舞台俳優ブランドン/もっと光を/栄養満点スパイシースープ 4
本日書籍1巻が発売しました!
また拙作と甘岸久弥先生「服飾師ルチアはあきらめない」との
コラボ企画をすることになりました。
抽選で特製の革製コースターが当たるので、ぜひぜひご参加下さい。
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圧巻、の一言だった。
ジルは正直に言って、少々舐めていた。
王城で暮らしていた時期に観劇をしたことは何度もある。あまり面白いと思ったことはない。それは上演する目的が王と王妃を喜ばせるため、あるいは不興を買わないためのものであり、その他の観客を向いたものではなかった。
現行の王室や政策を賛美する内容が随所に散りばめられており、率直に言って「媚びている」と評されても仕方のないものしか見ていない。それならばジルは、コンラッドが読み聞かせてくれた物語の方が遥かに面白かった。
そのためジルは、舞台というものにそこまで期待を寄せてはいなかった。「まあ王城にいたときよりは面白いだろうけど」程度の思いは完全に裏切られた。
「すごかったですね……!」
「はい!」
「いやあ……なんていうか、飲まれちまってたよ。あっという間だったね」
ジルは、高揚した顔でキャロルやモーリンと頷き合う。
自分が思っても居ないほどに興奮していることに気付きつつも、感動を分かち合いたかった。
「こんな素晴らしいお話とは思っても見ませんでしたよ……。王都ではこんなの見られませんね……!」
物語は、夫を殺された女が殺人犯を騎士に引き渡して訴えるところから始まる。だがそれは決して安易な殺人などではなかった。夫の遺品を調べるうちに、女は次第に殺人犯の犯行動機、そして死んだ夫の秘められた過去を知るようになる。
死んだ夫が女に近づいた目的は、復讐のためであった。夫の父は元々女の家に仕えていた使用人であったが、「王から下賜された壺を壊した」という事故の濡れ衣を着せられた。本当は女の親がうっかり壊したにもかかわらず、だ。その後、父は貧しい生活を送り、妻と共に亡くなった。
そんな親の哀れな末路をつぶさに見た男は、荒れに荒れた。人を騙し、暴力を振るうことに抵抗がなくなっていった。そして野心が生まれた。知恵と暴力を活かして人から金を奪い、札束で貧乏貴族をたたいて家を乗っ取り、地位を手に入れた。余裕が生まれた男は勉学に励み、更にのし上がった。
のし上がった男に、女との縁談の話が持ち上がった。男はほくそ笑んだ。復讐の機会が向こうから訪れたと。だが残念なことに、女の両親であり男の復讐相手は事故で他界していた。これには男も残念がったが、女を弄び溜飲を下げようとした。
ここで歯車が狂った。
男は女の信頼を得て叩き落とすために、惜しみなく女に偽りの愛を注いだ。そして女は心の底から感謝した。自分の両親が死に、家が傾きかけていたところに颯爽と現れて助けてくれた男に、好意を抱かないはずがなかった。しかも女はそのとき、男とは別に好色で有名な貴族に側室に来ないかというしつこい引き合いを受けていた。
男は「こんなつまらない人間に復讐相手を横取りされてたまるか」と怒り、好色貴族をやりこめたが、その結果、女はますます感謝の念を抱いた。二人の距離は縮まり、男は現状に甘んじた。女の真心に、今まで感じたことのない安らぎを感じた。「まだ焦る必要もない」などと自分に言い訳して復讐を先延ばし、偽りの夫婦生活を楽しんだ。
だが男は、今まで犯した罪の報いが少しずつ忍び寄ることに、気付くことができなかった。男が踏みにじってきた人々から思いを託され、人生の絶頂期を謳歌する強靭な人間への復讐を決意した人間がいることに、最後の最後まで気付かなかった。
……といったあらすじで復讐、陰謀、恋愛が絡み合った複雑なストーリーが、殺人犯の証言、好色貴族の証言、信頼していたはずの使用人などの証言から浮かび上がってくる。
そこでブランドンは、男の一生を生々しく演じた。純朴で善良な少年時代。父が死んで復讐心と野心に目覚めて少年時代を捨て去った男。そして今まで犯した罪に直面し、自分もまた心底恨んでいた人間と変わらないと悟り、哀れに許しを請う男。千変万化するブランドンの表情に、ジルは感動した。
