イオニア再び/南国景色の友禅染/マカロン七変化 1
こうしてジルの引きこもりライフが再び始まった。
モーリンとカラッパのおかげでジルは空腹で倒れることなく全力で服や小物を増産し始めて、クローク部屋がそろそろ一杯になりそうになるほどだ。モーリンから「ちょっとくらい休みなよ」と呆れられたが、ジルには次から次と作るべきもののアイディアが頭に湧いてきてまったく手が止まらなかった。
しかも、今まではジルが作った服をジルが着るだけだった。だが今は、モーリンのように背丈に恵まれた人間がいるのだ。モーリンに似合う服を作るというもう一つのモチベーションが生まれた。モーリンは最初嫌がっていたが、ついにジルに押し負けて服を着るようになった。
そして、一度着てしまえばもうジルの思惑通りだ。
「……これはなかなか……。いや、うん。凄く良いね」
鏡の前で、モーリンは自分の姿に驚いていた。
「どうです、履き心地も良いでしょう?」
「意外に動きやすいし……なんていうか、スッキリした見た目だね」
モーリンもまたジルのようにパンツルックになっていた。
だがジルが以前作ったガウチョパンツではない。
黒いストレートパンツだ。
上半身は白いシャツで、その上にベージュ色のサマーコートを羽織っている。
この二点も当然、ジルが仕立てたものだった。
シンプルで落ち着いたカラーパターン、そしてモーリンの高い背と引き締まったシルエットが、スタイリッシュな美しさを生み出していた。
「いやぁ、着せておいて言うのもなんですが想像以上ですね……。あとは帽子と靴があれば完璧です」
「いやいや、流石に外に出れないよ。貴族より良い服なんて着たら侍女失格さ」
「つまり私がお洒落したら一緒に外に行ってくれると?」
「駄目駄目! 侍女には侍女の服ってもんがあるんだから。私が着るのはこの屋敷の中だけだよ」
「もったいないですねぇ……」
はぁ、とジルが溜め息を吐く。
「まあでも、このシャツは普段使いでも凄く良さそうだね。ボタンがちょっと高級だけど、このくらいなら私が着てても不自然じゃないし」
シャツに付けているボタンは石を削ったものだ。
これはマシューから仕入れたもので、ここだけジルのハンドメイドではなかった。
こうしてシャツにしてみると実に見栄えする。
良い買い物をしたとジル自身、満足していた。
「一つくらいそういうものがあっても良いかなと思いまして。でもパッと見は落ち着いてますし、意外に着やすいでしょう?」
「特にこの襟が良いね。立たせてないから苦しくもないし」
モーリンが鏡越しに、自分の首周りを満足げに見た。
ここにジルの工夫があった。
アルゲネス島の服装として、ボタン付きのシャツは存在している。
そして首回りを覆う襟もある。
だが襟を折って立たせ、タイを通すことを前提としたシャツ――ワイシャツがないのだ。
統一規格のような襟の形状は存在せず「襟付きの服はフォーマルである」という社会通念もない。装飾品としてのタイやスカーフは存在しているが、それがないからといって礼を失するわけでもない。あくまでお洒落の一環と防寒目的であり、それ以上の儀礼的な意味合いは持たなかった。
「格好良いですよねぇ。襟の内側にタイやリボンを締めても凄く良いと思うんですが……ふーむ」
「ん? どうしたんだい?」
「これはこれで、完成され過ぎてるんですよね。一つ一つが落ち着いた色の服が多いので、ボタン以外にもう少し派手なアイテムがあっても良いかなぁと」
「まあ、青色のワンピースみたいに奇抜な感じじゃないね。私は落ち着いてる方が好きだけど……」
そこまで言って、モーリンはハッとしてジルを見た。
ジルはもう既に、頭の中で何を着せるべきか計算している。
「駄目だって! ご主人様、自分で着な!」
「ええー、私一人だと張り合いがないんですよぅ」
「だったら雑貨店をさっさと開店するこったね。そっちは遠慮無く手伝うからさ」
「ですねぇ……。よし、じゃんじゃん服を作っていきましょう!」
やれやれ、とモーリンは肩をすくめる。
だが実際のところ、ジルのお願いをほいほいと聞いていたら肝心の家事や護衛というモーリン本来の仕事がおろそかになるから嫌がっているだけで、モーリンはなんだかんだでモデル役をやるのを楽しんでいた。ジルの思うツボにモーリンは嵌っていた。
◆
三週間ほどジルの引きこもりライフが続いた頃。
マシューとガルダが、ジルに頼まれていた荷物や菓子を手土産にジルの屋敷にやってきた。
菓子は、マカロンだ。
