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凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 6




 レストラン『ロシナンテ』は、一週間近く時短営業することとなった。ランチタイムを早々に終わらせ、夕方の営業も遅く始まる。週末は『店長所用により休業』と看板を出した。そうして捻出した時間をケーキ作りに注ぎ込んだ。


 もちろん、アンドロマリウスのケーキを作るためである。

 これはもう完成まで仕上げるまで行くしかない、という謎のテンションに取り憑かれていた。


 毎日数回ケーキを焼き、家族全員で試食とレビュー評価をする。

 今は23回目の実験トライアルを終わらせ、検証ポイントをまとめていたところだった。


「低温でじっくりと焼く。卵黄とメレンゲを分けて生地を作る。このあたりがコツだな……」


 ローランの呟きに、ジルとチェルシーが真面目な顔をして頷いた。


「焼き方が甘いとゆるすぎてほぼ半液状になるし、焼きすぎると三層ではなく二層になりますね……。でも、加減はほぼわかってきた気がします」

「卵黄の生地はきっちり混ぜなきゃダメね。ただ最後にメレンゲと混ぜるときはあんまりがちゃがちゃ混ぜすぎないのが良いと思うわ」


 全員がなんとなくコツを掴み始めていた。

 次こそは成功する。

 そんな確信が漂っていた。


「よし、行くぞ……!」


 ローランの声の下、全員が厨房で動き出した。


 まずはマルスが卵黄、砂糖、溶かしバター、蜂蜜、牛乳、そして薄力粉をしっかり混ぜた。これがメインの生地だ。ジルがその横で卵白を撹拌してメレンゲを作っている。


「多分、メレンゲや小麦粉の多い部分が分離してスポンジケーキになるんだと思います。はい、マルスくん」

「ありがとう、ジルさん」


 出来上がったメレンゲをマルスに渡すと、マルスはへらで生地と混ぜ始めた。

 手早くささっと混ぜた程度で済ませ、生地を円形のケーキ型に流し込む。


「親父。生地ができたぜ」

「こっちも、余熱が終わったところだ」


 ローランは、オーブンで湯せん焼きの準備をしていた。


 湯せん焼きとはオーブンの天板に湯を張り、そこにケーキ生地の入った型を入れて蒸し焼きにすることだ。蒸されながら焼かれるために生地に優しく火が入り、しっとりとした仕上がりになる。そのためプリンやスフレなどを作る際によく使われる。逆に、こんがりとした香ばしさやしっかりした食べごたえを楽しむレシピには使われない手法だ。


 今回アンドロマリウスのケーキを作るにあたって、プリンよりも更に低い温度で湯せん焼きをするという方法を採用した。


「よし、行くぞ」


 それは、加熱中に材料をあえて分離させるためだ。


 スポンジケーキ、プリン、カスタードクリーム。実はこの三種は材料がほとんど被っている。卵、砂糖、牛乳。溶かしバター。そしてバニラビーンズや蜂蜜などの香料となるもの。違いと言えば、薄力粉を加えることや分量のバランスが異なるくらいのものだ。


