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フィニィの魔法の国  作者: 日生
二章 魔法の国
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アクルタ商会4

 フィニィは薄暗い館のエントランスに立っていた。


 シャンデリアの煤で黒ずんだ壁が目立つ。この汚れはどんなに擦っても染みてしまって取り除くことができない。


 しかし、きれいにしなければ叱られる。目端の利くメイド頭に。常に憤怒を持て余している主人に。


「役立たずめがっ!!」


 誰もいなかったエントランスに怒声が響いた。


 二階の階段下で主人が奴隷に鞭くれている。


 肩の怒り上がった主人はかつて軍人であったという。今でもその名残が体躯に垣間見える。

 鞭を一度振るうだけで人の肌など容易に裂けた。


「おゆるしください、おゆるしください・・・」


 奴隷は逃げることもできずに震えていた。

 服に血の染みが広がっていく。何も防げぬボロ布を裂き、細かな肉片を飛び散らせ、それでもまだ鞭はやまない。


 立ち尽くすフィニィもその奴隷と同じ格好をしている。同じところに血が滲んでいる。


 やがて主人に気づかれた。真っ赤な恐ろしい眼がこちらに向けられた。


「また厩に行ったな!? 主人の言うこともわからぬ能なしめ!! 殺してやる!!」


 手が迫る。

 

 フィニィは鋭く息を吸い、走り出した。


 これは夢である。


 夢とは過去の記憶である。フィニィが最もつらく怖かった時。夢見る木(リポルス)はその記憶を見せている。


 フィニィは果実のある場所をすでに知っていた。


 だから迷わず走った。

 折れそうな手足をがむしゃらに振り、この夢はもう過ぎ去ったものであることを自覚し、必ず逃げきれることを信じて、絶望を置いていく。


 果実は夢の出口にある。つまりは、この悪夢を終わらせる存在のあった場所。


 フィニィがまっすぐ向かったのは厩。


 空いた馬房の一つに、繋がれている男がいた。


 痩せこけて、死にかけて、もう間もなく枷から手首を抜ける。

 まるであの夜のまま。


 フィニィは男の胸に飛び込んだ。


 男は抱き返す力もない。それでも、最後に小さな頭に触れた。


「・・・友よ。旅を続けておくれ。幸いに出会うための旅を」


 男の体から炎が上がり、小さくなっていく。


 フィニィの手の中には鮮やかな赤い果実が残った。

 それは人の心臓ほどの大きさだった。


 フィニィは果実を握り締めて泣いた。

 普段は忘れたふりをしている、まだ塞がらない傷の疼きが収まるまで、泣き続けた。


 やがて両目を擦り、顔を上げる。


「・・・?」


 そこでフィニィは異常に気づいた。


 すでに厩の景色は消えている。かつての主人の怒声も聞こえない。

 果実を手に入れたのだからもう目覚めるはずなのに、真っ暗な景色がなぜかずっと続いていた。


 フィニィの姿も奴隷の頃のままだ。あまり体に力が入らず空腹を感じる。

 それでも仕方がないから、裸足でペタペタ闇を歩いていった。


 間もなく、小さな青い光が見えた。


 見たことのないランプの明かり、と思ったが、近づいていくとそれは吊り下げられた人の手だった。


 切断された手がぼんやり青く光っている。


 一度瞬きをして、周囲を見るとフィニィは暗い地下の部屋にいた。


 奴隷として暮らしていた館の地下ではない。

 館の地下はただの食料庫だったが、この空間には様々な大きさの檻が床に並べられ、天井からは鎖で獣や人の死骸が吊り下げられていた。


 一部の死骸の皮膚が青く発光しランプの役目を果たしている。


 そしてその光の下、部屋の中央に男が一人、立っていた。


 フィニィのほうに背を向けて台の上の何かをぐちゃぐちゃといじっている。

 その足元には血を流す物体がちぎれて散乱していた。


(・・・ゆめ?)


