凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 3
昔、ここには喫茶店があった。
店主の淹れる紅茶は美味く、またケーキも絶品で、大きな人気を博していた。庶民の手の出る価格帯の店としてこの界隈で有名なのはレストラン『ロシナンテ』、ダイニングバー『レッド・アイブロウ』、そしてかつてここにあった喫茶店『アンドロマリウス』であり、その三店でしのぎを削っていたらしい。
『ロシナンテ』と『レッド・アイブロウ』は今も経営を続けているが、この『アンドロマリウス』に関してはそうではなかった。昔を知る客は「味は素晴らしかった」と語るが、味以外の部分で経営にケチがついてしまった。
切っ掛けは、喫茶店『アンドロマリウス』のオーナーの弟が騎士団で横領で捕まったことだ。
シェルランドの騎士団で起きた出来事ではない。オーナーの弟が在籍していたのは国境を監視・警備する『灰翼騎士団』という、名実兼ね備えた国内有数の騎士団だった。そんな騎士団に入団した弟を、オーナーは誇りに思っていた。
喫茶店『アンドロマリウス』の家族の血筋を辿れば三代ほど前まで貴族であったらしいが、先祖が不祥事を起こして没落して平民となってしまった。オーナーは「弟のおかげで貴族への復権や名誉回復も夢ではないかもしれない」と常々語っていた。
オーナーの弟は謹厳実直な性格で、書類や計算に間違いはなく、剣も魔法も達者であった。だが少々融通の利かないところがあった。だからオーナーは弟が横領したという話を聞き「何かの間違いだ。不正を告発しようとして逆に陥れられたのだ」と思った。
オーナーは弟を守るために奔走した。金に糸目をつけず弁護士を手配したり、あるいは口利きをしてくれそうな人間の袖の下にありったけ金を詰め込んだりと、喫茶店の利益や親から受け継いだ私財を注ぎ込んであらん限りの根回しをした。
その結果、弟への公的な処罰は避けられ不名誉除隊も免れた。だが灰翼騎士団に残り続けることはできず、別の騎士団に編入された。そこから先の経歴は具体的に判明していない。『有能だが訳あり』という経歴の複雑さゆえ、元居た騎士団から別の騎士団へと貸し出され、そこからさらに又貸しされ……という状況だったらしい。
そんな状況の最中、隣国との戦争が勃発。
戦死の報告がオーナーの元へ届いた。
ここでとうとうオーナーの心も折れた。私財は尽きており、病に伏せて他界した。オーナーの妻はこの事件が起きるより前に他界している。子供もおらず、喫茶店を継ぐ直系の親族はいない。傍系の親族はいたものの、オーナーが弟のための金策に走ったあたりで関係がひどく悪化していた。結局、「厄介な遺産」としてこの建物が残ってしまった。
……という経緯を一通り聞いたジルは、おずおずと挙手した。
「あの、一つよろしいでしょうか?」
「はい、なんでもどうぞ!」
キャロルは冷や汗を吹きながら精一杯の笑顔を取り繕う。
「そういう話、現地でやります?」
「…………す、すみません」
カウンターテーブルに座る全員がなんとも名状しがたい表情をしていた。
ずぅんと言う音が聞こえそうなほどの重圧を全員が感じていた。
「本気で悲惨な話じゃないですか……。幽霊云々抜きにしても、あまりにも可哀想で流石に心がつらいんですが……」
「ご、ごめんなさいジルさん。私もここまで深刻な話とは」
ジルが本気で落ち込んでいるのを見て、キャロルとマシューが縮こまった。キャロルなどは元々小さい体躯がますます小さく見え、まるで悪戯した子供を叱っているような有様だ。
「あ、あの、それで続きの話を……つまり、幽霊についての具体的な話をさせて頂いても良いですか?」
「はい、お願いします」
ジルは、「あんまり聞きたくなくなってきたなぁ」と思いつつも仕方なく頷いた。
「オーナーが非業の死を遂げて、この建物の所有者をどうするか紛糾しました。親族間で『誰が継ぐか』というか、『誰に押し付けるか』で揉めました。オーナーと弟さんの件がとても悲しい事件だったというのもあるんですが、もう一つ重大なことがありまして……」
「……その幽霊のせいですか?」
「はい……」
キャロルがしょぼくれながら頷く。
「この喫茶店を改装したり、手を加えようとすると、夜な夜な夢枕に幽霊が立つんですよ。なんとも暗い声で『動かすな』と……。それで建物を転売しようとした人は諦めて、改装しようとした人も諦めました。みんな相続したくなくなっちゃいまして」
「喫茶店をやろうとする人はいなかったんですか? ご親族以外に興味を示された人とか」
「オーナーほど美味しいお茶や料理を出せる人はいませんでしたし……みんな、縁起が悪いのを嫌ったみたいです。で、最終的に私に押し付けられました」
