凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 9
一ヶ月ぶりに訪れた幽霊屋敷は、見違えた有様になっていた。
「おおっ……これは素晴らしいですね……!」
「綺麗です……すごーい……!」
ジルとキャロルが足を踏み入れた瞬間、新品の木材の香りが二人の嗅覚をくすぐった。
カラッパがうっかり壊した玄関の枠は綺麗に張り替えられ、床板も明るい茶色が陽の光に反射して眩しく光っている。
一方で、部屋の奥には丁寧に磨かれたウォールナットのテーブルが鎮座してる。
重厚で年季を感じさせる佇まいは、このまま喫茶店として使っても問題ないほどの魅力を放っている。
「親方さん、ありがとうございます!」
「へへ、こっちも幽霊屋敷を建て替えたってことで箔が付きました」
がっしりした体格の角刈りの大工が自慢気に微笑んだ。
「いや親方……。ローランさんの店で『幽霊屋敷なんて俺が施工してやるよ!』って酔っ払って大口叩いたからじゃないすか……。初日はすっげーテンション低かったっすよね」
「ていうか幽霊も除霊された後だから俺たちぁ大したことやってねえしな」
大工の弟子たちが呆れた顔で呟いた。
「うっ、うるせえな! だいたい他の大工の連中だってビビってたじゃねえか!」
実はリフォームを計画した段階で、大工を雇えないという問題が発生していた。意外と験を担ぐ大工が多く、誰に頼んでも「幽霊屋敷に手は出したくない」と断られたのだ。
そこでマシューが一計を案じた。ローランの店には常連の大工がよく出入りしている。そこでマシューは、わざと聞かれるように「最近の大工はどうも迷信深くて困る」「幽霊屋敷を怖がって誰も手を付けようとしない」「昔のような勇敢な職人は本当に減ってしまった」と嘆いたのだ。大工はマシューの思惑通りに挑発に乗ってきて、幽霊なんざ怖くねえと大言壮語した。
その翌日、大工の酔いが冷めて冷静になってきたタイミングでジル、キャロル、そしてローランが大工のもとに訪れた。ジルは相場より高い報酬を提示しつつ悪霊がいないことを伝え、キャロルが切々と自分の窮状を語り、更にはローランが「世話になってる人の頼みだからなんとかお願いできないか」と言葉を畳み掛け、大工が頷くしかない状況に持ち込んだのだった。
(騙したみたいで気が引けましたけどね……)
ジルが小声でキャロルに呟くと、キャロルも苦笑を浮かべた。
「厨房のかまど、カウンターテーブルは目立った傷を治すくらいで、後はさほど手を入れてません。元々がしっかりしたもんです、変にいじくらねえ方が長持ちすると思いやす。ただ、それ以外はほとんど手を入れた格好ですね」
「はい」
「で……かまどの方はちと古いタイプの魔導具っすね。【着火】の魔法を長持ちさせたり火力を調整したりする機能があるんですが、火種自体は自分で用意しなきゃいけません」
「うんうん。オッケーです」
「後、何か不具合がありましたらいつでも来てくだせえ」
「助かりました。本当にありがとうございます。これ、ケーキです。後でみんなで食べてください」
「おっ、いつも助かりやす!」
大工は体力仕事のためか、意外に甘党が多い。
ジルは報酬とは別にちょくちょく工事現場に出入りして菓子を差し入れしていた。
大工の頭も弟子たちもジルの菓子を楽しみにしていたのか、嬉しそうな顔をして持ち帰った。
「よしと。それじゃあキャロルさん、私たちも一服しませんか?」
大工たちが去ったあたりで、ジルがキャロルにそんな提案をした。
「あ、良いんですか?」
「ええ。お見せしたいものもありますから。お茶も淹れますから座っててください」
そう言ってジルはテキパキと準備を始めた。
屋敷から持ってきた荷物を降ろし、支度を始める。
「あ、手伝いますよ!」
「大丈夫ですって。ついでに紅茶も淹れますね。少しお待ちください」
ジルは、荷物の中から紙箱を取りだした。
そして同じように持ってきた皿に盛る。
さほど時間はかからずに、カウンターテーブルに菓子と茶を差し出した。
「さあ、どうぞ」
「こ、これは……!」
ジルが差し出したものは、アンドロマリウスのケーキ。
正式名称、『ガトーマジック』であった。
だが、それが乗せられている皿がひどく奇妙なものだった。
純白の皿に、金色の稲光のような筋が入っている。
そして紅茶を入れたカップとソーサーも同様に、金色の筋が入っていた。
「以前お預かりしたお皿とカップですね。こんな風に直しました」
「す、凄い……!」
できるだけ、この町の住民、この島の文化に合わせる形で皿やカップを蘇らせるのが、ジルが自分に課した目標であった。だが、ただ金継ぎしただけでは中々受け入れられにくいとジルは判断していた。
