竜の傭兵4
「――おい。おい、起きろ」
痺れを切らした手に揺すられて、フィニィは目を覚ました。
枕にしていた尻尾の先がぱたぱた急かしている。
すでに城壁の日陰はなく陽の光が赤みがかり、軍服の上衣だけ着ているヤギの青年に覗き込まれていた。
「あんた怖い顔して意外と子供に好かれるんだな」
青年のからかいにゼノは「知るか」とすげなく言い返した。尻尾から子供の頭がどくのを待って、三又の鉾を持ち上げ軽く動きながら全身の筋を伸ばす。
フィニィは寝ぼけ眼をこすり、ここにいた目的を思い出そうとしていた。
だがちょうどその時に、ヤギ青年の向こうで大鎌を携えて佇む、長身の影を見つけ飛び上がってしまう。
「どうした?」
尋ねたヤギ青年は、いっぱいに目を見開く子供の視線を辿り合点した。
「安心しろ。処刑人は街に呪われた兵士たちが入らないように蹴散らしてくれるんだぞ。俺たちの強力な味方だ」
街の人間と違い兵士は誰もその存在を恐れていなかった。
処刑人はフィニィに近寄らない。どこか遠慮がちに距離を保っていた。
「さ、もう日暮れだぞ。家にお帰り」
ヤギの青年はフィニィを城壁の内側にいれて門を閉じた。
外に残ったのはゼノと処刑人のみ。軍服の兵士たちは続々と城壁の階段をのぼり砲撃の準備を始めている。
その慌ただしさが静まった頃、フィニィはこっそり階段をのぼった。
今にも地平線に陽が接する。
逆光の中だが砲撃手たちははじめから敵の現れる位置を知っている。自分たちで狙いの先に置いたのだから当然だ。
彼らは緊張した面持ちで時を待っていた。
地平線に陽の底が接した瞬間が合図。
「放て!」
指揮者の号令で轟音が響いた。
フィニィは階段から転げ落ちそうになった。アクウェイルに耳栓をもらったことを思い出し、慌てて耳に詰めた。材料は綿だが魔法が込められていて、ほとんど砲撃の音は聞こえなくなった。
弾は狙いどおりに飛んで着弾した。そこで四方に弾け破片が地面を抉るが、その一つ一つは飛び散った後も青い光で繋がっていた。
光が収縮し、元の弾の形に自己復元しながら先ほど辿った軌跡をなぞり、砲身の中へと戻る。
再装填までの時間を見越して砲撃は順番に間断なく行われた。
巻き起こる砂煙で地上の視界は悪い。
だがフィニィには見えた。
砂煙を突き破って疾走する化け物の姿。
骨だけだった呪われた兵士たちには黒い肉が付いていた。どろどろとした闇を無理やり固めて張り付けたような色だ。それが筋肉のかわりとなり、異常に膨れ上がった手足を力強く振るって城壁を目指している。
黒い肉は折れたり錆びたりしていた武器にまで及び、破損個所を補強するだけでなく兵士たちと融合させていた。
かつて夜の森の上空で、フィニィは呪われていく彼らの変化を途中までしか見なかった。
その成れ果てを今、城壁に身を乗り出して食い入るように見つめた。
兵士の大部分は砲撃で爆発四散する。しかし、しばらくすると黒い肉が骨を連れて勝手に集まり再び人の形を作る。
そこから弾幕を抜けてくる者が少なくない。敵には死の恐怖がないのだ。どんなに効率よく砲撃しても大砲だけでは隙が必ず生まれてしまう。
すると砲撃の間に合っていない箇所を補うように、進軍する集団の中に突如、大鎌を持った影が現れた。
同時に周囲の兵士が黒い肉塊となる。
処刑人の鎌を振るう瞬間は見えない。まだ間合いに入っていないと思える場所でさえ、いつの間にか刃が届き断たれている。
さらに別の場所ではゼノが三又の鉾で黒い兵士の進軍を押し止めていた。
肉に突き刺し、投げ、殴り、叩きつけ、踏み潰す。
処刑人はそこに佇むだけで次々と黒い兵士を処断していくが、生身のゼノは尻尾の先まで全力で戦っていた。
フィニィと一緒にうたた寝をしていた面影はない。
それが楽しそうなのか、苦しそうなのか、フィニィのいる場所からはわからなかった。
ただもうすぐ壊れてしまいそうだと思った。
