舞台俳優ブランドン/もっと光を/栄養満点スパイシースープ
「忘れてんじゃねえよ、おめーよお!」
ダスクが普段のトンガリ頭をさらにどんがらせて怒鳴った。
「あそこにゃ地下水が溜まってるから気ぃつけろって言っただろうが!」
「忘れてないよ! 兄さんの説明が悪いんだろ! すぐ近くにあるなら「あそこ」なんて曖昧な言葉使うなよ!」
「なんだと!」
また、ダスクとドーンが兄弟喧嘩してる。
洞窟は天井が低いから、声が反響してうるさい。
みんなやれやれという顔をしている。
「今回はどうしたの?」
私は耳を抑えながらガーメントに尋ねた。
「穴を掘るルートを間違えそうになったんだ。まあ、ミスに気付いてすぐに作業は止めたみたいだが」
「あー、そうなんだ」
またいつものことだね、という呆れと納得のニュアンスは、正確にガーメントに伝わったようだ。彼もやれやれと共感するように肩をすくめた。
「兄に向かってなんだその口の聞き方は! おめーとは絶交だ!」
「こっちこそ!」
ダスクとドーンがツルハシを投げ捨てて、がらんがらんと音を立てた。
そこだけ妙にリズミカルで、まるで打楽器の音楽が流れているかのようだった。息ぴったりだと思わず笑いが零れそうになるけど、バレたら二人共もっと不機嫌になるから頑張ってこらえた。
二人とも途中まで黙って歩き、途中で正反対の方向に別れた。この洞窟はまだまだ狭いので、顔を合わせない方法は限られている。兄のダスクは倉庫へ、弟のドーンは厨房へと向かった。
「仲よくすればいいのに」
「仲がいいからケンカするんだろう。本音を言える家族が近くにいるだけ羨ましい」
「ここのみんなとケンカするじゃない」
「そうだな」
「おととい、ガーメントは私の顔にいたずら描きしたじゃない」
「あれはお前が寝坊したバツだ。それに魔法の絵の具だから跡も残らない」
「じゃあ今度ガーメントが寝坊したらいたずらするもん」
「ああ、やってみろ」
ガーメントが不敵に笑い、私もにやりと笑った。
罪のないイタズラを仕掛けてはやり返し、やり返され、ときには本気で怒ったり、怒られたりした。彼に驚かされ、彼を驚かす時間が、たまらなく好きだった。
「さあて、僕はドーンの方を見てくる」
ガーメントは私に「もう一人はよろしく」と暗に伝えている。こういう兄弟喧嘩の話を聞けるのは私たちくらいのものだからだ。
伯父様は自分の弟……つまり私のお父様と仲が悪いどころではなく明確に政治的な敵同士なので、兄弟喧嘩を収めようとしてもまったく説得力がない。リッチーは逆に兄に頭が上がらないのでこれもまた何も言えない。
なので、ダスクとドーンが喧嘩したときは自然と私とガーメントが仲裁役になる。もう何度目かの喧嘩かもわからないので、ガーメントとの呼吸もぴったりと合っていた。
「わかった」
私は倉庫の方へと向かった。倉庫の木箱の中は私の定位置だが、ダスクの定位置は箱の裏側の、物陰になっている場所だ。ダスクはそこでぼろきれを敷いて、腕を枕にして脚を組んでフテ寝していた。
「おう、お姫様かい」
「はい、お姫様です」
「……こう、口説き文句じゃなくて、当たり前の事実として『お姫様』って呼べるのは面白えな」
「ダスクは、お姫様じゃない人もお姫様って言うんですか?」
「女の子はみんなお姫様よ。生まれや育ちの問題じゃあねえさ」
「そういう風にナンパするの?」
ごろんと寝ていたダスクが笑いながら上半身を起こした。
「あたぼうよ……つっても、あいつの方がモテるんだけどな」
「ドーンの方が?」
「あいつ、なんていうか細かいんだよ。気遣いもできるし。仕事は真面目だし。お祭りなんかじゃ俺の方がモテるんだぜ? でも長続きするとダメだわ。俺ぁちゃらんぽらんだ。自分でもわかってんのさ」
元気を出したと思ったら、そんなこともなかった。
「なんか、イヤなこと思い出したの?」
「あいつの嫁は俺たちの幼馴染だったんだがな。俺もけっこう好きだったんだよ」
「え、ドーンって結婚してたの!?」
初めての話だ。
ダスクもドーンも、ちょっと目つきの悪いところがあるし、ドーンはモヒカン頭だ。ちょっと女の子にモテると言われて疑問符が頭に浮かんだが、結婚していたのは更に驚きだった。
「ああ。子供もいるぜ。女の子だ」
「へえー!」
「んで、俺は今だに独身よ。まあ別に気楽で良いんだけどな」
「じゃあ、外に出たら結婚相手探し?」
「いや、姪っ子にお土産買ってく。目に入れても痛くねえってやつよ」
