三人の大臣2
フィニィが到着した頃には、すでに大勢の探集者が夜の森の前に集まっていた。
先に行ったスタラナが荷車の上に立ち、探集者たちはその前に列をなしていた。
青く光る実が十個入った透明な袋を彼女から一人一人受け取っている。
「【身代わりの果実】は一人一袋までだぞ! 他人のものを奪っちゃだめだからな! 喧嘩するんじゃないぞー!」
列を整理しているのは声も体も大きな男だ。
前のはだけたシャツの上にロングコートをはおり、暑いのか寒いのかよくわからない格好をしている。
四角い顎の輪郭を縁取る硬い髭。髪も先がつんと立っていた。だが垂れた目は優しそうで、体格の放つ威圧感を人好きする笑顔で相殺していた。
そんな男の背後にも透明な裁定人が浮かんでいる。
剣の先を男の首に突きつけ目を閉じていた。
「よっ」
背中を誰かに軽く叩かれた。見れば、探集者のノーヴィがいた。
フィニィは一瞬誰だか思い出せなかった。
「お前さんもきたんだな。噂は聞いてるぜ~。最近ますます活躍してるそうじゃねえか。なーんでノーヴィさんを誘ってくれなかったかなあ?」
フード越しに子供の頭をぐりぐりなでる。
「なあ今回は俺と組もうぜ? 希少素材専門のお前さんのことだ、狙いは当然星の花だろ? どんな願いも叶うと言われる極上の魔法素材! おじさんってばいい情報持ってんのよ」
その場にしゃがみ、ノーヴィはよれよれの紙を広げた。
それは手書きの夜の森の地図だった。
「今までの祭りで夜の森に入った探集者たちが作ったやつだ。星の花が生えてた場所も書いてある。花は根ごと採取するんだが、不思議と毎年違う場所に新しく生えやがる。だが、まったくでたらめに生えるってわけじゃあ、なさそうなんだよなあ。何年か前に生えてたところと同じ場所に生えたこともあるみたいだ」
夜の森に道らしい道はないので、地図にはおおまかな位置関係と目印となる特徴的な地形の説明文が書き込まれている。
フィニィがよく見ようと身を乗り出せば、ノーヴィはさっと地図を隠してしまった。
「俺と組むなら見せてやるよ。どうだ?」
フィニィは了承した。
少しでも手がかりのあるほうがいい。
「よし決まり。お前さんにはなんかあると思うんだよ俺は。仕事はもってる奴と組むのがいちばんいい。よろしく頼むぜ?」
ノーヴィはフィニィの右手を取って握手した。
そうして大臣の配っている身代わりの果実はもらったかと訊くので、もらってないと答えると、じゃあ待ってろとかわりに取りに行った。
フィニィは草原に座り哲学ネズミの腹を揉みながら待っていた。
「ぅおっ、と、お前は・・・」
通りすがりの誰かが足を止めた。
見上げれば熊の毛皮をかぶった男がいた。その後ろから弟二人もひょっこり顔を出した。
熊の毛皮の三兄弟だ。処刑人に一度切られた手足には縫い目が残っていた。
フィニィは思わず身を竦めたが、三兄弟たちのほうも同じくらい緊張していた。
「あー・・・あー、この間は悪かった。もう手は出さねえよ。なんもしねえから処刑人を呼ぶのだけは勘弁してくれ」
長男の熊が微妙な距離を保ちつつ言った。
以前、路地裏に引きずり込まれた時とは違い、怖い雰囲気はもうない。
長男は子供にくどくどと言い訳を続ける。
「あん時は、あんたのことよく知らなかったから、よ。客に偽物つかませた探集者なんぞ放置してた日にゃ、探集者全体の評判が落ちる。俺たちには俺たちのルールがあるんだ。――だが、ラクスラも光吸石も本物を取ってきたんだってな。商会の連中に聞いたよ。疑って悪かった。身勝手は承知の上で、あんたとはいい仕事仲間になりてえ。改めて、よろしく頼む」
傍にしゃがんで握手を求めた。汗と獣臭が濃く匂った。
フィニィはまだ若干警戒しつつも、手袋のように分厚い男の手を軽く握り返した。
「コラそこ、接近禁止やでー」
今度はバジーとリアンの兄弟が寄ってきた。
露店の店員をしていた彼らも希少素材を求めて夜の森に入るのである。
目と口にマスクしている兄弟に熊の三兄弟は顔を引きつらせ、二歩三歩下がる。
「まーたフィニちゃんいじめてたん?」
「まさか。仲直りしてたんだよ。なあ?」
「ん~? なんや怪しいなあ。次におイタしたら嚙みちぎってまうで?」
リアンが片手で噛みつくようなジェスチャーをすると、三兄弟は毛皮を掴んで小さくなった。
その頃にやっとノーヴィが帰ってきた。
「なんで集まってる? まさかフィニィの勧誘か? だめだぞ、俺が先約なんだからなっ」
「え~フィニちゃんやめとき? そのおっさん裏切りよんよ?」
「失礼なこと言うんじゃない。散れ散れっ」
ノーヴィがバジーらに気を取られている間に、リアンがフィニィの前にしゃがみ、両手をぎゅっと握った。今日の彼はズボンを履いていた。
「よろしく」
それだけ言って去ってしまった。
フィニィが手のひらを上にすると黄色いインクの跡が一瞬だけ見えた。
だがすぐに消えてしまい、結局なんだかわからなかった。
「・・・夜が去れば朝がくると誰が言った。必ずそうなると誰が保証できる。幸か不幸かで割り切れる未来など私たちには用意されていない」
哲学ネズミはぼそぼそ呟きながら、フードをかぶったままのフィニィの首の後ろに頭を突っ込み、寝た。
そうこうするうちに開始の時刻を迎えた。
じゃれ合っていた探集者たちは夜の森と平原の境に移動し、大臣の合図を待つ。
