遺されたもの 2
「まず、これを読む者はやんごとない理由でここに収監されているに違いない。
事実、私も王に疎まれてここに滞在しているのだからよくわかる。
幸運にも姪の養育のために城に呼び戻されることになったが、ここを去る前に幾つか伝え残しておきたいことがある。
この屋敷と、森と、そして謎めいた遺産についてだ。
順番に説明しよう。
屋敷は一見古めかしいだけの建物だが、建設された時期は定かではない。ダイラン魔導王国が成立する前から存在していた可能性が高い。その歴史を調べるのも一興だが、大事なのは、ここがただの屋敷ではないということだ。
土地の霊脈から魔力を吸収して屋敷が自分自身を補修するために活用している。少々の傷や破損であれば数日で修復するだろう。だが、中の家具や建材は、外に持ち出してしまえばその効果は消えてしまう。金に困ったからといって売り払わないことをお願いする。次に使う者が困るという事情もあるが、私や、私の前の住人たちが愛した住まいだ。どうか大事にしてくれるとありがたい。
次に庭と周辺の森について。
一見何の変哲もないように見えるが、実は屋敷と同じくらいには奇妙だ。
りんごや杉といった、寒冷な地域でも成長する木があるのはわかる。だがヒノキやカリン、シタンといった、この国では見られない木も存在している。他にも自然栽培の難しい園芸品種や、見たこともない南方の果物などなども何故か自生している。野菜や果物に困ることはないだろう。難しい手入れも不要だ。ここも屋敷と同様、森自体が森を維持している。
私が思うに、ここは古代の魔法使いによる別荘と家庭菜園なのだと思う。ここに住むのであれば、その趣味性を大事にして欲しい。私自身、王には表向き静かな隠遁生活している体裁を取りながらも、その裏では日々を楽しく過ごしたものだ。
ところで、森の中には数多くの魔物が生息している。
だが過度に恐れる必要はない。正しい手段で正門の錠を開けてこの屋敷の主と認められたならば襲われることはない。あるいは、ごく簡単な命令を出すこともできる。例えば来客を襲わないようにもできるし、泥棒や賊から屋敷を守らせることもできるだろう。
ただし魔物には魔物の意志がある。腹を空かせていたり子を産んだばかりであれば気が立っているだろう。また、住みよい環境である森を出ようとは魔物自身も思わない。軍隊のように使役する……という野心は捨てなさい。扱いを間違えたとき、滅ぶのはあなたの敵ではなく、あなた自身となるだろう。
客人を確実に安全に招きたいときは、書斎の引き出しの紙を使って招待状を書くと良い。招待状を持つ者は館の主と同様、魔物は襲わないようになるはずだ。
また、出した招待状は一ヶ月も過ぎれば自動的に消失し、引き出しの中に新たに白紙の招待状が生み出される。残りの枚数をあまり気にする必要はないが、防犯を考えるとあまり配りすぎない方が良いと助言を記しておく。
そして最後に、「遺産」についてだ。
これだけはこの屋敷の主となる者だけが知っておくべきことだ。遺産の存在は、決して他人に明かしてはならない。遺産によって得られる知恵はきっとあなたの想像を超えるものだ。これを手に取る者にとってきっと力となり、そして希望となることだろう。私もこの「遺産」によって人生を救われた。
だがそれゆえに、悪用はどうか慎んでほしい。手紙の中で何度もお願いを重ねることは申し訳なく思うが、あなたの良心に訴えるしかないという私の事情を慮って欲しくもある。
長々と書いたし面倒な事も書いただろう。
不自由な生活を強いられるあなたに言うべき言葉ではなかったかもしれない。
だがそれでも、日々の生活の中で夢や希望を持つことはできるはずだ。
少なくとも、私はここで夢を抱いた。
ひたすらに美を探求した。
幸福な日々を過ごさせてもらった。
だからこそ私は願っている。
あなたにとっても、ここでの生活が幸福となりますように。
星霊暦542年 コンラッド・ダイラン」
◆
その手記は、コンラッドが確かにここにいたのだという証拠だった。
この優しげな祈りや願いは、間違いなくコンラッドだ。
ジルはそれを確信し、ぽろぽろと涙を流した。
「……ちょっと期待してるものとは違ったけれど、伯父様らしいですね」
生前のコンラッドは美術と美食を愛した。
暇さえあればよく絵を描いており、王族であるというひいき目抜きに審美眼のある重鎮や画商も一目置いていた。食道楽も中々のもので、王城の厨房の人間が舌を巻くほどに様々な国の料理を知っていた。異国の賓客や外交官は、誰もがコンラッドの支度する饗応や宴を喜んだ。
人に優しくすること。誰かと共に何かを楽しむこと。それがコンラッドの特技であり、愛すべき癖であった。それらを一身に受けたのがジルだ。
この手記からは確かにコンラッドの匂いがすると、ジルは感じていた。
「……よし」
