凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 10
※次回は一週間後になります
「す、すみません、お忙しいところ突然お邪魔して……。内密の相談がありまして」
客間に通されたキャロルは、恐縮しながらきょろきょろもじもじしていた。
冷や汗もかいている。
単に暑いというだけではないだろうとジルは感じた。
「構いませんけど、どうしたんです? 顔色も悪いようですし……」
「これを見て頂きたくて」
キャロルは、カバンの中から1冊の本を取り出してジルに渡した。
重厚な割に薄い、黒革の表紙の本だ。
題名も何も書かれていない。
ジルがぱらぱらとページをめくって流し読みする。
どのページにも絵と文章が添えられていた。
「……滑稽本? あ、いや、違いますね」
内容は、まるで子供向けの絵本のようなものだった。便利な能力を持った『悪魔』と契約してズル賢く金儲けしようとした男が自業自得の失敗をする……という教訓めいた物語が、絵とユーモラスな文章とともに描かれている。
事前知識を一切持たずに読んでいたら、読んで笑ってそれでおしまいだろう。しかし、ジルの背中にぞくりと何かの予感が走った。
「……キャロルさん。これ、どこで見つけました?」
「『悪魔』が茶器をしまってた箱がありますよね。妙に底が分厚いと思って調べてみたら二重底になってたんです。それで開けてみるとこの本がありまして」
「なるほど……」
「あのう、ジルさん。そのお話に出てくる悪魔って……見覚えありません?」
「ありますね」
作中に出てくる『悪魔』は、霧のような実体のない体であったり、あるいは宝石や杖といった物品を体としていたりしていた。決して魔物や怪物のようなものではない。
しかも、ひどく杓子定規な性格だった。
「ちょっと読み上げますね……男は、悪魔に買い物を命じました。『牛乳を買ってこい。卵があったら3つ買ってこい』と。悪魔は言われた通り、卵があったので牛乳を3つ買ってきました。男は怒りました。『なんで牛乳ばっかり買ってくるんだ!』と。しかし悪魔は言い返しました。『だって卵があったから』と」
キャロルがよく理解できず、首をひねった。
「どういう意味です……?」
ジルも一瞬困惑したが、文章にもう一度目を通してなんとなく理解できた。
「……こういうことですね。男は最初に『牛乳を買ってこい』と命令を出していますが、『卵を買ってこい』とは言ってないんですよ、厳密には。ここで悪魔に卵を買わせるには、『卵があったら、卵を3つ買ってこい』と、追加で命令しなければいけませんね」
「ああ……そういう意味でしたか……」
「ですね……」
「まるで、『悪魔』って存在がどういうものなのか、わかりやすく教えてくれるみたいですね……」
「というより……」
キャロルとジルが、同時に呟いた。
「「悪魔の教科書ですね」」
重い沈黙が応接間に降りた。
アルゲネス島において、秘伝の魔法を綴られた本というのは凄まじい値が付く。それこそウォールナットのカウンターテーブルどころの話ではない。貴族の屋敷を建てるくらいの値が付いてもまったく不思議ではない。
だがそれは、正当な取引として成立した場合の話だ。
手っ取り早く強奪しようとする者が現れないと、どうして断言できるだろうか。
「ええと、キャロルさん。神話とか魔法使いの歴史みたいなもの、知ってますか?」
「い、いえ、あんまり……。ただこれがけっこうヤバい物だってのはなんとなく」
「その勘はあまり外れてないですね……。でも、そこまでの危険物ってわけではないですよ」
「そ、そうなんですか? 本当に大丈夫ですか?」
「ざっくり説明するとですね。今の魔法使いの使う魔法って、二百年くらい発展していないんです。古王国の絞りカスのようなものです」
「は、はぁ……」
まず始めに、この世界には神々の時代があった。
宇宙が生まれ、神が生まれ、星と星の間を自在に行き来したり星を作り出したりするほどに絶大な力を持っていたと伝えられている。
その神々の末裔がアルゲネスの地に降り立ち、一つの国を作り上げた。それがアルゲネス王国という国だ。神々ほどの力はなかったが、今の人間にとって見れば天と地を隔てるほどの差があったそうだ。
アルゲネス王国は長きに渡る平和な日々の果てに星々を渡る知恵や技を失い、神々の末裔であることも忘れていった。そして血族間での対立や、政治的な対立が激化するようになってやがて数多くの小国に別れ、戦国の時代を迎えた。
そこまでが五百年前の話であり、アルゲネス王国は今や完全に消え去った。今では「古王国」とも呼ばれている。
「戦国時代のもっとも大きな戦争……古代戦争は百年以上の長きに渡って続き、しかも悪いことに東大陸の方でも内紛が起きてて島内戦争と大陸戦争が合体し、最終的にすべての国々を巻き込む大戦争になったそうです。あらゆるものが破壊され、民族、文化、あるいは文明の大部分が途絶えたと言って良いでしょう。人口も百分の一か……あるいはもっと減ったとも言われています。森や川なども減って荒れ地ばかりになり、魔物も跋扈するようになったのだとか」
「あ、そのへんは何となく知ってます。歴史で習いました」
