凶運のキャロル/覆水は盆に返り、割れたカップも元通り/悪魔のガトーマジック 2
シェルランドの街の一角。
通称、密談横丁。
そこは昔、飲食店の激戦区であった。二十年近く前、コンラッドが様々な料理をもたらした結果としてシェルランドの街に外食ブームが起きたのだ。数多くのレストランや喫茶店が新たに生まれては潰れて、そしてまた新たに生まれ、常に多くの人が行き交っていた。評判の味を求めて高位貴族や領主がお忍びで来ていたという噂もあり、誰が出入りしていても不思議ではない、そんな場所だった。
それゆえに密談や密会にはもってこいの場所でもあり、初々しい若者がデートスポットに使うこともあれば、商人同士の外に漏らしたくない密談に使われたり、あるいは伴侶を持つ者同士が許されざる逢瀬の場所に使っていたりした。
とはいえ、それはありし日の姿だ。やがて喫茶店ブームやレストランブームは去り、「密談」といういかがわしいイメージを避けるために店が移転したり、あるいはブームとともに廃業した。わずかに残った定食屋や喫茶店が細々と営業する以外は、今やごく普通の住宅街だ。
ジルはその密談横丁の一角にある、異彩を放つボロボロの建物の前に来ていた。
「……これ、幽霊屋敷というより廃墟では?」
建物を一目見たジルが呆れ混じりに呟く。
壁は汚れ、窓には板が打ち付けられ、玄関は何重もの鎖と南京錠によって封鎖されている。
「す、すみません。ちょっと外側の修理が行き届いていなくて……。内装や柱は傷んでないので、そちらも見て判断して頂けると嬉しいです……」
建物の前で待っていた大家が、冷や汗をかきながらぺこぺこと謝る。
見たところまだ若い。
十代の後半にさえ見える女性……というより、少女だった。
ジルと同じくらいの背丈だ。
癖っ毛の金髪で、顔立ちは少し幼い。
全体的に、どこかおどおどした雰囲気を醸し出していた。
「ジルさん、こちらこの建物の大家のキャロルさんです」
そんな少女を、マシューがジルに紹介した。
「あっ、すっ、す、すみません名乗りもせずに! キャロルと申します。代書人の事務所で働いていました!」
妙にうわずった声でキャロルが自己紹介する。
「初めまして、ジルです。これから雑貨店を始める予定です」
「雑貨店……? 道具店とかではなくて、ですか?」
「ええ。服や小物を中心に商売しようかと思いまして。なので道具店というほど幅広く扱うわけでもないですね」
「へえ、素敵ですね! それで物件を探してるんですか!」
キャロルの顔がぱっと明るくなる。
「ありがとうございます。ところでキャロルさんは……オーナーさんですか? 不動産業者さんとかではないんですか?」
「あの、管理を委託してる業者は……逃げました」
「逃げた」
ジルの言葉に、キャロルが居心地悪そうに視線を落とした。
「幽霊が出る物件なんてもうゴメンだと言って……今日も来てもらう約束だったんですけど、土壇場でキャンセルされました……はは……」
「そ、そうですか……大変ですね……」
ジルが不安に思いつつもキャロルを慰めるように呟いた。
「まあ、まず説明を聞きませんか? 外観はこの通りひどいんですが、壁や柱そのものはしっかりしてるんですよね。表面的なリフォームは必要になりますが、家賃が格安であることを考えると維持費は安くなると思いますよ」
マシューが苦笑交じりにフォローする。
救われたかのような顔でキャロルはマシューを見上げた。
「もっとも『幽霊』の噂の件もありますし、そこを詳しく説明して頂かないことには商談には移れませんが」
「は、はい」
マシューがちくりと釘を刺す。
「ええと……前のオーナーが亡くなって、化けて出てくるというお話でしたっけ?」
ジルが訪ねると、キャロルが素直に頷いた。
「はい。幽霊が悪さをするので、誰もが怖がって今まで借り手が一向につかなくて……」
「『悪さをするという噂がある』ではなく、『実際に悪さをする』んですね?」
「噂もありますが実際の被害も出ています。騎士団にも記録があります……」
キャロルが弱り切った声で答えた。
だが、ジルは何故か喜色を浮かべた。
「ああ、良かった。そこを確認したかったんですよね。幽霊屋敷だって聞いて、本当に得体の知れないものだったらどうしようかと思ってました」
「え?」
キャロルとマシューが、ぽかんとした顔をした。
「幽霊とか、怖くないのですか……?」
「あ、全然気にしないです。悪さをする幽霊ってことはからくりがあるってことですからね。でしたら大したことはないでしょうし」
ジルはあっけらかんと答えた。
