仮面の貴婦人たち/もうひとつの真田/ローストポークサンドイッチ、ハニーマスタード入り
雑貨店「ウィッチ・ハンド・クラフト」が開店して一週間ほど過ぎた頃。
軽食目当ての客が去り、一時的に客足が途切れたあたりでジルは安堵の息を漏らした。
「ふう……なんだかんだでお客さんが来てくれますねぇ」
蓋を開けてみれば、客の入りや売上はとても安定していた。
まず開店初日には隣人が来訪して、喜んで紅茶や雑貨を楽しんでくれた。初々しいカップルのようにキラキラした目で楽しんでくれる。買ってくれた雑貨は麦わら帽子と小物数点だけだが、紅茶と茶菓子は毎回頼む。
その上、積極的に『あそこはもう悪霊は出ない』、『素晴らしい店だ』と、好意的な口コミを触れて回ってくれていた。周囲のことを気にせずイチャイチャすることを除けば、とても良い客だった。
「そうだねぇ。最初はどうなるかと思ったけど悪くないじゃないか」
モーリンがからからと笑った。基本的にモーリンの本来の仕事は屋敷のメイドではあるが、ジルがシェルランド支店にいる間は基本的に掃除以外することがない。合間を見てちょくちょく手伝いに来てくれていた。
「こういうお仕事も楽しいですね……本当にありがとうございます!」
結局キャロルは就職先が見つからず、開店準備を手伝う内になんとなくアルバイトになった。若干うっかりな気質はあるものの、ジルは自然な流れで働き手が見つかったことをラッキーに感じていた。
「こちらこそ助かってますよ。というより、読み書き計算ができて帳簿を付けられるのに転職できなかったのがちょっと信じられないと言いますか……」
「いやぁ……悪霊絡みのトラブルでバタバタして職場に迷惑かけちゃったり、ここが悪霊屋敷のままだったら自分の人生が沈没しちゃうんじゃないかと思って夜も眠れなかったり……。そんな状態で面接に行っても全然まともな受け答えができなかったり……あは、あははは……」
うっかり地雷を踏んでしまったと、ジルはなんとも微妙な顔をしていた。
「ま、まあともかくお悩みは解決できたでしょうし! これから頑張りましょう!」
「そうさ。人生ちょっとくらい迷ったってなんとかなるもんさね」
ジルの励ましに、モーリンがからからと笑って追随した。
「で、ですよねー!」
キャロルは自分を安心させるように声を張り上げて頷いた。
だがキャロルが悲観的になる理由もジルはよくわかっていた。むしろ、彼女以上にキャロルの抱えたトラブルの深刻さを理解していたと言っても過言ではない。キャロルが持ってきた本『よくわかる悪魔創造と悪魔使役』の価値を考えれば、キャロルの命が狙われても不思議ではなかった。
「と、ところでちょっと聞きたいんですが……あの『悪魔』はどうしたんですか?」
キャロルが小声でジルに尋ねた。
「ああ、大丈夫ですよ。箱の蓋に宝石が埋め込まれていて、そこに『悪魔』がインストールされてました」
「いんすとーる?」
「あ、ええと……つまり宝石が悪魔の本体でした。アレと本についてはちゃんと保管してあります」
「あ、そういうことですか……ありがとうございます……」
ほっとキャロルが胸をなでおろした。実際はジルがあれこれ読んで研究したり、『悪魔』をいじくったりしているのだが、保管していることには変わりない。詳しいことは告げないのがキャロルのためだろうとジルは黙っておくことにした。
そんなときのことだった。
「商品を見せてくださるかしら?」
からんころんと扉に据え付けられたベルが鳴ると同時に、凄まじく怪しい客が来た。
「いらっしゃ……あっ、は、はい……」
ジルが「いらっしゃいませ」と言い掛けて、言葉が詰まった。
妙齢の貴婦人だ。
だがなぜか、仮面舞踏会で付けるような派手な仮面を付けている。
口元は見えるものの、鼻から上は完全に隠れている。
目の部分には穴が空いているものの、影になって瞳の色や形まではわからない。
そして、貴婦人は妊婦だった。
お腹が出ており、ゆったりした服を着ている。
また、身分も高いのだろう。店の外に視線を送れば、小さめの馬車、そして御者兼護衛と思しき男が直立不動で待っている。
只者ではない。
目を引く要素が多すぎてジルは判断に困った。
キャロルとモーリンをちらりと見る。
キャロルは完全に固まっている。
モーリンは反射的にジルの前に出て護衛の態勢になった。