あはは、とキャロルが乾いた笑いを浮かべた。
「ええと、どういうご関係なんですか?」
「オーナーの従弟の孫です」
「……遠いですね」
「物心つくかつかないかくらいの頃に、オーナー夫妻にお世話になった時期があったみたいで……。いやまあ、よく覚えてないんですが親戚や家族から『よし、キャロルが丁度良い! みんなそれで良いよな!』みたいな流れになって、逆らえなくて……」
「ご両親などは何か言われなかったのですか?」
「両親も私に押し付ける側で、庇ってくれる人もいなくて……」
「そ、そうでしたか……」
キャロルのどんよりとした曇り顔がますます暗くなっていく。
「代書人事務所で働いてて職場の詳しい人に助けてもらおうとしたんですけど、厄介な案件が来られちゃ困るからって私の親族の方に味方して逃げ場がなくなるし……。悩んでボーっとしてたら所長の大事なカップを割ったり書類間違ったりしてクビになっちゃうし……あはは……。本当、私って昔っからどんくさくって、どんくさくって……」
「え、えーと、キャロルさん?」
「借りてくれる人もいないし買ってくれる人はもっといないし、私は喫茶店経営なんてできないし……」
ジルが心配して声を掛けるも、キノコが生えてきそうなほどじめじめとした空気をキャロルは醸し出している。
「と、ともかくですね! 前向きに話をしましょう!」
「えっ、借りてくれるんですか!?」
「その前に。色々と調べなければいけません。幽霊は声を出してくるんですか? それだけですか?」
「え? えーと……」
キャロルは困惑しつつも、自分の記憶を探るように顎を手に当てた。
「……いえ、他にもあります。このカウンターテーブルを盗もうとした泥棒が夜に忍び込んだところ……」
「殺されてしまいました?」
「いやいや、そこまで物騒じゃありません! 何やら魔法を使われて叩き出されました。泥棒たちはパニックを起こして騎士団に『助けてくれ』と飛び込んでいって、逆に泥棒したことがバレて牢屋に入れられてました。そのあたりは騎士団の方にも記録が残っているはずです」
「なるほど。怪我人はいても死者はいない、と」
「後でわかったことですが、水の魔法か何かをかけられてたようです。だから被害らしい被害と言えば夜風で冷えて風邪を引いたくらいですね」
「幽霊の姿を見た人は? 現場でも、夢枕に立った姿でも、どちらでも構いません」
「いや……ぼやけたような影しかなかったそうです。足もあったようななかったような、はっきりしません」
「武器らしい物は持ってませんでしたね?」
「はい。そもそも漠然とした姿をしてるとしか……」
「あまり危険ではなさそうですね」
ジルの言葉に、キャロルが表情に喜色を露わにした。
「で、ですよね! お家賃は本当、安くしますので……。建物一つで、三万ディナで構いませんので……!」
キャロルが指を三本立ててジルに迫る。
が、そこにマシューがおほんおほんと咳払いして割り込んだ。
「キャロルさん。この話の流れで『借ります』とは言えないでしょう」
「い、言えませんか……」
「とりあえず今日のところは仕切り直しとしましょうか。ご案内ありがとうございました」
マシューが話を打ち切るつもりでテーブルを立とうとした。
だがそこに、ジルがぽつりと呟いた。
「これ、幽霊ではありませんね。特定の物に触れたことを発動キーとして枕元に立つ。あるいは低級の魔法やポルターガイスト現象を起こす。マイナーではありますが特に魔法としては難しいものではありません」
「「え?」」
マシューとキャロルが、疑問の声を上げた。
「『悪魔』の仕業です」
◆
数日後の夜。
すでに日は落ち、周囲の住宅から燭台の灯りが零れている。
だが空き家周辺は盛り場ではないために、足下が鮮明になるほどの明るさはない。
ジル、マシュー、キャロルが数日前と同様に、再び空き家の前に集まっていた。
「あのぅ……ジルさん」
キャロルが、ジルに心配そうに声を掛けた。
「本当にやるんですか? 幽霊と会うって」
「いや、幽霊じゃないですよ。色々と調べて確信しました。幽霊じゃありません」
ジルは建物の下見を済ませた後も引き続き『幽霊』の噂を調べていた。マシューとモーリンを経由して騎士団から情報を聞き、キャロルから念入りに事情を聞き、その他様々なオカルト系の噂話を拾い集め、そして集まった情報を整理して二つの確信を得た。
一つ目、『悪魔』の仕業であること。
二つ目、さほど危険なものではなく、簡単に解決できるだろうということ。
「でも、僧侶さんに除霊を頼んでも無駄足でしたし……」
「僧侶は別に悪魔や魔法の専門家ではないですしね。もし本物の幽霊だったら僧侶の出番かも知れませんが……私は幽霊を見たことがないので深くはわかりません」
キャロルとは対照的に、ジルはまったく怖がっている様子などない。
