舞台俳優ブランドン/もっと光を/栄養満点スパイシースープ 3
4/24 MFブックス様にて書籍として発売します。
よろしくお願いします。
嵐は過ぎ去った。
さほどの猛威を見せることはなく、古い家屋の雨漏りこそ頻発したものの川の洪水や氾濫、建物の倒壊といった大きな被害はなかった。こころなしかシェルランドの街の住民もほっとしており、太陽が燦々と降る町並みを歩いている。雨漏り修理に駆り出される大工の金槌の音や談笑の声が、店の方にもかすかに漏れ聞こえてきた。
「なあ、きみ! 俺の舞台衣装を作ってみないか? 報酬は弾むぞ!」
そんな中、再びジルの店にブランドンがやってきた。
そしてつかつかとカウンターに直行し、開口一番にそんなことを告げた。
「え、ええ……?」
嵐の如き勢いにジルは狼狽し、たまたま店の様子を見に来ていたガルダがぎょっとした目でブランドンを見る。
「おっと、いきなり言われても困るか。すまない」
「そ、そうですね」
落ち着いてくれたかとジルは一瞬ほっとする。
「だから一から説明しよう! 半年後の公演の準備をしているんだ。演目は『エンジェルズラダー・ドロップアウト』。知ってるか? 南の方にあった集落の伝説を舞台用の脚本にリライトしたものでな。変装の達人の詐欺師が、なぜか災害の予知夢を見てしまって本物の救世主になるってお話なんだが……」
だがブランドンの方はまったく落ち着いていなかった。
怒涛のごとく情報の洪水を浴びせてくる。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってください!」
「あ、忙しかったか?」
「いえ、そうではなくて……舞台衣装、ですか?」
「ああ、そうだが?」
当たり前だろうと言わんばかりの自然な返事だ。
何をどう話せば良いかジルは悩んだ。
「あー、ジルさんよ。お前さんそういう受注制作の仕事って請けてんのか?」
たまたまその場に居合わせたガルダが口を挟んだ。
「ん? 誰だいお前さん」
「ここの店主の取引相手だよ。革職人だ」
「革職人、いいねぇ! だったらあんたも話に加わってくれ」
ブランドンがぴしゃりと言って、もう一度説明を始めようとする。
ガルダさえもブランドンの強引さに押されつつあった。
そこにモーリンがため息交じりに話に割って入った。
「ほぼ初対面でそういう込み入った仕事の話をされても困るんだよ。物事の順番ってものを守ってもらわないとウチのご主人様だって困って……ご主人様?」
「舞台衣装」
モーリンが心配して話しかける。
だがジルに声が届いている様子がない。
「舞台衣装ということは……少々ブッ飛んだものであっても構わないのでしょうか?」
「あったりまえじゃないか!」
ブランドンが手を広げて、ジルの問いを大いに肯定した。
「主人公は詐欺師で、貴族のボンボンに化けたり、女装したり、あるいは幽霊に化けたり、色んな変装をする……つまり、舞台の上で七変化するってわけだよ。楽しいと思わないか?」
ジルとブランドン以外の、その場にいた全員に危機感と呆れの混ざった視線が交錯した。
こんな面白そうな話に、ここの店主が飛びつかないはずがないじゃないかと。
◆
「今まで招待状を贈る側ばかりだったので、もらう方というのは新鮮ですね」
雑貨店の休みの日。
ジル、モーリン、キャロルの三人はシェルランドの大通りを歩いていた。
彼女らの向かう先は劇場である。
「こんな風に前列のチケットもらえるなんて中々ないことですよ……! チケット争奪戦が凄くって、前列の席なんて一度も手に入れられたことがなくって……!」
キャロルは手を広げて嬉しさを露わにしている。
やれやれとジルとモーリンが微笑みつつ肩をすくめた。
「劇場は逃げないさ。まだ時間はあるしゆっくり行こうじゃないか」
「あっ、す、すみません。ついはしゃいじゃって……! でもこんなことになるとは思ってもみなくって……!」
