仮面の貴婦人たち/もうひとつの真田/ローストポークサンドイッチ、ハニーマスタード入り 9
※次回は3/9頃になります
かたん、かたんと、リズミカルに織り機の音が店内に鳴り響く。
「ああ、懐かしいわ、見た目は違うけど昔の機織りと同じね……!」
「そうですね。ただ普通の生地とは違ってふんわりさせない方が良いですよ。固くすることと、横幅を揃えることを意識して横糸を締めると、きれいな紐が仕上がっていきます」
雑貨店の壁際のテーブルに、品の良い老婦人が座って織り機を動かしている。
そのすぐ隣にジルが座り、真田紐の織り方を教えていた。
傍から見ればとても仲睦まじく、まるで祖母と孫娘のようだ。
「昔はこうやってみんな自分の服の生地は作ってたのよね。普段着も、王宮の夜会に出るドレスも、こうして自分で糸から生地を織って、そこから切って服に仕立てて……とても大変だったわ。今じゃ生地が手に入りやすくなったし、服そのものも売ってることが増えたけど……たまに昔が懐かしくなるのよ」
「シャーロット様の仕立てたドレス、見たかったです」
「大したものじゃないけどね、ふふふ」
真田紐を気に入ったシャーロット夫人が、お忍びで雑貨店に遊びに来ていた。たまたま店舗スペースに置いておいた織り機を見てひどく気に入った様子で、ジルが「良ければ織り方、教えましょうか?」と提案して一緒に織り機を動かしていた。
そんな和気藹々とした空気を出す横で、モーリンはエミリー夫人が来たとき以上にがちがちに緊張していた。領主館の影の支配者であり、この街の貴族子女や侍女たちにとっての頂点に立っているのがシャーロットと言っても過言ではない。
無体なことや曲がったことを嫌う公明正大な人物ではあるが、逆に言えば筋の通らないことは誰であっても大音声で叱り飛ばす。戦争が激しかった時代を老獪な領主と共にシェルランドの平和を現在まで守り通した女傑だ。家族でもない限り、シャーロットに緊張を覚えない女などこの街にはいなかった。
「お茶が入りました」
「あら、騎士団にいたモーリンじゃないの。お久しぶりね」
「お、覚えて下さって光栄です!」
そんな緊張したモーリンに、ジルは「後は任せて」とばかりに無言で視線を送る。モーリンは安堵の息が漏れないようしずしずと下がっていく。またキャロルはもはやキャパシティーオーバーになって使い物にならない状態だった。
「……良いお店ね。あの暴れん坊だったモーリンがこうしてお店を大事にしてるんだもの」
「ありがとうございます。モーリンさんにはいつも助けてもらっています」
ジルが嬉しそうに頷いた。
「今時のものばっかりかと思えば、こういう織り機も使えるし……若返った気分よ。私ももう少し若かったら、エミリーみたいに仮面を付けて遊びに来たかったわ」
「あっ、ご存知でしたか」
「だって、仮面を付けて夜会を開くのって私が言い出したんだもの」
「ええっ!?」
シャーロットが言うには、身分の高い女性が仮面を付ける風習が始まったのは四十年ほど昔に遡るらしい。当時は今ほど豊かではなく、娯楽も限られていた。街もここまでの大きさではなく、異国からの軍隊や盗賊の集団が来たらひとたまりもない。身分の高い者も低い者も、寄り集まって協力しなければならない、そんな朴訥とした街だった。
しかしスコットの尽力で少しずつ平和さと豊かさを手に入れていった。それと同時に、格差も顕著になってきた。富が流入し、生活習慣が大きく様変わりし、昔であれば川辺で一緒に洗濯をしていたような奥方同士の仲にひびが入ることも増えた。
そこで、「たまには普段の素性など忘れて昔のように遊ばないか」とシャーロットが言い出したのだ。こうして、収穫祭や夜会のときに仮面を付けたり仮装をするという風習がシェルランドの街の伝統となった。
「そうだったんですか……」
「だから、仮面を付けてるときはあんまり礼儀作法にうるさくしちゃ駄目なのよ。普段は私がうるさくて怖がられてるんだけど」
シャーロットが微笑み、ジルもつられて微笑んだ。
織り機の木と糸が擦れ合う音が静かに響く。
「……こうして織物をしていると、嫁ぐ前の実家を思い出すわ」
「今どき、本格的な機織りは魔法使いのいる工房でやることが増えましたもんねぇ」
