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仮面の貴婦人たち/もうひとつの真田/ローストポークサンドイッチ、ハニーマスタード入り 2




 その後も仮面の貴婦人は来た。


 しかし、毎回「中身」が違う。

 目と鼻を覆う華美な仮面を付けているが、最初の妊婦の貴婦人とはまた別だった。

 まだ少女と思しき年齢の客もいれば、それなりに高齢の貴婦人もいる。

 あるいは三、四人のグループで来たりもする。

 それなりに身分が高そうな女性客が、何故か揃いも揃って仮面を付けているのだった。


「ねえ、これなんてどうかしら?」

「良いわね……! これも買おうかしら」

「夫人ったら、下見するだけって言ったのに我慢できずに買っていったんですもの。私たちも買っていきましょ」


 金払いは悪くない。

 だというのに、妙に買い物は慎重だった。


「これ、お一つくださる?」

「はい、お包みしますね」

「ありがとうね」


 そしてまた仮面の客たちが帰って行く。

 客の応対が一段落してジルはふうと息を吐いた。


「なんだかこの光景も慣れましたね」


 ジルがぽつりと呟くと、キャロルとモーリンが苦笑した。


「私もごく普通の気がしてきました」

「あんまり慣れるのもどうかと思うけどねぇ。でもまあ良い客じゃないか。だいたいマナーも良いし」

「ですね」


 モーリンの言葉に、ジルは頷いた。


 ジルはここに出店するにあたって、様々な覚悟をしていた。ジルの作る服は、シェルランドの街や魔導王国、あるいはアルゲネス島のファッション感覚や服飾センスから一歩も二歩も踏み出している。女性向けのズボンさえ並べているのだ。保守的な頑固者が怒鳴り込んでくる程度のことは覚悟していた。しかし、蓋を開けてみればずいぶん好評だ。


「まるで、最初から根回しでもされていたような……」


 雑貨店「ウィッチ・ハンド・クラフト」には克服しきれない欠点がある。商品を供給しているのがほとんどジルであるため、欠品したときにすぐに補充できないのだ。客に買い占められてしまったらそれだけでしばらく休業を余儀なくされる。


 しかし幸いなことに、そうした事態には陥っていなかった。一人の客が買うのは二、三点程度のものだ。帽子や、帽子を飾るリボンなどは人気がありすぐに売り切れてしまうが、それ以外の売れ行きは程々、といったところだった。買い占めようとする客は今のところ出てきていない。


「こっちの在庫切れを心配してる素振りさえあるね。まあ助かっちゃいるんだけど」


 モーリンの言葉に、ジルもキャロルも頷く。


「売れないのってバッグくらいですねぇ」

「そりゃ一番値が張るんだ、そう簡単にゃ売れないさ」


 商品の売れ行きは、どれもほどほどに順調だ。

 だがキャラメル色をした、艶やかな質感のバッグだけは一つも売れなかった。

 興味深そうに手を取り、しかし値札を見てしずしずと棚に戻す客がほとんどだ。

 理由は明白だ。

 ウィンドウショッピングで気軽に買うには高価過ぎるのだ。


 ガルダが開店祝いにジルに贈った革の生地は非常に高品質で、ダイランウォーターバッファローという、水牛の魔物の革をなめしたものだった。ジルはガルダと共同制作でバッグを仕立てて大喜びで店頭に並べたが、並べた後に「これちょっと品質が良すぎる」とジルはようやく気付いた。


「うーん、恐らく祝い事のプレゼントなど理由が無いと売れないタイプの商品ですね」

「モノは良いんだがね……というか良すぎるのさ。店で並べて売るタイプのモノじゃないよこりゃ」


 キャロルとモーリンの言う通りだった。ある程度のランクを超える高級品は、普通は店舗に並べたりはしない。泥棒や強盗に狙われるからだ。現状、幽霊屋敷の悪評は泥棒のようなアンダーグラウンドの人々に残っているらしく狙われることはあまりないと予想されていたが、それでもいずれは狙われる日が来るだろうと皆が薄々思っていた。