まるでそこらを散歩するかのような気楽な態度だ。
「マシューさんは幽霊を見たことあります?」
「いえ、ないですが……私が見たことがないというだけで、居るか居ないかの証明にはならないと思いますが」
マシューも少しばかり不気味に思っているようだった。
「確かにそれはそうですよね」
「ジルさんは怖くないんですか?」
「んー、まあ、幽霊が出てきてもおかしくない場所に長年居ましたからねぇ……。侍女とか噂で『地下牢に幽霊が出る』とか、『裏庭の墓地に幽霊が出る』とか、色々噂してましたが、それが本当だった試しがありません」
ジルは十代のほとんどを王城で暮らしてきた。
そこで非業の死を遂げた人間など数知れないはずだが、ジルは幽霊を見たことがなかった。
「……説得力が高すぎて何と言って良いのかわかりません」
「だから十中八九、悪魔の仕業です。残りの一、二は、まあ人間の仕業という確率かなと」
「悪魔の方がそれはそれで恐ろしくありませんか……? どちらにせよ得体が知れませんし、オーナーは実は悪魔の呪いにでも掛けられてた、なんてことも……」
「ん? 悪魔はそういうことはしません……あ」
ジルが、何か思いついたように言葉を切った。
「すみません、説明不足でしたね。悪魔というのは神話や伝承に出てくる恐ろしい怪物を指して言ってるわけじゃないんです。魔法使いの専門用語的な『悪魔』ですね。『魂を持たず、しかし知性を持つ存在』の総称です」
「へ……?」
マシューが、ぽかんとした顔をした。
「キャロルさん。幽霊は『動かすな』以外の発言はしましたか?」
「いえ、みんな声を聞いてます。『動かすな』って」
「それ以外は? 呪うぞとか祟るぞとか殺すぞとか、悪意ある発言はしましたか?」
「あれ……? そういえば、聞いたことがないですね」
「悪魔は、人を直接殺したり悪意ある発言をすることはできないんです。何かルール違反や禁止事項を制止したり、防犯のための実力行使までは認められてるそうですが」
そこで、マシューがなるほどと頷いた。
「『動かすな』という発言と、盗もうとした人間に魔法を掛ける。それが悪魔にできる範囲内のことだと?」
「そうですね。他にも脅して契約を強要したり、呪詛を掛けたりも禁じられてます」
「じゃ、じゃあ、この空き家にいる悪魔は優しい子なんですかぁ!?」
キャロルが驚いて声を上げた。
だが、そこにマシューが口を挟んだ。
「いや……どうでしょうか。嘘を吐かず、暴力を使わず、相手にとって都合の良いことを提案する……そうやって甘い言葉で人を陥れるのは不可能ではないでしょう。そういう含みがあるのでは?」
「その通りです。ですから悪魔と付き合うときは自分の心をしっかり見定めて話す必要があるんです。とはいえ、そうそう居るものでもないですけどね……私も実物を見るのは片手で数えられる程度ですし」
「ジルさんはその『悪魔』をどこで知ったのですか?」
「あー……昔、伯父様と一緒に作ろうとして失敗しました。けっこう難しくって」
幼い頃のジルを養育していたコンラッドは、ジルでも使えそうな魔法を模索していた。悪魔に関する知識もその一つだ。もっとも当時は悪魔の実物は身近に存在しておらず、また王家の図書館にあった手順書も詳細な内容は書かれていなかった。ジルは最終的に、悪魔というジャンルそのものを断念したのだった。
「作れるものなんですか?」
「人間と見紛うほどに優れた悪魔を作る技術は古代文明と共に滅びましたが、簡単な受け答えをするだけのものでしたら現代の魔法使いにもできると思います。例えば、合い言葉を言ったときだけ扉を開けるとか、『立ち去れ』みたいな警告を繰り返すだけとか」
「……ああ、なるほど。意志を持つわけではないと」
「そういうことです。言うなれば優れた道具ですね。というわけで……」
ジルがキャロルを見て、どうぞと促す。
「へ?」
「開けてもらえますか?」
「開けなきゃ駄目ですか?」
「いや、まあ、私がここでくるっと踵を返して帰って良いのでしたらそれでも構いませんが……」
「ううっ……ですよね……」
「まあ、大丈夫ですよ。いざとなれば逃げれば良いんです」
キャロルがおっかなびっくりに鍵を開けていく。
じゃらりじゃらりと鎖が鳴る音が夜の街に響き渡り、不気味さを醸し出している。
平然とした顔をしているのはジルだけで、マシューも緊張気味だ。
「あ、開きましたけど……」
「ありがとうございます。お邪魔しまーす」
ジルの前に、壁のように立ちはだかっていたマシューをひょいと避けて、すたすたとジルが入っていく。マシューとキャロルは、慌ててジルを追って中に入った。
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