幕間 革命家イオニアと王女エリンナ
ダイラン魔導王国、王都ダイラン。
そこに住まう人間は、どこか生真面目な人間が多い。犯罪も少ない。異国の品や舶来の品が運び込まれるために商業も盛んだ。市場は活気にあふれつつも規律正しく、まさに秩序を絵に描いたような都であった。
それは、王と王妃を畏れ敬っているためだ。
あらゆる敵国を倒し、歯向かうものを容赦なく燃やす王妃にして最強の魔女バザルデは、今を生きる伝説である。王都の民は、その恐怖を余すところなく知っている。
十年前、敵国の軍が王都の防壁に迫るほど接近されたことがあった。数は少なく、千人。だがどの兵も生きては帰らぬと決意した猛者たちであった。猛々しい声が王都に響き渡るほどで、王都の民は震え上がった。王も王妃も敵軍との決戦のために出払っていた。完全な奇襲だった。
だがそれを察知した王妃がごく僅かな手勢のみを連れて舞い戻った。そして数キロ隔てた先から、千の兵をすべて消し炭にした。以来、王都の民は王妃への感謝と、倍以上の恐怖を心の底に叩き込まれていた。
そのような忠実なる民によって繁栄を謳歌する一方、密告は多く、流民や貧民はいつも虐げられている。そして身分ある者も王たちの不興を買って燃やされないよう、受け身で頑迷な姿勢が染みついている。そんな都市から柔軟な発想や生き生きとした文化が生まれるはずもなく、尊ばれるのは舶来品ばかりだ。身分の上下を問わず出る釘は打たれ、保身に長けた者ばかり。それがダイランの負の側面であった。
その秩序と恐怖の象徴たる王宮も同様に、規模こそ大きく堅牢ではあるが華やかさに乏しい建造物であった。この城を彩ろうと思う者がいないのだ。
しかし王城から少し離れたところに、王都らしからぬ瀟洒な離宮があった。
外壁は白塗りでいかにも爽やかだ。華美な門を通り抜けてタイル張りの通路を歩けば、彩り豊かな庭が横目に見える。その季節の花が咲き乱れる花壇、丁寧に刈り揃えられた庭木が並んでおり、手入れは欠かさず行われていることが見て取れた。
そして通路の終点には赤煉瓦の館があった。
「はぁ……来年にはここから王宮に引っ越さなきゃいけないのよ。やんなっちゃう」
屋敷の主人は、客間に迎えた客人にあからさまな溜め息をついた。
だがその溜め息さえも気品と風格が漂う。
燃えるような橙色の毛は、獅子のように豊かで堂々たる風情だ。
切れ長の鋭い目はネコ科の肉食動物のようだ。
ドレスから伸びる手足は細くありながらも引き締まり、脆さのかけらもない。
十代後半の美しい少女の顔立ちでありながら、全身から風格というべきものが満ちあふれている。
「エリンナ殿におかれましてはご機嫌麗しく……と言ったら嘘になるかな?」
イオニアは屋敷の主人――次期女王のエリンナを前にしながら、面白がるように微笑んだ。そしてエリンナもまた、皮肉げに微笑む。
「従者が見てるところではちゃんと言いなさいよ。あと言葉遣い。いくらあんたが高名な画家だからって、聞く人が聞けば殺されるわよ?」
「すまないね。だがこういう性分なのだ」
悪びれた様子もなくイオニアは肩をすくめる。
「しかしエリンナ殿は、王に即位することはやはり望んではいない?」
「そりゃそうよ。……本当は本を読んで、庭を眺めて、絵や彫刻を愛でて、宴を開く。それで満足なのよ。戦場は面倒」
「でしょうなぁ」
「だからあなたには成功して欲しいのよ。反乱軍の幹部イオニア」
エリンナが、底意地の悪い笑みを浮かべた。
「まさかあなたの庇護を頂けるとは思ってもみなかった。命を助けて頂いたご恩は忘れぬとも」
「驚いたのはこっちよ。幹部を捕まえたと思ったら今をときめく高名な画家だったんだからね」
ぞわり、とイオニアの背中に悪寒が走った。
エリンナはいつでもイオニアを殺すことができる。
この場所こそが獅子の住処だ。
イオニアとエリンナが出会ったのは三年ほど前だ。各国との戦争の勝敗も見え始め、戦後処理や残党狩りがダイラン魔導王国の懸案となりつつあった頃、エリンナは年若くありながらも魔法の力量を買われて様々な方面で活躍していた。