「惜しいけど物騒だし、別の物を並べた方が良いんじゃないかい? ここぞというお客さんにだけ見せるようなとっておきは、幾つか持っておくもんさ」

「うーん、そうですね……。それに、もう少し手頃なバッグを並べても良いかも知れませんし」

「手頃なバッグ?」


 ジルが、棚から朱色に染めた麻の生地を取り出した。


「たとえばこういうものをトートバッグにしても面白いかなと。取っ手を木や紐なんかで作ればすぐにできますし」

「お、それは良いねぇ。自分用に欲しいくらいだよ」

「ただ、それだと独自色がないんですよね。この店で買ったものだっていう特別感があるようなワンポイントが欲しいと言いますか……」


 むむむ、とジルが険しい目つきで生地を見つめる。


「やれやれ、またご主人様の癖が始まっちまったよ。凝り性なんだから」

「本当ですね」


 モーリンとキャロルがくすくすと笑う。


 丁度そんなとき、扉に据え付けられたベルがなった。

 来客だ。


「いらっしゃいませ」


 ジルが反射的に立ち上がって挨拶をする。

 例によって例の如く、仮面の女性客だ。

 仮面を付けているからよくわからないが、二十代以上、四十台未満くらいだろうか。

 艶やかな黒髪を、蝶の髪止めで纏めている。


「あれ、その髪飾りは……ドロシー?」


 モーリンが出し抜けに名前を呼んだ。


「ひょえっ!? い、いや、ドロシーなんて名前じゃないですけど?」


 客は何とも間抜けな声を出して首を横に振った。







「なるほど、そういうことかい……」


 ドロシーという婦人は、モーリンの知己であった。

 名前を呼ばれて諦めたのか、ドロシーは仮面を外してカウンターに座っていた。


 彼女はモーリンの昔の職場、銀鱗騎士団の騎士の妻であり、モーリンの友人だ。出会ったのは二人とも独身の若い頃だが、大人になった今でも家族で付き合いがあるとのことだった。


「そういうこと。エミリー夫人が贔屓にしてるお店ってことでここは評判になっているのよ」

「エミリー夫人と言いますと、確か……領主様のお孫さん、でしたよね?」


 ジルが尋ねると、ドロシーが頷いた。


「ええ。そして銀鱗騎士団の団長の奥方様よ」

「そういえばご懐妊の祝いに麦わら帽子をプレゼントしてましたね、マシューさんが」

「そうそう、それよ。そのおかげで、夫人もずいぶん助かったらしくて」


 エミリー夫人は、この街の若い貴婦人たちの顔役と言っても良い。領主の孫娘であり、騎士団長の奥方。そして茶や音楽、芸術、ファッションなどなど、様々な方面に造詣が深い文化人としての顔もある。ドロシーは、そのエミリー夫人が開く茶会によく参加していた。


 だが最近は懐妊して茶を控えていたため、会が開かれるのもめっきり少なくなっていたらしい。ドロシーは仕方ないと思っていたが、当のエミリー夫人はやはりストレスが溜まっていた。茶会などの催しも、華美な装いも、両親から苦言を呈される。そこに、マシューがジルの作った麦わら帽子を届けた。これでエミリー夫人は随分と元気を取り戻した……とのことだった。


「でも、麦わら帽子を渡しただけでは……? それに祝いの品にしたのはマシューさんですし」


 ジルが首をひねる。

 だが、ドロシーは笑って否定した。


「小物一つで気分が変わるものじゃない? それに、豪華な服を着ようとしたらあれこれ苦言を言われてたみたいなのよ。でも帽子をかぶって散歩したり元気を取り戻したら、ちょっと大目に見てもらえるようになったみたいなの。軽く散歩したり、街を見て回ったり……。この店にも来たわよね?」


 そう言われて、ジルはすぐに思い当たった。

 先週来た、仮面の妊婦だ。


「となると、あの妊婦さんはエミリー夫人でしたか……」

「ええ。それで、夫人の被ってる帽子が手に入るって聞いたものだから来ちゃうわけよ。ただ夫人が『大勢で押しかけてあまり迷惑が掛からないように』って仰ったものだから、みんなたくさん買いたいのを我慢してるの」

「ああ、それでご配慮して頂いてたんですね……」


 しみじみ人の優しさがありがたいと、ジルは思った。

 だが肝心の疑問が解決されていない。


「でも、なんで仮面を付けることに繋がるんでしょう?」

「夫人が、『あまり表だって通うと迷惑が掛かるから、お忍びで通う』って仰ったのよ。それでみんな、右に倣えという感じね」

「かえって目立つのでは?」

「……そんな気もするのだけど、みんなやってるからそういうものだと思って……。いや、私も恥ずかしいと思ったのよ? でもなんだか非日常感が楽しめるって気もして悪くないかなって」


