どのご家庭でも簡単にできる染め物タイムアタック 入門編
そこからのジルは、ひたすらに行動した。
庭に実っていたリンゴで空腹を補い、ついでにカラッパに餌を与えて手当を施し、そして王城を出るときに与えられた支度金で針や糸、布生地、ハサミ、その他、細々とした材料や道具を調達することにした。
足を生やして完全回復したカラッパに乗り、森から出てシェルランドの町へと向かった。
すでに夕暮れになりつつあり、ジルは急いで町の門をくぐって門番に道具店の場所を尋ねた。門番は「何者だこいつ」という顔が出ていたが、ジルは急いでいると押し切って場所を聞き出した。幸いにも門のすぐ近くに道具店はあった。
「お、お嬢ちゃん、もうすぐ夜だってのに買い物に来られても困るよ……いや良いんだけどよ」
「あ、すみません」
道具店の店の主人は体格の良い男で、いかにも力自慢ですといった風貌だ。
だが、ジルを見て主人の方が困惑や恐怖を感じていた。
不思議に思いつつもジルは商談を進めた。見慣れない顔と儚げなたたずまいで現れたおかげで幽霊か何かと勘違いされているなどと、このときのジルはちっとも思いつかなかった。
「それで……ええと、注文は布生地と裁縫道具だったな?」
「はい」
「針やハサミはあるぜ。麻と木綿の生地もある。それとハギレも要るか? 余っちまってよ」
「じゃあハギレも下さい。ところで絹はありますか?」
「いやいや、無茶言うなよ。そんな高級品はウチにゃあないね。あ、だがマシューの野郎に頼めば手に入るな。知り合いの商人なんだが、話はしておいてやっても……」
「行けそうですね? じゃあ前金を預けておきますね。生地がなければ糸でも構いません。あ、ついでに色糸もあれば買いますので」
「えっ!? い、良いのか?」
ジルが無造作に金貨を店主の前に置くと、店主はやたらと驚いていた。
「手に入るなら問題ないです。無理ならやめます」
「い、いや、大丈夫だ。任せてくれ」
「あ、それと薬を扱ってるお店はありますか? ミョウバンがほしいんです。それと茶の葉を扱ってる所も教えて頂ければ」
「薬品はウチじゃ扱ってねえんだ。向かいの白い建物に薬師の店がある。もうすぐ店が閉まるから急いだほうが良い。茶葉はウチにもあるが……」
「じゃあそれも下さい。包み一つ分で構いません」
そう言ってジルは踵を返し、店を出て行こうとする。
「おう、それじゃ……って、おい! まだ出ていくなって! 絹の生地はどうすんだよ! どこに住んでるか教えてくれなきゃ届いたときに困るだろう!」
「あ、街の外の森の屋敷です。森は危ないので私から取りに伺います」
「はぁっ!? あっ、あの屋敷に住んでる!?」
ジルは店主の叫びのような疑問には答えず、そそくさと立ち去り他の買い物を済ませた。
完全に日が暮れれば町の正門の門限が来る。
門番に身分を明かせば門を開けるくらい造作もないことだが、こんなことに権力を振るいたくはなかった。
ただ門番に「こんな時間にどこへいく?」と尋ねられて森の屋敷に帰ると返すと、門番も道具店の店主のようにひどく驚いていた。ジルは特に気にせず、荷物をカラッパに乗せて森へと一直線に帰った。
屋敷周辺の森の魔物は驚くほど大人しい。
完全にジルを主と認めたようだった。
それさえもジルは気にしなかった。
ジルの優先順位のトップは、揺るがなかった。
「すぐに作業に取りかかれそうですね……!」
屋敷の厨房のテーブルに、色んなものが並べられている。
まず、今買ったばかりのハンカチほどの大きさの端切れの布。
薬師から買ったミョウバン。
そして庭で摘んだ草花と紅茶だ。
「まずは簡単なものから始めましょうか」
ジルがやろうとしているもの。
それはどのご家庭でもできる染め物――草木染めだった。
◆
草木染めとはその名の通り、植物を使って布を染めることである。
染め物と言うと難しい職人技というイメージを持たれるが、草木染めの手順はシンプルだ。
