仮面の貴婦人たち/もうひとつの真田/ローストポークサンドイッチ、ハニーマスタード入り 10
もうちょっとしたら色々と告知します
噂や伝聞ではない、客観的事実として。
まず第一王女ジルはコンラッドに養育されていたが、十歳になった頃にコンラッドが前線へ出征すると同時に王・王妃夫妻の手に渡った。
だがジルが王城で暮らし始めて程なくして、謎の病がジルの身に降り掛かった。病気の種類や原因は不明だが、症状はごく単純なものだ。眠りから醒めない。一日に20時間以上睡眠を取るのが常態化していた。
医師や薬師、治癒魔法の使い手、そしてアラン王が解明に乗り出したが、一向に改善の様子を見せなかった。どの専門家も「特に異常はない」という判断しか下せなかった。そんな医師たちの努力を裏付けたのか裏切ったのか、ジルの病は半年ほど経った頃に突然治った。
実際に、シャーロットがスコットの名代として見舞いに行った記録が残っている。しかもそのときシャーロットが連れていった薬師が、この街でまだ現役で働いていた。
ジルはその薬師の居場所を聞いて訪ねた。
すると、そこにいた老婦人の薬師は大いに驚いていた。
「な、なんと、カニ屋の店主とはジル様だったのですか!?」
「ですから、カニ屋ではなく」
しかも薬師の居所は雑貨店の近所で、徒歩10分以内という近さだった。そこで薬師は薬草店を営んでいる。普段は療養所に薬を卸しているが、その力量は周囲の誰もが認めているらしく、頭痛や不眠、はっきりとした病気ではない体の不調などの診断においてはそこらの町医者よりも的確で、居場所を尋ねれば誰もが薬師を褒め称えた。
シャーロットは領主の側に仕える御典医にならないかと誘ったが、街の中で多くの市民の病を治したいといって固辞したのだそうだ。シャーロットは断られたことに怒るどころか感銘を受け、より一層この薬師を信頼するようになった。そうした経緯でジルの見舞いにも付いて来てもらったらしい。
「……それで私は、隣の森で住みながらお店をやっています。シャーロット様の知己となれば伯父のコンラッドのこともご存知かと思いますが、それと似たような立場と思って頂ければ」
「コンラッド様と仰られると、より一層恐縮するのですが……」
薬師が困り顔で微笑んだ。そこにジルはすかさず土産物を出した。喫茶店で作った焼き菓子の詰め合わせだ。恐れ多いと遠慮していたが、ジルが「ご近所の縁ということで」と言うと薬師は顔をほころばせた。
「そういうことであれば、ありがたく頂戴します。……いえ、実は孫が雑貨店に行きたいといってたので菓子もきっと喜びます」
「あら、そうでしたか。そのうち遊びに来てください」
薬師がジルの言葉に笑った。
「本当にごく普通のご近所さんですね。妙な気分です……あのときはお話することもできませんでしたが、こうしてお元気になられて良かった」
「……実は、そのときのことが本題なのです」
「本題?」
「私は、伏せっていたときの記憶がまるでないのです。実際に診てくれたというあなたに、当時の私の状況を聞かせて欲しいんです」
ああ、と薬師が納得したように頷いた。
そしてぽつぽつと語り始めた。
「はい……七年前のことはよく覚えております。最初は当代の王の子と聞きひどく緊張しておりましたが、コンラッド様が大事にしていた人と聞き、シャーロット様の求めに応じて王都へ参ることにしました」
「はい」
ジルは神妙に耳を傾け、相槌を打つ。
「そのときのジル様は、王都の離宮で静かに眠っておられました。多くの医師や治癒術士がいて、様々な治療が試されていたようですがどれも効果はなく、全員困惑していた様子でした」
「特に異常はないということでしたね」
「異常がない……というより、むしろ健康だったように思います」
「健康?」
薬師が、その当時の困惑を思い出したように曖昧な表情で頷いた。
「脈はまるで起きているときのように上がることもあれば、本当に寝ているように健やかなときもあり……。楽しそうな表情をしていると思えば、怒った顔もしていました。まるで、夢の中で楽しく暮らしているような」
「夢の中で……楽しく暮らしている」
「少なくとも、私にはそうとしか見れませんでした。肌つやもよく、食事もできないのに何故か体の衰えもありません。どんなに軽い病であっても床に臥せっていれば必ず床ずれを起こすのですが、それすらもありませんでした」
「それは……自分のことながら不思議ですね……」
「私のような薬師や医者はお手上げで、治癒術士は諦めずに魔法を掛けていたようでしたが特に芳しい成果はありませんでした……。あ、そういえば」
薬師の言葉が途切れた。
何か記憶を探るかのように考え込み始めた。
「何かありました?」
「そういえば……気になることを言っていた人がいました。正統な治癒の魔法使いではなく、辺境に暮らす祈祷師という触れ込みの老人でした」
「その人が、なんと?」
「まるで、魂だけがどこか別の場所へ行っているようだ、と」
「魂?」
ジルは、何か引っかかるところがあり反射的に尋ねた。
薬師は思わず苦笑する。
「すみません、私もその人が何を言っていたのかはよくわかりませんでした。どうもふわっとした話が多くて。ただ……。『ジル様の魂魄はここではないどこかで規則正しい生活をしていて、それが肉体へと返ってきている。だから何もない状態との差異が出ないのだ』といったことを話していました」
「ここではないどこか」
ジルはぽつりと呟き、沈黙して考え込み始めた。
薬師が心配して声をかけた。
「ごめんなさい、とりとめのない話ですのでかえって混乱させてしまいましたね」
「いえ、とても参考になりました。ありがとうございます」
よろしければ、と言って薬師が菓子の礼に薬草茶を差し出した。
七年前、ジルの僅かな起床時間中に飲んだことがあるものらしい。
薬師の優しさを覚えていないことに悲しみを覚え、だがこうして自分を思いやってくれた人に会えたことに温かさを覚えていた。
◆
七年前、自分の身に何が起きたのかジルは少しずつ掴み始めていた。
恐らく自分は、王城で眠っていると同時に、あの洞窟にも恐らく存在していたのだ。
だが、何をどうすればそんなことが起こりうるのかはさっぱりわからなかった。
まだ肝心なことを、思い出せていないという感覚がジルにはあった。
ただ感じていたのは、あの仄暗くも温かい、洞窟への郷愁。
そして今日も夢を見る。
忘れてしまったものを取り戻したくて。





