凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 12
ジルのねぼけた頭が急速に目覚めていく。
『アカシアの書』の言葉を理解しようと、必死に頭を回転させた。
「どういう意味ですか?」
『同期可能な端末を検知しました。本端末と同期しますか?』
「同期可能な端末……?」
検知したとは、つまり新たな何かを発見したということだ。
普段そこにはなく、今ここにあるもの。
考えるまでもない。キャロルから受け取った本だ。
「端末というのは、この本ですか?」
『はい』
「同期というのはどういう意味ですか?」
『端末に保存された情報に対してアクセス可能になります。また、当該端末の書籍データをコピーすることで、本端末上でも読むことが可能になります』
まどろっこしい言い方はなんとかならないものか、と思いつつもジルは言葉の意味を理解しようとした。情報。端末。アクセス。書籍データのコピー。耳慣れない言葉を結びつけ、ジルは一つの仮説に辿り着いた。
「じゃあ、キャロルさんから預かったこの本は……もしかしてあなたの同類ですか?」
『当該書籍は不明な製造元であり、本端末開発とは別の……』
「ああ、もう、そういうことではなくて……。これは本のように見えて端末というものなんですね? ここにたくさんの本が封じ込められている図書館のようなもの、そういう理解で良いんですか?」
ジルは、焦る気持ちを抑えようとしながら尋ねた。
『メタデータに記録されてる情報によれば、当端末には一冊分の書籍のみが保存されている状態です』
「1冊分? あ、なんだ……この絵本の内容だけですか」
ならば、ただの絵本に過ぎない。端末であるということは気になるが、何か怪しい機能や危ない情報が入っている……ということはなさそうだ。ジルがそう安心しかけたところで、アカシアの書はそんな思惑を完全に裏切った。
『現在、1章分がハードウェア上に表示されています。画面切り替え機能に故障が発生しているため、他の章へのアクセスが不可能な状態です。アクセス不可領域の閲覧を希望する場合は、セキュリティチェックの上で本端末のコピーが必要です』
「……今、目に見えているものがすべてではないんですか?」
『目次情報を表示します』
すると、アカシアの書に、無味乾燥な文字が表示された。
白一色のページに、数行の文字が表記されている。
そこにはこう書かれていた。
『よくわかる悪魔創造と悪魔使役
・はじめに、端末の基本操作について
●悪魔とは何か? 絵本で楽しもう
・悪魔を実際に創造してみよう
・自然言語処理を実装し、スムーズな会話ができるようにしよう
・魔導具と組み合わせて便利に活用しよう
・索引
・奥付』
タイトルと思しき文章の下に、目次らしきものが並んでいる。
そして何か記号のようなものが目次の先頭に付いていた。
『現在表示中の章が●で指し示されています』
ジルは、息を飲み込んだ。
ジルは、はやる心を抑えつつ目次を指でなぞった。
「あれ?」
指で押しても何も反応しない。
『現在、目次を表示しているのみです。閲覧には本端末へのコピーが必要です』
「わ、わかっていました。今のは練習です。練習。それじゃあコピーしてください」
えへんおほんとわざとらしい咳払いをして、ジルはアカシアの書に指示を出した。
『コピーを開始します…………………………完了しました』
「閲覧します。出してください」
『了解しました』
すると、再び先程と同じ目次が表示された。
ジルは『悪魔を実際に創造してみよう』という文字をタッチする。
すると『アカシアの書』がほのかに光り、ページをうねうねと変形させていく。
いつも通り、『アカシアの書』を様々な本に変化させるときと同じ現象が起きている。
ジルは、恐る恐るページをめくった。
「す、すごい……」
そこには今までの絵本のような内容とは違って、端的な言葉遣いで悪魔を生み出す魔法について詳細に記述されていた。それも『こんにちは』と挨拶するだけの悪魔創造から始まり、複雑な計算を一瞬で行う悪魔や、合言葉を言ったときだけ違う反応をする悪魔など、順を追って複雑なものへとステップアップしていく……という流れだった。
「元の端末は、アカシアの書のようなものを目標にして後代で作られたものでしょうかね……? あ、そうだ、奥付も見てみないと」
次の内容を読みたい気持ちを抑えて、ジルは奥付を開いた。
そこには最初に記述された年月日と作者が記載されている。
「天冥歴853年 凍涙の月 15日 ゲッコー=アンドロマリウス……。今の暦になる前だから、三百年前くらいですか。あ、でもちょこちょこ改訂されてますね」