いびつさを美とする感覚が、この島にはあまり根付いていない。そこでジルは、いびつな模様と料理を組み合わせて一つの「風景」を作ることを思いついたのだった。
「あるはずの境目のないケーキと、逆に境目のあるお皿。この二つを一緒にするのも面白いかなと」
キャロルは、皿に盛られたケーキをしげしげと眺める。
断面が見えるように切られており、プリン、カスタード、スポンジの3つの層が見える。
だがその境目は、普通のケーキと違ってどこか判然としていない。
不思議な皿の上に盛られた、不思議なケーキ。
それらが一体となり、見る人の目を楽しませる。
同時にこれは、復活の象徴でもあった。
忘れ去られたケーキ。
壊れてしまった皿。
その2つが一体となり、キャロルの目の前に再び姿を現したのだ。
「ああ、そっか……。だから私、忘れてたんだ……」
「キャロルさん?」
キャロルが、気付けば滂沱の涙を流していた。
「私、昔ここに預けられたって話はしましたよね」
「ええ」
「親が忙しいって話しましたけど、半分ウソと言いますか……離婚したんです」
キャロルは、訥々と自分の幼少期の話をした。
キャロルが3歳の頃に父親が仕事で大きな失敗をして、酒浸りの日々を送っていたらしい。キャロルの母親は勝ち気な性格で容赦なく父親を罵り、つかみ合いのケンカになることもしょっちゅうだった。母親が離婚を決意して就職活動をする際、キャロルの身を案じた喫茶店オーナー夫妻が一時的に預かったのだった。
「ケンカばっかりの実家に比べて、ここは天国みたいに楽しかったんですよね。母に引き取られた後も、母はあんまり余裕がなくて……仕方ないってわかってるけど、辛かったです。楽しかったことを思い出すのも辛くて、この喫茶店で育ったことを忘れようとしてました」
「……そうでしたか」
「それでオーナーが亡くなって……この建物が悪霊屋敷になって……。その頃には私も実家を出て一人暮らししながら働いてたんですけど、要領が悪くって怒られてばっかりで、自分の人生を守るのにいっぱいいっぱいでした。ああ、私って運が悪い星の下に生まれたんだなって、ずっと諦めてました。
ここで私にどういう思い出があったとか、どんな素敵な店だったかとか……ずっと目を背けてて、目を背けてることすら忘れていました。無くなったものも、壊れたものも、二度と取り返しなんて付かない。だから忘れたまま今を生きる方が幸せだって、ずっと無意識に思ってました。こうして蘇るなんて、思っても見ませんでした」
「……キャロルさん」
「でも、世の中にはあるんですね。取り返しの付くものって。蘇るものって」
「はい。死んだ人は戻ってこないけれど……。その人が生きた痕跡というのは消えないと私は思います」
「私なんかが、食べて良いんでしょうか」
「ここを継いだんですから、キャロルさんがダメなら誰が食べてもダメですよ」
「あはは、そうですよね。……では、いただきます」
そう言ってキャロルは涙を拭い、一口食べる。
目が大きく開く。
そして黙って二口目、三口目と食べ進める。
気付けばあっという間に皿はからっぽになっていた。
「ああ……美味しかった……。間違いなくオーナーのケーキです」
「レストラン『ロシナンテ』の人たちと一緒に再現してみました。これを作ったオーナー、ロジャーさんは凄いって、みんな褒めてましたよ」
「ごめんなさい、私、作り方は全然知らなくて……。私、子供の頃はよく転んだりお皿割ったりしちゃってたみたいで、厨房は外から見るばっかりだったなぁ……」
キャロルは、またも涙目になりながら昔を懐かしむ。
だが再び涙で滲む目をハンカチで拭い、ジルを正面から見た。
「ジルさん、雑貨店がんばってください! 私も応援しますから!」
「ええ、ありがとうございます」
「ところで、あの……お皿をお店に並べるなら一つ取っておいてもらえると嬉しいなぁって」
「ああ、それはもちろん。紋章入りのカップなんかは流石にもらえませんよ。幾つか分けていただければ私は十分です」
くすくすとジルとキャロルが笑い合う。
こうして、雑貨店『ウィッチ・ハンド・クラフト』の支店は開店準備がようやく整ったのだった。
だが、実際のところトラブルはまだ解決していなかったりした。
◆
今日は特に暑い日で、ガルダとマシューが仕事ついでに避暑に来ていた。
誘惑の森の屋敷は魔法仕掛けだ。食堂は常に清涼な空気が立ちこめており、うだるような暑さから逃げることができる。
「この絵皿を金継ぎで直すと面白くありませんか? きっと好事家が目を付けますよ。あるいは最初に付いた値段よりも高値がついてもおかしくありません」
