凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 4
「【照明球】」
建物の中に入ったジルが魔法を唱えた。
すると、ジルの手の平から小さな球のようなものが生み出された。
それは光を放ちながら、羽毛のようにふわふわと天井の方へと上昇していく。
光の球は建物内部を白く照らし、まるでここだけが昼間のようになった。
「あれ、ジルさんそんな魔法使えました?」
「え、ええ……そういえばお見せするのは初めてでしたっけ」
このとき、ジルはまったくの無意識だった。「あ、暗いから灯りをつけなきゃ」くらいの気分であり、ただの【照明】の魔法よりも便利な方を選ぼうと思って唱えた。だが「なんとなく夢の中で使った魔法が現実でも使えました」と説明しても意味不明だろうと思い、適当にはぐらかした。
「それより、怪しいのはどこでしょうかね。悪魔の核となる魔導具があるはずなんですが……」
「怪しいとするならやはりカウンターテーブルでは?」
「よし、ちょっと調べてみますか」
ジルは何気なくカウンターテーブルに手を置いた。
木のひんやりとした感触が手に伝わると同時に、すぐに手を離した。
「あ、魔力が反応した。みなさん静かに」
ジルの言葉と共に、異変が起きた。
カウンターテーブルの下から、黒々としたもやのようなものが現れたのだ。
「ひっ!?」
悲鳴を上げかけたキャロルに、ジルは人差し指をあてる。
「大丈夫、害はありません。お静かに」
「は、はい……」
「ありがとうございます。どうぞ、ご発言を」
ジルはまったく怯えることなく、もやのようなものに発言を促した。
『動かすな……』
男とも女とも判断のつかない奇妙な声が響く。
「はい、動かしません」
『動かすな……』
「あなたの名前はなんですか?」
『動かすな……』
「あなたの製作者の名前はなんですか?」
『動かすな……』
ジルはそのまま、様々な質問を投げかけた。
だが黒いもやに何の反応も起きない。
こちらを攻撃することもないが、「動かすな」以外の言葉を喋る気配もない。
だがジルは何かしらの確信を抱き始めた。
「あなたはロジャー・ブラウンですか?」
ジルが告げた名前は、他界したオーナーの名前だった。
だがそれを告げても、黒いもやは何も答えない。
『動かすな……』
「これも違いますか……じゃあもっとシンプルに考えないと……」
「あの、ジルさん? 大丈夫ですか?」
マシューが心配して声をかける。
だがジルは目の前のことに集中しており、マシューを振り返らずに返事をした。
「あと幾つか言葉を投げかけますので、それがダメだったら仕切り直しにしましょう」
「はぁ……」
「よし……『私はロジャー・ブラウンです』」
『……』
「いや、違いますね。ブラウンは平民になってからの名字ですから……没落したときの名字の方かな……。『私はロジャー・アンドロマリウスです』」
『ロジャー・アンドロマリウス様。本人確認のため生年月日をお願いします』
「星霊暦519年、氷天の月、13日」
ジルがその日付を告げると変化が起きた。
黒いもやが、ほのかに光る緑色へ変わったのだ。
『防犯機能、一時停止します』
「ふっふっふ、自分の名前と生年月日をそのまま合言葉にしてるのは悪魔製作者としては甘いですね。でもこれだけちゃんと受け答えできる悪魔を作るのはとてもすごいですよ」
ジルが勝ち誇った笑顔を浮かべ、緑色のもやを撫でた。
もやの方は、敵意もなにもしめさずなすがままだ。
そこにマシューが、おずおずと質問を投げかけた。
「ええと、ジルさん。今のやり取りはつまり……合言葉が必要だったということですか?」
「はい、そういうわけです。合言葉を言わない人間に対しては魔法で警告する機能があったということですね。で、こういうときは名前を名乗るのがもっとも多いと、本で読んだことがあります」
「なるほど……」
マシューも恐怖が薄れたようで、近づいて緑色のもやをしげしげと眺めている。
「魂はなく知性があるとはそういうことですか。彼……いや彼と言ってよいのかわかりませんが、この悪魔は合言葉を言っているか否かだけで判断していたというわけですね。目の前の人間の姿や声など関係なしに」
「ええ。決まりきった行動しかできないんです。もう少し複雑なものであれば血筋を調べるとか、大まかな見た目や声質で見分けるなどもできるそうですが。それと『こういう言葉が来たときはこう返す』というパターンをとにかく増やして、あたかも人間のように振る舞うとか」
「流石、博識ですね」
マシューが感心し、感嘆の息を漏らした。
