竜の傭兵3
男の記憶は戦場から始まっている。
押し寄せる敵に殺された母の血が産湯であった。
あの生温さを一生忘れない。彼という人間は確かにその時に生まれた。
鱗の民としての分厚い装甲、恵まれた体躯に剛力。そして戦うことへの躊躇のなさは天性の素質であった。
言葉を覚える前に心臓の抉り方を覚えた。首の骨を砕けば殺せることを知った。
獣などとなんら変わりはない。
敵は同じ鱗の民だった。
彼が幼い頃はまだ部族間の争いが頻発していたのだ。だが相手がどんな姿をしていようが怯むことはなかった。
戦場で敵の肉を喰らって生き延びていた子供は別の部族の人間に拾われて、やがては正式な国家の兵士となった。
今では鱗の国と呼ばれるその国家は部族を取りまとめて一つになった。
すると彼の敵は鱗のある同族から鱗のない異民族に変わった。
鱗の民とはいえ、中には鱗の少ない者、薄い者、尻尾の短い者、小さい者、虚弱な者、様々な者がいる。
親兄弟も恋人もいない彼は、顔も知らぬ弱い同族たちを侵略者から守るということがいちおうの大義となった。
その頃には彼もいい大人であり、戦争は何かしらの看板を背負ってやるものだと知っていた。
看板に誰が何を書こうが戦えるのならばそれでよかった。
あらゆる戦線を渡り歩き、様々な民族を殺し、殺されかけた。
彼が生きれば敵は死ぬ。彼が死ねば敵は生きる。戦地から始まっている彼の人生とは常にそういうものだった。
だからある日天変地異のように国の方針が変わって戦場がなくなってしまった時、彼は生きる場所を失った。
鱗の国へ強制送還され、勲章を授けられた。英雄の扱いを受け、一生分の褒賞金と立派な住居と高貴な娘を差し出され、退役させられた。
英雄は同族も異民族もいささか殺し過ぎてしまった。
平和な世においてはいないほうが都合の良い存在となっていた。
使わなくなった武具を蔵にしまうように彼は片付けられた。
だが家をもらっても手に余る。大金を使うアテなどない。高貴な娘は気丈だったが実質生贄のような境遇が憐れでならなかった。
よって彼はそれらに一度も手をつけず密やかに国を出た。
「――小僧が、な」
目をつむり、半分眠りながらゼノはぽつぽつと隣の子供に語っていた。
「同族の子だ。街で、石を投げてきた。俺に、父親を殺されたんだと」
一緒にいた母親が急いで子を止めた。
だがそちらも怯えと恨みが視線に込められていた。
「戦争自体は国を、あいつらを守るためのもんだったが・・・俺に守られたい奴なんざ、誰もいなかった。皆、俺を殺人狂だと言ってやがった。あの国は俺のいていい場所じゃなかった」
その日をきっかけにゼノは鱗の国から消えたのだ。
「・・・実際、どうなんだろうな。俺は。殺すのが楽しい、といえば、そうなのか? だが殺し合いになる前にどうにかできんだったら国の連中でハナからそうしとけとも思った。ただ――そうだな。そうなっていれば俺はもっと早くに国を出た。戦場はいい。戦って、殺して、自分の生きてることがわかる。それ以外に何をすることがある? 何もしないってのは死んでることと何が違う?」
平和な場所で生まれた者が戦場で右往左往してしまうように、戦場で生まれ育った彼はその外ではどうやって人生を過ごせばよいのかわからず途方に暮れてしまっていた。
そして放浪していたある日に、外遊中の魔法の国の大臣に出会った。初対面から友のように接してきた彼から呪われた兵士たちの話を聞いた。
「三百年、奴らは戦い続けてるそうだ。その上これからも何百年と殺さなきゃ死なねえそうだ。――俺のための戦場だと思った」
その時の喜びを思い出したのだろう。ゼノはわずかに笑みを浮かべていた。
彼は大臣の口車に乗り傭兵として魔法の国に雇われることになった。
夜明けと日没に戦い、街には飯を食べる時だけ入り、呪われた兵士が起きるまで城壁でうたた寝をして過ごす。与えられた家にもほとんど帰らない生活だ。
呪われた兵士たちは叩き潰そうが引きちぎろうが構わず進軍し続け、次の夜明けか日没には砕いた骨も元通りとなり再び戦いが始まる。
魔法の国の他の兵たちは便利な大砲を使い単純作業の要領で防衛に専念しているが、ゼノは生身で武具を振るい爆撃の隙間を抜けてくる骸を駆逐していた。
白々しい看板を背負った戦争はない。ここには純粋な闘争だけがある。
国どうしの利害だの遺族の恨みだのの生まれる余地なく、百年先まで存在が約束されている戦場。
ゼノの理想郷だった。
「奴らは俺だ」
いつからかゼノはそう思うようになっていた。
夜明けと日没にのみ起きてがむしゃらに戦い続ける、彼と彼らのどこに違いがあるだろう。
フィニィはゼノの首筋に哲学ネズミを置いてみた。
太い尻尾のある彼は仰向けに眠れないので横向きに寝そべっている。気だるいネズミはすぐに滑り落ちた。
昔話が終わりゼノは寝入ってしまう。
陽が動き、草原側の城壁の影が少しずつ短くなっていく中、フィニィはたくさん、色んなことを考えていた。




