アクルタ商会2
沈むソファに座り、バターをたっぷり使ったクッキーをフィニィはサクサク齧り続ける。
その食べカスが膝の上の哲学ネズミに降り注ぎ、ネズミはうわごとを言いながらそれらをモソモソ食べていた。
腹は減っていなくとも、この類の菓子を食べるのは初めてで手が止まらなかった。
皿の上のものが完全になくなる前には、フィニィをこの部屋に連れてきた二人のうちの一人、マスクの青年のリアンがやってきた。
「お待たせ」
長身の青年の後ろから現れたのは、その肩の辺りまでしかない小柄な少年。
癖のある金色の髪を紺のリボンで結んでいる。
はっきりと見開かれた瞳は晴れた日の空のようだ。
シミ一つない透き通った肌の色。
白いジャケットに青いベスト、ハーフパンツにロングブーツを履いたまるで貴族の子息のごとき人物だ。
彼は可憐な顔にお手本のような美しい笑みを浮かべた。
「はじめまして。【アクルタ商会】代表のミルカと申します。以後どうぞお見知りおきを、フィニィさん」
フィニィは立ち上がった。
哲学ネズミを両手で持って後ずさる。ミルカもリアンもけげんな顔をした。
「どうされました?」
フィニィは部屋の隅まで移動した。きょろきょろし、少年たちが現れた扉の他にどこか出られる場所があるかを探していた。
ミルカが近づこうとするとまた逃げるので、かわりにリアンが傍に行った。
「どうしたの」
フィニィは膝をついたリアンの耳元に口を寄せ、少年は貴族なのか確認した。そうであればここにはいられない。
「違うよ」
フィニィはほっとした。
リアンに手を引かれソファまで戻された。
リアンはミルカの後ろに回り「もう平気」とだけ耳元に告げた。ミルカはなんだかよくわからなかったが、ともかく話を再開することとする。
「きっと、突然お呼び立てして驚かせてしまったのですよね。お許しください。あなたの噂を聞いてからというもの、一日も早くお会いしたくてあちこちお探ししていたのですよ。そう申しますのも、我々アクルタ商会が探集者と魔法使いの先生方を繋ぐ役割を担っているためです」
正面に座るミルカはフィニィをまっすぐ見つめて説明する。
一方で、フィニィは哲学ネズミの毛の間に入り込んだクッキーのカスを取っていた。なんとなく目を合わせたくなかった。
「この魔法の国には大勢の魔法使いがいます。かくいう私もその一人。ご存知のとおり、魔法使いにとって最も重要なのは、魔法のもととなる素材です。たとえば『あの魔法薬を作るためにあの素材が必要だ。でもどの探集者に頼めばいいのかわからない』あるいは『自分はこの素材の採取場所を知っている。でも買ってくれる魔法使いのお客がいない』といった悩みが魔法使いと探集者のそれぞれにあるわけです。そこで我々アクルタ商会は、どの探集者が何を採取できるかの情報をまとめ、魔法使いの方々に欲しい素材を取ってくることのできる探集者をご紹介しているのです。ここまでのお話はわかりますか?」
なるべく言葉を噛み砕き、ミルカはゆっくり説明した。
フィニィは集めたカスをとりあえずズボンのポケットに入れた。
「フィニィさんはアクウェイル先生とお仕事をしているそうですね。なんでも不死鳥の羽を採取されたとか。とても驚きました。なにせ噂でしか聞いたことのない伝説の鳥ですからね。ええもちろん先生が本物とおっしゃったのですから、まちがいないのでしょう。あなたのような貴重な探集者にはぜひ、我々の商会にご登録いただきたいものです」
いかがでしょう、とミルカは誘いかける。
「聞けばフィニィさんはこの国にきたばかりだそうですね? アクウェイル先生の他にも、希少な素材を必要とされている魔法使いの方々はたくさんいらっしゃいます。たとえば、フィニィさんは他にどのような素材をアクウェイル先生から依頼されましたか? ここしばらくお出かけしていたようですし、不死鳥の羽だけではありませんよね?」
フィニィはうつむいたまま答えなかった。
しいて教えたくないわけでもなかったが、喉がきゅっと締まってどうにも声が出なかった。この場に緊張しているのだ。
それに目ざとく気づいたミルカは背もたれに身を預け、足を組み、リラックスした空気をまずは作った。
「フィニィさん。夢見る木をご存知ですか?」
言われて少しだけ顔を上げた。
ややあってから、頷いた。
「どこにあるかもご存知です?」
頷く。
するとミルカの指示でリアンが机に地図を広げた。
「あなたがご存知の木はこの辺りですか?」
ミルカは地図の右下のあたりにある島を指先でつついた。
地図というものをフィニィは初めて見た。だからそもそもこの紙に描かれているのがなんなのかもわからなかった。
リアンのほうに尋ね、これが世界を表した絵なのだと教わった。
いずれにせよ夜の国を通るため位置関係はフィニィには不明である。
ただ紙の上に移された世界の姿が物珍しく、釘付けになった。
「私はこの木の果実がずっと前から欲しくて、どうにか場所までは突き止めたのですが、肝心の果実はまだ手に入らないのですよ。なぜか、どの季節に人をやっても果実のなっている時がないんです。花も付かず、葉の一枚もない。ただ、木が枯れている様子ではないそうです。かつて確かにその木から果実を採取したという方の話があり、果実の姿も絵に残っているのですが、いつどのように採取されたのかまではわからない。おそらく特殊な手順が必要なのでしょう。――もしかして、フィニィさんならリポルスの果実を取ってくることができますか?」
フィニィは、できると答えた。
途端にミルカが顔を明るめた。
「素晴らしい! ではぜひお願いします! できれば商会の人間も一緒に行き、採取の仕方を教えていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」
すかさず出された条件にフィニィは目を瞬いた。
ミルカは人間と言った。それは昼の子であろう。フィニィは夜の国を通って採取に行くつもりなのに、そこに昼の子を連れて行くことなどできない。最悪、みんな夜の子になってしまう。
だが、ミルカは「ぜひ」と強く押した。
「往復の移動にかかる費用は我々が全額もちます。出発はさっそく明日でもよろしいでしょうか。何か採取に必要なものはございますか?」
どうやら彼らは彼らのルートを使って行くつもりらしい。フィニィはそれに同行すればよいだけなのだ。
採取に必要なものといえば、特に何もない。明日でも、いつでもその果実は取ることができる。
フィニィは了承した。
「成功報酬はどのくらいをお望みですか?」
報酬という言葉もフィニィはいい加減覚えた。
望むとすれば一つである。
魔法薬をつくるところを見たい。
そう要求するとミルカは一瞬笑顔のまま固まった。そうしてゆっくり首を傾げる。
「・・・なるほど? ちなみにフィニィさんは魔法使いでもあるんですか?」
否定すると「そうですか」とミルカはやや考えるようだった。
「ええ、はい、いいですよ。見たものを誰にも話さないでいてくださるのであれば。魔法薬のレシピは他人にあまり知られたくないものですからね。それだけはお約束いただきたい」
フィニィはそんなことを話す相手もいない。ただ魔法のできる瞬間を見たいだけだった。
「では明日、ここでお待ちしております」
ミルカは再びきれいな笑みを浮かべ、今日のところはクッキーの包みを土産に持たせて子供を帰した。