一方で、キャロルは何が何やらまったくわかっていなかった。
「さて、それではカウンターテーブルを動かしたりリフォームしたりもできるようになりましたね」
ジルが、良かった良かったとばかりに呟いた。
が、それに水を差すがごとく悪魔が棒読みで話し始めた。
『保管庫は現在ロック中です。ロック解除や活動停止には供物が必要です』
「へ?」
『ロック解除や活動停止には供物が必要です』
もやは、同じ言葉を繰り返している。
「すみませんジルさん。これは……?」
「恐らく……警告を発したり泥棒を撃退する、番犬のような機能は止まりました。ですが、何かを『施錠する』機能は生きている……ということですね」
「『施錠』ですか……。それはまるで……宝物を守っているようですね?」
「まあ、当の本人が『保管庫』って言ってますし……何かありますね」
ジルがカウンターテーブルをぺたぺた触ったり、軽くこんこんと叩いたりしている。
しかし、あてが外れたように首をかしげる。
「うーん、何かあるようには感じないんですけどね」
「ジルさん。これ、カウンターテーブルは容易に動かせませんよね? 流石に大きすぎますし」
「ですね」
「例えばこの下に何かを隠すなら、もってこいなのでは?」
「ああ、なるほど。床下収納みたいな感じで何かあるのかな……?」
ジルが何気なしにテーブルの下の床を叩く。
テーブル以外の場所も叩いて聴き比べると、確かに音が違った。
ここには何か空間がある。
三人は無言で見つめ合い、頷いた。
『ロック解除や活動停止には供物が必要です』
「わかりました、わかりました。ちょっと待ってて下さいね」
ジルは、もやの言葉を受け流しつつキャロルを見た。
「……どうしましょう?」
「え、えーと、よしなにお願いします」
キャロルは曖昧な微笑みを浮かべた。
「じゃあ、とりあえず調べる方向でよろしいですね?」
「このまま放っておいてリフォームや改装をするのもマズいですよね……? 高価なものならまずいですし、危険物だったらもっとマズいですし……」
「私もそう思います。じゃあ、調査継続といきましょうか」
ジルがそう言って、もやの方を振り返って尋ねた。
「供物を捧げよ、ということは何でも良いのですか?」
『アンドロマリウスのケーキを所望します』
「……アンドロマリウスのケーキ?」
三人とも意味がわからず、首をかしげた。
◆
悪魔の求めるケーキが一体何なのか、その場ではまったくわからなかった。
結局その場は解散となった。
そして翌日、ジルはレストラン『ロシナンテ』へ向かうことにした。魔法のケーキのことを知っていそうな人間となると、そこのオーナーのローランだろうと見当をつけたのだ。
「アンドロマリウスのケーキか。まあ、知ってることは知ってるが」
ジルの思惑通り、ローランは「知っている」と頷いた。だが自分の禿頭を撫でながら、どこか渋い表情をしていた。
「知ってる……と言う割に、微妙な顔をしてますね」
「本当に知ってるだけだからな。ここの店長の俺が商売敵の店にそうそう出入りするわけにもいかんし、気になってはいたが、一度しか食べたことがなかった」
「あー、そうでしたか」
「ただ一つ言えるのは、確かに想像を超えていた。コンラッド様も手放しに褒めるほどのものだった」
「え、そんなに凄いんですか?」
ジルは本気で驚いた。
伯父のコンラッドが褒めてたというだけではない。
ジルは、ローランが相当な腕前であることを知っている。
その彼が、まるで完全に敗北宣言するかのように他人のケーキを褒めているのだ。
「そうだな……あの不思議なケーキをなんと言ったら良いかな……」
「何か特殊な食材を使ってるんですか?」
「いいや。普通のアパレイユ……卵や牛乳を混ぜた生地から作る。プリンと同じだ。まあトッピングや香料は色々と工夫できるだろうが」
「プリンと同じ?」
「上手く表現できねえな。あ、そうだ。おーい、マルス! ちょっと来てくれ!」
はーい、と声変わりの途中くらいの少年の声が返ってきた。
そしてとんとんとんと階段を降りる足音が響く。
「あ、ジルさんこんにちは」
二階から降りて丁寧に挨拶したのは、ローランの息子のマルスだった。どこか優しげな顔立ちはローランに似ているが、しゅっと引き締まった体格と豊かな髪だけはローランとは似ていなかった。
「マルス。アンドロマリウスのケーキを覚えてるか? お前、子供の頃あれが好きでけっこう食べてただろう」
「ロジャーさんところの? 覚えてることは覚えてるけど……三歳か四歳くらいの話だよ?」
