幕間 画家イオニア/革命家イオニア/反逆者たち
※プロローグはここまでです
※ちょっと名称間違えたので修正しました
(誤)狼牙騎士団 → (正)黒爪騎士団
アルカン山脈は何もない山だ。
砂、岩、そして溶けずに残った雪だけの寒々しい場所であり、木々もなければ野生の動物もいない。出ると言えば、人間が栄える前に地上を支配していた動植物の化石くらいのものだ。
「遅刻ですよ、イオニア殿」
その山肌にある岩と岩の間に、隠れるようにテントが張られていた。テントはまるで周囲に溶け込むような自然な色合いをしており、おそらく一キロも離れたらまず発見はできないであろう。隠れることが目的の野営であった。
「すまんな、デューイ」
イオニアは、そのテントに佇む男の名を呼んだ。
五十がらみの、白髪混じりの角刈りの男だ。
体格は太くはないがしっかりしており、体のそこかしこに傷痕がある。
歴戦の戦士、とでも言うべき風格を持った男だった。
「……ずいぶんくたびれていますね。何かトラブルでも?」
「猟犬に見つかりかけた」
「それは……よく逃げられましたね」
猟犬とは、犬そのものを指すわけではない。
それはダイラン魔導王国の中に潜む反乱分子を捕まえるための専門の騎士団『黒爪騎士団』であり、同時に騎士団の者が得意とする魔法【猟犬】のことを指す。
魔法【猟犬】とは、魔力で犬を作りだし、それに手がかりとなる匂いを辿らせて攻撃するという恐ろしい魔法だ。細やかなコントロールはできず、【猟犬】の魔法を使っている間、使い手は他の一切の魔法が使えなくなる。だが射程距離は恐ろしく長く、そして執拗だ。反乱分子を殺すにはうってつけの魔法である。反乱軍は恐怖と敵意と侮蔑を込めて、彼らを黒爪騎士団ではなく猟犬と呼んでいた。
「持っていた肉の匂いで辿られそうになった。途中、野生のカラッパが居たから押し付けてなんとか逃げられたよ」
「それだけで逃げられたのですか?」
「最近知ったんだが、【猟犬】は本物の犬とは違って複雑な判断ができない。誤魔化す方法は色々とある。後で詳しく教えよう」
「よく気付きましたね……しかし押し付けられたカラッパも災難ですな」
「頭の良い生き物だ。次に出会うことがあれば復讐されるかもな」
「まだ死なないでくださいよ」
「当たり前さ……。さて、そろそろか?」
そう言って、イオニアは懐から奇妙な筒を取り出した。
「これは?」
「望遠鏡だ。魔法で遠見するな。バレかねない」
「これだけ離れていてもですか?」
「バザルデは火力一辺倒だが、その弟子には探知が得意な者もいる。気をつけるに越したことはない」
「わかりました」
「始まるぞ」
イオニアの言葉のすぐ後に、遠くに土煙が上がった。
戦車部隊だ。
馬が二頭並んで戦車を引いている。
戦車に乗っている人間も、馬と同じく二人。
奇妙な戦車であった。
通常、戦車を操る兵は槍や弓を構えるものだ。
だが、構えているのは大きな丸盾だ。
「あれが今回の主力兵器というわけか」
「はい、反魔鏡です。竜息貝の貝殻を磨き上げたものですね」
「竜の巣で取れる巨大な貝だったな」
イオニアの呟きに、デューイが頷く。
「普通の貝はそんな場所に生息などできませんが、竜息貝は竜の魔力や周囲の金属を取り込んで特殊な貝殻を作り出します。竜の息吹さえも通用しない鉄壁の盾というわけですね」
「あれだけ数が揃うのは幸運だったな」
「古文書の地図を読んで、過去に竜の巣だった場所を掘り当てたそうです。実験してみたところ、あらゆる攻撃魔法を弾き返しました」
「しかし、【灼光】を相手にするのは初めてだ」
「……はい」
「もう少し実験を繰り返すべきだった」
イオニアの声は、苦々しさに満ちていた。
「それは……仕方ないでしょう。少しでも反撃の糸口が見えたならば一瞬でも早く行動したいはずです。家族を亡くした者も多い」
デューイの声には、イオニアとは別の種類の苦々しさがあった。
歯がゆさと羨望。
それをイオニアは敏感に感じ取っていた。
「お前も、行きたかったか」
「反乱軍は分裂しました。だがその悲願は同じです」
ダイラン魔導王国は平和と繁栄を謳歌している。
だがその裏では数え切れないほどの怨念が満ちている。
滅ぼされた国の末裔。
