三人の大臣4
魔法の国の中心にそびえ立つ黒い塔。
熟した麦が周囲に揺れる。その麦畑はお腹を空かせた子にいつでも麦粥などをふるまえるよう、季節に関係なく収穫できる魔法がかけられていた。
普段、塔の入り口は太い蔓が絡んで閉じられている。
開けることができるのは王に魔法の国をまかされている三人の大臣だ。
内部は暗い外壁から打って変わって柔らかな光が満ちている。夜の森の洞窟と同じで壁の内側から発せられているのである。
塔の中には大釜が一つあった。
真っ黒な水が半分ほど入っている。
そこへ駆け寄るフィニィの傍に、黒衣の夜の子が現れた。
頭に二本の巻き角を生やし、黒い顔の真ん中に大きな目玉が一つ。
足はあるが腕はない。全身に鎖を巻き付けていた。
紫色の目玉の中には結晶の薄片が漂い、不思議な色を呈していた。
魔女の瞳である。
塔のてっぺんにいた守り人はこの夜の子だ。
フィニィの周囲には他にも花人と処刑人と、三人の大臣の背後に浮かんでいる裁定人が集った。
花人がフィニィの泣き腫らした頬をなでる。
陶器のように滑らかなこれは魔女の手だ。
処刑人のベールの下の長い黒髪は魔女の髪。
大臣の喉に添えられている透明な四本の剣は魔女の耳。
フィニィはやっと全部気がついた。
「どこから話そうか。長い話になる」
フィニィを夜の森からここまで連れてきたルジェクが大釜の傍の床に座り込んだ。
彼の頭の木の根から生えた小枝の葉が揺れていた。
スタラナは釜の縁に腰かけて、その反対側の縁に、外務担当で普段はあまり国内にいない大臣のヴィーレムが肘をかけている。
塔の外ではまだ歓迎祭が続いているが、そんなことより三人の大臣たちはこの子供と話をしなければならない。
フィニィはルジェクの前にぺたりと座った。
「最初から――エリトゥーラがフィニィをユピの根の下に隠した後のことから話そう」
初めて、フィニィは魔法の国の人間から魔女の名を聞いた。
「ユピを殲滅しようとする兵士の呪いはエリトゥーラでも簡単には解けなかった。彼らの夜への復讐心が強過ぎたんだ。それでもエリトゥーラは兵士たちを夜と昼の狭間に閉じこめることに成功した。その時点でエリトゥーラはフィニィを夜の国に迎えに行ったんだ。だけどその時には、フィニィは夜の王に捕まり夜の欠片を飲まされていた」
それはかつてユピが夜の王にされたことと同じである。
「命がつくりかえられていく間、君はずいぶん長いこと寝ていた。おおよそ三百年は経ってる。そしてこれからまた何百年と生き続けなければならない。エリトゥーラは、自分の寿命がそんなに残っていないことをはじめから知っていた」
魔女は不老であるが不死ではない。
思い出して、フィニィは哲学ネズミをぎゅうっと握り締めた。
「エリトゥーラは自分が死んだ後にもフィニィが生きていけるように、あらかじめ君の居場所をつくっておくことにした。手始めにもともとこの平原にあった国を滅ぼした。そして大勢の奴隷や、夜の子と言われて虐げられていた異形の人々を集めてつくらせたのが、この魔法の国だ」
ルジェクはあっさり言うが、当時は世界を震撼させた出来事だった。
本物の夜の子の恐ろしさを見誤っていた彼らに、魔法の国の創建は悪夢でしかなかった。
当然ながら諸外国は黙っていなかった。たびたび討伐軍が派遣された。しかし魔女は魔法を知らない者たちの歯が立つ相手ではなく、また日暮れと夜明けに現れる呪われた兵士が侵略者の布陣を意図せず破壊することが多かった。
最終的に世界は魔法の国を黙認せざるを得なくなった。
「エリトゥーラは皆に魔法のつくり方を教えた。自分がいなくなっても色んな魔法でフィニィを楽しませるためだ。噂を聞いて、あちこちからはぐれ者たちが魔法の国に集まるようになり、彼らは自然とエリトゥーラを王と呼ぶようになった。でも、ここまでで彼女は力のほとんどを使ってしまった。何もしなければ本当はもっと長く生きられたはずだけれど・・・消滅する前にエリトゥーラはフィニィを守るための分身を生んだ。残りの力を特定の部位に集約させ、さらに外部から別の魔法の力を補充して生まれ変わった、といえばもっと正しい。彼女の髪は処刑人に、瞳は守り人に、手は花人に。耳は裁定人として、魔法の国を維持するため選んだ三人の人間につけられた」
三人の裁定人たちは透明な瞳を開き、他の分身たちと同様にフィニィを優しく見つめていた。
「選ばれたのは元は奴隷だったり、厄介者として故郷から追い出されたような人間たちだ。王に人生をすべて捧げていいくらいの恩義を受けた者たちだった。三人が賜った王命は、いつかフィニィが現れるまでこの場所を保ち、そして現れてからも永遠にフィニィを守っていくこと。絶対にひとりぼっちにしないこと。悲しませないこと。――僕らはその時の大臣たちではないけれど、魔法を使って初代からの記憶を途切れなく受け継いでいる。王への誓いは色褪せず胸にある」
力強くルジェクが語る。
フィニィはそんなことはどうでもよかった。
