昼の魔法使い4
魔法の国の中心部で、天を突くようにそびえる塔。
その足元には金色の麦畑があった。
周りの家屋はこの麦畑を避けて建っている。辺りを走り回る子供たちが、麦を踏むなよと道行く大人たちに注意されていた。
フィニィは麦畑の手前で黒い塔を見上げる。
てっぺんにいる誰かの姿を確かめようとしたが、塔に近づき過ぎて上のほうが視界に入らない。背を思いきり反らせ、それでも見えず、ついには仰向けに倒れ込んだ。
すると男の顔が見えた。
「よっ。なにしてんだ?」
昨日、アクウェイルと道で口論していた男である。
彼はフィニィのことを覚えていて、あたかも知り合いかのように声をかけてきた。
フィニィはややあって、塔のてっぺんを見てると答えた。実際は男の頭が邪魔で見えてはいない。
それを聞いて彼も首を反らせた。
「【守り人】がどうかしたのか?」
もりびと? とフィニィは訊き返した。
「もしや新入りかお前さん。そりゃそうか。前からいたのならもっと噂になってただろうしな。ほれ、こんなとこで寝てると踏まれちまうぞ」
男はフィニィの脇を持ち立たせてやった。
「守り人は魔法の国を見張ってる【王の目】だよ。昼も夜も塔のてっぺんに突っ立って見てるだけ。噂じゃアレに悪事が見つかると【処刑人】をよこされるらしいが。そっちはでけえ鎌を持った影みたいな奴な。おっかねえけど悪ささえしなけりゃ害はねえよ」
不思議な色の頭の土埃を払ってやりつつ、彼は子供を注意深く観察していた。
「ところで、なあ、あの先生の依頼。不死鳥の羽なんて、ほんとに取ってきたのか?」
わざわざ口元を隠し、小声で訊いた。
フィニィが頷くと灰色の瞳でじっと見る。
「それにしちゃ戻ってくるのが早過ぎるが・・・お前さん、いかにも秘密のありそうな見てくれだもんなあ。はったりじゃあなさそうだ。ここはあれだな、同業者として情報交換といこうぜ。おごってやるよ。あのカフェでいいか」
庇の下にテーブルを出している店へ男はフィニィを連れて行き、なんやかんやと言って強引に座らせた。
フィニィは椅子の上で足をぷらぷらさせている。
男は注文を取りにきた店員に「なんか甘いの一つ」と早口に言って追い払った。
「俺のことはノーヴィと呼んでくれ。昨日は醜態をさらしちまったが、こう見えて探集者としての評判は悪くないんだぜ。あの先生が特別厄介なだけで」
簡単な自己紹介から始め、フィニィにも暗黙のまま促した。
だがフィニィはそんなことは察せず、目の前に店員が置いていった透明なジュースを舐めた。歯が溶けそうなくらい甘い味がした。
「うまいか? そうか。で、お前さんの名は? この国にきたのはいつだ?」
ノーヴィはきょろきょろする子供の注意をどうにか自分のほうへ向かせ、フィニィという名前と、ごく最近にやってきたばかりだということ、昨晩はアクウェイルに不死鳥の羽を届けて魔法を見せてもらったことなどを聞き出した。
「そっかー・・・やっぱ本物の不死鳥の棲みかを知ってんのね。じゃなきゃ、あの先生にそこまで気に入られねえよなあ。マジなのかー。そっかー・・・なあ、ちょこーっとだけ、おじさんに教えてくれねえかなあ? おおざっぱな方角と地域だけでいいから。な?」
フィニィは首を傾げるだけだ。
夜の国を通れば方角などわからない。この世界のどの地域に不死鳥がいるかなど教えようがなかった。
「黙秘な。正解だよ。探集者の心得はあるようでなにより」
ノーヴィはフィニィの沈黙を自己解釈して諦めた。
「でもなフィニィ、仕事の横取りはあんまり褒められないぜ。温厚な俺様だったからよかったものの、こわーい連中もけっこういるからな? 同業に敵作るのがいちばんまずい。必要な情報も物も手に入らなくなる。お互い住み分けってのをしてな? 仲良く助け合って生きてこうぜ」
魔法の国には魔法使いが大勢いる。ゆえに、彼らが魔法に使う素材の調達を専門としている者が付随して街に住んでいた。
