イオニア再び/南国景色の友禅染/マカロン七変化 7
夏を控えたこの時期は雨が多いが今日はカラッと晴れ、健やかな陽気だった。日差しは強く、だがうだるような暑さと言うほどの熱はまだない。野外で冷やした茶を楽しむには絶好の陽気だ。
庭ではアジサイが咲いていた。葉の緑と花の青のコントラストが実に鮮やかで、見る者の目を楽しませる。ジルはこの風景を利用しようと、庭と屋敷の境にテーブルを置いてテラス席を設けていた。
ちなみに、ジルは庭を手入れしたことがない。『難しい手入れは不要で、庭や森が自分自身を維持している』とはコンラッドの手記にも書いてあったことだ。だが具体的にどのように庭や森が維持されているか、ジルが気付いたのはごく最近のことだった。
「カラッパが草刈りしてるんだが」
ガルダが困惑しながら尋ねた。
視線の先には、ハサミで器用に雑草を刈るカラッパが居た。
「ですねぇ。あとでご褒美あげましょう。マカロン……はちょっと砂糖が多いから魔物には不向きでしょうし、余った卵黄で何か作ってあげます」
何故かこの森や庭に住み着く魔物は、木々や植物の手入れをするようになる。
そのかわり、魔物もここで暮らしている限り飢えることはまずない。
豊富な草花や果実が手に入るからだ。
庭と魔物の間に、不思議な共生関係があった。
「あ、普通のことなんだな……」
「僕も最近、並大抵のことでは驚かなくなりましたね……」
ガルダとマシューの何とも言えない呟きに、ジルがふふんと笑う。
「まあ私としては、今のみなさんの服装が驚きですけどね」
「あなたが作った服で、あなたが着てと言うから着たんですけど!?」
マシューの抗議などジルは耳を貸さなかった。
むしろ満足げに微笑んでいる。
ジルの思い描いた通りの光景がそこにあるからだ。
「だ、大丈夫です、お似合いですって」
「フォローになってないんですが?」
ここにいる五人とも、アロハシャツを着ていた。
ジルは、緑色のアロハシャツを着ている。椰子の大振りの葉が白抜きで描かれていて、派手な絵柄ながらも清涼感のあるシャツだ。
一方でマシューは、ピンク色の生地に色とりどりのハイビスカスという、もっともド派手な柄だった。だが背丈がありつつも穏やかな佇まいのマシューには意外とマッチしている。
「がはは、服は着られるもんじゃねえ。着るもんだぜ」
ガルダはアロハシャツを気に入った様子だった。
こちらは黒い生地に、山と月が描かれている。水墨画風だが月の部分だけは鮮やかなイエローで染め抜かれており、落ち着きすぎない印象を与えていた。職人として堅実な仕事をしながらも、どこか遊び心を求めるガルダにはよく似合っていた。
「そうさ、楽しみなよ。エミリー夫人のお茶会だってもうちょっと地味だよ」
モーリンもガルダにつられて笑う。
こちらは白の生地に黄色のカナリアという図案だ。
カナリアはコケティッシュなタッチで描かれており、温かみと愛嬌がある。
ジルがモーリンに抱く内心のイメージを反映しているが、当然これは秘密にしていた。
「ま、茶でも飲みながら楽しもうじゃないか。服も茶も、せっかくジル殿が用意してくれたのだからね」
イオニアが涼しい顔をしながらアイスティーを飲む。
服も同様に涼しげだ。青、紺、白を組み合わせて波を表している。
ジルは、大波と遠くに見える山をモチーフにした不思議な絵を『アカシア』の本で見かけたことがあった。カツシカなんとか、という絵の大家によるものらしく、ジルは一目で気に入ってアロハシャツに仕立てた。イオニアもジルと同様、何か琴線に触れるものがあったらしく「これを着たい!」と自分で選んだのだった。
「そうは言っても、服はジルさんが見たかったのでしょう? いや別に、駄目というわけではありませんがね」