そして、涙と昂ぶった心が落ち着いたあたりで、手記の内容をもう一度確かめた。
この手紙において、大事なことは三つだ。
屋敷について。
森について。
そして、遺産について。
「確かに、この屋敷は随分と奇妙でしたね……」
手記の内容は、ジルの疑問を裏付けるものだった。
屋敷の傷みの少なさは、古代文明の遺跡であるためだ。また、来たときは気付かなかったが、妙に緑の多い森だった。
常に葉を生い茂らせる木が多いだけではなく、冬には枯れるはずの草木が確かに存在していたとジルは気付いた。自分自身の勘の鈍さに苦笑しつつも、住み着く魔物が襲ってこないとなれば、食事には困ることはなさそうだと安堵する。
「それで、遺産というのは……これでしょうか?」
ジルは、手紙と共に安置されていた本を手に取った。
真っ白い装丁の本だ。
絵やデザインがないどころか、タイトルも、著者さえも書かれていない。
ただの日記帳、と言うにはあまりにも艶やかで鮮やかな白だった。
真珠の艶をあえて消したような、そんな清々しささえ感じる。
ただ白紙の紙を束ねたのではなく、意図的に、純白の本として作ったのだ。
「何も書いてありませんね?」
ジルはぱらぱらと本をめくる。
どのページをめくっても、何も書かれていない。まっさらな白紙だ。ジルは肩透かしを感じたが、何か仕掛けがあるかもしれないと思い直し、もう一度注意深く本を調べた。
かちっ。
「うん?」
ジルは背表紙をさわり、何かに触れてしまった気がした。
だが背表紙を見ても何もない。
気のせいか、と思った瞬間。
「ご利用ありがとうございます。銀河書房製、クラシック型書籍端末アカシアです。新規ユーザーの登録を開始しますか?」
「え、えっ!?」
「お名前と生年月日をどうぞ」
白い本が、喋った。
いや、喋っただけではない。
風もないのにページが勝手にめくられて、白紙だったページに文字や絵が浮かんでいる。
「何これ……?」
「お名前と生年月日をどうぞ」
ジルは魔法使いのはしくれだ。
名前だけならばともかく、名前と居所、生年月日が紐付けられると呪われてしまうという教えが魔法使いの教えにあった。特に、高位の魔法使いや悪魔のような存在に軽々しく伝えてはいけない。そしてジルの目の前にある本は魔法使いでも悪魔でもないが、絶大な力を秘めているだろう。
だがこれは、コンラッドが残してくれたものだ。疑いたくはなかった。そして何より、ジルにはこの本に触れてみたいという好奇心が生まれていた。
「ジル・ダイラン。星霊暦542年、陽火の月、5日」
「ジル様。ユーザー登録が完了しました。銀河市民登録が確認できないため、現在リミテッド版のみの利用となります。アンリミテッドサービスを利用するためには市民登録とクレジット登録をお願いします」
「え……?」
「リミテッド版の場合は666冊分、本日より666年間、無料利用可能となります。より多くの本を読みたい場合はぜひアンリミテッドサービスを」
「あ、リミテッド版で良いです」
「承知しました。利用期間内にアンリミテッドサービスに変更した場合は全銀河レストラン、百貨店、コンビニエンスストアで使えるポイントサービスを」
「よくわかんないのでリミテッド版で良いです」
「……はい」
悪魔と話すときは主導権を握られてはならない。
これも魔法使いの教えであった。
「それでは、ご利用になる書籍を選択してください。13億冊の中から自由に選択できます」
「じゅっ……じゅうさんおく!?」
白い本が勝手に宙に浮かんだと思うと、白い光を放った。
そして空中に映像を浮かび上がらせた。
それは、どれも本の表紙であった。
見たことのない奇妙な文字で書かれた本だが、それはすぐにジルの馴染みのある言語……アルゲネス語へと変換された。
「自動翻訳される都合上、少々画面処理に遅延が発生しております。ご了承ください」
「じどうほんやく……? まあそれより、流石に多すぎて何を選んで良いのやらわからないんですが……」
自分のわかる言語に翻訳されても、ジルにはよくわからない本が多かった。
恐らく娯楽本や小説だなと思う本もあるが、何を言っているのかさえわからない難解な本もある。
「ジル様の興味関心やご趣味を教えて頂ければ、こちらで自動的に選書することも可能です」
本がそう告げつつ、ページに様々な文字を浮かび上がらせた。
「小説・漫画」、「ノンフィクション」、「料理」、「手芸・裁縫」、「ファッション」、「アウトドア」、「人文哲学」、「医療・介護」などなど、様々なジャンル名が表示される。
「ここから幾つか選べということですか……?」
「はい。指で押してください。なお規定により軍事技術関連は選択できません」
「物騒なのは選びませんよ」
そこでジルが選んだのは、「手芸・裁縫」、「料理」、「ファッション」だった。
それで終わりかと思いきや、様々な質問が続いた。