つい先日来たブランドンは、突然様々な提案をとめどなく浴びせまくって帰ったが、実際にどうしようかとなると意外と慎重だった。後から手紙が来て「公演をご覧になって頂いた上でご検討頂ければ幸いです」という一筆とともに公演のチケットが送られてきたのだ。
「ご主人様は観劇とかしたことあるのかい?」
「あることはあるんですけど、社交の場になるから集中して見られないんですよね。純粋に劇を見るだけっていうのは初めてかもしれません」
「……気苦労が多いと確かに楽しめなさそうだね。ま、今日はせっかくの休みだし、楽しむとしようじゃないか」
「そうですね」
モーリンの苦笑交じりの言葉にジルが頷く。
そんな風に雑談をしながら歩く内に、すぐに劇場の入り口に辿り着いた。
これはなかなかどうして、美しい建物だとジルは一目見て思った。
「これは素敵なところですね……!」
赤レンガ造りの瀟洒な建物だ。正門の扉は重厚で、女神と装飾の草花が彫り込まれている。おそらくこの地方に伝わる神話か何かのものだろうが、有機的で躍動感溢れる佇まいだ。その一方で青みがかったグレーの屋根も、壁に並ぶ窓も、幾何学的かつ均等に配置され、格調の高さを演出していた。
入口の扉の両脇に控える門番は腰に剣をぶら下げているが、そこまで物々しくはない。真っ赤なチュニックには革のベルトを腰に回し、首元には飾り紐を締めている。真っ黒いシンプルな黒いズボンと相まっていかにも伊達男といった風情で、門をくぐる客ににこやかな微笑みを向けていた。
「ようこそおいでくださいまし……あっ、モーリンさん、ご無沙汰してます!」
「ちょっとやめな。あんた門番だろ、普通に仕事しときな」
モーリンが門番にチケットを見せると、門番は中で働く使用人をすぐに呼んできた。
「どうぞごゆっくり!」
「だから普通で良いんだよ普通で!」
はぁ、とモーリンがため息をつく。
ジルが苦笑しながら尋ねた。
「お知り合いですか?」
「あいつ、昔は銀鱗騎士団の騎士だったんだよ。ただ、馬に乗るのがどうにも下手で馬に乗らなくて良い仕事に転職したのさ。そのとき転職先探しを手伝ってやったもんでね」
モーリンは騎士団においては色々と功績を挙げている上に、純粋に面倒見の良い性格だ。慕う人間が妙に多く、ジルと一緒に買物や外出していると何故か誰かしらから挨拶される。「今は仕事中だよ!」と怒るモーリンを、ジルは面白おかしく眺めていた。
そうこうする内に、ジルたちは観覧席に着いた。窓はカーテンで締め切られており、昼間だというのに明かりに頼らなければならないほど暗い。座席はゆったりしており、背もたれも肘掛けもしっかりしている。ジルがちらりと見たところ、後方の座席は簡素なもので、もっと後ろは立ち見席だった。キャロルもジルと同じことに気付いたのか、ぷるぷる震えながら呟いた。
「ここ、関係者席やビップ席ですよね、これ……? 俳優さんとか脚本家さんとかいるんですけど……」
「あ、嬉しくないですか?」
「嬉しいを通り越して怖いです。我を忘れてサインもらいに行きたくなります。そのときは止めてください」
「ブランドンさんとかこないだ来たときにもらっておけば良かったですね」
「あっ、確かに……!」
ジルたちが忍び笑いをもらす。
すると、もともと弱かった会場の明かりがまた一段と暗くなると同時に声が響いてきた。
「本日はアンリ・クラリッサ平和祈念劇場にご来場頂き、誠にありがとうございます。これより公演する演目は、金糸雀座による『ロアールドの十夜』です。なお公演中は静粛にお願いします。飲食につきましても……」
その他、細々とした注意喚起をしたあとに、ごゆっくりお楽しみくださいと言って司会は言葉を締めくくった。
そして数秒後。
舞台に降ろされた幕が、ゆっくりと上っていく。
「この男です! この男が、我が愛すべき夫を殺したのです!」
けたたましくもどこか切々とした声が、観客席に響き渡った。





