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フィニィの魔法の国  作者: 日生
二章 魔法の国
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泣く娘2

 全面に敷かれたふかふかの絨毯の上、そこからすぐに出られる広い中庭のあちらこちらで、子供らが遊んでいた。


 キーラに連れてこられたフィニィを見つけると、そろいもそろって目を丸くする。

 フィニィより小さい子も大きい子も珍しがって寄ってきた。


「だれー?」


 一人がフィニィの薄緑の毛先に手を伸ばす。

 フィニィは咄嗟にキーラの後ろに隠れたが、逃げたことで彼らの遊び心に火がついてしまった。


「こら、やめなさい」


 キーラの制止も聞かず今度は反対側から追手がかかった。

 ぐるぐる回って逃げるうち、笑い声が上がり手も増える。

 たまらずフィニィは中庭へ飛び出した。


 鞄から浮き薬を取って手の甲に塗り、平らな屋根まで跳び上がる。


 そこから館の広大な敷地が見渡せた。

 ディングの私邸だけではない。多くの倉庫が立ち並び、その間をキーラやディングと似たような形の服を着た人々が馬とともに行き交い荷物を出し入れしている。


 荷物は果物であったり野菜であったり、魚であったり肉であったりするようだ。


「フィニィだめよ!」


 下から叱る声がした。かと思うと、キーラが一枚の大きな鳥の羽根に乗りフィニィのところまで飛んできた。


「危ないことはいけません。さあおいで」


 有無を言わさずフィニィは下に戻された。


 しかしキーラもフィニィが子供たちに囲まれることを嫌がっていることはわかったため、興味津々な子らには飴を与えて散らし、布で仕切られた小部屋のほうへフィニィを連れて行った。


「間もなくお昼ご飯の時間ですから、それまではここにいましょうか。嫌な思いをさせてごめんなさいね。悪い子は一人もいないのだけれど」


 キーラは優しくフィニィの髪をなで、「きれいね」と微笑んだ。

 なぜかその手は動かすたびに、小さくキシキシと鳴っていた。


「ここは商会でお仕事をしている従業員の子供たちの遊び場なのよ。昼間は私と五人の子守り係で面倒をみているの。あなたも今日からここにいなさいね。子供の仕事は遊ぶことなんですからね。フィニィはどんな遊びが好き?」


 小部屋に置かれた箱には玩具や人形、絵本などもそろえてあったが、どれもフィニィには縁のないものだ。

 フィニィが知っている遊びといえば、子守り鳥(ナーヴァ・ドゥ)に教えてもらった手遊びくらいである。


 それを伝えると、キーラは少し困った顔をした。


「とっても楽しそうね。やってみたいけれど、うーん、できるかしら」


 肘まで覆う長い手袋をした両手を見て悩む。


「いえ、やってもいないうちから諦めてはいけませんね。フィニィ、私にやり方を教えてもらえる?」


 そういうことでフィニィが詞のない歌を歌い、手を合わせて組む順序をキーラに教えながらひととおりやってみた。


 だがキーラの手の動きはぎこちなく、少しばかりテンポを速めたりするともうタイミングが合わなくなる。手のひらを打ち合わせるだけならともかく、途中で指と指を交差させたりするところがうまくいかない。


「あああ、ごめんなさいね。ゆっくりならできるんだけど、私、指が動かしにくくって」


 フィニィは何度も、いいよと許した。

 だが、遊んでいる間もキーラがずっと涙を流していることが気になって仕方がなかった。


「キーラ様、お水は飲まれました?」


 時々、使用人がキーラのもとへ水分補給を促しにくる。

 キーラはいちいち「ありがとうございます」と言って運ばれてくる水や茶を口にした。しかしそれも全部涙になって流れてしまうようだった。


 涙を拭くためのタオルを洗面器で絞れば、ぼたぼたと水滴が落ちる。


「ごめんなさいね。――さあ、続きをやりましょうか。今度はもっと速くしていいわよ」


 キーラは気合十分に両手を構える。

 一方でフィニィは構えない。

 

 どうして泣いてるの、と尋ねた。


「・・・ごめんなさい。自分では止められないの。夜の魔法にかかってしまったから」


 夜の魔法にかかれば昼の子は夜の子になる。キーラは夜の子なのか、驚いてフィニィがさらに訊くと「まだ」だと言う。


「大臣様がおっしゃるには、()()()()なのですって。夜の森で少し夜の魔法を浴びてしまったのが、体の中に残って今も蝕んでいる。涙が止まらないのも、手がうまく動かないのも、そのせいなの」


