昼の魔法使い2
街の塔は、夜の国におけるユピのように良いランドマークになった。よってフィニィはさして迷わず街を出て、夜の森に戻り、まっすぐ夜の国に入った。
やはり、以前より頭上の闇が近い気がした。
そこへ昨日は姿の見えなかった陽の欠片たちが走りきたので、フィニィはその一つを手のひらに乗せた。
「エリトゥーラ、みた?」
陽の欠片は手のひらを跳ね回る。肯定とも否定ともわからない動き。ひたすら楽しそうだった。
フィニィは今までどおり夜の王に見つからないルートを選び、欠片とともに道とも言えない道を駆け抜けた。
二つ並んだユピの木の間を抜け、夜の森から岩山の前に出る。
そこはまだ朝を迎えたばかりだった。一日に二度も日の出に立ち会いフィニィはおかしな気分だ。
影となっている岩山を登り、不死鳥の巣を探す。哲学ネズミは食べられないようにあらかじめ鞄の奥にしまっておいた。
間もなく草や小枝を集めて作られた巣を見つけた。だがそこに家主の姿はなく、抜け羽がいくらか散らばっている。
すると金色の鳥が飛来した。
フィニィは肩にぶつかられ危うく落ちかけた。
不死鳥は恩人を見つけ嬉しそうに鳴く。フィニィは構ってほしい鳥につつかれながら巣の抜け羽を回収し、岩場を降りた。
いくらか平らなところで屈み、傍に着地した不死鳥の足を、合わせた両手の拳の上に乗せる。直接では爪が痛いので袖を伸ばして手を保護した。
そのまま思いきり腕を振り上げると、不死鳥は勢いよく飛び立った。
岩山に沿って滑空し、頂上まで行くと戻ってフィニィの周りを旋回し、着地する。両手を出すとまた不死鳥がそこに乗る。
そんな遊びを何度か繰り返してから、満足したフィニィは不死鳥の尾羽を採取した。
黒曜石のナイフで立派な羽を一枚ぷつりと折る。
羽は折ったところからすぐさま新しいものが生えてきた。
集めた羽を鞄にしまい、それからフィニィは改めて岩山に魔女がいないか探した。
不死鳥にも訊くと見ていないという。
鳥は口など利けないが、フィニィには鳴き声でなんとなく伝わった。
それでも諦め悪く探したものの、いないものはいない。
あの少しだけ魔女に似ている魔法使いをあまり待たせるのも悪いかと思ったフィニィは、この辺で見切りをつけた。
いつまでも付いてくる不死鳥とは夜の国の手前で別れた。
さざ波一つない湖の上、巨大な動物の骨の埋もれた丘、を順に回って戻る途中、傍を青い水が走り抜けた。
霧の立ち込めるセピア色の花畑でのことである。
思わず足を止めたフィニィの前に、水の老婆が現れた。
落ちくぼんだ眼で恨めしそうに見つめている。
「・・・レイス?」
フィニィは無意識に呼びかけた。
夜の森のラクスラではない。似ているが輪郭が違う。沼でフィニィを溺れさせた乙女のレイスだと思った。
老婆は答えず、霧の向こうに消えた。
しばらく経ってから、フィニィは歩みを再開した。
☾
街に戻る頃には日が暮れかけていた。
雲の上から鳥が街に降り、それぞれの家に戻ってゆく。
どうやら昼間にたっぷり吸収してきた陽の力を使って、鳥は光っているようだった。
屋台で夕食を買う人、帰路につく人の波をすり抜け、フィニィは迷わず魔法使いの家に辿り着いた。
魔法使いの家は周りの家より暗い。明かりがついていない。
そして周りの家より倍以上に大きかった。
煉瓦の壁、鱗模様の屋根瓦、曲線の飾り破風板のついた玄関扉の横に、二階まで伸びた出窓があり、中を覗けた。
薄暗い部屋でうろうろしている背の高い影が見える。
フィニィが窓を叩くと、急いで開けた。
「取ってきたのか!?」
フィニィは鞄からまず尾羽を出した。
魔法使いは奪うように受け取り、窓から身を乗り出し陽の残光で色を窺う。