その次に興味のあるジャンルは何か。手芸の中でもどんな分野に興味があるか。右利きか左利きか。糸や木材は手に入りやすいか。住んでいる部屋の広さは。季節や気候。一番好きな食事は何か。食べられないものやアレルギーはないか。信仰している宗教は。よくもまあ考えつくものだと感心するほど様々な質問が出てくる。
ジルはうんざりしつつも律儀に答えた。
そろそろ頭の疲労を感じる頃に、ぽーん、という音が鳴った。
「選書が完了しました。なお、お住まいの地域の文明度を考慮し、西暦二十一世紀以後の書籍に関しては読解困難と判断しました。また、選書の過程において……」
その他、ああでもない、こうでもないと、「私、ちゃんと説明したからね?」と言わんばかりの言い訳じみた説明が続いた。
ジルは、訳のわからない言葉に困惑しつつも、大体のニュアンスで理解した。
「えー、つまり『この本で得た知識で何が起こっても責任取れませんよ』ってことですね? わかりました」
「もし有償サポートが必要な場合は、いつでもアンリミテッドサービスにお申し込みを」
「それは不要です」
「……それではどうぞ、リミテッド版アカシアをお楽しみください」
ページが勝手にめくられた。
そこには、様々な本の表紙が描かれている。先程のような膨大な量ではないが、それでも読み切れるかどうかさえ怪しい。もはや本と言うより、本の形をした図書館だ。
「でも……手芸や料理の本がそんなにあるものでしょうか?」
ジルが見様見真似で本をいじった。
どうやら指でなぞって動かすと、ページ内に示された表紙の画像が流れて次々と色んな本の表紙が現れる。その中でも、もっとも興味をそそられた本があった。爽やかな雰囲気の黒髪の女性が、黄色を基調としたチェック柄のワンピースを着ている表紙の本だ。
タイトルは、次のように書いてあった。
『自分の服は自分で作る ワンピースからドレスまで』
この本が読みたいと、ジルは思った。
それを察したように、本が助言する。
「表紙画像を2回素早くタップすればこちらの本を閲覧できます」
「たっぷ?」
「軽く2回叩いて下さい」
「わかりました」
たんたん、とリズミカルに指で表紙の画像を押す。
すると白い本は不思議な輝きを放ち、そして大きさまでも変化させた。
先程までは手帳よりやや大きいくらいだったものが、今では公文書の羊皮紙ほどの大きさだ。
「ええっ……?」
そして表紙も真っ白ではなく、先程ジルが眺めていた表紙画像とまったく同じものだ。
白紙の本が、読みたい本に変身したのだ。
「元に戻す場合は背表紙を先程と同様、2回タップしてください。それが基本の『戻る』動作となります」
ジルは、返事さえも忘れてページをめくった。
こんな本を読むのは初めてだった。どうやって印刷されたのか、モデルとなった女性は誰なのか、そもそもアカシアという白い本はいったい何なのか、疑問は尽きない。それでもジルはひたすらページをめくった。
「すごい」
ジルは知らないことだが、これはあまり評価の高い本ではなかった。平均評価☆2.3だ。そもそも一冊の本でワンピースからドレスまでの縫い方を網羅できるわけもなかった。生地をどのように縫っているか、ざっくりとしか解説していない。
かろうじて末尾の方にワンピースの型紙はついているが、ドレスの作り方はさらりとしか触れていない。「より詳細な技法を知りたい方はこちらの本をお読み下さい」と、他の本に任せている状態だ。本気で服を作りたいと思った人間が読むには明らかに情報が足りない。
だがそれでも、ジルを魅了するには十分だった。
「すごい……」
ジルは、刺繍や裁縫が好きだった。
コンラッドが去った後はつらい魔法の稽古ばかり。そんな日々の中で、唯一心を癒やせたのは刺繍をしているときだった。そんなことは王女のやるべきことではないと嘲笑されても止めなかった。コンラッドが美食と芸術を愛したように、美しいものを愛でることを止めたくはなかった。
この本に描かれた人々は、当たり前のように服を作ることを楽しんでいる。
「……すごい!」
モデルの女性が様々な服を着ている。どのような生地を使い、どのように縫ったのか、楽しく明るく書かれている。この本の著者が訴えたいことが、書かれている。
『誰のためでもなく、自分らしい服を着て自分らしく生きよう』
その一節が、ジルの心に突き刺さった。
自分らしく生きること。
それこそが、ジルが無意識に求めていたものだと気付かされた。
そしてコンラッドが王族でありながら貫いた人生観の正体だった。
なぜコンラッドが、コンラッドのような人間であったのか。
彼は、この屋敷で自分の人生観を得たのだ。
ジルはこのとき、様々なことを悟った。
ジルは、さっきまで自殺しようとしていたことなどすっかり忘れて、一心不乱に本を読みふけった。十冊以上読み終えたときには太陽が東から昇りつつあった。
「わ、私も……こんな服が……作りたい……!」