「覚えてる範囲で良い。どういうケーキだったか、二人に説明してやってくれ」
「うーん……なんて言えば良いかな」
マルスが困った顔をしながら頭をぽりぽりとかく。
「あ、ごめんねマルスくん」
「あ、いえ、良いんですけど……。その、味そのものはとっぴなところはなかったはずです。確か上にスポンジがあって、真ん中にカスタードがあって……底の部分は堅めのプリンみたいな感じのものだった……と思います」
「なるほど、三段重ねのケーキというわけですか」
「いや、違います」
ジルが呟いたが、マルスが首を横に振る。
「え?」
「分かれていません。食べているうちに気付けばスポンジがカスタードになって、カスタードがプリンになっているんです。つまり、境目がないんです」
「……なんで?」
「いや……それがわからないんですよね。再現できるなら再現したいんですけど」
マルスがお手上げとばかりに溜め息をついた。
ジルはますます困惑を深めた。
「ローランさん、さっきアパレイユを使うって言ってましたよね? レシピはご存知なんですか?」
「ああ。昔、本人……ロジャーが死ぬ前に見舞いに行ったんだが、少し教えてくれたんだよ。特別な材料は何も使っちゃいないってな。実際食べた感触としても珍しい物は使ってなかったと思う。ただ、どれくらいの温度でどういう風に焼くとか、どういう手間暇を加えるとか……そういうことは教えちゃくれなかったな」
ローランが、どこか悔しそうな顔をしながら言った。
「確かにスポンジもプリンも、珍しい素材ではありませんが……はて……?」
「てっきり俺は、スポンジとプリンを焼いて、その間にクリームを挟んだものなのかと思ってたんだが、どうも違う。確かにあのケーキは妙に境目が溶け合っていたんだ。それが面白い口当たりを生み出す」
「境目が溶け合っている。境目がない。……謎が逆に深まりますね」
「何かからくりがあるんだと思う。どうせならまたこのケーキがまた日の目を見るところを見たいもんだが。しかしなんだってあのケーキのことを調べてるんだ?」
「あー、それは……」
ジルは言葉に詰まった。『悪魔への捧げ物にします』とは流石に説明がしにくい。
なのでジルはとりあえず、『喫茶店アンドロマリウス』があった建物を借りようと思っていること。『悪魔』のことはぼかしつつも、悪霊騒ぎを鎮めるためにもケーキが必要であることなどを説明した。
「ジルさん、俺にはそういう幽霊だのなんだのはよくわからんが……。悪霊騒ぎが静まるってことは、あいつが浮かばれるってことで良いのか?」
「いえ……浮かばれるかどうかはわかりません。私は幽霊や魂の専門家ではないので」
「うん?」
ローランは困惑したような顔でジルを見た。
「ただ、建物があんな状態のまま悪い噂ばかり広まっている……という状況は改善できるでしょう。ロジャーさんが死後に誰彼構わず他人を恨み、祟っているということはありえないと私は断言できるし、それを証明できますから」
ジルは、亡くなった人間に思い入れがあるわけではない。
乗りかかった船に過ぎないし、それよりも悪魔に関する知的好奇心やカウンターテーブルに魅了された点も小さくはない。だが、ここで「割に合わないからやめた」と言い出すつもりはなかった。
「おそらく喫茶店のオーナーのロジャーさんは、自分が死んでも守りたい『何か』があったんです。それを保護して相続人に渡すことができるのは恐らく私にしかできないでしょう。だから、やるだけやってみようと思います」
「そうか……」
「あとはまあ、相続した人がなんか可哀想で見てられないというのもありますけど。幽霊屋敷を相続しなきゃいけないあたりに何とも言えない共感を覚えると言いますか」
「あっはっは、そりゃジルさんだからこそ感じるもんだな」
ローランが面白そうに笑い、そして笑いが収まったところで表情を引き締めた。
「そういうことなら俺は全力で協力する。親しい友達ってわけじゃなかったが……ライバルだったからな」
「ああ、そういえば……」
ジルは、キャロルから聞いた話を思い出した。
この界隈では三店舗が覇を競い合っていたという。
喫茶店『アンドロマリウス』。
ダイニングバー『レッド・アイブロウ』。
そしてレストラン『ロシナンテ』。
「再現してみようぜ。そのアンドロマリウスのケーキを」
「はい!」
ご覧頂きありがとうございます!
もし「面白かった」、「続きが読みたい」と思って頂けたならば
下記にある広告下の【☆☆☆☆☆】で評価して頂けますでしょうか。
(私の作品に限らず、星評価は作者の励みになります)
どうぞよろしくお願いします。