エリンナは王妃バザルデのように、圧倒的な力で敵をねじ伏せたのではない。知恵こそがエリンナの力であった。古文書を読み解いて失われた幾つかの魔法を現代に蘇らせ、あるいは新たに発明した。黒爪騎士団が得意とする【猟犬】の魔法もエリンナによって生み出されたものだった。
王も王妃もそれを高く評価した。ダイラン魔導王国が勝利を重ねてきた中で、エリンナの果たした役割は大きかった。しかもエリンナは、王妃バザルデが敬愛していた姉の忘れ形見だ。才覚があり、そして姉の面影を強く残したエリンナを、バザルデは実の娘以上に愛した。家族として、そして魔法使いの弟子として。
「こちらも、魔女バザルデの後継者に見つかったときは死を覚悟したとも。もっともそれは、あなたと会うときにいつも死を覚悟せねばならないわけだが」
「良いことよ。励みなさい。お金は足りてる?」
エリンナは自分の持つ魔法を存分に振るって、反乱軍を見つけ出した。
だが、最高幹部の一人であるイオニアは見逃した。
それだけではない。
金、通行手形、偽の書状、そして画家としての名声を与え、積極的に手助けしている。
これこそが黒爪騎士団が反乱軍幹部を捕まえることのできない大きな理由だった。
「ああ。おかげでね。それと【猟犬】の対処法も教えてくれて助かった」
「あれは複雑な判断ができないのよ。匂いが二つに分かれたり、混ざったりしたときの判断は野生動物の方が遥かに賢いわね。まあ、魔法であるからこその便利さは大きいのだけれど」
「追われる方としては恐ろしいものだけどね」
「犬程度を怖がってどうするのよ。あなたが戦わなければいけない相手は、この島を支配する大魔女よ?」
「まったくだ。この世は恐ろしいものばかりだ」
「私が戴冠するまでに、師匠を倒してみなさい。それができなければあなたの命はないわよ」
「もちろんだとも」
「今の民は、師匠と王を神のごとく崇め恐れている。命を差し出せと言われたら差し出すでしょう。……でも、それじゃあ駄目なのよ。いくらこんな島を統一したところで、海の外の大陸の国とはやりあっていけないわ。船で攻め込まれて資源を奪われて民は奴隷にされて、百年もしない内にアルゲネス島ごと滅ぶでしょうね」
エリンナがイオニアを保護した理由。
それは、今のダイラン魔導王国の支配体制が長く続くことはないと確信してのことだった。
国王アランと王妃バザルデ、この二人の力が圧倒的に強い。個人の力に頼りすぎており組織としての力が発展していない。そして後を継ぐ者にも同じような化け物じみた強さが要求される。
エリンナは魔法使いとしては天才の部類だ。だがそれでも、今の王に匹敵するほどの力量ではない。エリンナの才能は魔法の実践者であること以上に、研究者としての資質であった。そして卓越した研究者であるがゆえに気付いてしまった。このまま時が過ぎて、魔道具や魔法以外の技術が発展していけば、個々人の武勇によって勝利する時代など過ぎ去ると。
「でも、こないだの戦いでは残念な結果だったようね」
「……時期尚早だと何度も訴えたのだがね。止められなかった」
「恐らく師匠は、反魔鏡を持ち出されることも薄々気付いていたわ。それを力で押し返せるであろうことも。でも絶対の勝算はなかった。師匠が賭けに勝ったのよ」
「ああ、バザルデの力に及ばなかった。彼女は強い。あの【灼光】だけではない。軍勢を率いる者として、格が違うのだ」
「どうするつもり?」
冗談めいた口ぶりでエリンナは尋ねた。
だが、その目は笑ってはいなかった。
「地の利はあったが天の時はなかった。足りないものを埋めるまでさ」
イオニアは涼しげな顔を変えずに、やれやれとばかりに肩をすくめた。
だがその飄々とした態度に、エリンナは機嫌を悪くした。
「もっと具体的に言いなさい」
「……反魔鏡の真の力を引き出せていなかったのが敗因だ。あれは本来、生き物だったんだよ。貝なんだ」
「だから?」
「竜息貝は竜の息を受けて育つ。だが竜の息は一種類ではないのはご存知かな? 炎の息を吐くこともあれば氷の息も吐く。それを貝の中身が逐一対応しているんだよ。貝殻がどんな魔力を吸い込むか、本体が精妙なコントロールをしている。死骸から貝殻を拾って盾にするだけでも十分に魔法使いにとっては脅威だが、生きた竜息貝ほど万能ではないのさ」
