旅は道連れ/画家のイオニア/瀕死のカラッパ 2
そのまま何気ない雑談を続けるうちに睡魔が来た。
そして焚き火の前で夜を過ごし、次の朝、ジルと絵描きは再び歩き出した。
二時間ほどを歩き、分かれ道に来た。
絵描きは北の山岳部の村へ行き、雄大な自然を描く。
ジルはここから東にある森へと進む。
絵描きとの旅もここまでだ。
「ありがとう。あなたと出会えたことはとても僥倖だった」
「次は道に迷いませんよう」
「人生は迷いに満ちている。やむなき事だ」
「はあ」
「私は絵描きのイオニア。あなたは?」
そう聞かれて、ジルは偽名を名乗るべきか悩んだ。
見ず知らずの他人に自分が王女……いや、元王女であることを知られるのは、良いことではないことくらいジルにはよくわかっている。
だがそうだとしても、よくある名前だ。女によく名付けられるが、男の名前にも使われる。ジルと名乗ったところで違和感を持つ者は少ない。それにこのイオニアとの話は、妙にジルの心に響くものがあった。ジルはこのとき、嘘を付きたくはなかった。
「ジルです」
「改めてありがとう、ジル殿」
「ええ。さようならイオニアさん」
「私と一緒に旅をしないか?」
「へ?」
イオニアは、何でもないことのようにジルを誘った。
「芸術の道を志すのはつらいこともあるが楽しいものだ。世俗から離れ、美とは何かを追求する。雄大な自然と一体となる。人生を懸ける価値がある」
「……でしょうね」
「では」
「お断りします」
イオニアの提案は、とても魅力的だった。
ジルは絵も少々嗜む。
攻撃魔法の稽古などよりよほど好きだ。
だが、だからこそ彼に同行することはできないとジルは思った。
ジルは王城を追放されたとはいえ、自由の身になったわけではない。
外国に旅をすることはできない。
関所でジルの素性が露見すれば、すぐに止められる。
仮に出られたとしても、ダイラン王家に恨みを覚える人間は外国には幾らでもいる。人質に取られるか殺されるか、二択だ。
そもそもの話として、ジルは明日を生きるために旅をしているわけではなかった。与えられた屋敷は、終の棲家であると同時に、ジル自身の墓標だ。そのつもりでジルは旅をしていた。そんな人間を連れて旅をするなど、迷惑にしかならないだろう。
ジルは自分の考えを愚かで自暴自棄だと思いつつも、それを捨てる気はなかった。
「私には私の行くべき場所があります」
「そうか……残念だ」
イオニアは、寂しそうな微笑みを浮かべた。
「では最後に予言を授けよう」
「予言?」
「誰かに水を与えることをためらわないように。さすれば幸運が訪れよう」
◆
再び、一人旅を始めた。
空気が乾燥している。
しばらく雨が降らなかったのだろう。
静けさに満ちた光景だが、不思議と寂しさは覚えなかった。
「久しぶりに、人と話しましたね……」
人間らしい人間とともに、人間らしい食事を摂った。
王城の恐ろしい人間と共に摂る食事は、どんなに豪勢であってもジルの心を響かせることはなかった。戦場で何人殺したなどという数字を競い合い、奪い取った財宝を見せびらかす。血生臭い人間をもてなさなければならない王城の宴は、ジルにとって常に苦痛だった。
それに比べれば、脂の少ない干し肉に不揃いな野菜を煮込んだだけの雑多なスープはまさに甘露であった。別れ際、彼に水をやる代わりに、少しばかり野草や香料を分けてもらった。また同じ料理を作ろうとジルは思った。
「……うん?」
食事を楽しみにしながら歩くジルの目に、奇妙な岩が目に飛び込んだ。
自分の背丈と同じくらいの、大きな岩だ。
まるで山をそのまま小さくしたような、ずんぐりむっくりした形だ。
それが、少しばかり動いた。
「岩……ですよね……?」
ジルが近付いてみるとますます奇妙なところがあった。
岩の真ん中に亀裂がある。
その亀裂が、きしむように動いた。
「えっ!?」
亀裂と思ったものは、体にぴったりくっつけているハサミだ。
ジルはすぐに気付いた。
これは、ダイランカラッパだ。
ダイラン魔導王国の川や湖に生息する、ずんぐりむっくりした姿のカニの魔物だ。
ちなみにカラッパは普通のカニと違い、ハサミがとても幅広い。
自分の体の前面を盾のようにして覆い、守っている。
ダイランカラッパはそのカラッパの仲間だ。
基本的に水場の近くにいるが、乾燥に強く陸地を歩く姿がたまに目撃される。
が、流石に巨大すぎる。
通常は人間の背丈の半分くらいのものだ。
その倍の大きさはあるだろう。
「陸を渡り損ねたのかしら」
見れば、今にも死にそうな有様だ。風にさらされ、土が外殻にこびりついている。
八本の足のうち、一本がほぼ無い。
おそらく何かと戦ったのだ。
ダイランカラッパを狩る人間か、あるいはダイランカラッパをエサとする魔物か。
そして負けたか逃げたかしたのだろう。
今ここで力尽き、自然に還ろうとしている。
ジルは魔物を助ける趣味はない。
だがそれでも、不思議な共感を覚えた。
「……カラッパさん。あなた、ここで死ぬんですか?」
かちん、とハサミが閉じられた。
「死にたいなら放置しますが、死にたくないなら水をあげましょう」
かちんかちんと、ハサミを鳴らす。
そしてダイランカラッパの目が、頷くように動いた。
「【水生成】、【治癒】」
ジルの手から水が迸った。
シャワーのようにカラッパに降り注ぐ。