キャロルは、感心するような呆れてるような、何とも言えない表情で「はぁ」と頷く。
「どっちかというと、幽霊以外にネズミとかシロアリとかの方が心配ですね。この外観ですし……」
「そちらは大丈夫ですよ。幽霊の件以外では何の問題もないと言って良いでしょう。そこを気にしないのであれば一見の価値はありますよ」
「おや、マシューさんがそこまで言うのも珍しいですね」
ジルは、マシューの鑑定眼や目利きを信用している。
こういうときに人を騙すような商人ではない。
「じゃ、じゃあ鍵を開けますね! ええと、錠前を5つもつけてしまったので少々お待ちを……」
大家が喜んで錠前を開けようとする。
だが無駄に厳重に閉じてしまったせいで苦労しているようだ。
「……本当に大丈夫ですか?」
「た、多分」
ジルはマシューを信用しつつも「この人大丈夫かな」と思うことはけっこうあった。
◆
「わぁ……!」
ジルは、屋内に入ってようやくマシューが見学を勧めた理由がわかった。
柱や床板に痛みはない。
外観の印象とはまったく異なり、しっかりしたつくりだ。
空気に若干の埃っぽさはあるが、人の出入りしない建物ならば仕方のないことだった。
ジルはすぐに「過去に喫茶店だった」という気配を発見した。
おそらく部屋の中央から窓際にかけて、幾つかテーブル席があった。床に日焼けのような跡が点々と残っている。今ではテーブル席は取り払われ、広々としつつもどこか寂しい空間となっていた。
そしてテーブルの足跡よりも「昔は喫茶店だった」と強く主張するものが一つ残されている。
「こちらのカウンターはいかがです、ジルさん?」
「これは良いものですね……!」
一枚板の立派なカウンターテーブルが、そこに鎮座していた。
明るい褐色の肌に、黒い木目が綺麗な波紋を描くように絡みついており、全体として深みのある褐色を形成している。安い木材では出せない、落ち着きを纏いつつもどこか神秘的な雰囲気。
「これ、もしかしてウォールナットですか……?」
「ご名答」
ウォールナットとは、クルミ科の樹木だ。
家具に使われる高級木材として、アルゲネス島の貴族や高級商人に愛されてきた。
ただ見た目や質感が良いだけではなく、耐久性にも優れている。
物を落としたり、引っかいたりという一時的な衝撃に強いと同時に、季節の変化や温度変化による変形が少ない。
そのウォールナットから贅沢に良い部分を切り出した一枚板ともなれば、相当な価値が付くだろう。
「すごい……でもここ、空き家ですよね? よく盗まれませんでしたね……?」
「扉が厳重に施錠されていたのはこのためですね。『幽霊』の件もありますが」
「なるほど……」
「正直、ジルさんにご紹介するかは迷ったんですよね。いわくつきの場所ですがこれをお見せしないのもどうかと思いまして」
マシューが悩ましげに腕を組む。
しかしジルは喜色満面だった。
「いやいや! これを見せないのはナシですよ! 流石マシューさん、信じてましたよ!」
「でもちょっと疑ってましたよね?」
「新品のテーブルも良いですが、永年使い込んだ風格があるのがたまりませんね……ああ、これに合わせた椅子なんかも欲しくなってきますね。自分で作っても良いかもしれません」
ああでもないこうでもないと、ジルは想像と展望を膨らませてあれこれと語る。
キャロルがそこに、申し訳無さそうに口を挟んだ。
「あの……説明させて頂いてもよろしいですか?」
「おっと、すみません。お願いします」
ジルが促すと、キャロルが軽く咳払いして話を始めた。
「こちら築年数は20年ほどですが、基礎や柱はしっかりしております。一階部分はテナントで、ご覧の通りカウンターテーブルがございます。奥は厨房になっていてかまどもございます。ああ、かまどもしっかりした良いものですよ。後でまた御覧ください」
「はい」
「二階は私用スペースとなっておりまして、以前のオーナーはベッドを置いて仮眠スペースにしていました。一人暮らしするならば問題のない広さかと。外装部分の修繕は申し訳ないのですが、正直怠っていました。色々と事情がありまして」
「ああ、そういえば……幽霊屋敷とかなんとか」
「いやあ、はは……ここの説明をしなければいけませんね。カウンターを置きっぱなしの事情も含めて……」
キャロルの口調から流暢さが消え、ためらいがちなものへと変わる。
「事情ですか……」
「このカウンターテーブルを動かしたり、あるいはこれを目当てに盗みに入ろうとしたりするものは……幽霊に襲われるんです」
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