番外 レストラン『ロシナンテ』の人々 3
ではまた二章でお会いしましょう。
ある程度書きためがたまったら1章と似たようなペースで投稿していきます。
「ご、ごめんなさいね、ちょっと動揺しちゃって。まだコースの途中なのに」
チェルシーが顔を赤らめてジルを離し、席へと戻った。
すでに涙は引っ込み、呼吸も落ち着いている。
「いえいえ。それじゃあ本日の主役の料理と行きましょうか!」
最初に出されるのは前菜と食前酒。
次にパスタ料理。
次に出される皿は、メインとなる肉料理または魚料理となる。
そこでジルが選んだメニューはカルパッチョだ。
「これは真鯛か……よく手に入ったな!」
ダイラン魔導王国は海に面している。港湾都市は王都に次いで栄えているし、都市以外の漁村も多いために魚介類の流通も多い。しかも、魔法使いがそこに絡んでくる。
海水で氷漬けにして都市へと運び、魚を保存食としてだけではなく刺身のような嗜好品として楽しむことができる。水槽や樽を一度に凍らせるほどの魔力が無くとも、魔法の心得のある数人で氷をたくさん作って輸送用の氷壺に入れるという方法もある。
もっとも、魔法が絡むために羊や豚の肉に比べてそれなりに高級になるし数も限られる。だが今回、マシューが食料品を扱う商人を口説き落としたのだった。
「ええ。ちょっとマシューさんのツテを使って……。あ、港町まで行ったとかじゃないですよ。漁村の漁師が釣って凍らせたのがたまたま市場に入ってたんです」
「こいつはご馳走だな。なぁ!」
「うん!」
ローランやティナが無邪気に喜んでいる。
その顔を見て、ジルはホッと胸をなで下ろした。ジルは、他の料理ほど魚料理には精通していない。基本的な捌き方……三枚おろしや皮引きなどをコンラッドから習っているものの、実践の機会は少なかった。比較的三枚おろしのしやすい真鯛ではなく、ヒラメやコチなどであればメニュー変更を検討してたところだった。
ジルは鯛をおろして刺身のように切って盛り付けた後は、これといった工夫はしていない。オリーブオイルとビネガー、ほんの少々ライムの絞り汁を垂らしただけだ。
「脂がのってるな。これは良い鯛だ……」
「素材が良いよね」
ティナが褒めるということは、偽りない評価の保証だ。
ジルは密かにほくそ笑む。
「懐かしいな……ああ、そうだ。コンラッド様が『魚に合うショーユ』を作ると言い出して困ったことになったっけな」
「ショーユ?」
「ジルさんは知らないか?」
ジルには思い当たることがあった。
『アカシア』の中の魚系の料理本でよく出てきた言葉だ。
「ええと、確か黒い調味料でしたっけ……? 私もあまり詳しくはないです。口にしたことも無いですし」
「色んな調味料を作ってたんだが、ショーユは誰も食べたこともないからわからなかったんだよ。結局失敗してたみたいだ」
「へぇ……面白そうです。伯父様にどういう苦労させられたのか、もっと知りたいです」
「おいおい、恥ずかしい話を掘り下げるのもどうかと思うぞ」
「そこをなんとか」
最初ためらっていたローランだったが、様々な話が出てきた。
ショーユを作ろうとした以外にも、街一番のレストランのシェフと料理勝負をしたことや、その他大小さまざまなトラブルがこっそりあったらしい。また、コンラッド考案のレシピがすべて受け入れられたわけではなく、「流石にこれはちょっと」と難色を示されたものもあり、悔しい思いをしたこともあったとか。
話のどれ一つを取っても、ありありとコンラッドの顔がジルの脳裏に浮かんだ。
困った顔。笑った顔。してやったりと言う顔。失敗したときのばつの悪い顔。
確かにこの屋敷に、そしてこの街にいたのだ。
そんな実感をジルは静かに受け止め、想像し、楽しむことができた。
気付けばあっという間に時間が過ぎ、皿も空になっていた。
「どれも美味かったな……。昔を思い出した。コンラッド様のコースに倣った、ということかな?」
「あ、やっぱりこういうコースだったんですか?」
「……知らなかったのか?」
ローランが意外そうな顔をした。
「伯父様は料理に関して文書とか書類とか全然残してないんですよね……。料理も全部口伝えで教わりました。コース料理や作法の話もありましたが、あくまで食べる側のための説明であって、どういう献立が良いとか、具体的な方法はこれといって聞いてなかったんです」
