イオニア再び/南国景色の友禅染/マカロン七変化 8
「シェルランドの陽気な洒落者たち」の章はここまでです。
ちょろっと番外を投稿した後は次の章の書きために入るので、ちょっとお休みします。
ここまでお付き合い頂きありがとうございました!
次章「巌窟王女」もお楽しみ頂けたら幸いです。
屋敷での茶会の数日後。
ジルは、カラッパと共に街道に佇んでいた。
シェルランドの街から王都へと向かう主要な街道で、すれ違う旅人も時折現れる。
旅人はカラッパの姿に驚きつつも、隣にジルが居るのを見て安心した。
人に無害な魔物が鎮座しているということは、周囲に危険な魔物がいないことを意味するからだ。
旅人は、ジルに軽く目礼するだけだったりする。
あるいは、世間話に花を咲かせたりする。
あるいは、警戒を拭い切れず魔物や盗賊がいないかを心配そうに尋ねたりする。
あるいは、ジルを口説こうとしてカラッパに脅され、逃げるように立ち去ったりする。
あるいは、そこにいるのが見知った顔だと気付き、足を止めたりする。
「……やあ、ジル殿。もしかしたら見送りに来てくれたのかな?」
「そんなところです。少々尋ねたいこともありまして」
そう言ってジルは、カラッパに乗った。
イオニアの真横に並び、てくてくと歩く。
「今日が出立とは聞いてませんでした」
「ま、ごく一部の人にしか言ってないからね。よく気付いた」
「マシューさんが気付いて教えてくれました」
「流石は商人だな。耳敏い。スカウトしたいくらいだ」
「盗賊がいないとも限りません。少しばかり送ります」
「いやいや、帰りはきみ一人になるだろう? そういうわけには行くまい」
「大丈夫ですよ。この子は強いですから」
かちんかちんと、カラッパが鋏を鳴らす。
俺に任せろと言わんばかりの仕草だ。
「……それもそうだな。では、お言葉に甘えようか」
空は晴れていた。
だが空気は、少しばかり湿っている。
「南の方は雲が出ている。明日あたり雨が降るかもしれないな」
「ま、たまには降った方が良いですね。降りっぱなしは嫌ですけれど」
「ずっと降り続けることなどないさ。まあ、荷物が濡れないように気を払う必要はあるがね」
「贈り物を大事にするのは良いことですが……少し尋ねてもよろしいですか?」
「なんだい、ジル殿?」
「お姉ちゃんを殺すおつもりですか?」
のどかな空の下、ひどく危うい言葉がジルの口から漏れた。
だが、イオニアは首を横に振った。
「いいや? エリンナ殿は敵ではないし、殺してしまえばより大きな動乱になるだろう。仮にそういう提案があったとしても僕は却下するよ」
イオニアは、率直に答えた。殺さないと否定したはものの、逆に言えばエリンナを殺すという発想が出てくる場所にいると、暗に認めていた。つまりはイオニア自身が反乱軍の一人であり、それなりに高い役職に就いていると告白する言葉だった。
「それが反乱軍としてのご判断ですか」
「まさか。僕がエリンナ殿と接触しているのはごくごく一部だけの秘密だ。ダイランの王族など虫唾が走るなどと思う者も少なくない……僕は賛同できないが」
イオニアが疲れた溜め息を付く。
いかにも芝居がかっている。
だがそこには、本物の焦燥や疲労がちらりと見えた。
「それに彼女は、僕の絵を認めて下さる方の一人だ。害するつもりなど毛頭無いよ」
「なら結構です。その分ご苦労なさっているようですけど。エリンナお姉ちゃんが我が儘言うのも一度や二度じゃないでしょう? なんていうか、悪気はないけど人使いの荒い人ですから」
「それもやむを得ないことだ。ま、奇妙な縁で無理難題が解決することもあるからそう嘆くものではないよ」
「確かに、今回苦労したのは私ですけど」
「おかげで素晴らしいものができた。ドレスを仕立てる職人もエリンナ殿もこれには驚くだろう」
イオニアが満足げに呟く。
イオニアの贈り物はただ王族に近付くための手段であろうと、ジルは思っていた。
だがイオニアは真剣に芸術家の一人として、最高の贈り物を贈ろうとしている。
奇妙な話だった。
「……何故、反乱を画策しているんですか?」
「その答えはジル殿が言っただろう。このままでは数十年後、戦国の世が来ると」
「それを止めようと?」
「止めるのは手段であって目的ではないがね。僕としては絵を描いたり、他人の作り上げる美を鑑賞したりして、毎日楽しく暮らしたいんだよ。だがこのままではパトロンは大勢死ぬし、そうでなくとも絵や物品にうつつを抜かすことができなくなる。それでは困るのさ」
「……そこは同感ですけど。もっと壮大な言葉があるかと思っていました」
はぁ、とジルは溜め息を付く。
「おや、なんだか落胆させてしまったかな?」
「はい。引き留める理由がなくなったから少々ガッカリしました。あなたほどの才覚があるなら、どこへでも逃げて絵を描きながら楽しく暮らせるじゃないですか……と言おうと思ったのですが。でもそういう楽しい生活のために苦労してるのならば、私には止める言葉がありません」
