竜の傭兵2
フィニィが花を供え終えた頃には、城壁周辺に誰も残っていなかった。
出入りのためいくつかある扉も開け放ったまま。見張りの一人も置いていない。
花の少女から土産にまた花をたくさん持たされて、フィニィは首を傾げ傾げ、アクウェイル邸に戻った。その道筋に零れた花が落ちていった。
「うわっ。どうしたのそれ」
キッチンに行くと、レトとちょうど起きたばかりのアクウェイルが朝食を摂っていた。
フィニィが床にぱらぱらと零す花を弟子は手早く拾い集め、師匠は一つ取って茎を口に含んだ。
「――強い魔法の力。花人の花だな? ずいぶん気前よくくれたものだ。いいぞ。よくやった」
何がいいのかわからないでいるフィニィの頭をなでる。
大量の花はアクウェイルが引き取るらしい。
「フィニィも少し持っておきなよ。花人の花は枯れるまでに幸運を呼ぶって言われてるんだ」
レトがフィニィの鞄の隙間に橙色のガーベラを挿した。
また二、三輪を適当な瓶に挿して窓辺にも飾った。
フィニィはカウンターの椅子にのぼり、あの花の少女はなんなのかを尋ねた。
「【王の手】。王の意思の実行者だ」
「つまり、処刑人や守り人と同じだよ。魔法の国の王から与えられた役割のある存在――のはずなんだけど、花人はあんまり役割がはっきりしてないんだよね。花を落としながら転がってるだけで。いちばん怖くないといえば怖くないかな。よく城壁の辺りで見かけるよ」
フィニィはさっきまで城壁にいたことを話した。
するとレトの目が大きくなった。
「まさか夜明けに行ったの?」
朝ではあったが夜明けというほど早くはない。
そう言えばレトは安堵した。
「夜明けと日没だけは城壁に近づいちゃだめだよ。呪われた兵士が起きる時間だからね」
今度はフィニィが驚く番だ。
もう骨にまでなっている死体が起きるとはどういうことか。
「城壁の上の大砲は見た? あれ先生が改良したやつなんだ。何回でも撃てる無限大砲」
「無限ではない」
「ほぼ無限ですよ。着弾すると弾が炸裂して広範囲を攻撃する。復元の魔法で弾はすぐさま元の形になって砲台に自分で戻るんだ。撃ち出す時も魔法を使うから火薬がいらない。そのおかげで砲撃の効率がよくなって魔法の国の兵士はほとんど怪我しなくなったんだよ」
「今思えば、あれも不死鳥の羽を使えばもっとうまくできたな」
フィニィは混乱してきた。
大砲の説明などされても、弾を火薬で撃ち出す兵器など聞いたことも見たこともなかった。
そんなことより、そもそもなぜ物騒な兵器がこの国で必要になったのか。
「――呪われた兵士は昼と夜の狭間に閉じこめられたのだ」
パンを飲み込んだアクウェイルが言った。
「奴らは夜の森を滅ぼすまで死ねない。障害となるものは見境なく壊し、殺す。ゆえに夜の国でも昼の国でも受け入れられない。奴らは王の魔法によって、昼と夜の狭間でのみ生きる存在となった。だが夜明けと日没のわずかな間でも奴らは夜の森まで辿りつける。城壁も兵士も大砲も奴らの進軍を阻むためだけにあるのだ」
毎日の夜明けと日没に、呪われた兵士たちは蘇って夜の森を目指す。
それを城壁の兵士たちが殺す。
陽が昇りきった後、あるいは沈みきった後で彼らは骸をいちいち遠くへ運び次の進軍に備える。
殺して、殺して、殺し続ければ、いつか呪いが解けて本当の死を迎える。そう伝えられていた。
「花人は毎朝兵士の骸に花を供えるらしい。花人の花には浄化の力がある。その行為も呪いを解くための工程なのかもしれん。奴らが蘇るところを見たければ日没まで城壁で待つことだ」
「先生、それは危ないですって」
「探集者だぞ。フィニィのほうが我々よりよほど危険には慣れている。別に城壁の上から見るくらいはなんでもない。ただし耳栓をするように。城壁の傍は防音魔法を施していないからな。砲撃の音をじかに浴び続ければ耳が聞こえなくなるぞ」
アクウェイルは綿で作られた特製の耳栓をくれた。
フィニィはそれを握りしめ再び城壁へ駆けていった。
☾
青空をゆく雲の流れが速い。
「・・・ずいぶん遠くまできた」
哲学ネズミは肩の上でぼそぼそと寝言を言う。
フィニィは城壁の階段をのぼり、そこにずらりと並ぶ砲台の間を縫うように歩いていた。
「そう感じるのは故郷を覚えていないからか。そも私の始まりはどこだった? 風はそれを知っているのか、知らないのか。私の他に私を知る者は一人もいないのか」
口径はフィニィが中に入り込めるほどに大きく、砲身は短い。あまり遠くまで飛ばせる形をしていないが、いずれも兵士の骸が打ち捨てられた辺りを狙っていた。
ざっと五十門は並んでいる。
