凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 5
「……色々試してみましたが、無理でした」
「そうだろうな」
数日後、ジルは『ロシナンテ』に顔を出した。
ジルは疲労を隠すことなくテーブルに突っ伏し、ローランが苦笑する。
「うーん、私、こういうものを解明するの得意だと思ってたんですがね……」
「あれだけのヒントで、しかも数日でわかるはずがねえさ」
「まあ冷静に考えればそうですよね……」
はぁ、とジルは溜め息をつく。
(『アカシアの書』で調べようとしても、ヒントが少なすぎてわかりませんでしたね……一体、魔法のケーキってなんなんだろう?)
ジルは本を読み、そしてローランから教わった材料でプリンケーキやフランを焼いてみたりと、色々と模索していた。だが「これこそが答えだ」というものには至らなかった。流石に情報が少なすぎて、とっかかりすら掴めていない。
「うーん、悔しいですね……」
ジルは今まで、『アカシアの書』を使って様々なことを解決してきた。革への焼印であったり、友禅染であったり、書物を活用して困難を打破することができた。だが今回ばかりはどうにも答えが見つからない状態だ。
「あ、ジルお姉ちゃん!」
「おや、こんにちはティナちゃん。元気してましたか?」
うだうだとジルが悩んでいたとき、ローランの娘のティナが嬉しそうに近寄ってきた。
ジルも、ティナの様子を見てほっと心が安らぐ。
「あのね、最近お父さんにお料理習ってるの!」
「おっ、それは良いですね。どんな料理を作ってるんですか?」
「プリン!」
「ティナちゃんはお菓子作りがやっぱり好きですか」
「うん!」
ティナは満面の笑みを浮かべたが、ローランの方は少々疲れた顔をしていた。
「なるべく火を使わないものだけで済ませたかったが、プリンだけは作りたいって言って聞かなくてなぁ」
「うん。それで……これからプリン作ってみたいんだけど、良い? オーブンを使いたいの」
どうやら火を使うような仕事は、親がいないときは禁じているらしい。
ローランが困ったような顔をした。
「母さんは町内会の集まりに行ってるしな……。ちょっと俺の手が空くまで待っててくれないか?」
「ああ、気にしなくて構いませんよ。私も手伝いましょうか?」
「良いの!?」
ティナが目を輝かせた。
その後ろで、ローランが申し訳無さそうな顔をしていた。
「すまんな」
「いえいえ。こちらこそ色々相談に乗ってもらってますしこんなことで良ければ。じゃあティナちゃん、一緒にプリン作りましょうか」
「うん!」
◆
手伝う、と言ってもジルにやることはあまりなかった。
ローランの教育方針が「まず自分でやってみて失敗しなけりゃ覚えない」というものだったからだ。そのため、できる限り口出しせず見守る。オーブンの使い方は教えずローランが操作しているものの、それでも「どれくらいの火力で、どれくらいの時間加熱するか」などはティナに指示を出させる。
そして出来上がりの批評も、自分にやらせる。
「どうだ、ティナ」
「…………美味しくない」
「どんな風に?」
「焼きすぎて、すが立った」
がっかりしながらティナは呟く。
「あと香りも飛んでる。もっと香料を入れなきゃ駄目」
「だが、入れすぎたら今度は苦味が残るんじゃないか?」
「うっ……」
「何も全部混ぜて焼くだけが手段じゃない。香りも味わいも楽しみたいなら砂糖漬けの果物を横に添えるとか、色々と方法はある。単体で完成されたものを作りたいんだろうがそこばかりに囚われるな」
的確な助言だとジルは思った。
だが、その助言を受け入れられるほどティナは成長してるだろうか。
心配してジルはティナを見る。
案の定、泣く一歩寸前だ。
「ティナちゃん……」
「ぐやぢい……!」
「あ、そっちですか」
また、ローランの助言が耳に痛くて泣いているのではなかった。
自分の手が、自分の理想に全然届かないことに悔しくて泣いているのだ。
「安心してくれ、ジルさん。ティナはこのくらいじゃへこたれない」
ローランが笑ってティナの頭を撫でる。
それでもティナの顔は晴れなかった。
「でも、思い通りに作れない……」
「形になるだけでも十分凄いんですけどねぇ……。それに、自分の作ったものに対してはみんなひいき目になっちゃうのに、そういうところがないし」
ティナは、味覚が鋭い。
そしてその鋭さゆえに、自分の腕の拙さをまざまざと自覚している。
普通に趣味で料理を作る分には不要な苦悩だ。
まだ小さい子が抱くものではない。
しかしそれは、料理人にはきっと不可欠なものだとジルは思った。より上を目指すためには、自分が今どれくらいのものを作れるのかを冷静に見つめなければいけないのだから。
(ティナは、乗り越えられるんでしょうか)
心配になって、ジルはティナを眺めた。
だがそんな心配を他所にティナはうるんだ目を拭い、きっとローランの顔を見た。
「もっかい作る!」
「おいおい。夕方の営業があるんだぞ」