ジルの遠慮の無い言葉に、イオニアが吹き出しそうになった。
「あっはっは、初めて会ったときとは逆だな」
「死ぬかもしれない人を止めるというのは、悪い気分じゃありません」
「ならば僕がきみの弟子や食客にでもなろうか?」
「部屋は余ってますよ」
「…………これ以上無く魅力的な提案だ」
「あ、でもお抱え絵師の取った取られたをお姉ちゃんとやってしまうのはマズいですね。贔屓の音楽家の取り合いで殺し合いに発展したご先祖様とかいますし」
ジルの言葉に、イオニアが妙に脱力感を覚えていた。
「ああ、お抱え絵師として、ということか」
「革職人と商人、画家のお友達はいるので、工房として厚みが増しますね。木工職人と鋳物師のお友達なども欲しいところです」
「ジル殿。もう少し警戒心を持つべきだ。屋敷に男が住んだら誤解を招くよ」
「へ?」
イオニアに言われて、ジルはきょとんとした。
そして、意味を理解した。
自分がうっかり気味の発言をしてしまったこともついでに理解した。
「いっ、いや、そういう意味で屋敷に来いと言ったわけじゃありませんよ!」
「わかってるとも。だがそうでなくとも、僕とジル殿が同じ場所に居続けるのは良くない。命が狙われてしまうだろうね」
イオニアは、妙に寂しそうな口ぶりをしていた。
ジルはイオニアのこういうところが苦手だった。
すべてを見透かし、何かを諦めているような、そんな態度だ。
そのくせ、発言を無視して行動だけで解釈すればまさに善人であると言える。
怒れば良いのか、感謝すれば良いのか、ジルはその二つの狭間で揺れていた。
「……だから、あなたの行動が不思議なんです。国に反乱を仕掛けたり、でも一方で私を守る。矛盾しています。何故ですか」
「きみに生きていて欲しいからさ。笑顔で、楽しい日々を過ごして欲しい。血塗られた場所から遠ざかり、幸福を味わうべきだ。そう願っている」
憎まれ口を叩いたつもりのジルは、予想もしなかったイオニアの言葉に動揺した。
どうせ秘密のまま答えは返ってこないだろうと諦めていた質問だったのに、と。
「あなたと過去に会ったことは……ないでしょう?」
「ない。僕はきみを知っていたがね」
「どこでですか?」
「……なあ、ジル殿。人生は楽しいことばかりとは思わないか? 思いつめても良いことなどあまりない」
「質問に答えて下さい」
「僕は幼い頃から絵を習っていた。楽しいとは思わなかったよ。どちらかというと教養のためで、義務に近かったからね。喜びを覚えるようになったのは七年ほど前のことだ」
「ですから!」
「七年前、きみの絵を見たときからだ。ただそれだけだよ」
七年前。
ジルにとって忘れ得ぬ出来事があった年だ。
コンラッドが戦争へ赴き、そこで死んだ。
そこからジルの人生が暗澹たるものへと変わった。
「また来たときに詳しく語ろう。行けないときは文を寄越す」
「あ、ちょっと……!」
イオニアが懐から何かを取り出した。
絵に使うパレット、そして刷毛のように大きな筆だ。
イオニアがその筆を振った。
いや、振ったというよりも、何も無い空間を塗った。
「さらばだ」
筆が塗られた場所は、風景と同じ色が塗られた。
空とほとんど同じ色で塗った場所は空になり、大地と同じ色で塗った場所は大地になった。
すぐに塗られた場所が広がり、イオニアの姿が隠されていく。
イオニアの立っているはずの場所が、向こう側の景色によって塗りつぶされる。
そしてついには、完全にイオニアの姿が消えた。
最初から誰も居なかったような、あまりにも静かな景色だけが残された。
「あ、ちょ、ちょっと、イオニアさん……!?」
姿を幻惑するだけの魔法だとジルはすぐに看破した。だがここまで凄まじい幻惑魔法などジルは聞いたことがない。恐らく筆かパレットのどちらかが魔導具だ。『アカシア』ほどではなさそうだが、十二分に強力な道具をイオニアは使いこなしている。
それに、あくまで幻惑しているだけのはずだ。
姿がかき消えただけで、瞬間的にどこかへ移動するようなものではないだろう。
まだ遠くへ離れてはいない。
そこまでジルは瞬間的に悟り、憎まれ口を叫んだ。
「……次来ても、屋敷に入れてあげませんからね!」
「本当のことを言えば入れてくれると言っただろう?」
やや遠くから声が聞こえた。
こちらを振り返りもせず歩き続けたのだろうと気付いて、ジルは少々苛つき混じりに叫んだ。
「舶来品の土産を持ってくるように!」
「ああ、わかった!」
また声が少しだけ遠くなっている。
はぁーあ、とジルは溜め息を付く。
またひょっこり戻ってくるときに嫌味を言ってやろうと思いながら。
シェルランドの陽気な洒落者たち 了
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