仮面の貴婦人たち/もうひとつの真田/ローストポークサンドイッチ、ハニーマスタード入り 8
試作の織り機が出来た後もジルとガルダは改良を重ねた。できるだけ簡単かつ、糸が絡まないような機構になるよう工夫し、同時に長くしっかりした真田紐が織れるよう性能を高めていった。
気付けば、ガルダの方が織り機制作の方に本腰になっていった。設計や構造に関してジルよりも詳しくなり、「素晴らしい逸品に仕上げてみせるぜ」と豪語していた。ジルはやれやれと思いつつ真田紐を織る方に注力した。
「で、こんな感じにできちゃいました」
皆が織り機そのものに夢中になっている横で、真田紐の凄さに気付いたのはモーリンだった。
ファッション性の高さ、素材の安さ、耐久性の高さという三拍子が揃った紐を高く評価した。
「ご主人様、これは良いよ……! 色んな色が楽しめるし、頑丈だ。ベルトみたいにして腰に巻いても良いし、荷造りの紐にもできるね……!」
モーリンは、ジルの作業部屋で目を輝かせながら真田紐を手に取っていた。
「それに作り方もわかりやすい。機織りをやったことがあるなら誰でもできるよ」
「卓上織り機は今ガルダさんの方で改良を重ねてます。モーリンさんの分も作ってもらいましょうか」
「そうしてくれると嬉しいね。自分で紐を作ってみたいよ」
「ただ、ガルダさんは紐の方がちょっと不評でしたけどね。悩ましげな顔をしてました」
ジルの言葉にモーリンがあははと笑った。ガルダは途中で、「これが一般的になったら革の需要が減るのではないか?」と心配し始めたのだ。
「まったく、自分から手伝っておいてそりゃないだろう」
「まあでも、心配はわかるんですよね。でも棲み分けができるとは思うし、商売を始めるにしても革の領分に入らないようにしようとは思いますが」
「革の重厚感はこの真田紐にはないし、真田紐の手軽さは革にはないし、大丈夫とは思うけどね……で、そろそろ教えちゃくれないかい?」
モーリンの質問に、ジルはきょとんとした。
「すみません、何のことです?」
「いや、なんで領主の奥方へのプレゼントにこの紐を作ってたんだい。そもそも茶器の直しだったじゃないか」
「あ、しまった、紐作りに夢中で忘れてました。茶器と紐がセットなのが当たり前って頭になってて……」
「こらこら」
モーリンが呆れて苦笑した。
「すみません説明しますね。まず、茶器の直しはもう完了しています。合間合間にちょこちょこやってたので」
「なんだ、できてるんじゃないか」
「ただそのままお渡しするのも芸がないなぁ……と思いまして。ただ奥方様はあまり華美なものは好まれないのでどうしようかと迷っていたのですが……」
ジルはそう言って、モーリンに小さな木箱を見せた。
丁度、ティーカップが入る程度の大きさだ。
肌面は丁寧に磨かれておりほんのりとした光沢感があるが、さほど珍しい物ではない。
「まず、ここにティーカップを入れます」
「紙箱とか化粧箱じゃなくて、これに入れるのかい?」
「はい。紙箱のかわりに木箱を。そして箱を締めるリボンのかわりに……」
ジルが、真田紐を使って箱を縛った。
白の強い木の肌に、色鮮やかな真田紐が映える。
端正な佇まいだ。
極端な華美さは無いものの、不思議な存在感があった。
一言で言えば、渋みがある。
「これが真田紐の正しい使い方の一つです」
◆
領主はいつも忙しい。
スコットは七十を過ぎた老人でありながら、あまり休みがない。トラブルは平日休日の区別なくやってくるし、トラブルに振り回されて平時の仕事を疎かにもできない。他の領地との付き合い、王都や中央との付き合い、領内の安堵。すべての責任がスコットの肩にかかっていると言っても過言ではない。
「シャーロット。そろそろ昼飯とせぬか。茶でも飲もう」
だから、一日の中における休み時間はきっちりと取るようにしている。よほどの火急の用でない限りアポイントは断る。お忍びで娘や孫娘のところに行くこともあるし、妻とともに茶を楽しむこともある。
「あら珍しい。てっきり孫のところに行ってたと思ったら屋敷にいらしたのね」
スコットの妻、シャーロットは白髪の老婦人だ。しかし凜とした雰囲気、きびきびした佇まい、目にも言葉にも力があり、白髪以外に年齢を感じさせるものはない。仕事に厳しく倹約を旨としており、エミリー夫人とはまた違った意味でのカリスマがあった。
