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番外 レストラン『ロシナンテ』の人々 2

ちょっと長くなったので分割しました

次で番外編の最後です




 前回の茶会では庭に面したテラス席を用意していたが、今回ジルは屋内での昼餐会という形式を取ることにした。食堂内に一つだけのテーブルを設け、ジルがローランたちに挨拶に来る。今日のジルは珍しく、純白の料理人らしい服装をしていた。


「あ、みなさんこんにちはー。いやー、いきなりお呼び立てしてすみません。日頃の感謝を込めてというだけで、特別な祝いの席とかじゃないです。固くならずに気楽にして楽しんでくださいね」


 だがその割に、ジルは気軽に手を振りながらやってきた。

 普段とまったく変わりない態度だ。


 朗々たる挨拶でも来るんじゃないかと思っていたローラン一家は間合いを外されたような顔をしたが、その分だけホッとしていた。チェルシーの動揺をなだめることにいっぱいいっぱいで気付かなかったが、全員が無意識に緊張していたのだ。


「あ、でも一つだけお願いと言いますか何と言いますか……」


 ジルがもじもじしながら視線をそらす。


「なんだ? 遠慮なく言ってくれ」


 ローランが言った。


「私は伯父に料理を習ったのですが、プロの料理人になるためとかじゃなくて趣味の料理の延長として教わったので……粗相があってもご容赦頂ければ」

「おいおいジルさん、食事する前からそれを言っちゃいかんよ」

「でもティナちゃん、評点が辛いから……」


 その言葉に、ティナを除く全員が吹き出した。


「そ、そんなことないよ……?」


 ティナがきょとんとして言葉を返すが、その場にいる全員が渋い顔をしていた。


「いや、あるだろ」

「あるわね」

「たまに驚くくらい本質を突いてくるからなぁ……いやそれが頼りになるんだが」


 マルス、チェルシー、ローランがしみじみ呟く。

 全員、ティナからの辛口採点の洗礼を受けているのだ。


「なんでよ、もー!」


 ぷんぷんと怒るティナを尻目にジルは微笑みつつ、用意を始めた。

 まずは前菜だ。







 ジルはこの昼餐会において何を出すべきかはひどく悩んだが、方針はすぐに決まった。


 一つは、コンラッドを想ってくれた人の代表として、ローランに感謝を示すことだった。

 自分が覚えている限りのコンラッドの料理を再現すること。

 コンラッドが大事にしていた料理哲学や料理の思想を、自分なりの解釈で示すこと。

 それを見せたいとジルは思った。


「前菜は南瓜かぼちゃのスープです。食前酒と……マルスくんとティナちゃんはジュースにしましょうか」

「これは……シェルランド料理、とも違うな。ポタージュか」


 ローランの言葉に、ジルが頷く。


「どうカテゴライズすれば良いかわからないんですよね。シェルランドと伯父様の料理のミックスとも言えますし、でも多分伯父様が伝えた料理カテゴリの中に既に存在してる気もしますし」


 シェルランド地方では伝統的に南瓜のスープを食べる。


 ぶつ切りにした南瓜と玉ねぎを使って甘めに仕立て、そこに様々な具材を適当に入れる、いわばごった煮のようなものだ。モーリンの得意料理でもある。ちなみに南瓜を潰して滑らかな汁にするか、具材として楽しむか、皮付きにするかなどで家庭のやり方というものがある。ちなみに迂闊に他人の家のやり方をけなすと殴り合いのケンカに発展したりする。


 ジルが今回出したのは、滑らかなポタージュスープだ。南瓜をすり潰し、丁寧に濾して生クリームを加えている。コンラッドから教わった物であり、元を辿ればフランス料理の技法だ。またジルのみならず、この街の料理人に知れ渡っているスタンダードなテクニックへと発展していた。


 しかしその一方で、このスープには様々な具材が入っていた。大きさが均一になるように切られたブロッコリーやキノコ、その他シェルランドで手に入りやすい野菜類などだ。とろみのあるスープが具材によく絡み、味わいを引き立たせている。