まず植物を煮出して色素を取り出し、染液を作る。
綺麗に洗った布を染液で煮込み、色素を布に移す。
移った色素を布に定着させる「媒染」という処理を施す。
細々とした下準備や水洗いなどもあるが、基本的にはこの三つだ。布の方は、シルクやウールなどがやりやすい。染め物においてはタンパク質と色素が結びついて色が定着するためだ。
それ以外の、タンパク質が含まれてない植物性繊維……たとえば麻や綿などは色が定着しにくい。それらを染めるためには染め物をする前に牛乳や豆乳といったタンパク質の液体を染み込ませる必要が出てくる。
だがその一方で、染料につかう植物の方は何でも良い。植物の数だけ染料や色のパターンがあると言っても過言ではない。
例えばアカネの根っこを使えば、その植物の名の通り茜色に染まる。色の名前と染料に使う植物には深い関係がある。だがタマネギの皮や、紅茶を淹れた後に残った茶葉など、誰にでも手に入る素材でも染料にすることができる。
ジルは今まで草木染めのやり方など知らなかった。刺繍が趣味で、すでに染められた糸や布生地を扱うことは多かったが、自分で染め物をしたことはない。草木染めのことは、コンラッドの残した遺産……アカシアの本で知ったものだった。
「『家庭でできる染め物』……うんうん、頼りになりますね」
ジルがアカシアの本を、染め物の入門書に変身させた。
この本は、最初にジルが手に取った『自分の服は自分で作る ワンピースからドレスまで』とは性格が違っていた。『家庭でできる染め物』は、ハンドクラフトや染め物の初心者が読むのに最適な入門書だった。具体的にどんな道具を利用してどうすれば完成品ができるのか、写真付きで手順が事細かに書いている。
最初はさほど物珍しさを感じなかった。染め物自体は魔導王国やその他の国でも当然ありふれているからだ。本に掲載されているサンプルほどの鮮やかさはなくとも、ジルが今着ている服にも使われるありふれたテクニックだ。
だが今、ジルが持っている2つの要素が、草木染めという技法とぴったり噛み合った。
「アカネもベニバナも森の中で見つけましたし、タデアイもありましたね。ま、最初は簡単にタマネギの皮で試してからステップアップしていきましょうか……」
屋敷周辺の森には、凄まじい種類の草花が自生している。
染料植物がいくらでも手に入るのだ。
「【水生成】、【加熱】」
ジルが魔法を連続で唱えた。
一瞬で小鍋にお湯が満ちる。
ジルは湯を95度付近、ぐらぐらと煮立つ寸前の手前でキープする。
その小鍋に、タマネギの皮を放り込んだ。
「やっぱり魔法を使うと染め物が手早くできますね……【液体操作】」
本来、ここからタマネギの皮を20分から30分ほどじっくり煮て、染めるための液を作り出す必要がある。
だがジルには魔法があった。
ジルはあまり人に他言していない特技があった。水や液体を操作する魔法と、熱を加える魔法を同時に加えることで、一晩煮込み続けなければ出来上がらないようなシチューや煮込み料理を一瞬で作ることができる。それを染め物にも応用したのだ。
タマネギの皮に含まれる色素が一瞬で搾り取られ、湯が濃い赤茶色へと変わった。
「ここでタマネギの皮を取り出して、ハギレを入れて、と……」
十分に色が抽出された染液から皮を取り除く。
ここでも細やかに魔法で湯を操作し、崩れた破片となった皮を一つ残らずおたまですくい取る。そして染液だけとなった小鍋に、小さな木綿の布を投入した。
20センチ角の正方形で、端っこを縫うだけですぐにハンカチにできそうな布だ。これはすでに牛乳でタンパク質処理などの下準備は済ませている。ジルはここで更に【液体操作】の魔法を使い、一瞬で布を染めた。
先程まで白かった布は、タマネギの皮の色をやや暗くしたような赤茶色へと変わった。
これはこれで渋みのある雰囲気だとジルは満足する。
