魔女の料理研究
その日、いつもどおり子供にせがまれ麦粥を作ってやった魔女は、ベッドに座っておとなしく食べる子の姿を眺め、ふと疑問を抱いた。
「フィニィ。お前は他のものが食べたくならないのか?」
魔女は基本的に麦粥しか与えていない。
味付けすらされていないそれをフィニィは毎日文句も言わず食べているものの、魔女は人間だった頃の母が自分で様々な料理を作っていたことを急に思い出したのだ。
粥には魔法をかけているため、フィニィが他の栄養が足りず死ぬということはないにせよ、飽きは防げないはずだ。
だがこうして尋ねてみても、フィニィはスプーンを口に入れたまま、不思議そうに魔女を見返すだけ。なぜそんなことを訊かれるのか意味がわからないというように。
「そもそも、それはうまいのか?」
魔女は味というものがよくわからない。味覚がないわけではないが、食べる必要がない分、他の生き物よりもずっと感じ方が鈍いのだ。
とはいえ、母の料理風景を思い出すに、大釜に入れて煮るだけの麦粥が美味なるものになっているとはさすがに思えない。
だがフィニィは魔女の問いに首肯する。
うまい、と言う。
「本当か? お前が今まで食べたものの中ではどうだ。一番うまいか」
するとフィニィは考えるように足をぷらぷらし始めた。
どうやら一番ではなさそうだ。
「ではお前が一番うまかったものを思い出せ」
そう言われてフィニィが頭に浮かべたのは、館にいた頃のこと。
主人の親戚や友人たちが集まる昼食会があり、豪勢な料理がたくさん厨房で作られ、客たちが食べきらなかった皿を一つ、普段は冷たいメイドが気まぐれを起こしてフィニィにくれたのだ。
カスタードクリームが中に少しだけ残ったパイの端っこは、今でもよだれが出るほどにおいしかった。
「・・・待て。それは食べ残しだろう」
フィニィはまだ何も言っていないが、すでに魔女は怖い顔をしている。
はじめの日にフィニィの吐き出した黒い液体を呑んだ魔女は、フィニィの記憶を自由に覗き込むことができた。
「私の料理が残飯よりまずいというのかっ」
フィニィはびっくりして固まった。
魔女も麦粥が美味ではなかろうという予想はついていたものの、残飯以下と思われているのは心外なのだ。
「――わかった。なら、使いから帰った後に期待していろ」
すでに今日のお使い内容はフィニィに言い渡してある。
食べ終えても後ろ髪を引かれるようにしている子を、魔女はさっさと洞窟から追い出した。
☾
おいしい料理に必要なものはなんであろう。
本日は趣味の魔法薬作りをやめ、魔女は麦を大釜に放り込み、後から様々な材料を追加しあれこれ試してみる。
すると、そこへアンテが遊びにやってきた。
「どうだ」
『わかんない』
急に味見役を押しつけられた小さな姉は、魔女の指を舐め渋い顔をする。
アンテも食べなくてよい体なのは同じ。味覚に関してはむしろ魔女よりひどく、何も感じないに等しい。
『フィニィに食べさせたいのなら、ユピの料理を再現すればいい。覚えてないの?』
「あまり。そもそも再現となると材料を昼の子の村から調達しなければならない」
『できないの?』
「少し前に魔法薬を交換した村の親子が首を吊られた。今の昼の子は魔法と夜の呪いの区別がついていない」
『魔法の力を夜の子だけのものと思っているのね。昼の子も持っているのに』
「認めるのが怖いんだろう。おそらく私が昼の子の前に出ると面倒なことになる。だから同じ材料で再現はできない」
『じゃあ夜の森の中にあるもので新しい料理を作るのね』
「そうだが、何をいれればうまくなる?」
姉妹は一緒に頭を悩ませる。
そのうちアンテが先にひらめいた。