「だとしても、生きた竜息貝なんていないでしょうし、仮にいたとしても言うことを聞かせられるとでも?」
「ははは、流石に無理さ。……だが、貝殻を騙すことはできる」
「なんですって?」
「魔力には波紋がある。人間の指の腹に描かれた筋のように、使い手ごとに微妙だが確かな違いがある。竜息貝にはそれを知覚して貝殻に指令を出して竜の息を和らげている。貝の中身が『悪魔』のように緻密な計算を行っているんだよ」
「……それ、どこで知ったのよ? 竜息貝そのものは謎に満ちているわ」
「知りたいのかな? 全面的に味方になってくれるならば説明もできるのだが」
イオニアの露骨な微笑みに、エリンナの目が険しくなる。
「……それができるならしているわ。ま、竜息貝の生態がそうだとしても、現実にそれをやるのは無理よ」
「何故?」
「結界や防御術を極めた魔法使いが似たような真似はできる。でもそれは何度となく手合わせをして相手の性質を理解したときだけに成立する、舞や儀式のようなものよ。あるいは違う楽器と楽器で、練習もせずに見事な共演をしろと言うに等しい。魔法が届いた瞬間に焼き殺される【灼光】でそれができると思う?」
「いいや、バザルデの本気の一撃を耐えることはできた」
「でも届かなかった。反乱軍の本体も、それが難しいと判断したから穏健派の反対を押し切って攻め込んだのでしょう? あなた、もうすぐそこまで破滅が来ているのよ」
エリンナは、扇子を閉じて自分の首を軽く叩いた。
「もちろん。そこまでわかっていて無策だと思うならば……結果で示すしかないな」
「……できると言うの?」
「ああ。決して夢物語ではない」
イオニアの笑みを、エリンナがじっと観察する。
だが表情を緩めて微笑みを浮かべた。
「ま、そう言うならば楽しみにしてるわ」
「しかし不思議だな。なぜあの【灼光】はあそこまで強いのか」
「あれは私にもわからないわ。なぜ師匠があれだけの力を使えるのか……」
「いっそ大人しく王冠を受け継いで、エリンナ殿が【灼光】を覚えた方が早いのでは? 何かからくりがあるというのであればエリンナ殿も使えると思うのが順当なところだろう」
その言葉に、エリンナが眉を顰めた。
「どうかしらね……使えないかもしれないし、私に扱える程度の神秘だったらいつか必ず誰かが解明してくる。あなたたちがそれを解明できるとしたら外の大陸の人間もきっと辿り着く。だったら今のうちに国を改めるのが確実に良い……けど」
「けど?」
「あなたたちがそれを解明できないのであれば、私は王冠と魔女の名を引き継ぐ。あなたを殺す。異国から来る船を燃やす。逆らう者は殺す。逆らわずとも私に害があるものは滅ぼす。それで将来どんな災厄を招こうとも、そのときの人間に任せるわ。後のことは知らない」
エリンナの口元に笑みが浮かんだ。
年相応の可愛らしさが滲み出る、自然な笑顔。
イオニアの背中に、一筋の冷や汗が流れる。
「私はこの国も、この世界も好きよ。あなたの絵も大好き。本当はあなたを含めたすべての芸術家を囲ってどこかに閉じ込めておきたいくらいね。でもそれは、私の命を上回るほどじゃあないの。だから励みなさい」
「心に刻んでおくとも。……さて、それじゃ真面目な話はこれくらいにしておかないか? 流石に緊張して疲れたよ」
「私を前に緊張して疲れたとは不躾な男ね。ま、良いわ。プレゼントは用意できたかしら?」
「自信作だとも。どうぞご覧あれ」
そう言ってイオニアが、大きな鞄から一着の服を取り出した。
「まあ……!」
エリンナが、演技の含まれない感動の呟きを漏らした。
これは、ジルが手掛けた友禅染の生地をドレスに仕立てたものだ。
純白のシルクの生地に青々とした桔梗の花が彩られている。
「いかがかな?」
「これは予想以上ね……もっと近くで見せなさい」
「もちろん」
エリンナは興奮した様子で絵付けした部分を丹念に眺める。
指で優しく触り、質感を確かめ、出来栄えの良さを再確認してうっとりとした顔をする。