劇場にはまだ興奮冷めやらぬ観客たちが、ざわざわと驚きや感動を語り合いながら観客席から退場していく。そろそろ自分らも移動するか、とジルが思ったあたりで、小柄な黒髪の男が近づいてきた。
「すみません、ジル様でいらっしゃいますでしょうか」
「はい。なんでしょうか?」
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。金糸雀座のマネージャーを務めているクリスと申します。先日はうちのブランドンが突然お邪魔してしまったようで……」
「いえ、ご来店ありがとうございました」
「その……大丈夫でしたか?」
「大丈夫?」
ジルがきょとんとして尋ねると、男が悩ましげな顔をした。
「いえ、その……ブランドンは基本的には常識をわきまえているのですが、舞台や仕事のこととなると途端に強引になってしまって。大道具や衣装もこだわりすぎるくらいこだわるので、私のような人間が間に入るのです」
「ああ……苦労なされてるんですね」
「まったくです、はい」
納得の声が出てしまい、ジルは慌てて口を抑えた。
クリスが苦笑しながら言葉を続けた。
「この後ご予定はございますか? よろしければ、ブランドンの方が皆様をお食事にお誘いしたいと」
◆
ジルたちはしばらく待たされた。
とはいえ別の小ホールでは金糸雀座以外の劇団が舞台を公演していたり、あるいは劇場のすぐそばで野外演奏をするキタラ弾きやラッパ吹きがいて、時間を潰す方法は幾らでもあった。むしろ待たされているという意識さえもなかった。
「慌ただしくってごめんなぁ! どうだった!?」
ブランドンのマネージャーに再び呼ばれて行った先は、劇場に併設されてるレストランの個室だった。どっしりとした黒檀のテーブルと、壁に掛けられている花の絵画が目立っているが、それ以外は小綺麗な間取りだ。窓から差す昼の光は眩しく、劇場内の煌びやかさとは一転してとても落ち着いた風情であった。
「すっごく面白かったです!」
ジルはほくほくした顔で頷くと、ブランドンもまた嬉しそうに微笑みを浮かべた。
「そうだろう? もう何度もやった演目なんだけどこれが人気が出ちゃってなぁ。リバイバルばっかりなんだよ。あ、でもその都度色々と見直したり演出を変えたりしてるんだ」
「演技も演出も、とっても素晴らしかったと思います」
「だが、もっと演出方面で色々と工夫したい。今回の劇は演者も場面も抑えめにしたからやりやすかったんだが、複雑なものもやりたいんだ。脚本家と演出家と相談してはいるんだが、美術に割けるパワーが不足してる。なあ、マネージャーもそう思うだろう?」
「落ち着け、ブランドン」
前回来たときと同様、ブランドンが怒涛のごとく話を始めた。マネージャーが咳払いをするとその場では苦笑して話を止めるが、好きな話になるとまたブレーキが壊れる。このアグレッシブさに、なんとなく懐かしさを覚える。好きなことに夢中な人は、ジルにとって仲間だった。
だが話が盛り上がっているうちに、ジルはふと気付いた。
ブランドンの方の皿は、まったく減っていない。
彼は少し口を付けただけで、後は茶を飲んでいただけだ。
「ところで、何も召し上がらないんですか?」
「ん? ああ、公演の日はあまり腹が空かなくてな」
その言葉に、マネージャーが怪訝な顔をした。
「大丈夫か? 朝もそんなに食べてなかったんじゃないか?」
「大丈夫だ。集中してるとこうなる」
「いやお前、公演前はけっこう食べる方だったよな」
「体調くらい変わるものだろう。別に悪いわけじゃあるまい」
突然、ジルたちを置いてけぼりにして口論が始まった。
だが、ただの口論ではないとジルはどこかで感じた。
マネージャーの顔や声の険しさは、苛立ちではない。
むしろ泣きそうな切実さがあった。
「もしかしてお前……またあれを使ったのか……? 今度は禁制品じゃないって言ってただろうが!」
「嘘じゃない。ちょっと混ぜただけだ。色がちょっと気に入らなくて」
「嘘と同じだ! あの白粉はもう使わないと……」
禁制品の白粉という言葉。
そしてブランドンは俳優だ。
この2つが示すものは明らかだった。
「お、おい、ブランドン!?」
そしてジルの嫌な予感は的中した。
立ち上がってマネージャーと口論していたブランドンが、突然膝の力を失ったかのように崩れ落ちた。





