
「よぉフィニィ。なにしてんだ?」
ノーヴィを無視してフィニィは怯える次男と三男もぺたぺた触る。ちゃんと繫がっている。
「あ・・・? もしかして腕を気にしてんのか? 大臣にくっつけていただいたよおかげさまでな。だがあんたに関わるとまた切られそうだ。これから仕事に行くんだから勘弁してくれ」
熊たちはもはや恐ろしくてへたに子供の手を払えなかった。
彼ら三兄弟とノーヴィは一緒に組んで採取に出発するところなのだという。
夜の森では星の花を奪い合ったが、一つの仕事が終われば次には引きずらない探集者たちだ。フィニィも横取りされたものの今となっては大した問題ではない。
なお依頼主のアクウェイルは非常に落胆していたが、「仕方がない。別の方法を考える」とそちらもわりあい早く切り替えていた。
国の外へ出かけていく彼らにフィニィは花人にもらった花を渡した。
持っていれば幸運を呼ぶと言われているものだ。何本かまだ鞄に残っていたので誰かにあげようと思っていた。
だが見た目はただの花であるため、彼らはそれが花人のものだとは気づかなかった。
「ん? 花? くれんのか? なんで?」
「いいじゃねえの。王の子からの賜りもんだ。なんかしらのご利益あるぜ、きっと」
ノーヴィは調子よく言い、「ありがとさん」とフィニィの頭をなでていった。
元の道に戻ってフィニィは黒い塔まで駆けていく。
穂の揺れる麦畑を掻き分け、閉じた蔓に触れると塔の入り口が開く。
内部の壁に設置されている階段をのぼる。
そのてっぺんは物見台になっていた。
地上よりやや強い風が窓を吹き抜ける。
格子もない石窓は八方にあり、ここから魔法の国をほぼ一望できた。
だがそれよりもフィニィは窓から身を乗り出して屋根の上を見ようとした。すると、そこから長い鎖が下りてきた。
両手で掴めば引き上げられて、塔の細い屋根に立つ守り人の大きな一つ目が見えた。
腕のない守り人はかわりに全身に巻きついた鎖の先端二本を自由に動かし、しゃがんだ膝の上にフィニィを座らせた。
祭りが終わり、魔法の国はつつがなく元の日常に戻った。
唯一大きく違うのは、彼らがフィニィを王の子として認識したこと。
祭りの後で大臣たちが皆に発表した。
だがそれで彼らやフィニィの生活が何か変わったわけではない。
王の子と呼べども魔法の国には城もなければ玉座もないのだ。
ただ箱庭に集った人々の営みの片隅に、小さな子供が一人まぎれこむようになっただけ。
顔見知りの者は見かけたら声をかける。腹を空かせてなくても食べさせる。眠そうなら家で寝かせてやる。
フィニィは頼まれたら魔法の材料を取ってきて、そのかわりに魔法を見せてもらう。アクウェイルなどはフィニィの正体を知ったところで依頼を減らすそぶりすらない。
変わらないことをフィニィは大臣たちに望んだ。
今の魔法の国はフィニィにとって安心していられる場所だ。
この国では喋るネズミと陽の下で昼寝をすることができるのだ。それは夜の中でひとりぼっちでいるよりもずっと幸せなことには違いない。
ぼうっと風に当たっていたフィニィは、体が少し冷えてきた。
間もなく夜の長い冬がやってくる。
これから春も夏も秋も、巡っていく景色をここで見ることになる。
魔女の遺したフィニィの国で。
守り人に塔の下まで降ろしてもらい、またどこかに行こうとしたフィニィだったが、ふと思いついて麦畑の中で足を止めた。
胸の辺りで揺れる穂をぷつぷつ引き抜く。
おおよそ椀一杯分。
今日の夕飯は、誰かに温かい麦粥を作ってもらおうと思った。