砲身の底には、中で細かい歯車が青く光りながらいくつも回っている奇妙な砲弾がすでに込められていた。
やはり城壁には見張りの一人もいない。
フィニィが勝手にのぼろうが大砲に触ろうが咎める者はなく、また魔法の国の住人にとっては今さら興味を惹かれる場所ではないのか他に見にきている者もいなかった。
「この風は私の故郷を通り過ぎてきたのだろうか」
フィニィは肩の哲学ネズミを抱いて城壁から飛び降りた。
浮き薬でふわりと着地する。
その日陰でちょうど竜人が寝ていた。
真下だったので飛び降りるまでフィニィには見えなかった。少し驚いたものの、青黒い鱗の竜人は大きな体を地面に横たえ目を閉じたまま気づいていない。
時々、青い毛の生えた尻尾の先だけピコピコ動いている。傍には三又の長い鉾を置いていた。
呪われた兵士も気になるが、フィニィはこの竜人も気になる。
尻尾にそっと触れてみた。
鱗はつるつるして冷たかった。とても分厚く、ナイフなどでは刃が通りそうにない。刃先が滑りやすくもある。天然の装甲だ。
初めての素材はとりあえず採取してしまう普段の癖で、鱗の一枚くらい剝げないか爪を立ててみると、力強く尻尾が動いてフィニィを持ち上げた。
空中に絡めとられた子供を男が眠たげな目で見上げる。
「・・・どこの小鬼かと思えば」
眠そうに何か言っていた。
くあ、と大きくあくびする。人より鋭い犬歯を持っていた。
フィニィを下ろし、寝そべったまま地面から見上げる。
「花人の、子供? なんの用だ」
フィニィは首を横に振った。花人の子供ではないという意味だ。
しかし竜人には伝わらない。
「用がねえなら構うな」
また眠ろうとする。
フィニィは哲学ネズミを膝の上に置き、鞄の中からこの間採った光吸石を一つ出して、竜人の肩を手のひらでぺちぺち叩いた。
「なんだ」
鼻先に光吸石を差し出す。
竜人は子供が何を言いたいのかわからない。
「なんなんだ」
フィニィは夜の子のなりかけを治す魔法の材料だと教えた。
中身は普通の人間らしく外見だけ部分的に異形である竜人を、フィニィはキーラと同じものではないかと思った。魔法の国にはそういうものがいるのだと思った。
「・・・口が利けたのか」
竜人はまずそのことに驚いて、それから自分はなりかけではなく、ましてや夜の子などではないと言い返した。
「俺は鱗の民だ。今時そんな勘違いをする奴がいるかよ。俺らを夜の子だ化け物だとのけ者にしてたのは百年二百年より前の話だろうが。どこの秘境から出てきたんだ? いや」
竜人はふと思い直した。
「お前は夜の子なんだよな?」
少しの間を置き、フィニィは頷いた。
「・・・まともに話のできる奴もいんのか。ふぅん。夜の森から出てきたのか?」
頷く。
そして鞄に石をしまうかわりに地図を出して地面に広げ、竜人はどこからきたのか尋ねた。
彼は億劫そうに、高い山々が連なる北の辺りに人差し指を立てた。
魔法の国からはずいぶん遠くだ。
そこが鱗の民という彼のような見てくれの人種が多く住む場所なのだという。彼らは夜の魔法で変質させられたのでなく、もともとそういう姿に生まれついた昼の子である。下半身がヤギの青年もそうだ。彼のような者は蹄の民と呼ばれる。
フィニィが見たことがなかっただけで、実は魔法の国にいる異形はそのほとんどが正常な精神を持つ昼の子だった。
「大昔には、俺の故郷も夜の子の国だといちゃもん付けられて鱗のない奴らによく攻められたらしいが。――魔法の国ができた時、本物の夜の子がいかなるもんか世界中が理解したそうだ。そん時に生きてた連中がどんな目に遭ったかは、奴らを見てりゃ察しはつく」
竜人は自分のつま先の向こうを一瞥した。呪われた兵士たちが捨てられているほうだ。
「・・・そう思うとお前は夜の子らしくねえな。気配だけはそれっぽいが。怖さが足りねえ」
フィニィに視線を移してそんな感想を呟く。
「名前はあんのか?」
フィニィは普通に名乗った。
「普通の名だな。俺はゼノだ。覚えなくていい。ただの傭兵だ」
ようへい、と知らない言葉に首を傾げる。
「・・・雇われの殺し屋だ。殺しても殺しても死なねえ呪われ者どもを殺し尽くすためにいる。それだけの野郎だ」
そのためだけに遠い遠い鱗の国からやってきた。
魔法使いとして活躍するためでもなく、探集者として一山当てるためでもなく、商人として勤しむためでもなく。
ただ死なずの亡霊たちを殺し続けるために。
どうして、とフィニィは尋ねた。
草原の風が城壁にぶつかり、地面に座る、あるいは寝そべる二人に上から吹きつけた。
「他にやることねえから」
ややあってゼノは答えた。