同時に治癒の魔法を唱え、細やかな傷を治す。流石に無くなった足を生やすことは無理だった。蟹の仲間であるならばそのうち自分で生やすだろうと思い、適度なところで治癒の魔法を止めた。
更にジルは、干し肉をカラッパの目の前に置いた。どうせジルの目的地は近い。全部は食べ切れまいと思い、与えることにした。絵描きの言葉に従おうという気分になっていた。
かちんかちん、と喜ぶようにハサミが鳴り響いた。
◆
「……いつまで付いてきてるんですか?」
かちん。
と、音が鳴った。
ハサミの音だ。
はぁ、とジルは溜め息を付いて振り返る。
何故かカラッパがジルの後ろにいた。
歩調を合わせるようにジルと同じ速度で、小一時間ほどずっと付いてきている。
「かちん、じゃわかりません。何か言ったら?」
「ぶくぶく?」
「喋った!?」
喋ったというよりも、口から器用に泡を出して音を鳴らしていた。
びっくりして損した、とジルは思いながら話しかける。
「私を食べる気ですか? 恩知らずなカラッパですね……」
「ぶくぶくぶく!」
「……そんなつもりはない?」
「ぶくぶく」
「はぁ……まあ良いですけど。どうせなら私を乗せるとか護衛してくれるとかしてくれても良いんじゃないですか?」
「ぶくぶく」
ジルは、どうせ話なんて理解しないだろうと思いながら皮肉を口にした。
だが、カラッパは背を向けて体をかがませる。
「え……もしかして、乗れって言ってます?」
「ぶくぶく」
「ええと、さっきまで死にかけてませんでしたか? 大丈夫なんですか?」
「ぶくぶく!」
なめるんじゃない、とでも言いたげにカラッパは泡を吹く。
ジルはカラッパから、どうにも頑固そうな意思を感じた。
自分が乗るまでてこでも動かなさそうだと思い、ジルは諦めてカラッパの甲羅に足を置き、体重をかける。
「はぁ……」
カラッパの背中は意外にも乗りやすかった。ごつごつした岩肌のような背中に布を敷き、横座りして乗った。馬のようにまたがることはできず振り落とされそうだとジルは心配したが、紐をハサミに引っかけて手綱のように持つことで解決した。
「ええと……じゃあ、街の方までお願いします」
「ぶくぶく」
ジルはカラッパの背中の高さに一瞬ひやりとしたが、七本足での歩行は意外にも安定している。心地よい風がジルの頬を撫でた。乾燥し、乾ききっている。
この風に当たり続ければ、乾ききって、やがて先程のカラッパのように土に還りそうになるだろう。そんな退廃的な空気は、ジルにとっては癒やしをもたらした。
そして、半日ほどカラッパの背中に揺られて辿り着いたのは森であった。
森のすぐ近くには街がある。あれがシェルランドの街だろう。
そのとき、丁度こちらに向かってくる人影があった。
槍を携え、馬に乗る騎士二組だった。
平民であれば、馬などから降りて騎士に道を譲るのがこの国の法だ。
王族であるジルは道を避ける必要はない。
だが、ただの旅人に扮していることを忘れてしまった。
「こらそこの者。カラッパから降りて道を空けぬか! せめて馬に乗れ!」
「どうも怪しげだな……こやつではないか? そこの者、フードを脱いで顔を見せろ」
騎士二人は馬から降りてジルを囲む。
カラッパがぎょろりと騎士を睨むが、ジルが宥めた。
「こら、落ち着きなさい。攻撃してはいけませんよ」
そしてジルはカラッパから降りてフードを降ろし、懐から羊皮紙を取り出す。
「これは……むっ?」
「お、王室の方でありましたか……」
そこには、王アランにしか使えない印章と共に、ジルの身分が王族であること、シェルランドの近くの森とその中の屋敷を領地として住むことが記されていた。
「ご、ご容赦を!」
「ど、どうぞお通り下さい」
騎士はジルの素性を知り、態度を一変させる。
「何かあったのですか? 街で異変でも?」
「我らは街の者ではございません。黒爪騎士団の騎士であります。団長の命にて、異国から潜り込んだ反乱軍を探しております」
「反乱軍……?」
ジルは聞いたことがない。
この国の魔法使いや騎士はどれも精強だ。
そして、それ以上に王と女王が強い。
反乱を企てた者がどんなに恐ろしい目に遭うか、この国の民はよく知っている。
そんな無謀なことをする人間がいるのかと、呆れと尊敬の混じり合った奇妙な気持ちをジルは抱いた。
「王女様、怪しげな者は見かけませんでしたか?」
「私は王都からここまで来ましたが、この蟹を拾っただけです。誰も見かけてはおりません」
「そうでしたか……ちっ、【猟犬】も案外役に立たんな……」
騎士たちは諦めたように肩を落とした。
ジルは当然、怪しげな者の心当たりがあった。
画家のイオニアだ。
だが、それをいちいち騎士に話してやる理由もなかった。
「ああ、王女様、目的の場所までお送りしましょうか」
「いいえ、構いません。すぐ近くの森ですから」
「森の中ですか……魔物がおりますよ?」
「気になさらず。そちらのお役目の邪魔をするつもりもございません」
「気遣い、痛み入ります」
騎士は納得したように引き下がった。
考えればすぐにわかることだ。
王の血に連なる者は誰しも魔法の達人のはずなのだから。
もっともジルはそうでないが故に放逐されたのだが、騎士たちがそれを知る由もない。気分を害せばこちらが殺されると思い込んでいるのだろう。騎士たちは提案を断られて心なしかほっとした顔をしていた。
「ではお気を付けて」
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