その仕草が本当に嬉しそうで、私は思わずはにかんだ。
「その子とお友達になれそう」
「格好いいおじさんがいる仲間だ。マブダチになれるさ」
「そこはどーかな?」
「おおっと、俺が格好良すぎるか。格好良いのは罪だな」
「ポジティブ過ぎるところは凄いと思う」
私が呆れ気味に呟くと、ダスクは面白おかしそうに爆笑した。
ダスクは大言壮語を吐くし自慢するし、多分嫌いな人は嫌いなんだろう。
でも私も、そして巌窟騎士団のみんなも、ダスクのことが嫌いではなかった。
しかし、ここに暮らしてもう何日目になるだろうか。
魔法の事故によって私が召喚された日から、もう一ヶ月以上経っているはずだ。
ここでの暮らしは楽しい。
王城での息が詰まる暮らしなんかよりも、遥かに。
皆、遊びでここにいるわけでないことはわかっている。
けれど私は、ここでの生活が充実していた。
ただそれでも狭いし暗いし、太陽も雲も一ヶ月以上見ていない。私だってストレスが貯まる。みんなはもっと内心ためこんでいると思う。それでもダスクは冗談を飛ばし、げらげらと笑い、意識的なのかどうかはともかくとして明るく馬鹿馬鹿しく振る舞った。
そして弟のドーンは、兄が暴走しないよういつもフォローしつつ、寡黙に自分に与えられた仕事をこなす。
やがて来るであろう、この洞窟からの脱出の日のために。
「止まない雨はねえ。晴れねえ雲はねえ。希望はいつだってある。それがウチの家訓よ……だから、こんな洞窟にだって晴れの日は来るのさ」
ダスクはそう言って、人差し指を天井へと向けた。
その天井が、少しずつ明るくなっていく。
柔らかく温かみのある光がダスクの指先から放たれている。
これは、ダスクだけが使える特殊な魔法。
その名も【快晴】だ。
「勝手に魔法使っちゃ駄目だよ?」
「でーじょうぶだ。ちょっと湿気が貯まってたから、どのみち払っておかなきゃいけねえ。食料が腐っちまうからな」
これは、私の【照明球】とはひと味もふた味も違う。【照明球】は光で周囲を照らすことが目的であるが、ダスクの【快晴】は、「晴れ」という天候や状況そのものを召喚する魔法だ。周囲には陽の気配が満ち、湿気も寒気も消え去っていく。麦や野菜にも良い影響を与えるらしい。【照明球】のように小さな魔力で放つことはできないが、力強さや魔法としての格は、【快晴】の方が遥かに上だった。
一方で、弟のドーンは雨を呼ぶことができる。この二人の魔法があれば救われる集落も多いことだろう。
だが、二人はこの魔法を他人に見せることはないらしい。コンラッド伯父様に対しても、この洞窟で閉じ込められることになるまで一言も言わなかった。
「温かいね」
「あったけえのは良いことだ。あったけえばっかりでも駄目だけどな」
「駄目なの?」
「人生には潤いが必要だ。コンラッドの旦那がよく言ってるだろう?」
確かに伯父様はそんなことをよく言っている。そこまで深い意味で言ってはいないと思うけど……とは言わず、私はこくりと頷いた。
「俺の使う【快晴】、そしてドーンの使う【雨雲】。どっちも禁止された魔法なんだ。他人に見せちゃいけねえ」
「……どうして、って聞いていいの?」
「おめえ歳の割には言葉遣いが賢いんだよなぁ。大人の事情なんざ気にしなくて良いんだよ」
私の言葉に、ダスクが苦笑して肩をすくめた。
「だいたい聞いちゃ悪いならこんな話はしてねえさ。理由は簡単だ。ご先祖様がこの魔法を使って大失敗しちまったのさ」
「大失敗?」
「ご先祖様は、島に来た嵐を止めるためにありったけの魔力を使って止めようとした。それは大成功した……っつーか、しすぎちまった。アルゲネス島は半年間、まったく雨が振らねえ状態になっちまった」
それが本当なら、大災害だ。
一瞬冗談かと思ったが、ダスクは普段とは違って厳しいまなざしをしていた。
「まあ魔法で水は作れるが、それで助かるのは魔法が使える奴らだけだ。魔法の使えねえ農民は干上がっちまうし、食料だって不足する。ご先祖様は首をはねられちまうところだった」
「ってことは、助かったんですか?」
「おまえごときの魔法でそんな大それたことができるわけねえって、笑われちまったのさ。古代の遺産を使ってるわけでもねえし、血筋だってただの平民だ。単なる偶然が重なったんだろうってな」
私は思わず、ごくりと唾を飲んだ。
「……実際、どうだったの?」