しかし、まだまだ終わらない。
刻一刻と沈んでいく陽とともに、永遠のような時間を彼らは戦い続けていた。
「あ」
その時、フィニィは見つけた。やっと見つけて思わず声が出た。
ゼノの相手している集団の中にひときわ大きな兵士がいた。
昔よりもさらに体が膨らんでいる。それでもフィニィには彼だとわかった。
子守り鳥を殺した人。フィニィを家族に迎えようとしてくれた人。
息子を夜の子に殺され復讐を決意した。
悲しみと憎悪を瞳に湛えた、名前も知らないあの人だ。
彼は二度と自分たちの国に夜の子を侵入させないと言って夜の森に挑んだ。そして今も戦っている。
だがすでに彼の国はない。
フィニィも少しずつ理解してきた。
魔法の国の立つこの場所はフィニィの生まれた国の領地である。村があった。畑があった。町があった。それが今やすべてなくなっている。空遊魚に乗った時に確認した。
おそらく世界はフィニィが森の外で生きていた頃から大きく変化している。
彼の守りたかった彼の国はなくなっている。大切な人は皆、死んでいる。
(いたい)
フィニィには彼らもゼノも痛そうに見えた。
痛いことは嫌なことだ。つらいことだ。早く終わったほうがいいことだ。
自分をぎゅっと抱きしめると、フードから肩の上に哲学ネズミが這い出てきた。
「・・・終わらない。終われないとも。勝利を手にせねば、戦ってきた甲斐がない」
アクウェイル特製の耳栓は人の声だけ拾って聞こえる。本来は砲撃中に兵士たちが意思疎通できるようにするためのものである。
「兵士は勝利するために戦うのだ。しかし・・・勝利とは、なんだ? 軍の勝利、国の勝利、それらは個人の勝利ではない。私たちは己が死ねばそこで終わる。ならばただの一個人たる兵士の勝利とは? ――故郷に帰りつくこと。迎えてくれる人のいる場所に、生きて帰ることではないのか」
鼻でしきりにフィニィの頬を擦る。
「帰りたかった、私は。一人で勇敢に戦っている間も。幼きあの日のように、帰りたかった・・・」
フィニィは震える哲学ネズミをなでてやった。
(かえりたい、から)
今日の寝言は意味がわかる。
哲学ネズミがいつも苦しんでいる理由も、兵士たちが戦い続ける理由も、フィニィが魔女を探している理由と同じだと思った。
フィニィは哲学ネズミを片手で抱きしめ、城壁から飛び降りた。
間もなく陽が落ちる。夜になる。
黒い兵士たちは城壁の目前まで迫っていた。浮き薬を使ってフィニィが着地した場所に、あの大きな兵士もきていた。
「おいっ!?」
ゼノが気づいてフィニィを庇った。
大きな兵士は鉾を素手で受け止め槍を振るう。それをゼノが同じく素手で止める。
フィニィはまっすぐ手を伸ばした。
「おかえり」
採取から帰ったフィニィに魔女はきまって言った。
それであの洞窟がフィニィの帰って良い場所になった。
この地には彼の国があった。昼でも夜でも彼の帰って良い場所なのだ。
だから迎えてくれる人がもういないかわりに、彼を覚えているフィニィが迎えた。
黒い大きな兵士は骸骨の浮かんでいる顔を子供に向けた。
かつては優しい瞳の嵌まっていた窪みで確かに見ていた。
動きの止まった敵の胸にすかさずゼノが鉾を突き刺す。
それとほぼ同時に陽が地平線に消えた。
黒い兵士たちは体が溶け、骨に戻って崩れ落ちた。
ゼノの突き刺した兵士だけが、骨ごと見えない塵になって消えた。
死んだ。
何もこの世に残っていなければ彼は二度と蘇らない。夜の呪いが解けたのだ。
それはフィニィのおかげだったのか、単に殺され尽くしてその時を迎えただけだったのかは不明である。
ゼノは呆然と鉾の先を見つめていた。
やがて、どろどろの顔でフィニィを振り返った。
「おかえり」
戦って、生きて、帰った。ただそのことをフィニィは男に知らせた。
「・・・おう」
ゼノは目を閉じた。
兵士が鎧を脱いだような、そんな表情をしていた。