それが探集者である。
彼らはそれぞれ独自のルートで素材を探し集める。採取地、採取方法等の情報は彼らの財産であり、個人や特定のグループの中で秘匿されている。たとえ依頼主といえどみだりに尋ねることは許されない。
時に同業内で情報が売買されることもある。しかし、お前の秘密は絶対に安売りするなよとノーヴィは先程の行いを棚に上げて説教を始めた。
その間フィニィは手のひらにジュースを移し、寝惚けた哲学ネズミに飲ませてやっていた。
「ま、何か困り事があったらノーヴィおじさんを頼りたまえよ。また不死鳥の羽とかな? 頼まれた時にはな? おじさんが付いてってやるからな」
下卑た笑顔を遮って、突然フィニィの視界に蝶が割り込んだ。
羽ばたくたびにカサカサと音がする。
それは一枚の紙を折って作られたものだった。
『フィニィ? 今どこ? 先生が仕事を頼みたいって。すぐきてくれる?』
紙の蝶はレトの声で喋り出した。
本当の声よりもややくぐもって聞こえるが、まちがいない。
椅子から降りたフィニィを先導するように飛んでいく。
「フィニィ! 俺は大抵この近くのバルにいるからよっ、いつでも頼ってこいよー!」
勝手な期待を寄せる男の声を背に、足早に魔法使いの館へ向かった。
塔からはさほど離れていない。間もなく到着したフィニィは、玄関ではなく裏手に回った。つい昔の癖で勝手口から入ろうとしたのである。
しかし、その家の勝手口は鍵がかけられていた。蝶はすでに窓の隙間から中に入っている。
仕方なく玄関のほうへ戻ると、ちょうど出てくる人を見かけ、フィニィは咄嗟に隠れた。
その人物は頭部の左半分が木の根のようなものに覆われていた。だから左目が見えない。髪の毛のかわりに小枝が生え、そこに緑の葉が二、三枚揺れている。
根は服の下の左腕にまで及んでいた。ローブの袖から覗いているのは手ではなく絡み合った根の先であった。
右半分は端正な顔立ちの青年だ。瞳は青く、髪は雪のように真っ白。
さらに、青年の背後には女の上半身の形をしたものが浮いていた。
女はクリスタルのように透明で、表面に虹色の光が揺らめいている。身じろぎもせず彫像のようである。目を閉じてあるかなしかの笑みを浮かべていた。
両腕の先は二本の鋭い剣の形をし、青年の首にぴたりとそえられている。
まるで、いつでも殺せるように。
青年は物陰にいる子供になど気づかず魔法使いの館を去った。
その姿が完全に見えなくなってから、フィニィはそっと玄関の扉を開けた。
アクウェイルは一階奥の客間にいた。
さっそくフィニィを椅子に座らせ、かび臭い表紙の本を開く。
そこには色付きのイラストがたくさん描かれていた。
「見ろ、ついに手に入れたぞ! この中で取ってこられるものはあるか?」
本には魔法薬のもととなる様々な材料が載っていた。
アクウェイルが開いたページに描かれているものは、一度はフィニィが魔女に言われて採取したことのあるものばかりだ。
こんなものよりもフィニィは先程の青年のことが気になる。
アクウェイルに話すと、「ルジェクだ」と本に釘付けのまま答えた。
「三人の大臣のうちの一人で魔法の国の内政を取り仕切っている。毛生え薬の報酬にこの図録を持ってきたのだ。城壁近くに奴の屋敷があるからそのうち行ってみろ。そんなことよりもフィニィ、この藍海竜の角というのは取ってこられるか?」
少年のように瞳を輝かせるアクウェイルはそれ以上、ルジェクという者について語らなかった。
フィニィがあれもこれも取ってこられるとわかると、新たに作る魔法薬のことで頭がいっぱいになってしまった。
「よし行け全部取ってこい!」
アクウェイルの号令で、話も中途半端に出発することとなる。
どうやら魔法の国には夜の森にも負けず、不思議なものがまだまだ潜んでいるらしい。
フィニィはもっとこの国を探検してみようと思った。