「わからん。ただ、島全体の天候を制御するなんざ大魔法も良いところだ。俺だって何ヶ月もずっと晴れっぱなしなんてのはできねえしな。本気でこの魔法を使ったこたぁないが、仮にやったとしても普通の雨を三十分止めるくらいのもんよ。範囲だって狭い。ドーンも多分、似たようなもんだろう」
ダスクが皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「……ただ、ご先祖様が干ばつのきっかけを作ったのは間違いねえと俺は思ってる。その証拠ってわけじゃねえが、ご先祖様は責任を感じて【快晴】と【雨雲】の魔法を封印した。使わねえと国や世界が滅びそうなとき以外、空を操ってはダメだってことにした」
「さっきも使ったじゃないですか」
「ちょっとその辺を温かくしたり、水の気配を払ったりする程度なら他の魔法とそんなに区別はつかねえからな。それに、ホンモノの空に干渉しちゃいない」
正直、見たいと思った。
もちろん駄目な考えであることはわかっている。
「駄目だ。見せてはやれねえ」
「何も言ってないよ」
「顔が言ってらぁ」
「……顔で言ったかもしれないけど、本当に見たいとは思ってないもん」
「そうだな。おめえは良い子だ。踏み越えちゃなんねえ一線ってものをちゃんとわかってる」
ダスクが私の頭を撫でた。
見透かされたことを認めるようで、つい手を振り払う。
「それにどうせ私、強い魔法は覚えられないし」
「魔法の強い弱いなんてつまんねえこと気にすんなよ。俺だってケンカは弱えさ。声と態度がでけえばっかりでな」
だが、ダスクは気にせず私の頭を撫で続けた。その声は、普段のダスクとはどこか違った。妙に寂しさを感じさせるものだった。
「人間一人にできることなんざ限界があるんだ。コンラッドの旦那を見てみろ。別に旦那は腕っ節があるわけじゃねえ。それでもみんな、旦那に付いていこうって決めたんだ。それが本当の強さってもんだ」
「……うん」
私が頷くと、ダスクも嬉しそうに頷いた。
「だから、魔法は見せなくても良いからドーンと仲直りして」
「は?」
ダスクは、一瞬呆けたような顔をした。
そして弾けるように笑った。
「あっはっは! こいつぁ一本取られたな!」
「私、ケンカの仲裁に来たんです。お叱りもらうために来たんじゃありません」
「そうかそうか。だったら俺が見当違いだった。悪いなお姫様」
「わかれば良いんです、わかれば」
なおもダスクは笑い続けた。
そして私のほっぺをぷいっと引っ張った。
まるで子供をあやすような仕草に少々腹が立つ。
「こらダスク、何するんですか王女のほっぺに」
「気に入った。お姫様。俺の魔法を見せてやるこたぁできねえ。だが、教えてやらんでもねえ」
「いや、流石に怖いから要らないですけど」
「全部は教えねえ。ただ、ちょっとしたコツみたいなものだけだ」
人の話を聞いてますかと怒ろうとしたが、私はこのとき好奇心に負けて聞き返した。
「コツ?」
「天気ってのは操作するもんじゃねえ。お願いするもんだ。そしてお願いする相手ってのは何もお天道様だけが相手じゃねえ。原っぱに生えてる草や、森に生えてる木。野山を走ってる馬や猿。どこにでもいる虫。神々しいものだけじゃねえ。そこらにありふれているものやちっぽけなものを尊び、頭を下げて、どうか俺の話を聞いちゃくれねえかと頼み込む。そういうもんだ」
「……………………それって魔法なの?」
「なんでえ、そんなに変か?」
きょとんとした顔で聞き返された。
でも、私が教わった魔法の考えとはあまりにかけ離れている。
正直ちょっとびっくりした。
「……お母様は、魔法っていうのは敵を倒したり支配するためのものだって言ってた」
「うっわ、やだやだ。俺って育ちが良いからそういう野蛮なノリ嫌いなんだよ」
はぁーあと、びっくりするくらい大きな動作で肩をすくめて、海の底まで届かんばかりに深い溜め息を付いた。あまりにオーバー過ぎて笑ってしまった。
「へんなの」
「なんだよ、じゃあお前はどっちが良いんだ?」
「…………きらい」
「どっちが?」
「お母様の教える魔法。本当は、だいっきらい」
「そうだな、悲しいことだ」
「悲しいこと?」
「魔法で誰かを支配して殴り合わなきゃ生きていけねえのは、悲しいもんだ。どっかで終わらせなきゃいけねえ。魔法ってのは、みんながハッピーになるために使うのが一番さ」
◆
「召喚事故……? っていうか召喚って、何……?」
朝に目を覚ましたジルは、ベッドで目をぱっちりと開けて疑問を呟いた。
だがその答えを持つ者は、どこにもいなかった。