マシューが気恥ずかしげに尋ねた。
「自分が着るだけでは出来映えがよくわからないんですよね……。服の数もけっこう増えてきましたし、やっぱり他人に着てもらうのが一番良いと言いますか。女性物も男性物も作りたいですし」
「僕はとても気に入った。良ければ譲ってくれないか? 先程見せてもらった生地もこのシャツも、言い値を払うとも」
「おっと、そこは口を挟ませてもらいますよ? 生地の方はあなたの絵を元にしていますが、こちらの服はジルさんがデザインしたのですから、それなりに契約や約束が必要になります。あなたが着ていたらあなたがデザインしたと勘違いされるじゃありませんか」
「おいおい、商売が好きだなお前ら。もう少し優雅に楽しんだらどうだ」
「ガルダに言われると釈然としませんね……」
マシューが苦み走った顔でアイスティーを飲み、菓子を摘んだ。
だが菓子の意外な美味しさに顔をほころばせる。
「服もそうですが、こちらも色とりどりですね……食べるのがもったいないくらいですよ」
茶請けにあるのはマカロンだった。
だがシェルランドで売られている白いマカロンとは明らかに見た目が異なる。
「薄緑色のものはヨモギを練り込みました。ピンクはラズベリーですね。他にも、まあ色々と」
アロハシャツで使われている色と同色のマカロンが、色ごとに盛られていた。
実のところジルは茶会の準備において、友禅染の生地を作るよりもマカロンを上手く仕上げることに苦労していた。
マカロンとは、卵白に砂糖を入れて撹拌したもの――つまりメレンゲに粉末にしたアーモンドを混ぜ込んで焼いた菓子だ。材質そのものに工夫の余地は少なく、甘さと食感に重きを置いた菓子と言える。焼き方の巧拙が、マカロンの美味しさに直結する。
今回ジルは、その代わり映えのない材質の部分にあえて手を加えた。ヨモギやラズベリー、黒胡麻など、着色料となる食材をメレンゲに混ぜ込んだのだ。
生地に色を付けること自体は簡単だった。だがそこで焼き具合の問題が出てしまった。他の食材を混ぜ込んだことによって生地の水分量が変化し、同じ焼き方をしても焼き過ぎたもの、焼かな過ぎたものが出てきてしまったのだ。
外側はパリっとした楽しい噛みごたえを楽しみつつも、奥の方はしっとりとしつつも濃厚な味わいを楽しめる。それがジルにとっての美味しいマカロンだ。見た目だけのマカロンなど、コンラッド仕込みの料理哲学が許さなかった。
色付けしつつも美味しいマカロンを作り上げるためにジルは試行錯誤した。友禅染の生地やアロハシャツを作るよりも時間を掛けており、実は茶会に間に合ったのはギリギリのタイミングであった。
「クリームも美味しいねぇ……ちょっと舌が贅沢になっちまいそうさ」
マカロンに挟んでいるものも色とりどりだ。生クリームとジャムを混ぜてやや固めにしたクリームを入れたり、枝豆をすりつぶしてクリームと混ぜてさっぱり目に仕立てていたり、味わいが一つ一つ違った。
「緑色のものはマカロンにしては口当たりが軽いですね。茶も素晴らしい……」
「あ、水出しのアイスティーも用意してますから、よろしければこちらも」
甘いマカロンには、渋みを味わえるように湯から淹れた紅茶を冷やしてアイスティーを作った。だがその甘さと渋さを味わった後に、落ち着いた紅茶を楽しめるように水出しのアイスティーも用意している。紅茶好きのマシューは満面の笑みを浮かべていた。
「素晴らしい。茶の席に呼ばれることは何度かあったが、視覚と味覚をこのように満たそうとする心遣いは初めてだ」
イオニアが興奮気味に呟く。
今まで余裕綽々であったイオニアが純粋に喜んでいる様に、ジルは「勝った!」と思った。皆の見えないところでぐっと拳を握る。