式典などのない日は麻布を縫った昔ながらの服を着ているが、決して粗末な雰囲気はない。むしろ古の賢者や魔女のような静謐な雰囲気のある女性だった。
「良いではないかたまには。それにエミリーは中々外に出られんのだから、こちらから連れ出してやらんと息が詰まるだろう」
「心配なのはわかりますが、甘やかし過ぎてはいけませんよ。あなたの名前を出されたらバイロンさんのご家族も困るでしょう」
「それはわかっとるさ。今日は朝からずっと屋敷におったし」
「執務室にはいらっしゃらなかったようですけど?」
そんなシャーロットは、家族に対して小言が多い。
夫であるスコットに対しては人一倍多い。
「まあまあ、色々と理由があるんじゃ。許してくれ」
「私が許す、許さないの話ではありません。良いですか、領主たるもの……」
スコットはこうなるといつも頭が上がらない。
むしろ不快ではなかった。
シャーロットもあえてスコットに手厳しくしているところがある。
そうでもしなければスコットを叱り、反省を促すことのできる人間がいないからだ。
シャーロットの表面的な厳しさは、夫の秘められし孤独を慰めることの裏返しでもあった。
「おっと、そんなことを言ってよいのかな? 今日の茶は取っておきなんだがのう」
「あら? 我が家伝統のものではないの?」
「あれは飲みやすくて落ち着くが、たまには大人の楽しみ方もええじゃないか」
「ふふ。大人の楽しみって、私たちもう老人じゃないの」
だが今日は少々様子が違った。
どことなく嬉しそうなスコットに感化されたのか、態度もくだけてきた。
「若い頃によく飲んだ茶葉が手に入ってな。エンリウ茶導師の跡を継ぐ者が現れて復活したのよ」
「まあ! 懐かしいわね……!」
エンリウとは、茶葉のブランドであると同時に、茶葉を作る高名な茶導師の名である。やや渋みが強く、それ以上にスパイシーな香りがあるクセの強い茶だ。娘や息子の舌には合わず、もう少し優しい味の茶葉をブレンドして味わうのがスコットたちのここ数十年の習慣だった。
そのうち茶葉を作る茶導師が他界して入手が難しくなっていたが、スコットは懐かしの茶葉が手に入りこの日まで密かに取っておいた。
「で、朝食というのは?」
「少々早起きしてサンドイッチを作ってきた」
「早起きって言っても、いつものアレでしょう?」
「仕方なかろう、儂に作れるのはこのくらいのものじゃ。面倒な料理なんて忘れたわい。それにお前も好きじゃろ」
スコットの得意料理、それはローストポークだ。
正確には得意料理というよりも「これくらいしかできない」と言って良い。
豚の肩ロース肉に下味を付けて、余熱したオーブンに入れて一時間ほど焼くだけだ。あまり火が強くなりすぎないように気をつける必要はあるが、その勘所は体に叩き込んである。
そこにかけるソースも、蜂蜜とマスタード、マヨネーズを混ぜるだけだ。だがしっとりとした肉と甘辛いソースが混ざりあったローストポークは、シンプルであるがゆえの美味しさがある。
これは、コンラッドがスコットに伝授した料理だった。スコットが孫の誕生を祝って羽目を外しまくって何度も何度も宴会を催して、侍女たちがうんざりし始めたあたりでシャーロットがスコットに雷を落としたことがあった。
そのときに仲裁したのがコンラッドだった。普段のスコットは料理、文化、芸術と好きなことばかりしている遊び人のコンラッドを叱る立場だったが、そのときばかりは「ちったぁ嫁の苦労でも味わったらどうだ?」と上から目線でコンラッドに皮肉を言われる立場となった。
スコットは悔しがりつつ、料理を教わった。一番身についたのがローストポーク、ハニーマスタード仕立てである。それをレタスやトマトを混ぜつつパンで挟んで簡易な朝食を用意してシャーロットに出し、ようやく夫婦喧嘩は収まった。
ちなみにこの夫婦喧嘩から和解までの話を侍女が街に伝えて、夫婦円満の料理として『スコットサンド』として広まったのだった。シャーロットも、口では憎まれ口をたたきつつも目の前に出されたスコットサンドを嬉しそうに見つめていた。
「食べる前に伝えておくが、アレができあがったんじゃよ」
「ああ、だから茶葉を買ったり朝食を作ってきたわけね。てっきり何か買いたいものでもあるのかと思ったわ」