「うーん、勇者の魔王退治の絵ですか。こういう無骨な絵って金継ぎに向きますかね?」
ジルが割れた絵皿を持ち、しげしげと眺めながら疑問を口にした。
だがマシューは自信満々に言葉を返す。
「無骨だからこそですよ。傷を直すということも一つの意味合いが生まれると思うんです。ここに描かれている勇者も、何度敗北しても立ち上がる不屈の伝説で有名でしてね。どうです、これを金継ぎで直すというのはもはや一つの物語として成立するんですよ」
「おお、なるほど……そう言われると面白いですねぇ」
「それも良いけど、もっと庶民向けのモノにしねえか? 俺らみてえな一般庶民が白い磁器を買うってのは、結婚祝いとか出産祝いとか、そういう特別なタイミングでやるもんなんだよ。これもまたドラマじゃねえか?」
「あっ、そういう仕事もぜひやりたいですね……!」
今、ジルの目の前にあるたくさんの割れた食器類は、どれもマシューとガルダが持ち込んだ物だ。マシューもガルダも、ジルの金継ぎの技術を見てひどく感激して「大きな仕事になる」という確信を得ていた。同時に「こんなに面白い技術があったとは」と仕事抜きに感激していた。皿に料理を盛って見せれば、キャロル以上の大騒ぎをして落ち着かせるのが大変なくらいだった。
その結果、自分がやるわけでもないのにああでもない、こうでもないと金継ぎの可能性についてあれこれと茶飲み話のテーマにしていたのだった。
「ほらほら、あんたたちがやるんじゃなくてご主人様が決めるこった。あんまり横からあれこれ言うもんじゃないよ」
「おっと失敬。気がはやってしまいました」
「悪い悪い」
モーリンにたしなめられ、マシューとガルダが苦笑しながら詫びる。
「しかし、ご主人様もなんていうか……豪胆だね」
「ごっ、豪胆!?」
ジルは思わぬ言葉にむせた。
「ああ、悪い悪い。別に変な意味じゃないよ」
「いや明らかに変な言葉だと思うんですが」
「だって、不動産屋も騎士団も手を焼いてた幽霊屋敷を物怖じもしないで解決しちまうなんて、そこらの人間にはできないさ」
「そ、そう言われたら確かにそうですけど……」
「幽霊は怖くないのかい?」
モーリンの言葉に、うーんとジルは首をひねる。
「あー、まあ、いたら怖がるかもしれませんが……。いかにも出そうなところで暮らしていたのに見たことなかったんですよね」
「ああ、そういえば以前もそんなことを仰っていましたね」
マシューが思い出したように相槌を打つ。
「ええ……会いたい幽霊も、会いたくない幽霊も、あそこではついぞ出会うことはありませんでした」
ジルは、伯父のコンラッドが死んだと聞いてから、とある奇行をするようになった。
真夜中に墓場へ行ったり、幽霊の噂がある地下室へ行ったり、というものだ。
それは王城には侍女たちが怪談話をしていたのを耳にしたことがきっかけだった。あの墓場からは、三十年前に冤罪で断頭台に送られた貴族の恨みの声が聞こえるとか。あの地下室からは、百年前に毒殺された王子が蘇って邪悪な儀式をしているとか。
そんな恨みを抱えた幽霊が存在するのであれば。
何かしらの思いや未練を抱えた死者が、この世界に留まることができるのであれば。
きっといつか自分も、伯父に再び出会うことができる。
だが、そんなジルの期待は裏切られた。
おどろおどろしい噂話の原因のほとんどはネズミやコウモリだった。あるいは昔の人間が放置した『悪魔』や魔導具であったりもした。あるいは人目を気にした男女の逢瀬を誤魔化すための嘘の噂であったりもした。
そして、一度も死者に出会うことはなかった。
ジルは、十歳にして悟った。
幽霊などいないと。
仮に存在していたとしても、触れることも話すこともできない。
「だから死んだ人の心が宿っているものがあるとしたら、それこそ遺書や遺産……言葉やモノだと思うんですよね。だからそういうものは大事にしたいと私は……あれ?」
ジルが物思いにふけりながら呟いていると、頭の中だけに、『セキュリティシステムにアラートが発生しました』という声が響いた。『アカシアの書』の屋敷のセキュリティ機能だ。そして森に何が起きたのか、ジルの視界だけに映像が映る。
「なんだかキャロルさんが来てますね……?」
はて、とジルは首をひねった。
リフォームは無事に終わっており、今は家具の手配を進めているところだ。
もうこれといった問題もないだろうに、とジルは不思議に思いつつキャロルを迎え入れた。
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