間違いなく今の暦になる前の時代の魔導書だと、ジルは判断した。アカシアの書は奇跡的な遺産だが、この『はじめての悪魔創造・悪魔使役』も相当なものだ。屋敷くらいは買えるとジルはキャロルに説明したが、それどころではない。ちょっとした街の1区画丸ごと買える。ここに記述された情報を巡って小規模な戦争くらいは起きても不思議ではない。
こんな凄まじい遺産を持ちながら、アンドロマリウス家はなぜ没落してしまったのだろうか……と考えて、ジルはあることに気付いた。改訂歴や編集歴が二百年ほど前からストップしている。
「……やはりその頃に、端末機能が故障したのかもしれませんね」
喫茶店の床下収納を守っていた悪魔は、ごくごく簡単な受け答えしかできなかった。合言葉もあまりにシンプルだ。この本を読み込んだ人間であれば、あんなにシンプルな悪魔を作るだけにとどまるはずがない。
時代の終わりの動乱期に巻き込まれ「教訓を絵本で説明して、肝心なところを口伝で後世に伝えた」のではなく「端末機能が故障してしまい、半端な知識を口伝で説明するしかなくなってしまった」あたりが真相だろうとジルは見当を付けた。
まだ旧王国の名残が残っていた時代、特異な魔法を持っているがゆえに王侯貴族から狙われ、殺された魔法使いが数多く居たらしい。殺されて魔法を奪われて全滅した一族もいれば、厳重な秘匿を重ねすぎて秘匿していることさえ忘れてしまった一族もいたとジルは聞いたことがあった。アンドロマリウス家も、伝承に失敗したのだ。
「……あ、でも誰が読んだのか履歴は残ってますね。私の名前も載ってる」
奥付をめくると、そこには誰がどのページをどれくらい読んだのか、事細かに書かれていた。
最初の持ち主の名前から始まり、数十行下の最下行にはジルの名前が記述されている。
「キャロルさんの名前がないけど、オーナーの名前はある……。でも私の名前は載ってる……?」
『ジル様のアカウント情報については、ジル様所有の端末と自動的に共有されます』
「ひゃっ!?」
唐突にアカシアの書が喋った。
『なおこちらについては規約において承認済みの事項であり……』
「あー……」
アカシアの書の長々しい説明が続く。
「わかりました。ともかく私は以前に『はい』と言ったから責任を問われても困るということですね? で、そういう気配を感じたからあなたは私の質問に答えたと」
『おわかり頂けて助かります』
慇懃無礼なアカシアの書に軽くイラっとしつつも、ジルは質問を重ねた。
「他の人の名前が載っているのはどうして?」
『ジル様の場合は当書籍を通して端末を開いたためにアカウント登録の作業が省略されました。アカウントを持たない人は、『よくわかる悪魔創造と悪魔使役』について閲覧可能な時間が制限されているようです。閲覧時間超過のタイミングでユーザー登録が求められるのかと』
「なるほど……」
ジルはそう呟いて、操作履歴のログをなんとなく眺めた。
そしてある時期からぷつりと、絵本のページしか読まれなくなっている。
改定歴が止まった時期と一致する。
やはり故障によって魔法の伝承に失敗したのだろうとジルは確信を深めた。
だが、そんな確信が吹っ飛ぶようなものを発見した。
「ロジャー=アンドロマリウスはオーナーの名前……。でも、私とその間にある名前は……?」
ジル=ダイランの上にある名前。
それはつまり、ジルの一つ前の所有者だ。
ジルは綴られた名前を呟いた。
「リッチー=アンドロマリウス」
夢に出てきた騎士たちの中の一人、リッチー。
計算が得意で、悪魔を使役することができる男。
「……え? 嘘……?」
もう一度、口の中で呟く。
リッチー=アンドロマリウス。
優しい悪魔使いの名前。
名前が被っている、だけではない。
得意な魔法も同じだ。
なにより、まるで何度も自分が呟いたことがあるかのように、しっくり来る名前だった。
呟けば呟くほど、旧来の友達や知人であるかのような郷愁がジルの胸に流れた。
夢の中の人物は、コンラッド以外の人も実在したのか? だがジルは、思い出そうとしても一向に思い出せない。コンラッドたちと共に洞窟に住む夢を見た後は「きっとそういう過去を思い出として捏造したのだろう」くらいに捉えて、すっかり忘れていた。しかし今ここに、一つの証拠が生まれた。リッチーは実在する。
だがその証拠は、更なる冷徹な結末を導き出した。
喫茶店『アンドロマリウス』のオーナーの弟は数年前、前線に送られて戦死している。
ジルはすぐに身支度を整えてシェルランドの街へと向かい、マシューの家の玄関を叩いた。
「お願いします、マシューさん。とある人物のことを調べたいんです」
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