とはいえ、このままではいられない。相手が妊婦であることを考えれば怪しげなことはしないだろうと思い、ジルは咳払いして言い直した。
「いらっしゃいませ! ようこそウィッチ・ハンド・クラフトへ!」
できるだけ警戒心が顔に出ないよう、ジルは笑顔を作って貴婦人に応じた。
同時にそれは「とりあえず普通に応対しましょう」というモーリンとキャロルへのメッセージだった。
「お邪魔するわ。あら、革の小物もあるのね……ああ、なるほど。馬鎧に付けた焼印ってこういう風にもできるの」
貴婦人は帽子を眺め、そして財布や小物入れもしげしげと眺める。
「焼印は、図案を出して頂ければその通りの物を付けられますよ」
「本当!? ……ああ、いえ、大丈夫よ。頼みたいけど私が独占するわけにもいかないし」
貴婦人は興味深そうに店内を眺めている。
「あ、よろしければどうぞお掛けください。お品物はカウンターに並べますので」
「そうしてくれると助かるわ」
ジルの意を組んで、モーリンが椅子を引いた。
キャロルは店内の代表的な品物を幾つか持ち、カウンターに並べていく。
顔を隠しているが、貴婦人は嬉しそうに一つ一つ眺めていく。
「こういうものもあるのね……あ、この造花も素敵ね」
「バリエーションは色々と用意してありますので」
あまったハギレを使った造花に貴婦人が反応した。麦わら帽子を飾るために作ったものだが、ジルは合間合間に色んな造花を作り、並べられる程度にはなっていた。麦わら帽子に添えると一気に夏らしさと華やかさが際立つ。ジル自慢の逸品であった。
「生花の方が好きなんだけど、こういうのも悪くないわね……」
「ありがとうございます。軽食などもできますよ」
「ああ、お願い……と言いたいところだけど、茶は控えているのよ。あ、でも色々あるのね?」
貴婦人が興味深そうに、立て掛けてあるメニュー表を見た。
季節のフルーツを使ったジュースなどもジルは用意していた。
「せっかくだからジュースでも頂こうかしら」
「ありがとうございます」
ジルはそう返事しながら陶器のコップを出そうとする。
だがその瞬間、貴婦人が声をかけた。
「ちょっと良いかしら……それは何?」
「はい? このコップですか?」
「違うわ。そのコップの隣の、金色のツギハギみたいなのがあるティーカップよ」
「あ、修理したティーカップです。ご覧になりますか?」
ジルは、金継ぎで修理したティーカップを貴婦人に見せた。
「ねえ」
「はい」
「これ、元々こういうものなの? 修理したって言ったわよね?」
「ええ、割れてしまったカップを直したものですよ。金色の部分は割れた傷を覆っているんです。ああ、もちろん普段使いもできますので」
「そ、そうなの」
「ちなみに奥の棚に陳列してあるものは商品です。キャロルさん、下の段に並べてあるカップ、三つほど持ってきてください」
「はい!」
キャロルが金継ぎのカップを貴婦人の前に並べていく。
ちなみに、テーブルの下に隠されていたカップはここにはない。それはすべてキャロルが個人的に保管したり、客に使うためのものとして使っていたりする。ここにあるのはすべて、マシューが割れたカップを自分の得意先から引き取り、ジルが修理したものだった。
それを見た貴婦人が、まるで雷に打たれたような衝撃を受けていた。
「こ、これ、もしかして……! 私が新婚の頃にうっかり割った……」
「え?」
「あ、い、いえ、何でもないのよ、何でも! これ一つ包んでくださるかしら? あ、ソーサーも付けてね」
「は、はぁ。ありがとうございます」
貴婦人が妙な動揺を見せながらも、手早く金を渡してきた。
包んだ茶器を受け取ると、そそくさと席を立つ。
「だ、大丈夫ですか? ゆっくり歩いた方が……」
「馬車を待たせてるから大丈夫よ。また来るわ」
貴婦人がばたんと扉を閉めて去って行った。
「……何だったんでしょうか?」
キャロルのぽつりとした言葉に、ジルも首をひねる。
まったくもって心当たりがなかった。
ジルにはこの街では身分の高い貴婦人の知り合いなどいない。
「さっぱりわからないねぇ……特に仮面を付けてる理由が。まあ嫌がらせしようとか邪魔しようとか、そういう理由ではなさそうだけど」
全員が首をひねった。
さっぱり見当が付かず、悶々としたまま営業を続けるのだった。
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