 フィニィはキーラの手に触れた。

 手袋に隠れている部分がずっとなんだか固いと思っていた。


 肘のところからめくって見てみると、枯れ木のような色をしていた。


 元の腕の形を残したまま、水気が抜けて木質化している。

 爪でつつけばコンコンと中の空洞に響く音がした。むしろこれを動かせているほうが不思議だった。


 痛くて泣いてるの、とフィニィは訊いた。


「・・・ええ。ずっと、痛いの」


 手ではなく胸を押さえていた。

 流れる涙の量が多くなる。


「あなたも夜の森に近づいてはだめよ。私のようになってはだめ。昼の子が夜の子になってしまったら、自分が自分でなくなるの。大切なことをすべて忘れて、過去の痛みと悲しみから抜け出せなくなってしまうのですって」


 フィニィは膝の上の哲学ネズミを見た。

 いつも苦しげに呻いている彼。フィニィをフィニィとして認識しているかどうかすら怪しい。


 キーラも間もなくそういうものになる。だからディングは妻の命がかかっていると言ったのだ。


 フィニィがそうならなかったのは魔女の魔法のおかげである。

 魂と体が変質しないよう、長い時間をかけ夜がゆっくりと馴染むようにしてくれた。最後に夜の国で髪と瞳の色は変わってしまったが、大切なことは何も忘れていない。


 キーラはどうして夜の森に入ったのか、フィニィは気になった。

 答えはとても簡単だった。


「・・・私が子供の時、寝ている間にユピの根が伸びて、私の村を全部呑み込んでしまったのよ」


 夜の森は広がっていく。内包している夜の国の拡張に合わせて。ゆるやかなこともあれば、時に爆発的に広がることもある。


 夜の国の広がりは夜の王の力の増大を表している。


 森が覆いになっているからこそ、昼の世界への広がり方が今の程度で押さえられているのである。

 とはいえそれは一時しのぎに過ぎないが、と魔女がかつて語っていたことをフィニィは思い出した。

 

「その時に私はマウリを――」


 キーラが何かを言いかけた。

 しかし、じっと見上げるフィニィの目線に気づいてやめてしまった。


 気を取り直すように笑みを浮かべる。


「――怖いお話はおしまい。そろそろお昼ご飯にしましょう。フィニィは何が好き? なんでも言って。ここにはなんでもあるのよ。魔法の国の食べ物はほとんどがこのディングバヤンの【西の風(ドグウォン)商会】が運んできているのですもの」


 もともとディングと商会の従業員らは、草原や砂漠を巡っていた遊牧の民。


 昔は馬を乗り回し馬の民と呼ばれていたが、この魔法の国と出会ってからは大きな空遊魚(ピューイ)を使っての空輸が主流となっている。

 商会本部を魔法の国に据え、世界各地に散らばっている支部を通じて食料に限らずあらゆる物品の配送を担っていた。


 探集者たちが使う小さなピューイの貸出業も元締めはドグウォン商会だ。

 実はこのディングの家は世界屈指の富豪であった。


 だがフィニィは特に食べたいものなどなかった。腹もまだ揚げパンでいっぱいであった。


 昼食は遠慮し、鞄から地図を取り出して絨毯に広げた。

 最近アクウェイルにもらったものだ。


 フィニィは、キーラの故郷は地図のどの辺りにあったのかを尋ねた。


 彼女は戸惑い、ややあって砂漠の下の山の間を指し示した。


「もういいのよ、フィニィ。気にしないで、忘れて」


 そう言われてもフィニィはずっと地図を見て考えていた。



 ☾



 ご飯を食べ、昼寝をし、夕方になると子供らはそれぞれの家に帰っていった。


 フィニィはキーラに引き止められて館に泊まることになった。


 夕食の時にはディングも現れ一緒に食べた。

 二人がかりで色々と勧めてくるものを片端から腹にいれた結果、哲学ネズミともどもフィニィは動けなくなった。


 そのまま風呂まで運ばれ、ずいぶん久しぶりに体を洗われ、替えの服も用意されたがそれは断り、元の魔女にもらった服を着た。


「慣れないところで一人は不安でしょうから、今夜は私の部屋で一緒に寝ましょうね」


 風呂上がりのフィニィの頭を拭い、キーラが言う。

 そこへ寝そべりながら酒を飲んでいたディングが口を挟んだ。


「俺もご一緒して構わないかな?」


「・・・悪いことをお考えでなければ」


「子供の前だ。もちろん良い子に過ごすとも」


 疑わしげな妻の目を物ともせず結局ディングも寝室に付いていった。


 馬の民のベッドは丸い。そして脚がとても短くほとんど床に布団を敷くのと変わらない。幅が三人並んで寝てもまだ余りあるほどに広く、枕がとてもふかふかして全身綿に包まれるような寝心地だった。