「おぉ・・・」
目玉のような模様の部分をなで、軸の端を口に含む。吸う。
フィニィは不思議に思いながら男の奇行を眺めていた。
「――確かに。この魔法の味。初めての味だ。不死鳥の羽らしい。よくやった!!」
抑えきれない歓喜が声量に表れていた。
「いくらでも欲しい額を言え!」
そう言い放つや魔法使いは部屋に引っ込んだ。
フィニィは窓辺をよじ登り、中に入った。
床から天井まで届く、壁に埋め込まれた巨大な棚。あらゆる魔法の材料や、本の背表紙が並んでいた。
部屋の真ん中には鉄の大釜が据えられている。魔女の洞窟にあったものとほぼ同じ形だ。
魔法使いは柄の長い柄杓を持ってその前に立ち、材料を放り込んだ。
途中、材料の一部が手元になく棚に取りに行こうとした際、背後にいたフィニィをうっかり蹴ってしまった。
「おっと。どうした。報酬は少し待て。先に魔法薬を完成させる」
フィニィは、魔法を作るところを見たいと言った。
洞窟ではいつもそうしていたのだ。
男は一瞬驚きを浮かべたが、程なくしてにんまりと笑う。
「ああ当然だろう。魔法に携わる者として興味の湧かぬはずもなし。――よし、特別に許す。ここで待て。何も触るな」
子供が覗き込むには大釜は深過ぎる。
魔法使いは瓶に詰めた残りの材料とともに、二段の踏み台を持ってきて釜の横に置いた。本来は棚の上の物を取るためにあったものだ。
フィニィは最上段までのぼり、特等席で観覧する。
大釜には濃紺色の液体が半分ほど入っていた。
真っ黒ではない。だがフィニィの目でなければ、この薄暗い中ではほぼ黒に見える。
「では」
様々な材料を大釜に放り、魔法使いは最後に不死鳥の尾羽をいれた。
「好奇を一匙」
柄杓に息を吹きかける。
夕陽のような赤銅色の、光の粒が底に一匙分溜まった。
それを渦巻く釜の中に注ぎ込む。
バチバチと粒が弾け、勢いよく噴き出す。
薄暗い部屋が一瞬で赤銅色の光に満たされた。
フィニィはきらきらと舞う光の中に手をかざす。
胸が躍った。魔女が消えてからそんなに経ってはいないはずなのに、ひどく久しぶりにこの美しい光景を見た気がした。
釜の中の液体は、赤のまじった金色になっている。
魔法使いが柄杓で瓶に二掬いほどすると、元の濃紺色に戻った。
「見ていろ」
魔法使いは瓶の中身を一滴、自分の手の甲に垂らした。
途端、そこから床に届くほど長い毛が瞬時に生えた。
「完璧な毛生え薬だ!」
魔法使いは喜びはしゃぎ回っている。
フィニィが試しに引っ張っても毛はしっかり根付いていて抜けなかった。
「ははっ、やったぞ! 初めて妥協せず完全な調合ができた! それもこれもっ――名前、聞いていなかったな。お前の名だ」
素直にフィニィは名乗った。
気づけばフードをかぶることも忘れていた。
「フィニィ。大いに感謝する」
薄闇の中でさえかすかな光を帯びて見える髪色にも、その奇妙な瞳にも、魔法使いは微塵も恐れを抱かず謝意を述べた。
ふとそこでフィニィは思い出し、まだ渡していなかった不死鳥の抜け羽を魔法使いにくれてやった。
抜けて時間の経った羽はいくらか魔法の力が落ちる。
念のため説明を加えたが、それでも彼は羽を握りしめ、喜びを嚙みしめていた。
「これだけあれば・・・これだけあれば! 我慢してきたあれやこれが一気に試せる! フィニィ! 金庫ごと持っていけ! 今夜は寝る間もないぞ!」
半狂乱になった魔法使いは次々と魔法薬を作り出す。
フィニィは絶え間なく宙に舞う光に目を輝かせ、彼の魔法を飽きもせず眺めていた。
やがて二人とも疲れ果て、どちらからともなく倒れるまで、この不気味な宴は続いたのだった。