「疑り深いのう。そのくせ自分の誕生日は忘れておるくせに」
「あっ!」
シャーロットが頬を赤らめてはにかんだ。
「今、息子らも食事やプレゼントの用意をしてるが、その前に儂だけ抜け駆けじゃ。こっそり楽しんでから行くとせんか」
「まったく、子供らより先に祝いたいなんで子供なんですから」
「まあええじゃないか。さ、これを開けてみると良い」
スコットが、隠していた桐箱を取り出した。
締められた紐以外に装飾は何もない、ごくごくシンプルなものだ。
だがこのシンプルさがシャーロットの心をくすぐった。
「何ていうか、落ち着いた雰囲気ね……? あら、紐もしっかりしてる。これは何かしら」
シャーロットは開封せずに箱を手に取り、しげしげと眺めている。
特に、箱を結んでいる紐に目を奪われていた。
紐は白地で、縁が黄色で彩られている。
明るい色合いだが宝石のような煌びやかさない、静かな佇まいをしていた。
「サナダヒモ、と言うそうじゃ。染めた糸を織ったと聞いておる」
真田紐。
ジルがこれをプレゼントに添えようと思った切っ掛けは、耐久力に強いことや伸びにくいこと、あるいは織物特有のデザイン性に惹かれただけではなかった。
それは、『アカシアの書』で読んだ本の中で、茶器を仕舞う茶道具として扱われていたからだ。
もともと真田紐を解説する本が書かれた世界において、漆の塗り箱に茶器を仕舞い、絹の組紐で締める、高級なしつらえをするものであった。だがそこでとある茶人が、庶民にも茶の湯を広めるため真田紐を使うことを広めたのだそうだ。
また真田紐は頑丈であると同時に、色や柄を好みのものにできる。そのため様々な流派や家、個人の名刺代わりにもなるらしい。また、痩せ細った土地に住む者が真田紐を編むことを生業にしていたこともあった。ジルはここが気に入った。富める者でも貧しい者でも手に取りやすく、編み方次第で自分らしい楽しみが味わえる。美しさとその価値は、伝え聞かされたシャーロット夫人の人となりからしてきっと伝わるだろうと、ジルは思っていた。
「これは織物なの? へえ……こういうものもあるのね……」
「これこれ、プレゼントの本命は箱の中身じゃぞ。まあその紐も箱もプレゼントじゃが」
「あら、ごめんなさいね。興味深いものだから」
シャーロットが箱を開く。
そこに現れた茶器に、シャーロットは目を見張った。
「あら……!」
金継ぎのカップとソーサーがそこにあった。
そしてシャーロットは改めて紐を見る。
紐と中のカップを、同じ色合いにしたのだ。
わかりやすく、洒落が利いている。
「ジル様の仕込みは面白いじゃろう?」
「ええ、とても……。あの御方を思い出すわ」
シャーロットの言葉に、スコットは深く頷きながら優しげな声で呟いた。
「そうじゃのう……遊び好きなところも、何気ない心遣いも、もしかしたらコンラッド様よりも濃く受け継いでいるのかもしれん」
「あの人の催す茶会や晩餐会は誰もが心躍ったわね……」
このときのシャーロットの目には、過去の美しい思い出が写っていた。
「準備に駆り出された侍女の私でさえ、楽しくて楽しくて仕方なかったわ。陰険な外交官や異国の王族でさえ、あの人の前では子供みたいに無邪気に楽しんで。あの頃の王宮は毎日がお祭りみたいな騒ぎで、明るくて、みんな笑顔だった」
「そうじゃのう……」
「先代の王妃、クラリッサ様が暗殺されて……クラリッサ様の遺志を継ごうとしたコンラッド様もいなくなって……。あの人たちが今もいれば今も平和な世であったでしょうに……。ああ、なんて惜しい人を亡くしたのかしら」
わなわなとシャーロットの手が震えた。
スコットは、そこに自分の手を重ねた。
「亡くした人は戻ってはこない。だがその気風は今も残っているのだ。こうしてカップが蘇ったように」
そして優しく握りしめて抱きしめた。
「ご、ごめんなさいねあなた。私ったら恥ずかしい、昔のことなのに」
「良いのだ、シャーロット」
そしてスコットは、心を込めて紅茶を淹れ始めた。茶葉の香りと温かみ、そしてサンドイッチから漂う香ばしい香りが、シャーロットの心を溶かしていく。
「さあ、冷める前に食べよう」
スコットのじんわりとした微笑みに、シャーロットは目尻を拭って頷いた。





