アクルタ商会5
往路と同じ行程を辿り、魔法の国に戻ってきたのはやはり日暮れの頃だった。
ピューイでの移動は楽しかったが、フィニィは少し疲れてしまった。
しかし自宅で待っていたミルカにリポルスの果実を届けると、非常に喜ばれ「お礼に夕食をご一緒に」となり、その後にさっそく魔法薬の作成を見せてもらうことになった。
ミルカの家は平屋だが敷地は広く、調合室は奥まった部屋にあった。
天井の止まり木にいる光る鳥の下に、調合用の大釜が五つ並んでいた。それぞれ中に溜まっている液体の色が異なっている。
フィニィは一緒に見学しているリアンにどうして色が違うのか尋ねた。
「込められている魔法の量が違うんですよ」
材料を机に準備しながらミルカが答えた。
「色が濃いものほど多くの魔法の力を含んでいるということです。この違いは魔法薬の品質に影響するのですよ」
ミルカの大釜は端から色の濃い順に並べられている。右端が薄い水色、左端は群青だ。ミルカは作りたい魔法薬によって釜を使い分けているのだ。
今回は左端の最も濃い大釜が使用された。
リポルスの果実の他、二、三の材料を追加し、中でよく混ぜ合せた後、なぜか最後に白い手袋が片方入った。
「礼賛を一匙」
ミルカが息を吹きかけると黄緑色の粒が柄杓の底に溜まった。
それを静かに注ぐ。
ぼこりと底から大きく泡が立ち、流星のような光が飛び散った。
星は黄緑色の尾をひいて床や壁を跳ね回る。
フィニィは夢中でそれらを追いかけた。
ミルカは大釜の中から虹色の手袋を取り出した。生地が元よりずいぶん薄くなり、つるつるとした引っ掛かりのない手触りに変化していた。
これが彼の作りたかった魔法薬。正確には、魔法薬の効果を沁み込ませた魔法道具に分類されるものだ。
ミルカはとても真剣な顔で手袋の出来を確認していた。
しかし追いかける光が消えてしまったフィニィが振り返ると、すぐに笑みを戻した。
「――成功です。ありがとうございました、フィニィさん」
ミルカはさっさと手袋を懐にしまった。
「おかげで世に二つとないものができました。さあ、もうお疲れでしょう。今夜はどうぞ泊まっていってください。お部屋をご用意していますので」
フィニィはアクウェイル以外の家に泊まるのは初めてだったが、外で寝るのでさえなければそれで良かった。
街の道端で寝るのだけが少し怖い。最初の夜に見た、大きな鎌を持った黒い影が出るかもしれないからだ。
「一緒に寝ていい?」
用意された部屋に向かう前、リアンが身を屈めてフィニィに伺った。
「また、怖い夢見るかも。フィニィがいれば安心」
フィニィは、いいよと答えた。
いつも哲学ネズミと一緒に寝ているのだ、リアンが増えても別に構わなかった。
手を繋いで部屋を出る二人を見送り、ミルカは小さく肩をすくめた。机の上の片付けをし、残りの果実は金庫にしまって隣の書斎へ移る。そこでしばらく調べ物や事務仕事をして時間を潰した。
やがて夜が半分過ぎた頃、光の鳥を先に飛ばせて暗い廊下を照らし、客人にあてがった部屋へ向かった。
鍵のない扉を開ける。
壁際のベッドにリアンとフィニィが寝ていた。
もともと二人用のベッドではないため、リアンが抱き枕のようにフィニィを抱えて収まっていた。
ミルカは先ほど作った手袋を右にはめた。
鳥は廊下と部屋の境に待機させ、足音を立てずにそっと近づく。リアンは気づくだろうが邪魔をさせるつもりはなかった。
リポルスの果実の魔法は夢に介入できる。
夢とは過去の記憶。
過去を取り出して閲覧し、さらにわずかながら記憶に手を加えることもこの魔法道具で叶うのだ。
子供の頭の中には希少素材の場所と採取方法が記録されている。
ミルカの目的はそれだ。
ついでに少しばかり記憶の中の彼に対する印象を書き換えれば、良い協力者に仕立てられるだろう。