魔法の国は魔女がつくった国で、皆が言う王とは彼女のこと。それはわかった。
フィニィが気にするのは自身の探しものの結論だ。
「エリトゥーラは、いないの・・・?」
するとルジェクの左腕の根がみしりと鳴った。
「・・・いない。死んでしまった」
ローブから出ている根の先が拳のように握り込まれている。
星の花は、と咄嗟にフィニィは口にした。
どんな願いでも叶うという星の花。しかし、スタラナがうなだれた首を横に振る。
「ごめん、フィニイ。どんな願いも叶うっていうのは、そのくらい大きな魔法の力を蓄えているということ。花が願いを直接叶えるわけじゃない。そもそもあの花は時を数えるのが苦手なエリトゥーラが、フィニィが起きるまでの時間をはかるためにつくった魔法の花なの。何か所かに種を播いて、一年に一粒ずつ芽が出て花が咲くように仕掛けた。種が全部咲ききった頃にフィニィが起きる。ただそれだけのものなんだよ」
つまりは星の花を得ても何も意味はなかったのだ。
処刑人や花人たち、それらは生まれ変わった魔女だとしても、フィニィからすれば別物だ。
求めていたのはそういうものではない。
「――っぁ」
フィニィは哲学ネズミを膝に取り落とした。
「っ・・・ぁいっ、いら、ないっ」
魔法の国なんかフィニィはいらない。
フィニィが帰りたかったのは魔女のいる洞窟。見たかったのは魔女の魔法。
魔法の国のどんなおいしいものより、たまに毒が入っていることがあっても魔女の麦粥を食べたかったし、彼女の背中を眺めながら眠りに就きたかった。
手を繋ぐのも頬をなでてもらうのも魔女がいい。
名前を呼ばれる、物を教えてもらう、お使いを頼まれる、抱きしめてもらう、膝に乗せてもらう、全部がそうだ。魔女がいい。
それ以外の何一つ望みはしないのに。
床に伏せ、フィニィは大声でわんわん喚き続けた。
スタラナがたまらず釜から飛び下り、子の頼りない肩を掴んだ。
「そうだよなっ、フィニィはエリトゥーラに会いたかったんだもんっ。そうだよ、そうなんだよ、王よ・・・」
天を仰ぐ彼女の両目からも、たらたらと涙が零れていた。
ヴィーレムはスタラナの額にハンカチを落とした。
「俺たちにはなんとも言えん。力を使わなければエリトゥーラは今もまだ生きていたのだろう。魔法の国はできず、ここの民の多くが生まれず先祖は汚辱にまみれて死んだのだろう。エリトゥーラが身を削ってくれたからこそ俺たちの今が存在する。・・・なんと言っていいのかわからん。フィニィ。俺たちは君とエリトゥーラのおかげで生きている。だがその代償が君の苦しみであっては・・・感謝の言葉すら棘になろうものだ」
無念そうな顔をする。
花人がフィニィの上に花を降らせ、守り人が巨大な一つ目でじっと見つめ、処刑人が佇んでいても効果はない。
この場の誰も子供を泣きやませることなどできなかった。
――だから、やがてフィニィは自分で泣きやんだ。
何度もこすった瞼がひりひりと痛む。叫び過ぎて声は枯れかけていた。
フィニィは床の上に広がっているルジェクのローブの裾を掴み、か細く謝った。
「ごめ、ね・・・い、らな、ちがう、よ」
魔法の国もルジェクたちも、いらなくないと言い直した。
ひどいことを言ってしまったと思ったのだ。
フィニィが泣いている間、顔を覆っていたルジェクは、涙の気配の残る青い瞳を柔らかく細めた。
「いいんだよフィニィ。僕らは知っている。親が子供を想って与えるものは、大抵が子供の一番の望みからは外れてしまうってことを。――親は子の未来を先回りして用意する。子供にはいつだって今しかないのにね。今手に入らないと死んでしまうくらい欲しいものがあるのにね。そんなものは別に大事じゃないと勝手に決めてしまう」
魔女はフィニィをなるべく生かすようにすると約束した。
その通りに打てる手を打ったのだ。
自分が生きて少しの間だけフィニィの面倒をみるより、自分がいなくてもフィニィが生きていける場所をつくっておくほうが良いと思った。
魔女にその自覚はなかったとしても、それは過保護な親の思考に近い。
少なくとも魔法の国の民たちはそう感じた。
ゆえに彼らはフィニィを王の子と呼び、王と王の子という呼称だけが国内外に浸透していった。
すべてフィニィのあずかり知らぬところで起きたことだ。
よってルジェクは王の子本人に意思を確認する。
「いらなければ捨てたっていい。ここは君だけのために作られた箱庭だ。したいこと、したくないこと、なんでも言ってくれ。君の望む君の暮らしを守ることが僕たちの使命であり、贖いであり、望みなんだ」
フィニィは、ずずっと鼻を啜った。
膝に落とした哲学ネズミを両手で持ち上げた。ネズミはうんうん唸りながら寝ていて、何が起きたかなど知らず夢に閉じこもっている。
すでに一番の望みは叶わない。
では二番目に願うとしたら、例えばこのネズミの頭痛が和らぐ温かい場所で、一緒に眠ることだろうかとフィニィは思った。