「しかし……僕を呼んでも良かったのかな? 無茶なお願いをしておいてこんな茶席に呼ばれるなど、申し訳ないくらいだ」
「構いません。これで貸し借りはなしですよ」
「貸し借り? 頼み事を持ち込んだのは僕の方だが」
イオニアは思い当たらないようで、顎に手を当ててジルに尋ねた。
「……イオニアさん。私が王都から旅に出たとき偶然あなたと出会いました」
「ああ」
「でも私と一緒に旅をする理由はなかったはずです」
「いや、食事に困っていたんだよ? 僕は香辛料や野草しか持ってなかったのを忘れたのかな?」
「その程度の食事に困るのならば山ごもりして絵を描くなどもできないでしょう」
「……なるほど、そうかもしれないな」
イオニアが静かに頷く。
「……しかしそれなら、何のために僕は君に近付いたと思う?」
「私を護衛するために、空腹を装って近付いてきた。違いますか?」
「考えすぎか、考えなさすぎだね」
「考えなさすぎってなんですか」
ジルがむっとして言い返す。
「きみの護衛をするために近付いてきたのだとしたら、きみにとって都合が良すぎるだろう? 疑うならばもっと欲深い理由があるだろうとか、悪意を向けられていることを心配するべきだよ」
「でもあなたはそうしなかった。殺そうと思えば殺せたはずでしょう。何かを盗もうと思ったなら盗めたはずです。あのときのあなたは、私とてくてくと道を歩いて夕餉を共にしただけです。そしてその間、魔物にも野盗にも襲われることはありませんでした」
「魔物も野盗もいなかったのでは?」
「ですが、道中で出会ったカラッパは魔物か何かに襲われ、傷ついていました。一つか二つタイミングがズレていたら、私が魔物に襲われていたかもしれません」
全員が、じっとジルの話に耳を傾けている。
イオニアも静かにジルの目を見つめている。
「ああ、そういえば、森でカラッパに襲われていたときも嘘を吐きましたね。カラッパも本気であなたを殺そうとはしていませんでしたが、あなたも同じように手加減をしていました」
「……何故そう思う?」
「魔法を使えないフリをしていますから」
「根拠は?」
「そうでないなら焼き印の付け方など見抜けませんし、高値で売れる絵を描けるあなたが魔法も使わず一人旅するなども無謀すぎます。強盗に襲われて一巻の終わりです」
このあたり、ジルはハッタリだ。
別に魔法を使えなくとも技術に詳しければ見抜くことはできる。
だがジルは、自分の勘に間違いはないだろうと思っていた。
「……参った。降参だ」
「あなたが何を考えているかはわかりません。ですがひとつひとつあなたの行動を考えると『私を守ろうとした』、『攻撃的な行動は極力控えた』としか考えられませんでした。……何故ですか?」
「いずれ語るときもあるだろう」
「秘密ですか」
「すまない」
しばし、沈黙が続いた。
ジルがイオニアをじっと見る。
その沈黙を破ったのは、ジルがマカロンをかじる音だった。
「あー、美味しい。やっぱり私のマカロンは絶品ですね」
「それはまったくもってその通りさ」
「お茶の席ですし、このへんにしておきましょう。目的がなんであれ私が今こうして暮らしているのは、あなたのおかげでもあります。あなたにも感謝を伝えておきたかったからこの場にお呼びしました」
「すまない」
「良いですって。でも、本当のことを言わない限り次また呼ぶことはありませんからね」
「あっ、それは困る。頼むよ。ああ、そうだ。今度は舶来品を持ってこようか? 異国の服や生地など興味あるだろう?」
「そこで物で釣ろうとしますか!?」
ジルが呆れて大きな声を出した。
そのやりとりに、周囲もくすくすと笑う。
「まったくもう……。まあ良いです。それよりも皆さん」