これは魔法の効果を試す実験でもあった。
ところが奇妙な色の頭に触れる直前で、ミルカは後ろから襟首を引かれた。
「やめといたほうがええ」
バジーがミルカをベッドから引き離す。
廊下から付いてきていたことにまったく気づかなかった。ミルカは首を捻って不機嫌そうな顔を男へ向けた。
「お前らはそこまで子供好きだったか? リアンはすっかり懐柔されたらしいが」
「友達になっただけやろ。いつだって俺らはお前の味方やけ。窓の外見てみ」
バジーが左の壁の窓を顎で示す。
鳥の形の仮面をつけ、大鎌を持った黒い影が外に佇んでいた。
「はあっ?」
ミルカはバジーごと勢いよく後ずさった。その引き攣った顔には恐怖があった。
魔法の国の【処刑人】は無言で部屋の中を見つめている。
その存在は罪状を語らない。罪人の弁解も懇願も聞かない。
姿を現した時にはすでに誰かの首を刎ねている。そう噂されていた。
だが、間もなくして外の影は消えた。
肺を押さえつけていた静かな圧力が去り、ミルカは大きく息を吐く。
「なんだったんだ・・・禁忌の魔法、じゃないだろ。これは。そこまでのものじゃない。まったくない記憶を加えたり完全に消去することまではできない。記憶に対する印象を少し変えられるくらいのものだぞ。そもそも何もしてないうちに処刑人がくることがあるのか?」
「記憶を見たいだけなら俺の魔法でええやん」
「こっちは第三者の目線で記憶を閲覧できるんだよ。記憶をもとに構築した虚像を見るんだ。お前のは主観で状況把握がしづらいだろ。音も聞こえない」
「そう文句言わんで見てみ?」
バジーはミルカの肩にのしかかり、目隠しを取った。
赤茶けた皮膚。彼に瞼はなく瞳は磨かれた水晶のようだった。
めきめきと音を立てて神経が空中に伸び、鳥の首のようにしなって、左側の透明な眼球がミルカの目の前に止まった。
バジーの眼球越しにベッドの子供を見る。
水晶の中に魔法の国の光景が映った。
そこで人々が前を向いたまま後ろに歩いていくのは、バジーがフィニィの記憶を逆再生しているためだ。
バジーが移植された夜の子の目は対象の過去と未来を見る。
左目が過去、右目が未来。これでその相手が見たもの、あるいはこれから見るものをバジーは見ている。
普段、目隠しをしている時も周囲の人間が見る直近の過去と未来の映像を脳内で組み合わせ、現在の景色を把握しているのだ。
だが、フィニィの記憶の映像はしばしばブラックアウトする。具体的には魔法の国を出た直後にそれがある。
急に真っ暗な場所に入ったかのように何も見えなくなるのだ。
そして数日程度の記憶を遡った後には、水晶の中がひたすら黒一色となった。
「おい切るな。まだ途中だろう」
「切っとらんよ。ずーっと遡り続けとる。昨晩も試した。でもこれ百年じゃきかんよ」
「なっ」
ミルカは一瞬言葉を失った。
「・・・百年以上生き続けていると?」
「だとしても、なんかしら見えてもええとは思うんやけどな? 妨害魔法でも働いとるのか、でなけりゃ何百年も真っ暗なとこにいたのか」
「一体どんな状況――いや、本当に夜の子なら、そうか」
「真相が気になるとこやけど、さすがにこれ以上は遡れん。限界。頭割れてしまうわ」
バジーは降参し、眼球を戻して目隠しをし直した。
「処刑人はお前が悪さしようとしたから出てきたんやなくて、もとからフィニちゃんに張りついとったのかもしれんよ。この子に触れるんはやめとけ。何が起こるかわからん」
「・・・」
ミルカには色々と考えつくことがあった。気づくこともあった。
いずれにせよ慎重に観察する必要がある。夜の森のほとりに立つ魔法の国において、本物の夜の子は特別な存在だ。
だからあの気難しいアクウェイルが見知らぬ子供を居候させているのかと、そう思った。