『ユピは塩をいれてた。岩から取った塩。そう言ってたわ』
「それは草原を旅していた昼の子から手に入れたものだ。確かに毎日使っていた気がする。あと――香辛料。嗅ぎなれない匂いの葉や黒い粒のようなのが手に入ると母は喜んでいた。どんな料理にも使え、味がよくなると言ってた。あの類の刺激物なら森にもある」
思いついた魔女の行動は早い。
さっそく材料集めに外へ繰り出した。
「アンテ、塩の岩はどこかで見たか」
『見てない。夜の森にはないかも』
「なら先に香辛料だ。ついでに具になりそうなのを適当に採ってく。運試しの実はいれよう。フィニィは当たりの実が好きだ。なってる実を全部いれればどれか当たるだろう」
『はずれの実もいれてしまうの?』
アンテは若干の疑問を感じつつも、特に止めはしなかった。
よって魔女は次々と目に付いたものを採取していく。
黒い地面を這っている土人形のような夜の子から、その頭に生えた黄土色の葉をすれ違いざまにちぎり取るなどをする。
『エリトゥーラ、這いずる草は生き物には毒』
「少しいれるだけだ。ぴりっとするのがうまいと母が言ってた。この葉は私でもぴりっとくる」
『そういう刺激でいいの?』
「孤立の木の実もいれるか。あれはかなりくる」
姉妹が向かった先には、ユピの木がわざわざ避けている場所に、子供の背丈ほどの低い木が立っている。
その、地に垂れ下がるほど大きな青紫色の実の一つを魔女が取ろうとした時、太い尾が空間を凪いだ。
「おっと」
魔女は素早くかわした。
突然の襲撃者は青黒い鱗の竜。頭に珊瑚の形の角を生やし、顔の下の短い二本の前足を起点に長い尾を魔女めがけて叩き付ける。
その鱗からはかすかに、海の匂いがした。
「新顔か」
『どこからきたのかしら。よっぽど戦うのが好きみたい。エリトゥーラで力試しするつもりでいる』
「迷惑だ」
魔女は尾の攻撃を避け、ククウルスの実に触れた。
「陽を一匙」
息を吹きかけた途端に果実は気化し、青紫色の煙が竜を覆った。
煙を吸ってしまった瞬間に竜は固まる。尾を振りきった状態で、石像のように動かなくなってしまう。
それから間もなく硬い鱗に亀裂が入り、はち切れた腹から真黒な臓器がまろび出た。
ククウルスの実に詰まった毒は吸い込めば神経を焼き、触れれば体を溶かす。
その惨状を見下ろした魔女は少しだけ冷静になった。
「ククウルスの実はやめておくか」
『そうね』
かわりの戦果として、海の匂いのする竜の角を取ることにした。
この後にも魔女は小さな姉とともに夜の森の危険な場所を巡り、時に立ちはだかるものをねじ伏せながら、食材(仮)を集めて回った。
そして洞窟に戻り、材料のすべてを使い特製の麦粥を作成する。
しばらくして使いから帰ってきたフィニィは、さっそく椀に入ったこの世のものと思えぬ匂いを発するヘドロを差し出され、息を呑んだ。
持たされたスプーンでおそるおそる、ヘドロを口に含む。
「どうだ?」
フィニィの体が小刻みに震えだす。
一瞬耐えようとしたがかなわず、口に入れたものを全部吐き出しうずくまってしまう。
まずい、まずくないの次元はとうに過ぎている。
これを受け入れるわけにはいかないとフィニィの全身が拒絶を示していた。
『やっぱり塩をいれないとダメなんじゃない?』
「竜の角ではかわりにならなかったか。材料から検討し直しだな」
これ以降、妙に凝り出してしまった魔女によって、フィニィは様々な料理を味見させられる日々が始まった。
その様子は時に人体実験に近いありさまだったが、着実に魔女の料理は改善され、フィニィが心からおいしさを感じる麦粥がある日、完成することとなる。
とはいえ、それはまだしばらくは先の話であった。