 フィニィの夢ではない。


 そこで部屋の中をもっとよく見回すと、小さな四角い檻の中にうずくまる子供を見つけた。


 おそらくはフィニィとほぼ同じ年頃。

 きれいな青銀色の髪で、すぐリアンだとわかった。


 フィニィは中央の男に見つからないように、他の檻の影に隠れて移動した。


 狭くて立ち上がることもできない檻の中へ、リアン、と呼びかけた。


 フィニィに向けられた子供の顔の、下半分。

 自分の身長よりも長い舌がでろんと垂れた、大きな化け物の口が付いていた。


 下顎が子供の体の半分近くある。あきらかに大きすぎる。当然、上顎と噛み合わず口を閉じられない。

 下の歯は細かいノコギリのような形で、端から端までびっしり生えていた。


 頬には縫合の痕があった。

 下顎の重量のせいでそこから今にも裂けてしまいそうだ。リアンが両手で顎の根元を支え、どうにか堪えていた。


 血がタラタラ零れている。リアンの血と、下顎の元の持ち主の血とが、床で混ざり合っていた。


「・・・ぁ」


 リアンは言葉を紡げない。ただフィニィのことは覚えていた。髪と瞳の色が違っていても気づけた。


 檻の鍵はつまみを捻るだけの簡単な造りだ。中からは開けられないように檻の隙間を狭くしていたが、外からは容易い。


 フィニィは音を立てないよう、慎重に檻を開けてリアンを連れ出した。


 悪夢の出口はどこかフィニィは訊いた。


 リアンが指したのは、部屋の反対側にある地上へ続く階段。


 だがそこへ向かおうとするとリアンは足を止めてしまった。


 フィニィに部屋の中央を指し示す。


 そこで男はまだ何かをいじり続けている。今いるフィニィらの場所からは、台で跳ねる子供の足が見えた。


「ぅぅゔゔっ!!」


 必死に痛みに耐える声。体をベルトで固定されているため逃げられないのだ。


 リアンは懇願するようにフィニィを見つめた。


「ぁ・・・ぃ・・・」


 バジー、と言っている。フィニィにはそう聞こえた。


 台の上でいじくられているのはバジーなのだ。


 二人の夢は共有されていた。

 どちらにとってもここが最悪の過去であるのだろう。


 フィニィは辺りを見回す。


 壁際に小さな檻が積み重ねられていた。

 フィニィは一人で影を渡ってそこまで行き、壁と檻のわずかな隙間に潜り込み体全部で檻の塔を押した。


 盛大に音が響いた。


 中央の男が振り返る。フィニィのもとへやってくる。


 男もまるで死人のような顔色をしていた。

 なぜか楽しそうに笑っていた。ほとんど残っていない黄ばんだ歯が二、三本見える。

 両手は肘まで血まみれ。メスと金槌を握り、着ているコートには血がこびり付いて真っ黒になっていた。


 フィニィは今にも膝が抜けそうだったが、残りの力を振り絞って、部屋にある色々な物を床に散らばしながら逃げ回った。


 その間にリアンが台に取りつき、バジーの拘束を外しにかかる。


 フィニィを追い回していた男は途中でそれに気づいて慌てて戻った。だがフィニィも急いで方向転換して男を追い越し、まだ外れていないベルトに手をかけた。


 リアンは台の上にあったノコギリで迫りくる男を切りつけた。

 顎を放して激しく動けば、縫合部からぴりりと裂ける。


 間もなくベルトがすべて外れた。

 フィニィはバジーの服を引っ張り台から引きずり下ろした。


 バジーの顔の上半分は真っ赤だ。両手で押さえている隙間から、白く光る何かの物体が垣間見えた。


「リアっ、おるかリア! リアン!」


「お゛あ゛っ」


 叫ぶバジーにリアンが唸りで応えた。


 力の限り投げつけたノコギリが男の突き出た腹に食い込んだ。その隙にリアンとフィニィでバジーを引っ張り、あるいは押して、階段まで走っていく。


 後ろの男はまだ動く。

 本来なら致命傷であろうが、これは夢の中。抜け出さない限り恐怖は無限に追ってくる。


 三人とも血と涙を振り散らしながら階段を駆けのぼった。


 すると頭上に光が現れた。

 死骸の放つ仄暗い明かりではない、陽の光。


 地下の扉を開け放つ金色の少年がそこにいた。


 リアンとバジーは同時に手を伸ばした。

 