 そしてそれらの個々の材料は、比重や脂肪分の割合などが異なる。そのためプリンの混ぜ方や火の入れ方に失敗すると、半分がゆるく、半分固いものが出来上がる。


 だがこのアンドロマリウスのケーキは、あえて分離させる。それこそが境目のよくわからない三層によって成り立つ不思議なケーキの正体だった。


「……そろそろだな」


 そして小一時間ほど経った段階で、ローランがオーブンを開けた。


「次は冷やさんとな。ここでプリンの部分をしっかり固まらせる」

「お父さん、氷壺の準備はできてるよ」

「おう。助かる」


 ティナが氷壺の蓋を開けた。

 入り口からひんやりとした空気が流れている。

 ローランがそこにケーキを入れた。

 ここから生地を固めるための冷却工程が入る。

 時間は2時間ほど。

 加熱したプリンを冷やすのと同程度だ。


 普段の実験ならば冷却工程で一時解散となるが、誰も厨房から出ていこうとしなかった。

 今度こそ成功するという確信が、全員の心にあった。


「よし、切り分けよう」


 ローランが氷壺からケーキを取り出し、皿に置いた。

 包丁で切り分けていく。


「ああっ……」


 その断面は、見事な三層になっていた。


 上層はふんわりとしたスポンジケーキ。

 さっくり混ぜたメレンゲが焼いている最中に浮き上がり、スポンジケーキと似たような配合になるためだ。


 下層は、しっかりとしたプリン。

 卵白成分が少なく、しっかりとした歯ごたえのものに仕上がっている。


 そして中間層はカスタードクリームのようになっている。

 火が入っていないわけではないが、完全には固まっていない。

 上層と下層に遮られているためだ。


「よし、頂きます」


 全員が神妙な顔をして、一口食べた。

 そしてその神妙な顔は、すぐに晴れやかな顔へと変わった。


「や、やった……成功だっ……!」

「やりましたね、ローランさん!」

「親父、これは凄いよ!」

「くそっ、アンドロマリウスの野郎……良いケーキを作りやがって……!」


 気付けばローランの目には、涙が浮かんでいた。

 ジルも喜びのあまりにちょっと泣きそうだった。

 全員の心に、何かをやり遂げたという達成感が満ち溢れていた。


「でもこれ、毎日作り続けるのはキツくないかな? あえて低温にして焼くの、ちょっとコツがいるよ」


 いち早く我に返ったマルスがポツリと呟く。

 それに皆が頷いた。


「確かに面倒だな……ジルさんが魔法で温度管理してくれないと、こんなに早く完成するのは無理だったかもしれん」

「何か専用の魔道具でも持ってたんじゃないかしら?」

「だろうな」


 ローランは、チェルシーの言葉に頷く。

 しかしジルは、その謎の答えに辿り着いていた。


 このケーキを作る上での注意は、温度管理だ。温度や時間を間違えたら、焼きすぎてクリームの層が失われて二層になったり、あるいは焼きが甘いために下のプリンの層が固まらなかったりする。


(恐らく『悪魔』の補助があったんでしょうね……オーブンの時間や温度を管理するような)


 ジルは自分の魔法を使い、細やかな温度調整ができる。


 そして喫茶店『アンドロマリウス』のオーナーは、悪魔を使役することができた。

 何分間、何度で温めれば良いか。

 そうしたロジカルな行動は悪魔の得意分野だ。


 だが、口には出さなかった。

 故人とは言え、魔法使いとして、同時に料理人として、その人が隠し続けた技だ。

 何気ない雑談の場で喋るのははばかられた。


「ありがとうございます、皆さん。おかげでとても素晴らしいものができました。改めてまたお礼に上がらせてください」


 少々の罪悪感を抱きつつ、ジルは丁寧に礼を告げた。


「礼を言われるほどじゃない。美味しいものができた。それで満足だよ」

「ええ、年甲斐もなく燃えちゃったわ」


 ローランとチェルシーが微笑む。


「このケーキが食べられただけでも十分価値はあったと思う」

「美味しいよね!」


 マルスとティナは、素直にケーキを楽しんでいる。


 相談して良かった。

 爽やかな思いが、ジルの心に吹き抜けた。


「それより、ジルさんの仕事はこれからだろ? 幽霊屋敷の件は頼んだぜ」

「はい!」


 ローランの言葉に、ジルは強く頷いた。







『ロック解除します』


 ジルは、マシューとキャロルを連れて再び幽霊屋敷へと向かった。

 そして『悪魔』にケーキを見せると、悪魔は一言だけ告げてふっと消えた。

 今までそこに何かが居たなどとまったくわからないほどに、綺麗さっぱりと。


「……よし、これで何とかなりましたね」


 ふう、とジルは安堵の息を吐いた。


「あれ、ケーキを食べるわけではないんですね?」


 ジルの手には、箱に入れたケーキがその場に残っている。

 『悪魔』は一切口にしていなかった。


「食事の必要はないでしょうしね。あくまでこの場にケーキを見せられるかどうかだけで判断していたのでしょう。もしかしたら、実は細かい分析もできなくて、間に合せでショートケーキなど出すだけでも良かったかもしれません」