口火を切ったのはスタラナだった。
「準備はいいかな冒険野郎たち? ルールは同じっ。どこを探検するのも自由っ、だけど十個の身代わりの果実を消費する前には戻ってくるのだ。魔法の国の王はそこまでしか許さない。戻ってこない子のことは知らないぜ。無責任? いやいや自己責任! ここで人生終わってもいい子だけ、いってらっしゃーい!」
探集者たちは透明な袋から青い実を一粒取り、一斉に潰した。
ぶちゅんと指先で軽く潰れると、青い果汁が霧状に広がり人間一人を包み込む。
その状態になったら彼らは夜の森に入っていった。
「ほらフィニィ、お前さんも早くしろ」
すでに青い靄に包まれているノーヴィが急かす。
透明な袋に入っていたのは運試しの青い実である。魔法学校の温室でチェラが育てていたものだ。
魔法の青い水を吸わせたこれは、夜の侵食を一定時間防御する魔法が込められている。
青い靄が周囲にまとわりついている限り、夜の森に入っても夜の子にならずに済む。
時間が経てば靄は薄くなる。そうしたら次の実を潰す。
探集者は実が十個なくなるまでに目当ての素材を採取し帰還しなければならない。
すでに夜の子であるフィニィに身代わりの果実はまったく必要でなかったが、ノーヴィに言われるままとりあえず潰した。
森に入るとノーヴィは光の鳥を飛ばせた。
手の届く範囲までならどうにか見える。夜の森の闇は格別で、光線はすぐに呑まれて消えてしまう。
近くに他の探集者たちの気配がしても、その姿も明かりも見えはしない。
「まずは前回、星の花が見つかった辺りを探すぞ」
ノーヴィは手元に地図を広げ、方位磁針を出して慎重に確認しながら進む。
しかしフィニィはそんなもの必要なかった。
地図に書き込まれた地形情報を教えてもらえば、大体どの辺りのことを指しているかがわかる。夜の森の中はフィニィの庭も同然だ。
こっち、とノーヴィの袖を引っ張る。
フィニィは早く星の花を手に入れたかった。
「待てよ、道がわかるのか? 前見えてんの?」
子供は振り返らず進む。それが答えを表している。
ノーヴィは己の見込みが正しかったことを確信した。
はじめに向かったのは子供の背丈ほどの低い木のもとだった。
神経と肉体を溶かす猛毒の果実をつける孤立の木。この木の毒はユピすら避ける。ゆえに周りには何もない。
そんな木の根元に寄り添うように星の花は咲いていたのだという。
だが今回はなかった。
「次は大きなユピの木の根元」
フィニィは赤い蝶のとまるユピの巨木へ向かった。
この木の前でフィニィは魔女と別れた。
おとなしく言うことなど聞かずに付いていっていれば、フィニィは魔女を探し回ることにはならなかっただろう。
あるいは、おとなしく言うことを聞いてユピの根の下で待っていられればよかった。
(・・・エリトゥーラ)
夜の国に繋がる根のトンネルの前でフィニィはあの時のことを思い出していた。
フィニィのかわりに木の周りを念入りに見て回ったノーヴィが、花はないと報告した。
「ここには三回生えてたことがあるらしいんだがなあ」
地図を睨んでノーヴィが唸る。
彼はすでに実を二つ消費した。フィニィの案内があっても地図を全部はとても回れない。行き先は考える必要があった。
「お前さんはどこが怪しいと思う?」
地図をフィニィにも見せる。
フィニィはここから近い場所を適当に指した。
「卵を産むツタがあるところか。お、ちょうどいいや。ツタの卵も狙ってんだよ俺」
夜の森には貴重な素材が山ほどある。探集者たちは星の花以外にも、この機会に昼の国にはない様々な素材を採取して帰りたかった。むしろそちらがメインで参加する者も多い。
フィニィはノーヴィを連れてツタの卵の採れる場所へ向かった。
ユピの木に巻きついている太いツタ。
えんどう豆の莢のように丸く膨らんでいる部分が、赤く明滅している。
それを爪で破り、ゼリー状の卵の中身だけ食べている夕焼け色の獅子がいた。
「なんだっ?」
ノーヴィは光の鳥が照らす前に音で気づいた。それでもすでに目と鼻の先にいる。
獅子はフィニィに飛びかかった。
その巨体が光の下に見えたノーヴィは、咄嗟にポーチから魔法薬を投げて辺りに煙幕を張った。
「フィニィ生きてまた会おう!」
ベテラン探集者は一目散に逃げていった。
フィニィが襲われたことはわかったが、夜の子とやり合う頭など彼にはない。素材として化け物を採取せねばならない時でも終始隠れて隙を狙うのが鉄則。不意に出会ってしまったならば何を犠牲にしても逃げる。
フィニィは鼻を押しつけて顔を舐めてくる獅子の頭を両手で押しやった。
「・・・エリトゥーラ、みた?」
獅子は知らないという。そう言っているような雰囲気だった。
もっとなでろと大きな頭を押しつけてくる。
獅子と一緒にこの辺もぐるりと回ってみたが、やはり星の花らしきものはなかった。
ノーヴィはどこまで逃げたのか。
フィニィは地図の文字を読めなかったから、他にどこに星の花が生えていたのかわからない。
フィニィは途方に暮れた。
新しい材料を採取する時には必ず魔女が一緒に行って教えてくれたのに。
その魔女がいなくなってしまったから自力で星の花を探さねばならない。
本当に見つけることができるのか。それとも永遠に暗闇の中を探し続けなければいけないのか。
フィニィは獅子の真っ赤なたてがみに顔をうずめた。