戦火に巻き込まれ家を焼かれた民衆。
あるいはダイランから追放された者。
イオニアもデューイも、そして遠くで戦車で駆ける者たちも、ダイラン魔導王国への反抗と復讐を決意した仲間であった。
「まだお前に死なれては困る。それに、この戦いを見届ける者も必要だ」
「それが役目だとはわかっております」
反乱軍の多くは一刻も早い開戦を望んでおり、今回の決起へと繋がった。
だが一部の穏健派は「時期尚早」と反対していた。
反乱軍の幹部同士の議論は紛糾し、その結果、分裂した。とはいえ仲違いしたわけではない。今回の決起が敗北したときの備えを穏健派のトップのイオニアに託し、決戦に挑んだ。イオニアも今回の決起が成功に終わることを望んでいた。
デューイも心情としては主戦派であった。元々デューイは、ダイラン魔導王国に滅ぼされた国の王の側近だ。仕えていた王も、そして己の家族も殺されている。伝令兵や諜報の技量の高さゆえに軍勢に組み込まれることはなかったが、自分も一矢報いたいと切実に望んでいた。
「あっ……!」
そのとき、空を引き裂くような閃光が迸った。
雷のようで、雷ではない。
天から降り注いだのではない。
稲光のように枝分かれもしていない。
遠くからほぼ水平に放たれた、一直線の光だ。
「来たぞ、バザルデだ……!」
遠くから放たれた光が、戦車隊を撫でた。
金属が擦れ合う音を何百倍にも膨らませたような、耳障りな音が響いた。
「よくもあんな遠くから正確に撃てるものですね……くそっ」
イオニアは望遠鏡を通し、光が放たれた場所を睨む。
そこには、ダイラン魔導王国の軍が居た。
だが、国のトップが率いていながらも反乱軍よりも少ない軍勢であった。
二百か、三百程度だ。
「向こうを見ろ、歩兵ばかりだ。全員、バザルデを守るための兵で、攻めているのはバザルデだけだ」
「……舐められておりますな。アラン王さえもいません」
「魔女には勝てんと恐怖を叩き込む必要があるのさ。余裕を見せつけねばならない」
「ですが、その余裕は仇となりそうですよ」
デューイの視線が、反乱軍の戦車隊に向く。
戦車隊は、生きていた。
「一発は防げた。だが……」
イオニアが戦況を睨む。
「一度は防いだのです。きっと……」
デューイが期待を込めて呟く。
だがそこから先は、悲惨の一言だった。
戦車隊は、一発、二発と魔法を防いだ。
そこから、魔女バザルデが遠慮を止めた。
それまでの何倍もの太い光線を放つ。
目が焼き尽くされるのではないかというほどの怒濤の光が縦横無尽に戦場を駆け巡った。
何十発か放ち終える頃だろうか。
金属がぶつかり合うような不快な音は聞こえなくなった。
盾が破壊され尽くした。
同時に、さまざまなものが燃え尽くされた。
人も、馬も、彼らの武具も、そこにあったことが嘘であったかのように消え果てた。
「な、なんと……あっけない……。これだけ武具を整えても無理だったのですか……!」
デューイがわなわなと震え、拳を握りしめた。
今にも走り出してしまいかねないほど、興奮し動揺していた。
「落ち着け、デューイ」
「ですが!」
「バザルデの本気の一端が見えた。今まで隠れて戦況を眺めて十年近く。あれだけ焦って魔法を乱発したことなどなかった。それだけバザルデの喉元に差し迫ったのだ。戦場を見ろ。あと少しで戦車隊はダイランの軍勢に届いていた。誰にもできなかった偉業だ」
「ですが、届かなかった! あれだけの装備を調え、調練を重ねて、それでも足りなかった! 戦術も露見し、対策も取られます!」
デューイの声は、絶望に彩られていた。
慰めるようにイオニアがデューイの肩を抱く。
「……残りの距離を詰めるのが僕らの努めだ。あれこそがバザルデの本気だ。反魔鏡の対策もしてくるだろう。だが奴らはあれこそ僕らの最後の武器と捉えたはずだ。やるべきことが見えた。辛いだろうが……まだ立ち止まるな」
「イオニア殿……」
イオニアは、頭突きするようにデューイの額と自分の額を付けた。
額の下には、烈火のように燃える瞳がある。
にじみ、零れそうになる涙を堪え、炎になれとばかりに戦場を睨んでいる。
ひょうひょうとして余裕のある画家の瞳ではない。
「良いか、デューイ。僕たちは、あの化け物を倒すのだ」
戦士のまなざしがそこにあった。