ジルは一度言葉を切り、この場にいる面々を見渡した。
「マシューさん。モーリンさん。ガルダさん。あなたたちが助けてくれたおかげで私はこうして楽しい日々を暮らしています。本当にありがとうございます」
「気にしなくて良いんですよ。お互い助けられて助け合っている。それで良いじゃありませんか」
マシューの言葉に、ガルダもモーリンも頷く。
よどみない仕草や言葉に、ジルの心に温かいものが流れた。
この場に皆を呼んでよかったと、素直にジルは思った。
「そうですね。でも、そういう繋がりができたのが嬉しいんです。だから皆さんに真っ先に知らせたかったんです」
「知らせたいこと?」
ジルの真面目で意味深な言葉に、マシューはひやりとしたものを感じた。
最近、ジルの出自に関する話が多かった。
よもや、迷惑にならないよう出ていくとでも言い出さないかとマシューは心配した。
「お店の名前を決めました」
ジルの言葉に、「おおっ」という喜びと、「あ、良かった、早まったことを考えたわけじゃなさそうだ」という安堵が、全員の口から溜め息の形で漏れ出た。
「どんなお名前に?」
「『ウィッチ・ハンド・クラフト』と言う名前にしようかなと」
ジルが、満面の笑みでそう宣言した。
「ふむ……古代語かな?」
イオニアの問いに、ジルは頷く。
「はい。古代文明の言葉で、魔法使いの技を『ウィッチクラフト』と呼ぶそうです」
「魔法使いの技とは……つまり魔法では?」
きょとんとした顔でイオニアが質問した。
全員、イオニアの言葉に「そりゃそうだ」という同意の顔を浮かべていた。
だが、ジルは首を横に振った。
「いえ。今の魔法使いは魔法を使うだけですが、昔は、薬草術や占星術、あるいは現在は失われた様々な学問など、多岐に渡って色んな技術を使っていたらしいんですね。魔法を含めた総称がウィッチクラフト、というわけです。そして」
ジルは言葉を切り、右手を皆に見せた。
「ハンドとは手。ハンドクラフトは手仕事、手作り、あるいは手芸などを差します。ウィッチクラフトで、ハンドクラフトをやりたいんです。魔法の技や、魔法以外の技をこうして身近なものに役立てたい。こんな風に楽しいことができるんだって知ってもらいたい。だから、店の名前は『ウィッチ・ハンド・クラフト』です」
全員が神妙に耳を澄ませ、ジルの話を聞いていた。
「良いですね。これは応援のしがいがあります」
「看板ってのは大事だ。あんまりひでえ名前だと口を出そうかと思ったが、その心配はなさそうだな」
「なんだかしっくり来たよ。開店が楽しみさ」
マシュー、ガルダ、モーリンがしみじみ頷く。
「楽しみだよ。僕も祝福させてくれ」
イオニアの言葉に、ジルはふふんと笑いつつ気のないフリをした。
「はいはい、ありがとうございます」
「ジル殿はたまに凄まじく雑になるね?」
「ま、そういうわけで、皆さんこれからもよろしくお願いします」
ジルがそう言うと、そこにのっそりと陰が差した。
「ああ、もちろんあなたも仲間ですよ。ちょっとおやつ上げるから待っててくださいね」
「かちんかちん」
カラッパが物欲しそうにマカロンを見つめている。
余った卵黄で何かを作ろうとジルは思っていたが、違うものを与えるのは可哀想だと思い直した。
「よし、なるべく砂糖を使わないメレンゲクッキーでも作ってあげましょうか。ごめんなさいモーリンさん。ちょっと手伝ってもらって良いですか?」
「ああ。庭師には菓子を上げるもんさね」
和気あいあいとした会話の合間にも庭に涼やかな風が流れた。
だがそれでも暑気は完全には拭えず、皆が冷やした紅茶で喉を潤す。
夏が近づいていた。
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