「流石ねイオニア。絵の才能は知っていたけどドレスまでこんなものを仕立てるなんてね。ああもう、本当に惜しいわ」
「お褒めいただき光栄の至り……と言いたいところなのだが、僕は下絵を描いたに過ぎんよ。ドレスに仕立てたのは知人の仕立て職人だし、この生地を作ったのもちょっとしたツテを頼った」
「ツテ? どこの誰よ?」
「きみが蹴落とした王位継承者さ」
「……は?」
ぽかんとした顔でエリンナは呟いた。
「ジル王女だよ。いや、ジル『元』王女と言うべきかな」
イオニアの面白がるような言葉に、エリンナは眉間に皺を寄せた。
「……ええと、あの子、王都から追放されたはずよ?」
「ああ。シェルランドの隣の森を領地として授かり、楽しく生活しているよ。服や小物を作るのに夢中なようでね」
最初、エリンナはぽかんとした顔をしていた。
だがすぐに眉間に皺を寄せ、わなわなと拳を握る。
そしてテーブルをだんと叩いた。
「くっ……」
「機嫌を損ねてしまったかな?」
イオニアは、挑発しすぎたかと一瞬ひやりとする。
「……あの子が王族でなければお針子として囲ったのにッ……こんな物を作れるなんて聞いてないわよ……!」
「あ、ああ。なるほどね」
これが、エリンナの悪癖の一つだった。画家や音楽家、職人など、気に入った存在に対しては惜しみなく援助する。イオニアに対しても、政治的な思惑で手を組んでいること以上に、イオニアの絵を気に入っているのだ。
「そういえば刺繍も上手かったわね……盲点だったわ」
「一応は王位を争う仲だったのだろう? すこしエリンナ殿とジル殿の距離は不思議だね」
「別に嫌いじゃないわよ。ただ師匠のことを考えるとあまり仲良くしても逆に禍根が残るからね。私のためにもあの子のためにもならない」
エリンナは頬杖を付いて、窓の外を眺める。
「最悪殺すことになるかもしれないし、逆にあの子が私を殺す側になる可能性だってあったわ。あまり情は持ちたくないの」
寂しげな声で、ぽつりと呟いた。
「王というのも因果な商売だね」
「まったくよ。惚れた女を守るためになりふり構わないあなたが羨ましい」
「そうだろう? 命と人生を賭ける価値がある」
「臆面も無く言うものね……」
はぁ、とエリンナが溜め息をつく。
それをイオニアはにやにやと微笑みながら眺めた。
「うん? なによその目。不遜よ」
「いや、ジル殿が作った服がもう一着あると言ったらどんな顔をするだろうなと」
「見せなさい。早く」
言われた通りイオニアは、もう一つの服を取り出した。
アロハシャツだ。
イオニアはジルに借りたものを気に入って、拝み倒して一着買ったのだった。
「こ、これは……」
海の波をモチーフにした絵はエリンナを見事に魅了した。
最初にマシューたちが見たとき以上の、劇的な反応だった。
「なんて……素晴らしいの……!」
「だろう? ああ、これは僕の私物だからね。悪いが売り物ではないんだ」
「寄越しなさい」
「……男性物だよ?」
「針子に直させるわ」
エリンナはイオニアの言葉を無視して話を進めようとする。
だがイオニアは、余裕の表情のまま肩をすくめた。
「そういう意味ではないのだがね……困ったなぁ。転売はしないように言い含められているのだが。いやあどうでも良い人間との約束ならともかく、仮にも元王女との約束だ。流石にこれを破るのは忍びない」
イオニアの言葉は、裏を返せば「条件次第では譲る」ということだった。
譲れないとは一言も言っていなかった。
「もちろん報酬は弾むし、人前では着ないわ」
「そうだなぁ……面白い魔法があれば教わりたいね」
「仕方ないわね。ま、幾つか教えるつもりだったからそれは構わないわ」
「それと舶来の品が欲しくてね。渡来の商人と商談がしたい」
「セッティングしてあげるから予定を空けておきなさい」
「助かるよ。土産にはけちりたくなくてね」
その言葉に、エリンナがにやりと笑った。
「あなたも惚れた女にずいぶんと甘い男ね。巌窟騎士団、だなんて如何にも恐ろしげな名前を名乗ってた癖に」
「こればかりは団長譲りでね」
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