「そして生き残った人々が僅かに残った知恵や魔法を元に再び土地を開拓して国を作り上げ、でもまた戦国時代に入ったり、和平の時代に入ったりを繰り返して今の時代……星霊暦に至ります。このダイラン魔導王国ができたのは二百年前くらいですね。さて、ここからが本題です」
「はい」
キャロルが真剣な顔で頷いた。
「今現在、地水火風の四大属性の魔法。そしてそれらを魔導具にする技術は体系化されていますが、それ以外の魔法はまとめられておらず、失伝したものがたくさんあります。ですので特異な魔法を扱う魔法使いは、奪われたり盗まれたりしないよう口伝で継承したり、あるいは特別な手段で知識を後世に残したりしています。それが迂闊に外に漏れると非常に危険です」
「じゃ、じゃあこれも……!」
キャロルが青い顔をして震えた。
だが、ジルは苦笑して「まあまあ落ち着いて」と言ってたしなめた。
「これはそこまで深い内容を書いているわけではありませんよ。悪魔とはどういう存在なのかを絵物語で示しているだけで、具体的なテクニックや呪文などについては書かれていませんから」
「あれ? そうなんですか?」
「ここからは根拠のない推測になりますけど……キャロルさんのご先祖は大事なところは口伝で伝えておいて、その補足や心構えのためにこの本を執筆したんだと思います。この本を読んだだけで悪魔創造や悪魔使役ができるわけではありませんし」
「そ、そっかー! いやー、安心しました! これを持ってるからと言って狙われたり襲われたりってことはありませんよね?」
「いや、肝心なところがないにしても、周辺知識や教訓は十分に得られますからそれなりに危険物ですね」
「……ですよねええぇ」
キャロルが頭を抱える。流石にジルもこの状況には深く同情した。彼女自身の自己卑下など抜きにした客観的事実としても、この少女はとても運が悪い。
しかも話を聞く限り、アンドロマリウス家の分家……キャロルの親戚は、厄介事をまるっとキャロルに押し付けているような格好だ。金目のものになる危険物を知らせたら更なる厄介事に発展する可能性は高いだろう。
もしオーナーの魔法……悪魔の創造や使役をキャロルが学んでいればそれなりに自衛手段はあっただろう。だが残されているのは教訓めいた絵本と建物だけだ。魔法使いでもなんでもないキャロルに「この本を先祖代々の遺産として守れ」というのは、あまりにも無情だとジルは思った。
「キャロルさん、これ他の人に話したりしました?」
「いえ、誰にも。見つけてすぐこちらに来たのでジルさん以外には見せていません」
「それが正解ですね……。例えばオークションに出して売りたいとか、そういう希望はありますか?」
「お金より命が大事です」
そのあけすけな物言いにジルはくすっと笑いそうになる。
だがキャロルにとっては冗談抜きでの真剣な相談だ。
笑ってはいけないとジルは表情を引き締める。
「わかりました。でしたら、私が預かりましょうか?」
「良いんですか!? あ、いや、それを頼めればなぁとは思ってましたけど……。言わせてしまったみたいで本当すみません……」
「いえいえ。けっこう興味があった分野ですし、こういう稀覯本が読めるのは私としても嬉しいです。それにこの屋敷であれば泥棒対策は万全ですし」
「ありがとうございますぅ……!」
キャロルが生まれたての子鹿のように、ぷるぷる震えながら本を差し出した。
ジルに預けると、ほっと表情を緩めたのだった。
◆
大騒ぎしていたキャロルも、ジルが本を受け取ったおかげか、すぐに元気な顔を取り戻した。現金な物だと少しばかりジルは呆れたが、何かと不幸続きのキャロルにようやく平和が戻ったと思えば仕方あるまい、と思い直した。
「さて、寝る前にちょっと読んでみますか」
モーリンたちも帰り、陽も沈んで月が煌々と森と屋敷を照らしている。
ジルは、ベッドに潜り込む前にキャロルから預かった本を開いた。
本来であればアカシアの書を開いて面白そうな本を乱読するのがジルの日々の習慣だったが、今日ばかりは流石に見知らぬ秘伝を受け継いだ一族の本に興味を惹かれた。
特に悪魔創造や悪魔使役は、ジルは過去に一度挫折している。何か面白い知識があるのではないかと期待を寄せてページをめくった。
「……うーん、読み物としては面白い、のですが」
だが、やはり描かれているのは概念的な話や教訓ばかりだ。悪魔を「願いを叶えてくれる便利な召使い」と勘違いした主人公が失敗したり、上手く操ったときも調子に乗って失敗したり、かと思えば何でもない気まぐれな施しが巡り巡って主人公に大きな幸運を与えたり。
興味深いところがあるとするなら、ガトーマジックの詳細について描かれていたことだった。
男はお菓子作りに『悪魔』を活用することを思いつき、しかし欲をかいてなんでも『悪魔』任せにしようとして失敗する……という内容だ。
「昔のオーナーは、ここからレシピを引っ張ってきたんですね……なるほど」
ジルは、それ以外に何か隠された情報などが無いか丹念に調べる。
だが、これといって発見はなかった。
気付けばジルは謎の発見は諦め、滑稽本を楽しむような気持ちでキャロルの本を楽しんでいた。そうこうする内に睡魔がやってきた。
「ふぁーああ……。さて、そろそろ寝ますか……」
ベッドの横のサイドテーブルにジルは本を置いた。
アカシアの書の上に重ねたのは、完全に無意識のことだった。
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