「お金で買えて便利なのは良いけれど、私みたいな古い人はどうしても昔が懐かしくってねぇ」
「こういうものは古びないのかなと思います。いっそ織り機をここに置いて真田紐教室でも開こうかなって思いまして」
「あら、それは良いわねえ……。あの子のことを思い出すわ」
「あの子?」
「コンラッド坊やのことよ」
坊や。
ジルにとってもっとも尊敬する大人であり、親代わりの存在だ。確かに少々茶目っ気のある人物だったが、まさか坊や呼びできる人が身近にいるとは流石にジルにとっても驚き、そして面白かった。
「ぼ、坊やですか……あはは、確かにちょっと子供っぽいところはありましたけど」
吹き出すのをこらえながらジルが尋ねる。
「本当にわんぱく坊やだったわよ。『俺の料理は俺だけのものだ、誰にも教えねえ!』とか言いながら、弟子入り志願の人に教えてあげてたのよ。厨房も見せてあげたりして」
「よく覚えておいでなのですね。もっとお話を聞かせて頂いても?」
「ええ。幾らでも話すことはあるわよ。この街にいた頃は本当にやんちゃで、夫が手を焼いていたわ。あの子が子育てするってことになって王都に戻ったときは夫が不安がってね。私がかわりに様子を見に行ったのよ」
「え、そうだったんですか!?」
ジルはまるで覚えていなかった。スコットと話したことはおぼろげに覚えていたが、シャーロットとはてっきり初対面だと思っていた。だがシャーロットは気にした様子もなく微笑んだ。
「覚えてないのも当然よ。一度目は、確かあなたが1歳になったばかりの頃ね。あのやんちゃ坊主が子煩悩なパパになって、本当に驚いたんだから」
「まあ、やんちゃ精神はずっと根付いてた気はしますが」
「あらまあ」
くすくすとシャーロットが笑いを漏らい、ジルもつられて笑った。
「こうして話してると伯父様のことを思い出します。ところで、二回目というのは……?」
そのジルの問いかけで、シャーロットの表情に陰りが差した。
「そうね……あのときのあなたは、伏せっていたから」
「伏せっていた?」
「七年前になるかしら。私とスコットは王都に行っていたの。理由は……コンラッド坊やが戦死したという知らせを受けたから」
ああ、そうかとジルは納得した。王子の死ともなれば国の葬儀となる。領主夫妻が呼ばれるのもごく自然なことだ。それも直接の面識があり親交があったとなればなおさらだ。
だが、ここでジルは疑問に気付いた。
「あ、あれ……? 伯父様の葬儀……?」
「あれ、覚えてないかしら? ちょうどその頃、あなたは病気で伏せっていたのよ。確か……半年くらいって聞いたわ。コンラッド坊やが戦地に行ってから一日のほとんどを眠るようになって、起きても夢遊病みたいな状態だったとか……」
まったく覚えていない。
そんな思考が、ジルの表情にありありと出ていた。
シャーロットは、いたわるようにそっとジルの頭をなでる。
「高い熱が出ると記憶が飛ぶということはあるから、それできっと覚えてないのでしょうね……あの人の死も、きっとつらかったことでしょう」
シャーロットの手の温もりに、ジルは泣き出したくなるような気持ちを抱いた。まるで、本来のあるべき家族のようだ。
「……私は、コンラッド伯父様の娘であれば良かったのにと、何度も思いました。父と母が、たまらなく恐ろしかったです」
「あなたとコンラッド坊やがどういう日々を過ごしていたかはわからないけれど、今のあなたを見ればわかるわ。きっとコンラッド坊やは、あなたを娘のように想っていた。性別は違うし性格も違うけれど、あの坊やが抱いていた大事なものはきっと受け継いでいる」
「大事なもの?」
「当たり前の日々を大事にしようとする心よ」
静かで優しく、だがどこか力強い言葉に、ジルは胸を突かれた。
「あの子は怒りっぽいところもあったけれど、どんなに苦しいときでも、誰かを笑顔にしようとしていた」
この人の言葉の内側に、幸福な家庭の姿が見えた。
そのまま心を委ねてしまいたいというジルの気持ちを、立ちはだかる謎が重しとなって引き止めた。
「シャーロット様。私のこと……私が伏せっていたときのことを、もう少し教えてくださいませんか?」
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