ジルが苦笑する。
だがローランはますます疑問を深めた。
「じゃあ、どうやってコースを組み立てたんだ?」
「そうですね……まず前菜ですが、似たような料理を伯父様がよく作っていました。具材はその日のあり合わせだったりしましたけど、南瓜はほぼ必ず入れてました。私にとってポタージュと言えば南瓜でした」
「……なんだって?」
「なんでだろうなって思ってました。とうもろこしもジャガイモも手に入るのに、妙に南瓜に愛着があったんですよね。モーリンさんがたまに南瓜のスープを作ってくれてようやく理解できました」
コンラッドはこの街で暮らしたことを、何かの形で伝えたかったのだろう。
だがこの屋敷に伝わる『アカシア』の本のことを教えるわけにもいかなかった。
その結果として、様々な料理の形でジルに伝えたのだ。
「次のカチョ・エ・ぺぺはシェルランドにもこの国にもない料理であり、基本中の基本のパスタです。この島には存在しない遠い異国の伝統的な料理です」
「ああ。確かイタリアという国の料理だと言っていた」
「一方でこのカルパッチョは、色々と混ざってます」
「混ざってる?」
「実はカルパッチョって、肉料理が基本だったらしいんです。牛のヒレ肉を薄切りにして叩いて、調味料をかけて生で食べるというものでした」
「それは……知らなかった。どこで知ったんだ?」
「伯父様が酒に酔ったときにポロっと教えてくれました」
これは嘘が含まれている。もともとカルパッチョが魚料理ではないという話はジルは聞いていたが、じゃあ具体的な由来は何なのか? というところまでは聞き及んでいなかった。
ジルは『アカシア』内の666冊の本において、ハンドクラフト以外のジャンルも加えていた。イタリア料理や和食の技法に関する本も数冊紛れ込んでおり、その中でカルパッチョの由来を知った。
「イタリアとは別の、牛の生肉を食べないけど生魚を食べる習慣のある国にカルパッチョが伝わりました。そこから逆輸入されて、『魚のカルパッチョ』が定番になったそうなんです」
「そういえば大陸の方じゃ生魚はあまり食わないと聞くな」
「伝統的な技や、昔から伝わる料理を大事にしつつも、ちょっとそこから外れた料理やアレンジしたものも大好きだったんですよね。そういう伯父様の気まぐれなところを思い出そうと思って献立を組み立てました」
「ああ、思い出したよ」
ローランが満足げに呟く。
その横でチェルシーがまた過去を思い出し、さめざめと泣き始めた。
ジルはそれを見て、長い喪が明けたような気がした。
あの人がいないという事実を、あの人が辿った足跡をなぞることで、ようやくすとんと受け入れることができた。
城では、朝起きる度にコンラッドがいないことを刻み付けられる。コンラッドの名を呟くところを聞かれたとき、その後待ち受けているのは叱責であった。夜にはコンラッドの名残りを求めて厨房を間借りし、「侍女の真似事をするなど」と皮肉を言われた。名残を求めることは次第に、記憶から薄れゆくコンラッドの表情や手つきを忘れないようにするためになった。
だが、今はそんなことをしなくても、いつでもコンラッドを思い出すことができる。
共に悼む人がいるのだから。
「良い料理だった。ありがとうジルさん」
「ああ、最後にデザートがありますよ。今日はマカロンです」
ジルとモーリンが紅茶とマカロンをテーブルに並べていく。
そしてまた和やかに、故人を偲びながら話に花を咲かせる。
子供たちが菓子をつまみ、喜びの表情を浮かべる。
「雑貨店も良いけど、こういう風に食事を出すのも良いですね」
「おお、やれば良いじゃないか。手伝えることがあれば何でも言ってくれ。レストランや喫茶店も楽しいぞ」
「そうよそうよ。こんなに美味しい茶を淹れられる人、そうそう居ないわ」
ローランの言葉に、チェルシーが大きく頷く。
そしてデザートを皆でしめやかに楽しむ。
デザートは満ち足りた食事の余韻だ。
その余韻は音楽のように体と心に染み渡っていく。
「うーん……本業に支障の無い範囲でやっても良さそうですね」
ジルの何気ない返事に、周囲の人間はほのかに期待を寄せるのだった。
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