舞台俳優ブランドン/もっと光を/栄養満点スパイシースープ 5
書籍1巻が発売しました!
また拙作と甘岸久弥先生「服飾師ルチアはあきらめない」との
コラボ企画をすることになりました。
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まずい。
まずい、まずい、非常にまずい。
「だっ、誰か、医者を呼んでくれ……!」
マネージャーの悲鳴に咄嗟に応じたのはモーリンだった。すぐに個室を出てウェイターを捕まえて事情を説明している。キャロルはあたふたしながらも、椅子やテーブルを部屋の隅に運んでいる。おそらく担架が来たときのための気遣いだろう。
ジルは、すぐに動けなかった。
判断が遅れたためではない。
判断してしまったからだった。
「すみません、マネージャーさん」
「な、なんですか!」
「今、禁制品の白粉とおっしゃいましたね?」
「あ、いや、それは……」
マネージャーが言いよどんだが、ジルは構わずに追求した。
「誤解しないでください、禁制品を咎めようというわけじゃないです。秘密があるなら守ります。彼女は鉛中毒ですか、ということを聞いています」
マネージャーは、観念したように頷いた。
「……恐らくは」
「確実なところを知りたいです。恐らく医者が来ても同じことを言うはずです」
「ブランドンの私物を持ってきます」
マネージャーが部屋を出た。
「ご主人様、何か心得があるのかい?」
「治癒の魔法は使えます。骨折や大量出血などは苦手ですが、解毒ならば……得意分野です」
ジルの魔法は精緻を極めている。
その特異さは熱を与えたり奪ったり、あるいは水の流れを操作することに使われる。その一方で、ジルは自分の実の父――アラン王から教わった治癒の魔法の心得もある。
基本的にジルは、それを他人には見せない。自慢も一切しない。ちょっとした怪我や火傷を直す程度ならともかく、重病人を診ようなどと思ったこともなく、病院や施療院の看板を掲げるつもりは毛頭ない。
「……御主人様、顔が青いよ。難しいなら医者に任せたほうが」
「違います。恐らく医者に見せるよりも私がやるのが確実でしょう」
それは、謙虚ではない。
できるかぎり遠ざけていたい、恐怖の過去があったからだ。
ジルは伯父コンラッドの養育下から離れた後、実の両親の手で育てられるようになった。王妃にして随一の魔女バザルデから魔法を教わったが、同時にアラン王が得意とする回復や治癒の魔法も習っていた。
しかし、ジルはアランの弟子ではない。少なくとも周囲にそう認知されてはいなかった。アランがジルに魔法を教え始めて、一年も経たないうちに止めてしまった。アランが見切りをつけたためだ。大きな魔力が必要とされる攻撃魔法よりも、繊細さが求められる回復魔法の方が遥かに適性があったにも関わらず、アランはジルに教えることを諦めた。
(解毒は嫌というほどやった。自分で自分の身を治すのは何度もやった。ここ数年は使ってなかったけど……まだ覚えている)
アランにとって怪我を直し、毒を解き、命を救う魔法は、何より恐ろしい武器であった。アランは魔法の手本を見せるため、ジルの目の前で自分の腕をもぎ、一瞬で魔法で治癒してみせた。アランは顔色一つ変えることはなかった。
また、アランはジルに毒を飲ませた。日々の食事の中に当たり前のように混ぜ込み、ジルは体調の異変に気付いて必死に治療した。アランとの食事中の何気ない会話の中に、与えられた毒物と、それを治癒するための解毒魔法のコツがあった。心の傷を得る代わりにジルは自分の体を直し、そして魔法を習得した。
だがもっとも恐ろしかったのは、アランが自分の施術をジルに見せたことだ。アランにある日、暗殺者が現れた。暗殺者はよく訓練されており、王宮の騎士相手に口を割ることは決してなかった。だがアランの責め苦の前ではどんな鋼鉄の意思があろうと無意味なことであった。
そこでジルは、完全に心が折れた。
伏して泣いて、これ以上はどうしても無理だと頼み込んだ。アランは、コンラッドと似た面影がありながらも性質はまったく違う。いや、同じ人間として見ることなど到底できない。ジルは人として母バザルデを恐れていたが、アランに対しては、ひたすらに怪物として恐れていた。
「で、でも……鉛の中毒って魔法にどうにかなるんですか……?」
「ただの回復魔法ではなんともなりませんね。普通の薬でも無理です」
「で、では、どうやって……?」
「血の中に溜まり続けた鉛を外に出す。これしかありません」
ジルは、流体や液体を自由自在に操る。
染料の濃淡を精妙にコントロールし、乾燥することも自由自在だ。
そして、人間の体に巡り続ける血液もまた、液体である。
その中に含まれる重金属を探し当てて、それだけを排出することはできるか。
「【液体操作】」
ジルは、できる。
それができなければ、今日まで生きることはできなかった。