 血に汚れたその手を、少年は躊躇なく掴んだ。


 途端に闇が引いていく。

 少年の形をしたものは光の中で小さくなって、リアンとバジーの手の中に収束した。


 やがてフィニィの視界からは二人の姿も薄くなっていき、体が、意識が、夢から浮上する。


 目を開けると、リポルスの枝の間に星空が見えた。


 手の中に果実のつるつるした感触がある。首元で哲学ネズミがもぞもぞしている。

 左右からリアンとバジーが起き上がる気配も感じられた。


 フィニィは深く、安堵の息を吐き出した。



 ☾



 ピューイを待たせていた穏やかな海岸で、バジーが焚火をおこし、こま切れにした芋を二枚の鉄板に挟んで焼いていた。


「ほいフィニちゃん。熱いで」


 平べったくなり互いに癒着した芋を、その辺でちぎった大きな葉に包んで渡す。芋だけでなく干し肉も細かく刻んで生地に混ぜ込んであり、さらにそこへ足したチーズが表面でカリカリに焼けていた。


 フィニィは口の中ではふはふしながら食べた。

 哲学ネズミには端をちぎり、いくらか冷ましてから食べさせた。

 するとピューイが興味ありげに這ってきたため、そちらにも少しちぎって放ってやる。欠片は毛の間に吸い込まれていった。


 三人が目覚めると、もう夜が更けていた。

 よって今夜はここで野宿である。


 リポルスの果実は狙い通り三個手に入っており、これならミルカも大喜びだろうとバジーが先んじて喜んでいた。


「ほれリアン」


 続いて一枚焼き上がると、リアンはマスクを外した。

 赤黒い舌が地面に落ちてとぐろを巻く。

 大きな顎の先を膝に乗せ、リアンは上を向くと一息に平たい芋を飲み込んだ。


 再びマスクをすると飛び出た顎と舌が吸い込まれるように中に収まる。


 フィニィは食べることを忘れ、その不思議な光景を見ていた。


「俺らこまい頃はイカれ野郎に捕まっとってな? 夜の子の体を無理やりくっつけられたんよ」


 最後に自分の分を焼きながらバジーが話し出した。


「リアンは口。俺は目な。俺らは奴隷市の時から一緒や。たまたまおんなし髪の色してて、たまたま並べて売られてて、あン野郎にまとめて買われた。あれも、魔法使いの一種ではあるんやろね。その類の研究書があったけな。けど、地下でのあれらは研究のためなんかやなくて、単に生き物の体いじくり回すんを楽しんでただけやろなあ」


 子供が捕まえた虫を引き裂くような、その骸で遊ぶような、無意味な凶行であった。


「あの地下で俺はリアンの兄貴になることにした。そうやって何者か決めとかんと、なんや、転がっとる肉の塊と同じモンに自分が思えてきてなあ。俺はゴミやないって、リアンの兄貴やって、二人で生き延びんといけん、って思ってた。で、ある日ミルカが助けくれたわけや」


 夢の中で、地下の扉を開け放っていた少年はミルカであった。

 フィニィが記憶を辿ると、不思議と今の姿とあまり変わらない。やや身長が低かったかと思う程度だった。


「ミルカも買われてきた子ぉではあったんやけどな。あの館にはイカれ野郎の姉が住んどって、ミルカはそっちのほうに気に入られてな、外にも自由に出られたんよ。地下から助け出された俺らはミルカに匿われ、ミルカは国のお偉いさんに奴らの所業をチクって、姉弟ともども処刑されました、めでたしめでたし。――ちなみに魔法の国の話やないよ。魔法も希望もない別の国のお話。魔法の国では絶対起きんことやけ安心してええよ」


 話すうちに香ばしい匂いが強くなってきた。

 バジーが鉄板を開けると、少しばかり焦げていた。


「これ、ミルカが作ってくれた」


 リアンがマスクを指した。

 マスクには形を変える魔法が込められている。マスクをしていればリアンは喋ることができた。


「まさか今さらあんな夢を見せられるとはなあ・・・さすがのバジー兄やんも参ったわ。フィニちゃんがいてくれんかったら一生夢から出られんかったかもしれんね」


 しみじみとする兄の言葉の続きはリアンが言った。


「助けてくれてありがとう」


 焚火の色を映して揺らめく髪に触れる。

 フィニィはおとなしくなでられながら、平たい芋を齧った。

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