イオニア再び/南国景色の友禅染/マカロン七変化 2
ジルの脳内にアカシアの書の声が響いた。
「んぐ」
思わず返事をしかけて、口を噤む。
そして呼吸を整え、頭の中だけで言葉を返した。
(どんな人ですか。また子供ですか?)
『幼体ではありません。成体の雄が一体です』
(大人の男性ですか……私だけに見れるように映像を流せますか?)
『了解しました。プライベートモードを起動します』
すると、空中に画面が浮かんだ。
だがそれにモーリンたちは気付いていない。
またしてもジルは度肝を抜かれたが、今度は声を漏らすのを我慢できた。
恐らくこれも古代の魔法の一種なのだろうと、ジルはすぐに気付いた。
そして、自分にしか見えない画面を眺める。
「どうしました、ジルさん?」
何も無い場所をじっと見るジルに、マシューたちがいぶかしんだ。
ジルはどう説明しようかと悩む。
「あー、その……」
だが侵入者が来た以上秘密にしておくのもまずかろうと、ジルは諦めた。
もし怪しまれても、なんか凄い魔法が使えますと誤魔化すしかない。
「……誰かが森の中に入ってきたようですね」
「なんですって?」
マシューが他二人に目配せをした。
余計なことを言うな、という意味だ。
だがそんな気遣いにジルだけが気付かず、下手な誤魔化しをしようとした。
「あ、いや、何て言うかそんな予感がしたって言うか……」
「大丈夫です。この屋敷全体に不思議な魔法が掛かっていて、主人であるあなたがそれを使いこなせることはわかっています。全貌は知りませんが、泥棒対策のような魔法もあるということでしょう?」
「あっ、はい。大体そんな感じです」
マシューはすでにジルの素性をほぼ完全に把握していた。またガルダ、モーリン、そしてついでにローランも、馬鎧の制作が終わったあたりで話を聞かされていた。
三人は悩み、そしてマシューに怒った。そんな大事な話を隠すなと。そして喧嘩してローランの店で酒を飲み明かして、最終的に納得した。ジルが自分から要求しない限り、今まで通りに接しようと全員で決めたのだ。ジルは秘密にしているつもりだったが、実際のところ秘密にされている側だった。
「それで人数は? どんな姿ですか? できるだけ詳細に」
「一人です。ローブを着た男性ですね……。いかにも旅人って感じで、町の人ではなさそうです。顔はフードがあってよくわかりません」
「武器は持っていますか?」
「パッと見はないですね。でもちょっと大きなカバンは持ってます……あれ?」
「どうしました?」
「なんだか、カラッパがめちゃめちゃ怒ってます。戦い始めました」
◆
ダイランカラッパ。
ダイラン魔導王国の土地に古くから存在する大型の蟹の魔物だ。
50センチから80センチが平均的なサイズだ。だがそれはあくまで人間が観測できた範囲でしかなく、迷宮の奥や秘境には数倍のサイズの個体がいると予想されている。ジルと共にいるカラッパがまさにその証明だ。
主に淡水の川や水場、迷宮や地下水源などに棲息しているが、大きな体に水分を蓄えたり魔法を使うことで水のない場所でも長期間耐えることができる。
性格は温厚だ。防御力があまりにも高く他の動物から狙われにくいこと、足が遅く積極的に狩りをしないことなどが理由であると言われる。
十年近く生きると水の魔法と防御魔法を本能的に覚えるため、ますます外敵が減る。汁物にしたときは最上級の美味であると言われるものの、カラッパを狙う者は少ない。カラッパは棲息する水源や森を守るようになるため、悪しき魔物や獰猛な魔物が寄りつかなくなるのだ。端的に言えば、カラッパ狩りを考えるのは欲深いアホと同義だ。
だからジルたちが戦っているカラッパのところへ来たのは、カラッパに加勢するためだった。
モーリンなど、カラッパを守るために槍を持ち出している。
「おいおいおい! 待ってくれ! 僕が悪かった、謝るとも!」
「ぶくぶくぶく!」
「おーい! ジル殿! 彼を止めてくれないか! あ、いや、彼女かな!?」
カラッパが水の魔法を唱えた。
【水弾】という魔法で、その名の通り水を弾丸のように撃ち出す魔法だ。
熟練者が使えば壁に穴を穿つくらいのことはできる。
それが侵入者に向けて遠慮無く放たれていた。
侵入者は器用に魔法を避けている。
だが命からがら、といった様子だ。
このままではいずれ直撃するだろう。
「えーと、すみません、どなたでしたっけ……?」
「ええっ!?」
その言葉に、侵入者は若干ショックを覚えた様子だった。