そんな苦痛に満ちた思い出とは裏腹に、ブランドンの顔は少しずつ健やかになっていった。
◆
「突然呼ばれたときは本当に驚きました」
「すっ、すみません、私もちょっと気が動転していて……」
ここは誘惑の森の奥のジルの屋敷。その中の応接間の一つだ。
劇場から戻る道中、ジルは薬師を屋敷に連れてきていた。
ジルだけではどうしても手が足りず、薬師に治療を手伝ってもらった。
今は治療も一段落終えて、お礼を兼ねて茶を淹れていたところだった。
「止血は問題ございません。ただ、どうしても血は減っていますので無理はさせないよう」
「言うことを聞いてくれるなら助かるんですけどね……どうも無茶な御方のようですし」
ジルは溜め息をつき、客間の方を眺める。
そこにはブランドんが静かな寝息を立てて横になっていた。
「ブランドン様、でしたか。まさかこんな状況でお顔を見ることになるとは」
「ええ。公演が終わった後の食事中に突然倒れて。恐らく普通の医者に診せても無駄だろうと思ってこちらに連れてきました」
「鉛中毒ですね。重度であれば死病でしょうけれど……」
薬師の言葉に、ジルは重々しく頷く。
「禁制品の白粉を常用していたようです。どうしてそんなことを……」
「鉛を使った白粉の方が色が映えると人気なんですよ。やはりまだ残っていたのですね……」
「禁制品になっても出回っていたのですか?」
「そのようです」
「そんな……命を削るような真似を……」
「私も昔、客に度々注意をしたものですが……芸事はどこも熾烈で、医者や薬師の言うことは中々聞いてくれません」
薬師の言葉には、徒労感の響きがあった。
恐らくこれまでも、鉛による死を眺めたこともあったのだろう。
そんなことを思われる声であった。
「それは……悲しいですね」
「しかしジル様、こんなに早く鉛の中毒が回復するとは思ってもみませんでした。これは……」
「ああ、ちょっと昔取った杵柄と言いますか……解毒は得意なんです」
その言葉に、薬師はますます悲しい顔をした。
ジルは、うっかり毒を吐いてしまったことに気付いた。医者でも薬師でもなくジルのような王族が「解毒が得意」ということは、毒を飲まされたと吐露しているようなものだ。特に薬師は、王都に足を運んだり、貴人の頼みで出仕することもある。事情はなんとなく察してしまうだろう。
「あ、いや、気にしないでください。それより手伝ってもらえて助かりました。私のやり方では失った血までは補えないので……」
ジルは、自分の魔法を応用して人間の体内から異物を取り出すことができる。特に、血の中に溜まり続けた重金属を除去するのは得意だ。同時に体内や臓器の細かい傷や炎症なども治療できるため、毒の治癒においてはそこらの医者よりも得意だ。
もっとも、骨折や大きな火傷、その他重い怪我は不得手だし、病気などはそもそも魔法では何ともならないものも多い。また血液中の異物を体内から出すときはどうしても出血を伴うため、血が失われる。毒を出そうとして失血死してしまいました、では話にならない。
「ですが、あなた以外の御方では治せなかったことでしょう。大変よい判断だったと思います」
「助かります。それと、このことは内密に……」
「大丈夫ですよ。患者のことも治療の仕方も、言われずとも常に秘密にしています。秘密を抱えるのはいつものことですから」
薬師が微笑んだ。
ジルはありがたく思うと同時に、なるほどと腑に落ちた。そうでなければ領主夫妻が贔屓にするはずもない。純粋な腕の良し悪しだけでは決して測れない、人としての信用がある。ジルは雑貨店を営んでいるが、きっとこの人には学ぶべきものがあるのだろうなと、そんなことを思った。
「さて、私はひとまず戻ろうと思います。なにか必要な薬があれば取ってきますが、恐らく薬よりも休養や食事に気をつけた方が良さそうでしょうね」
「そうですね。それでは……」
見送ります、と言いかけたあたりで、ドアが開いた。
「うむむ……ここは……?」
「あ、気付かれましたか」
「おかしい……。気分がいいぞ……?」
ブランドンが、ぽかんとした顔をしてジルたちの顔を眺めていたが、やがてつかつかと迷いない足取りで直進してきた。
「そこのご婦人が治療してくれたのかな? それともあなたが?」
「まあ、直接的には私ということになりますが……」
「これはすごい……! 本当にありがとう……!」
「あ、あの、無理はなさらないでください。鉛を出した際に血を失っています。まずはゆっくり休んで……」
「こんなに爽やかな寝起きは本当に久しぶりだ! もう現役引退か死ぬかって感じだったがまだまだ頑張れそうだわ!」
ダメだ、話を聞いてくれない。
もう少し落ち着かせないと……とジルは頭の中で作戦を練り始めた。
だが、そこから続くブランドンの言葉は、ジルの思惑などをふっとばすものだった。
「これでまた倒れても何とかなるぞ!」
「……………………なんですって?」
ジルの口から、ジル自身思ってもみなかったほどの硬質な声が出た。