材料はいたってシンプルだ。アーモンド、卵白、砂糖。あるいは色付けや風味付けするための酒や香料を加えることもある。実はこれもコンラッドが作り始めたものだ。素材が簡単に調達できる上に美味であることが受け、シェルランドの町のみならず様々な町に伝播している。
「この食感がたまりませんねぇ」
茶を淹れて、モーリンを含めて四人でマカロンを楽しむ。シェルランドでは色んなジャムを置いてそれぞれ好きな物をスプーンで取って、マカロンに乗せて食べるスタイルが主流だ。
「しかしご主人様も作れるだろう?」
「あー、茹でたり蒸したり、そんなに高くない温度で焼くのは得意なんですが……オーブンで焼くようなのはあんまり得意ではないんですよね。オーブンとか石窯で焼くようなものはプロには勝てません」
「お、じゃあパンを焼くのは私の方が上手いかもね」
「長年やってる人には勝てませんってば。それに自給自足ばっかりじゃ飽きますしね」
「まったくだ」
ジルは菓子作りも好きだが、当然買ってきた物を食べるのだって好きだ。それに、服作りに集中しているときに凝った料理をするのも億劫であった。
そのため、服作りに熱中していた三週間、モーリンは食事の面でも大いに役立ってくれた。騎士団の寮母として腕を振るったモーリンの料理は、少々豪快ながらも毎日食べても飽きない不思議な安心感があった。「白くて柔らかいパンだけだと栄養が偏る」とモーリンが言って、シェルランドに昔から伝わる南瓜のスープとライ麦のパンを出されたりした。一人だと好きな物か手近な物しか食べなくなるタイプのジルにとって、モーリンは欠かせない存在になっていた。
さらに最近はこうして友人知人が様子を見に来て菓子を補充してくれるようになり、ジルはずいぶん助かっていた。精神面のみならず物質的な面においても、ジルは王城より今の屋敷の方が、遥かに住み心地が良くなっていた。
「ところでジルさん、幾つか頼まれていたものが揃いましたよ」
「あれ、なんでしたっけ?」
「はは、忘れました? これですよ」
包み紙に覆われたものをジルが受け取る。
はて、プレゼントか何かだろうかと思って包みを開けると、そこには真っ白な生地が折りたたまれていた。撫でればそこから何もかも滑り落ちそうなさわり心地。まるで玉や宝石と見紛うほどの艶やかな光沢。
「これは……シルクですね……!」
喜色満面にジルが呟いた。
「ええ。サテンで織られているのでより光沢が出ているでしょう? 恐らくよりシルクの特徴が出ている方がお好みかと思いまして」
「ええ! これは素敵ですね……!」
サテンとは、絹糸を織って生地を作る際、縦糸と横糸の交わる点をできるだけ目立せない織り方にしたものだ。綿や麻でもサテンで織ることはできるが、肌触りや光沢においてはシルクのサテンがもっとも優れていると言えた。
「すみません、調達に少し時間が掛かってしまいまして。ああ、織物にする前の糸も用意しておきました。自分で染めると思いまして、色の付いたものはありません」
「おお……! 本当に素晴らしいですマシューさん! いやー何作ろっかなー!」
その取り繕わない喜びの言葉に、マシューもガルダも釣られて笑顔を浮かべた。
「ところでジルさん。そろそろ噂が広まってきたようです」
「噂?」
はてなんのことか、と思って聞いてみると、どうやら麦わら帽子の職人は誰なのかという話題が出回っているらしい。
「ってわけで、あんたは今、謎の帽子職人としてもっぱらの噂だって訳だ」
ガルダが笑いながら言い、それにマシューも頷く。
「エミリー夫人が散歩の度に麦わら帽子を被っていますからね。ずいぶんお気に召したようで」
エミリー夫人とは、マシューの得意先だ。流行や新しい服には目がなく、夜会や茶会で彼女の着ているものがこの町での流行になると言われるほどだった。
「あ、じゃあ持って行きますか? この黒い麦わら帽子なんかシックで良いと思うんですよ」
「染めた麦わら帽子を広めるのはちょっと早いですね……。今あるものが一気に陳腐化しかねません。色はそのままにして、造花のバリエーションを増やせませんか?」
「それも良いですね。あと形状を変えて男性も被れるものを作ってみようかなと」
「すみません、その話もっと深く聞かせて下さい。男性向けとなると服のコーディネートも提案できますね」
「……お前ら仕事中毒だな」
ガルダが呆れながら呟く。
そんなときのことだった。
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