「僕だよ僕! おお、ガルダ殿もいるじゃないか!」
「お前なんぞ知らん! 顔を見せろ!」
「おっと、忘れていた」
侵入者がばさりとフードを脱いだ。
そこにあったのは、銀髪の美貌の男だった。
王都を出てこの屋敷に来るまでの道中、しばらく共に旅をした男でもある。
そういえば名前はなんだっけ……とジルが思い出す前に、ガルダが言葉を放った。
「お前、イオニアじゃねえか!」
「あ、カラッパさん、ちょっとストップ。モーリンさんも槍を降ろして。知り合いみたいです」
「ぶくぶく……」
「良いのかい?」
必殺の魔法を唱えようとしていたカラッパが、不満げに動きを止めた。
モーリンも訝しみつつも構えを解く。
そして侵入者――イオニアがぶはぁと息を吐き、その場に腰を下ろした。
「いやあ……助かった。感謝するよ」
「なんでカラッパに襲われてるんですか? ちょっと普通じゃありませんよ」
「いやはや……いつぞやの件で恨まれてしまってね。悪いことをしてしまった」
イオニアが苦笑いをしながら肩をすくめた。
カラッパはまだ怒りが収まらないのか、かちんかちんとハサミを鳴らして威嚇していた。
そういえば、とジルは、イオニアと初めて出会ってからのことを思い出した。
一晩ほど旅を同道し、別れ、そのすぐ後にカラッパと出会ったのだ。
そのときのカラッパは、見るも無惨に傷付いていた。
「……このカラッパ、最初に会ったときはボロボロでした。もしかしてイオニアさんがやったんですか?」
「まさか。そんなことをする意志はないし、実力もないさ」
「でも何か関係はありますよね?」
「ご明察」
イオニアが指を立てて微笑んだ。
「道中、狼の魔物に肉の匂いを辿られて襲われそうになってね。それでこのカラッパに押し付けて逃げたというわけだよ」
「魔物をなすりつけたんじゃないですか。そりゃ怒りますよ……しかも私が助けるのを見越してたんですね?」
イオニアがまたしてもご名答とばかりに微笑む。
なんとまあ、とジルは呆れる。
「僕も悪いことをしてしまったと思っている。どうか詫びを聞き入れてはくれないだろうか」
「だ、そうですよ?」
ジルがカラッパに話しかけた。
「すまなかった。僕も命がけだった……というのは言い訳にならないな。好きにすると良い」
イオニアが片膝を付き、懐から短剣を出して地面に置いた。
戦争や決闘において降伏を示す、正しい姿勢だ。「こちらには武器などなく、自分の命を好きにして良い」というニュアンスだが、人間同士のやり取りであって動物や魔物に通じるものでもない。それでもイオニアは至極真面目に、作法通りの行動を取った。
「……かちん」
すると、カラッパが短剣を器用に拾った。
「え、あ、持ってくのかい? けっこう値が張る逸品なんだが……」
「ぶくぶく」
カラッパが気にせず背を向けて森の奥へと去っていく。
これで許してやる、とでも言いたげな振る舞いだ。
「……まあ良いか。詫びの品と思ってくれるならばそれに越したことはない」
「この場は引いてくれただけで、ちゃんと許したかどうかはわかりませんよ?」
飄々としたイオニアの振る舞いに、ジルは少しばかり呆れていた。
だが、イオニアは気にした様子もなく爽やかに微笑む。
「それならばそれで良いさ。落とし所を見つけて引いてくれる、実に理性的な行動だ。だが、そんな行動を取れない人間が昨今は多すぎないか?」
「それは……」
ジルは、言葉に詰まった。
あれだけ七転八倒した直後、涼しい顔で含蓄深い言葉を言えるのは才能だなと呆れつつも、ジルにとっては耳を傾けざるを得ない言葉だった。
「しがらみに囚われ、引くことも許すこともできなくなる。一度敵対した者を滅ぼさずにはいられない。命の価値に鈍感になる。そんな人々に比べたら、僕はあのカラッパの理性に尊敬さえ覚える」
カラッパの理性を尊敬する。
この一言だけならば、子供さえも笑ってしまうような話だろう。
ジルはそう思いつつも、決して笑えなかった。
むしろその通りだとさえ思った。
同時に、この人はただの画家ではない、とジルは感じた。
最初から感じていた印象がより強くなっていく。
「……とりあえず、屋敷へどうぞ。茶くらいは出します」
「おお、それはありがたい」
イオニアの顔がパッと明るくなる。
まるで意味深な言葉を呟いていたなどすっかり忘れたような有様だ。
やれやれ、と思いつつもジルはイオニアを屋敷へと案内することにした。
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