 フィニィは夫婦の間に寝かされた。


 寝室の天井に留まる光の鳥は光量を抑えつつ灯ったまま。

 右を向けばキーラ、左を向けばディングの顔が見える。二人の手が守るように左右から添えられるのが、フィニィには不思議な感覚だった。母の手はかろうじて覚えているが父の手はフィニィは知らない。


 見ているとキーラの涙は枕に染みていく。止まる気配はない。


 泣くからどんどん体が枯れ木になっていくのだろう。水を補給するそばから流れてしまうのだろう。


 ディングが探集者たちに依頼した材料は、彼女が枯れきって夜の子になってしまうのを止めるために必要なものなのだ。


 やっぱりフィニィは寝るのをやめてベッドを出た。


「どこへ行くの?」


 鞄を肩にかけ、その上に置いていた哲学ネズミをフードにいれる。


 キーラには材料を取ってくると答えた。


「だめよ」


 その腕をキーラが掴む。

 だが、後ろのディングはわずかに期待を込めた眼差しを向けていた。


「採れる場所を知っているのか? フィニィ」


「知っていてもだめです。あなたは私なんかのために危ないことをしなくていいの。ここにいなさい。いなくてはだめ」


「だがキーラ、このままではお前は夜の子に」


 肩に触れたディングの手をキーラは振り払う。


「構いません。はじめから私は夜の子になるはずだったのです。あの時マウリを捨てなければ、私は」


「それはお前の罪ではない。お前だって幼かったのだから」


「いいえ、いいえ! フィニィ、聞いて。村が夜の森に呑まれた時、私は生まれたばかりの弟を背負って逃げたの。両親が家に絡みついたユピの根を切って作った隙間から私たちだけをどうにか外に出したの。母は私に必ず弟を守るように言ったわ。――私は夜の中を星明りが見えるところまで走った。そこでもう逃げきれたと思った。星の光でほんの少しだけ手元が見えたから、弟が怪我をしていないか確かめようとして、背負い紐を解いたの。そうしたら、弟は黒い化け物になってた」


 暗闇だからそう見えたのではない。

 黒い顔の目と口の部分には真っ赤な穴が開いていた。それだけが鮮明に見えたのだ。


 気が動転したキーラは弟を放り捨てた。


 そのまま走って逃げてしまった。


「夜が明けてからなんてことをしたんだろうと思った。マウリを、弟を捨ててしまった場所まですぐに戻ったの。けれど・・・そこも、夜の森に呑まれてしまっていた」


 キーラはフィニィの手を掴んだまま泣き崩れた。


 深い深い後悔が嗚咽となって漏れ出す。


 ディングはその背に手を置いた。


「お前は八つの子供だったんだ。夜の子が恐ろしいものだと両親に教えられていた。弟を愛していたからこそ衝撃が大き過ぎたのだ。仕方のないことだった」


「っ、何が仕方のないことだったのですか。マウリは私に捨てられたのです。私がマウリを夜の子にしてしまったのに、無責任に放り捨てたのです。私の心などがなんの言い訳になりましょう」


「マウリが夜の子になったのは夜のせいだ。夜を責めることはできなくとも、かわりにお前を責めることだってできはしない」


「いいえ、いいえっ」


 キーラは頑として聞かない。


 ディングはつらそうな顔をフィニィに向けた。


「キーラは弟を探して何度も夜の森に入ったのだ。だが夜の森の中で昼の子の目は利かない。たまたま俺が通りかかるまでキーラは無謀な探索を繰り返していた。俺は魔法の国の大臣に相談し、夜の魔法を抑える薬を作ってもらったが、十年経ってそれも効かなくなった。――そんな時に俺の故郷で古いレシピが見つかったのだ。大臣に見せ、それが夜の侵食を止める魔法のレシピだとわかった。だが材料は、おそらく、すべては手に入らないだろうと。レシピには最後に【悲しみの根源たるもの】が必要だと書かれていたから・・・」


 キーラの悲しみの根源。

 それは夜に呑まれた弟のマウリ。果たせなかった過去の責任。叶うことのない贖罪。


 フィニィは片手で鞄の中から清浄の水菓子を取り出した。


 ベッドに置いて膜を指先で破り、掬った青いゼリーをうずくまるキーラの口元に押しつけた。


 驚いて顔を上げた彼女にさらに食べさせる。


「なに? これ・・・」


 飲んでも食べても治まらない喉の乾きが、キーラは少しだけ和らいだように感じた。


 フィニィは、これが水溜まりの女(ラクスラ)を使って作られたものだと教えてあげた。


「ラクスラを採取したことがあるのかっ?」


 ディングが身を乗り出した。

 それでキーラの気が逸れた隙にフィニィは片手を抜いた。


「ぜんぶとってくる」


 追いかけようとしたキーラをディングが押しとどめた。


 ()()()()の彼女とは違い、光の鳥が照らさない夜の中でもフィニィは惑うことなく駆けていった。

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