 もじもじとドロシーが恥ずかしそうに答えた。

 なんとも間の抜けた答えに、ジルは良くも悪くも肩の力が抜けた。


「ま、まあお楽しみ頂けるならどういう格好でも構いませんよ。その、ちょっと変だなって思いはしましたけど」


 ドロシーが恥ずかしそうに縮こまる。

 その横で、モーリンがやれやれと溜め息を付いた。


「しかし、エミリー夫人もそういうお考えなら言ってくれれば良いじゃないか。ご主人様だって別に、正式にご挨拶したっておかしくないだろう?」

「まあ確かに」


 ジルは、「元」が付くものの王女だ。

 そしてエミリー夫人は領主の孫娘である。

 力関係だけを考えればエミリー夫人が誘惑の森の館を訪れても不思議ではない。

 ジル自身、そうした人が来訪することがあるかもしれないと薄々思っていた。


「あっ、そういうことでしたか」

「ん? どうしたんだい、ご主人様」

「私がご挨拶してないから仮面を付けているんです。順番や作法から言えば、私が『挨拶に来なさい』と呼びつける方が自然なんだと思います。誘惑の森は一応は王族の直轄領なので、そこに入ることさえ一種の許しが本来必要になります。エミリー夫人も領主も、私が招きを出さないから慎重になっているのかと」


 ドロシーとキャロルが、ぽかんとした顔をしていた。

 ジルの素性をよくわかっていないので話を理解していない。


 だが、モーリンだけは正しく理解していた。


「……ってことはさ、ご主人様」

「はい」

「それをしなきゃいけなかったんじゃないかい? 手紙を書いて領主館に送り届けるとか」

「…………はい」

「なんでやってなかったんだい?」

「つ、つい、うっかり」


 モーリンの、「大丈夫かなこの人」という目線を受けて、ジルはうろたえた。


「いっ、いや! その! ここの領主様をないがしろにしたとか、そういうつもりじゃないんですよ! ただその、地元だと待ち受ける立場だったから、そういうの縁がなくて……」

「ご主人様そういうところ尊敬するよ」

「それ呆れてる方の『尊敬』じゃないですか!」


 焦っているのでとても言い訳くさいが、ジルの動きが鈍い理由はちゃんとある。


「一応、真面目な理由がありましてですね。私と仲良い貴族って王家から睨まれる可能性があるわけですよ。これでも王位争奪レースみたいなのには脱落してはいますけど、担ぎ上げようとする変な人がいるかもしれないし……それ以上に、『担ぎ上げようとする不穏分子に見なされる』っていうのが一番まずいですね」

「……ああ、そうか。邪推されちまうってわけだね」

「だから迂闊に動けないわけです。それに私は元『王女』ですから、礼儀作法として『こういう関係のときどう振る舞うのが正しい?』みたいなルールから外れるイレギュラーで、みんなとても対応に困るわけですね。OK?」

「悪いね、てっきり考えなしかと思っちまって」


 ジルは、モーリンの申し訳無さそうな目を直視せずそらした。


「……ま、まあ、もちろんちゃんと考えてました。はい」


 流石に『隣の領地に引っ越してきました』という挨拶さえもないのは警戒しすぎであるとも言える。深い友好を結ぶつもりがなくても一言何か伝えるのが常識というものだったが、ジルはついつい誤魔化した。


「でも、街の中に店を構えたんだから挨拶くらいしておいた方が良いんじゃないのかい? まあ私は上の上の、そのまた上の身分の世界なんてわかんないから見当違いなこと言ってるかもしれないけど」

「いや、まったくその通りです」

「それに、ここに店舗を出すことだって多分知ってるんじゃないかい?」

「細かい手続きはマシューさんにお願いしましたけど、多分そうだと思います」

「じゃあ諸々知った上で口を出してこないわけだ」

「恐らく、すごく気を遣ってもらってると思います、はい」


 縮こまるようにジルは頷く。

 考えれば考えるほどに、今の状況は色んな人の善意に支えられている。

 このまま知らない顔をして良いだろうかとジルは自分に問う。

 答えは当然、ノーだ。


「よし……こうなったら」

「こうなったら?」

「お詫びとか感謝をこめてお手紙書きます」

「そうしときな」


 モーリンがやれやれと肩をすくめた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 領主への手紙を書くくだりのジルとモーリンのやり取りが凄い和みます!
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