「あと1回だけ、1回だけだから!」
ティナはさっきまで泣きそうだったのをけろっと忘れて父親にせがんでいる。
「これは将来が楽しみですね」
「今は困ったもんだがな」
ジルの言葉に、ローランが嬉しそうに笑った。
◆
結局、その日はそれらしいアイディアが出ることもなく終わった。
その後もジルはレストラン『ロシナンテ』に顔を出した。ローランとマルス、そしてローランの妻チェルシーも加わって意見を出し合ってケーキの正体を推理したが、中々「これだ」という答えは出なかった。
「ふと思ったんだが、三層とかじゃなくて五層とかなんじゃないか? 微妙に配合の違うアパレイユを重ねて、スポンジ、プリン、カスタードの三層と、その中間層を作るんだ」
「それなら三層じゃなくて五層だって食べててわかるよ。それに親父、毎回毎回それを作って常に同じように焼けるか?」
「無理じゃないが……定番メニューにするのはキツいな。それに、五層くらい重ねたケーキなら食べてわかるのも確かだな。チェルシーはどう思う?」
「確か『アンドロマリウス』のケーキは数量限定だったと思うわ。でもオーナーと奥様の二人で経営してたから、用意するのが大変なレシピは現実的じゃないと思うのよね」
「だよなぁ……」
「でも今まで出たアイディアでは一番現実的ですね……ダメ元でやってみますか?」
「うーん、チャレンジだけしてみるか……」
少々、相談は行詰まり気味だった。
だが、まったく予想外のところからヒントが現れた。
「ねえねえ、プリンできたー」
ティナが会話に割り込んできた。
だが全員、邪魔されて機嫌を害することもなかった。
むしろ空気が変わったことに喜びさえ覚えていた。
「ティナちゃん、新作ができたんですね」
「うん! 今度は美味く行った……と思う」
ジルの言葉に、ティナが嬉しそうに頷く。
ティナは失敗してからも、へこたれずにチャレンジを重ねていた。材料代も馬鹿にならないし、大人が居ないと火が使えない約束だが、それでも余った材料を目敏く見つけたり親の手が空いてる隙を見つけてはチャレンジしていた。
「せっかくだし、お茶にしようぜ。俺もそろそろ疲れたよ」
「ああ、私も手伝いますよ」
ジルがマルスと共に茶の支度を始めた。
ローランが皿を用意し始める。
皆、手慣れているためかすぐに支度は調った。
「いただきまー……あれ?」
「うん?」
全員、ティナのプリンを一口食べて疑問符が浮かんだ。
「ティナ、これ……分離してるぞ?」
マルスがうろんげな目でティナを見た。
ジルも、自分も似たような失敗をしたなぁと郷愁を覚えた。
分離とは、プリンを作る際によく起きる失敗の一つだ。
牛乳と卵液の比重が違うために、生地をしっかり混ぜたつもりでも加熱の過程で均一さが崩れてしまうことがある。固い部分と半液体の部分に別れてしまうのだ。
あるいは卵白と卵黄もまた比重や凝固する温度が異なっており、それが原因で分離が起きたりする。
プリン作りを成功させるためにはそれぞれの材料がしっかり混ざった状態で、適切な温度で加熱して分離を防がなければならない。
「でもこれはこれで美味しかったりもしますよね」
「客には出せんがな」
あはは、とジルとローランは笑う。
だが、ティナはきょとんとしていた。
「これってお客さんに出しちゃだめ?」
「そりゃあ失敗して……」
「ぼそぼそで美味しくないとかじゃないよ。わざとそうしたんだもん」
「わざと?」
「硬いプリンと、柔らかいプリン、一緒に食べたら美味しいかなって」
「……なんだって?」
ローランが、真剣な口調で聞き返した。
「え……いや、確かに不味くない。ちょっとだけ分離してるとかじゃなくて、それなりのバランスで分離してる。しかも境目が……はっきりしない」
マルスが、何かを確かめるようにプリンを食べ進める。
ますます全員の表情が深刻の度合いを深める。
ティナが戸惑い、食べる人の顔を順繰り見る。
「や、やっぱりダメだった?」
「ティナちゃん」
「な、なに? ジルお姉ちゃん」
「あなた、天才」
「え?」
意味がわからず、ティナはきょとんとしている。
「これだ! この感じだよ、昔食べたあのケーキは!」
「凄いぞティナ! 流石俺の娘だ!」
「確かにクリーム状の部分としっかりしてる部分の歯ごたえの違いを確かめられるわね……。我が娘ながら末恐ろしいわ」
家族は口々にティナを褒め称える。だが、アンドロマリウスのケーキの模索に加わっていなかったティナは、戸惑いが深まるばかりだった。
「お父さん! 結局、美味しかったの!? 美味しくなかったの!?」
「あー、すまんな。プリンとしては……ちょっと何とも言えないが、他の料理として考えたらアリだ。発想次第だな」
「つまり褒めてるの!?」
「褒めてるんだよ」
ローランが、ぷんすか怒るティナをなだめる。
皆それを、微笑ましく見守っていた。
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