だが今ジルが目指しているのは、もう少し華やかなものだった。
「よし……次は媒染ですね」
媒染とは、染め物を色落ちしにくくすると同時に発色を良くする技法だ。
植物の色素が金属と反応すると、色素がより強く繊維と結びつくためである。ちなみに黒豆を煮たりナスのぬか漬けを作るときに釘を入れると色鮮やかになるのも、この媒染と同じ原理だ。
そして草木染めの媒染にもっとも使われるのが、ミョウバンだ。
ジルは町の薬師から一袋買い込んでいた。見た目は粒の大きな塩のような白い粉だ。ダイラン魔導王国においても媒染剤として、あるいは止血剤として使われている。魔導王国の属国のオルクス占星国では鉱山が多く、ミョウバンも豊富に採掘され各国に輸出している。決して安くはないが、一般市民が買えない金額でもない、そこそこありふれたものだ。
ジルはこうして手に入れたミョウバンを湯に溶かして媒染液を作った。そして染めたばかりの布を魔法で軽く水洗いして媒染液に浸すと、布の色合いが変化した。
「なるほど……こういう風になるわけですか」
染料に使ったタマネギの皮と同じような暗めの赤銅色をしていた布が、明るい黄色になっていく。これがミョウバンの効果だった。
「それでは仕上げといきましょうか……【液体操作】【乾燥】」
次の工程は、水洗いと乾燥だ。
実際の草木染めでは工程の合間合間に細やかな水洗いが必要になるが、ジルはこれも魔法を使って簡略化できる。
そして乾燥工程も魔法頼りだ。
その名の通り【乾燥】という魔法を使う。風を操り、水分を飛ばす魔法だ。水浸しになった服や洗濯物を乾かすだけの魔法だが、こうして使えば染め物を乾かして仕上げる工程にも応用できる。こうして、色鮮やかな黄色の布ができあがった。
「できました……すごい……!」
草木染めのテストをしただけとはいえ、ジルが自分の手で初めて作った染め物だ。
これをハンカチにしようか、それとも何か別の物にしようか悩みつつ、くすっと笑った。
「これ……魔法を使わずに手順通りにやって情緒を楽しんでも良かったですね」
準備に費やした時間を除いて、純粋な作業時間だけを見れば3分にも満たない。
本当ならば、染料を煮出して染液を作るだけで30分はかかる。
そして染液で布を染めたり、媒染処理をしたりで1時間。
乾燥させて仕上げることを考えれば、結局丸1日は必要だ。
つまり、通常の数百倍は効率化できたと言っても過言ではなかった。
ジルは、ちょっと急ぎすぎたかもしれないと思った。もう少しじっくり時間を掛けた方がもっと達成感があっただろうなと。
「いえ、これはまだ最初の一歩。のんびりはしていられません」
しかしジルは、自分の口から出た言葉を自分で否定した。
「普通の手順の草木染めは後でゆっくり楽しむとして……どんどんステップアップしていきましょうか」
ジルはできる限り早く、ノウハウとテクニックを得たいと思っていた。
材料は豊富にある。
作りたいものが、作りきれないほどジルの頭の中にある。
目標を実現するために、今ここで足踏みなどしていられない。
「色んな染料を試して……板締め絞りもやってみましょうか……。型紙を使ってこの本のワンピースなんかも縫ってみたいですし……。他にも本に載ってる編み物やレザークラフトなんかも試して……とにかく物を作って、いずれは!」
ジルは、アカシアの書を別の本に変身させる。
A5版ほどのサイズで、やや厚めの本だ。タイトルはこう書かれていた。『ハンドメイド作家になろう! ~個人でも簡単に経営できる夢の雑貨屋さん、マル秘ノウハウ教えます~』と。
「雑貨店経営を、目指すんです!」
ジルの目は、夢の実現に向けて燃えていた。
そしてコンラッドの言葉を頭の中で繰り返していた。
ここでの生活が幸福となりますように。
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