 つまりこの前菜は、シェルランドに伝わるスープとコンラッドの伝えたフランス料理を混ぜることがジルの目的だ。


「あえて言うなら、家庭料理とお店の料理の中間って感じの料理ですね」

「スープ美味しいよ。すごい滑らかだし……多分ジルお姉ちゃん、ピュレとかアパレイユを作るのが凄い上手いんだと思う。シェルランドでも五本の指に入るか、もしかしたら一番って言って良いかも……。でも具材の選び方や扱いなんかはお父さんの方が上手いと思う」

「こら、ティナ」

「あっ、ご、ごめんなさい」


 ピュレとは、野菜や果物をすり潰して裏ごし器などで濾して、とろっとした液状にしたものだ。つまり今回のスープの材料である。そしてアパレイユとは、卵や牛乳、小麦粉などを混ぜ合わせた生地のことだ。プリンを作るための生地もアパレイユであり、ティナは以前食べたプリンのことを思い出していたのだった。


「う、ううん、良いんですよ。そういうの含めて遠慮なく楽しんでくれたら」


 そんなことを言いながらも、ジルはティナが食事するときの真剣な表情にちょっと気圧されていた。







 ところで、コンラッドが広めたのは料理やレシピだけではない。

 コース料理という概念もまた、この街に広めていた。


 主にコンラッドが参考にしたのはイタリア料理の流れだ。フランス料理ほどたくさんの皿を出すのは少人数のレストランでは難しいためでもあり、コンラッドの好みがイタリア料理に偏っていたからでもある。


 イタリア料理のコースにおいて、最初にアンティパストと呼ばれる前菜と食前酒が出される。

 その次に出されるのは、コンラッドがもっとも得意とした料理のジャンルであった。


「次はパスタ料理ですね。熱い内にどうぞ」

「ペペ……。カチョ・エ・ペペの方だな」


 この街には二種類のペペがある。

 一つはガルダの好物ペペロンチーノのことだ。

 そしてもう一つが今ジルが出したカチョ・エ・ペペである。


 これに使われているのは麺、胡椒、ペコリーノチーズ、そしてパスタを茹でるための塩水のみ。

 バターを使うこともあるし他の具材も入れることがあるが、四種の素材を使っていればカチョ・エ・ペペと定義できる。ペペロンチーノ以上に純粋に食材の質が問われるパスタであった。


「……うん、美味いな。しっかりパスタの味を楽しめる。コシも強い」


 ローランが満足げに呟く。

 このパスタにおいてジルがもっとも工夫したのは、麺そのものだった。

 数日前から粉をこね、生パスタを仕込んでいたのだ。


「えへへ、ありがとうございます」

「アラン、ティナ、よく味わっておけよ。これがコンラッド様……料理の伝道師のパスタだ」

「料理の伝道師なんて二つ名があったんですか」

「いや俺が勝手に付けた」


 生パスタの特徴、それはもっちりとしつつもコシのある麺を楽しめることだ。


 通常の乾麺と違って卵を練り込んでいるために日持ちはしないが、少々茹ですぎたところで歯ごたえが失われることもない。また生地をどうカットするかも料理人の自由だ。今回ジルは、パスタをフェットチーネ……平麺の形にカットし、さらに手の力で引っ張ってちぢれ麺のようにしていた。


 そしてパスタそのものの美味さを味わうため、チーズ、胡椒、塩以外の味付けはされていない。この基本中の基本たるパスタは、コンラッドも得意としていた。


「そ、そうですか。私も伯父様からパスタを習った以上はこれをお出ししないとなと思いまして……気に入って頂けたなら嬉しいです」

「もっと自信を持って良いだろう、ジルさん」

「でも料理人として仕込まれたというより、シンプルに楽しいから教わったって感じなんですよね」

「あの人らしいな」

「私はあんまり、伯父様がどういう風に過ごしていたかは知らないんです。この街でのことはあまり語らなかったので……」

「今と似たようなもんだ。こうやって食事しながら雑談していた。料理人ってのは荒くれ者が多いんだが、あの人は……なんだか、ノリが軽くて気さくだったよ。気配はジルさんに似てるな」