「え? その割にはずいぶん苦労されたようですが……」

「なんだかケーキ作りが途中から楽しくなってしまって」

「……」

「……」


 マシューとキャロルが、「変な子だ」みたいな視線でジルを見る。


「あっ、いや! 冗談ですよ!」

「いや目が本気でしたよね?」

「えー、話を戻しましょう。恐らく防犯機能の解除は簡単な合言葉のみでしたが、今回はもう少し厳重な気がしたんですよね。何度も間違えると永久にロックが掛かるとか、中身が勝手に処分されるとか、より強い泥棒対策の可能性もあるかなと思いまして」

「あ、理由があるんですね」


 マシューが安心したように呟いた。

 でもケーキ作りが楽しかったのは本当です、とはジルは言わなかった。


「あ、あの、ジルさん。そのケーキ……よく見せてくれますか?」


 キャロルが、ケーキに目が釘付けになっている。

 ジルは遠慮なくキャロルに箱ごと渡した。


「はい。これが喫茶店の人気メニュー……『アンドロマリウスのケーキ』です。キャロルさんは食べたことありますか?」

「多分、すごい昔に一度だけ……。でも、この魔法のケーキ……ガトーマジックにもう一度お目にかかれるなんて……!」


 キャロルが感動して呟いた。

 だが、ジルはキャロルの感動よりも重大なことを耳にした。


「……今、なんて仰いました?」

「え? もう一度お目にかかれるなんて、と……」

「そのもう一つ前です。ガトー何とかって」

「あ、ガトーマジックです。このケーキ、ガトーマジックですよね?」


 改めてキャロルからその名を聞き、ジルの顔から表情が失せた。


「キャロルさん」

「は、はい……何かまずいこと言っちゃいました……?」

「その名前、もうちょっと早く聞きたかったんですが……!」

「え? ジルさん、これがガトーマジックだって知らなかったんですか……?」

「知らなかったから頑張って再現したんですよぉ! その名前さえ知っていればレシピ名で調べられたのに……!」


 ジルが力なく崩れ落ちた。


 アンドロマリウスのケーキ作りに難航したもっとも大きな理由は、名前が判明しなかったことだ。それさえわかれば、『アカシアの書』でタイトル検索や本文検索を掛けることができたし、それ以外に市中に出回っている書物や、あるいはお菓子作りに詳しい人に尋ねたりもできた。


「す、すみません……私もそれを見てようやく名前を思い出したと言いますか……」

「あー……いえ、私もうっかりしてました。ちゃんとキャロルさんに色々と聞くべきでした……すみません」


 ジルが詫びて、気を取り直して立ち上がった。


「そ、それじゃあ、カウンターテーブルを動かしましょうか」

「ですね……あれ?」


 マシューがジルに相槌を打ち、だがすぐに首をひねった。


「なんですマシューさん?」

「このカウンターテーブル……相当重いですよ?」

「あっ」


 八人くらい横に並んで座れるカウンターテーブルだ。

 テーブルの天板は重く分厚く、そして足もしっかりしている。

 また内側は収納と一体化しており、相当な重量であることが一目でわかった。

 どう見ても、女二人と男一人で動かせそうな代物ではない。


「うかつに人を雇って運ぶのも考えものですね。下に隠されているものを見せたくはありませんし」


 ジルは悩んだ。

 ここでの作業をあまり人に知られたくはない。

 しかし秘密を守れる力持ちなど、そう何人も居るものではない。


「ガルダに声をかけてみますか?」

「何か良いアイディアは浮かぶかもしれませんが……あ」


 ここでジルは気付いた。

 別に、人間でなくとも良いのだ。


「そうですね、ガルダさんと……うちの庭師にがんばってもらいましょう」




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