 なるほど、という視線がジルに集まる。

 ジルもどことなく軽い。

 軽薄だという意味ではない。

 騒がしいわけではないが、物事を重く捉えすぎない明るさがあった。


「え、なんかちょっと釈然としないんですけど?」

「ああ、コンラッド様もそういう風に自分では否定してたな」


 くっくとローランが笑う。

 そのとき、チェルシーがぽんと手を叩いた。


「思い出したわ。この人、味付けやレシピを知りたくて『弟子にしてくれ』って何度もお願いに行ったのよ。招待状をもらうために一日一善するんだって町中駆けずり回って困ってる人を探したり、あの頃は本当楽しかったわ」

「おいおい、それを言うなよチェルシー」

「最初はコンラッド様も『弟子は取らねえ!』って言ってたんだけど、何度も通う内にコンラッド様の方が根負けしたの。まあちゃんとした弟子にしてくれたわけじゃなかったんだけど、『じゃあ三択クイズだ! この隠し味を当ててみろ!』とか言い出したり、意味深な宿題を出したり……。まるでレストランに来たっていうより生徒と教師みたいだったわ。伝道師だなんてあだ名もローランが勝手に付けて……まったく、困った生徒よね」


 ローランとチェルシーの昔話を、ジルたちは興味深そうに耳を傾けた。


 若かりし頃のコンラッドの顔が、ジルは一瞬見えたような気がした。楽しく厨房で鍋を振り、食事を楽しむ客に気さくに声をかける姿などジルは見たことがないはずなのに、あまりにも具体的で色鮮やかな光景が頭の中に浮かび上がる。


 ジルは、こういう話を聞いてみたいとずっと思っていた。だが実際にそれを聞いてみれば、想像以上の威力を伴っていた。


 コンラッドがジルの頭を撫でてくれた手触り。


 コンラッドが厨房に立ったときのトマトとニンニクとオリーブオイルの匂い。


 かまどの火の温もり。


 作ってくれた料理の美味しさ。


 まるでドミノ倒しのようにジルに思い出が襲いかかる。


 ああ、このまま、泣いてしまう。


 そうジルが思ったとき。


「うっ……ううっ……ううう……!」

「お、おいチェルシー」


 チェルシーの方が先に盛大に泣き出していた。

 ハンカチで拭っても拭っても拭えないほどの涙だ。


「わっ、私、つい最近、あの御方がコンラッド様だってこと、もう戦で死んでしまったってことを知って……あなたがジル様だってことも聞いてびっくりして……とってもつらい目にあったんだろうなって思って……なんて言葉をかけたら良いか全然わからなくって……!」


 宥めようとしたローランだったが、チェルシーの切々と絞り出された言葉に、じっと耳を傾けた。


「またここに来られたのは夢のようだわ……ここでプロポーズも受けて、あの御方に祝福してもらったから……!」

「え、そうだったんですか!?」


 ジルも、そして子供らも驚いていた。

 どうやら初耳だったようだ。


「実はそうだったんだ。いや、隠してたわけじゃなかったんだが」


 照れくさそうにローランがぼそりと呟く。

 思わぬ出来事にジルは自分の涙さえ忘れて興味深く話を聞いていた。


「じゃあ結婚式なんかも」

「さすがに『ウチは教会じゃねえ』って断られたが、ケーキとかデザートのレシピは色々と教えてもらったっけな。こっそり式にも顔を出してくれた」

「あのとき祝福してくれたコンラッド様も死んでしまって、ジル様も城から出されて……悲しいだろうに、こんなに元気に振る舞って……!」

「わわっ!?」


 そして感極まったチェルシーに、ジルはがばっと抱きつかれた。


「つらかったのよね……でも私たちは味方だから……なんでも言って頂戴ね……!」

「チェルシーさん……」


 ジルは、ちょっと痛いんですけど、という言葉は我慢した。

 気付けばその場にいる誰もが涙ぐんでいる。

 こうして亡き伯父のために涙を流してくれる人がいることが、ジルはたまらなく嬉しかった。




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