旅は道連れ/画家のイオニア/瀕死のカラッパ 1
ジルは王城から追放され、旅に出た。
目指す先は、王都ダイランから東、シェルランドの街だ。その近くの森の奥には王室の別荘があり、ジルはその別荘と森を領地として与えられた。
だがそこは、不便な場所にありアランが王に即位してからは放置されていた土地だ。森に暮らす者もおらず、税も取れない。体よくジルを追い払うためだけに与えられた場所でしかない。
従者や護衛の騎士、あるいは馬さえない一人旅である。王城に仕える者は、バザルデの「無駄は控えよ」との言葉に従わざるをえなかった。支度金はそれなりに渡されたので、冒険者にでも渡して護衛として雇うことはできただろうが、ジルは誰かに頼るような気分にはなれなかった。
分厚いフード付きの灰色のローブを着込み、髪を隠し、男のような装束をして盗賊などから狙われないように、とぼとぼと歩き続けた。
ダイラン魔導王国を含めたアルゲネス島は広大であり、大陸と呼んでも差し支えない広さだ。だが、豊かではない。どこも痩せこけて寂しい土地ばかりだ。
すれ違う人はめったにいない。
岩と砂ばかりの荒涼とした大地が広がっている。
多くの命を育む森や川も点在してはいるが、そうした豊かな場所には決まって恐ろしい魔物がはびこっている。本来ならば人が住むには適さない、つらさに溢れた土地だ。
だが、その風土が魔法使いを育てた。
何もない場所から水や火を生み出し、寝床を確保し、腕力や武器がなくとも魔物を倒す。そのために魔法が重宝された。
魔法に達者な人間が中心となり土地を開拓し街を作った。弱い人間同士で手を取り合い、知恵を出し合い、より強い生物に勝ち、繁栄をもたらした。
そうした人間の弱さを補って明日を生きるための魔法は、弱い人間を燃やし、凍らせ、殺戮するための武器へと変貌した。
「……剣や弓のかわりの武器とすることは、魔法の本質ではない」
焚き火をぼうっとした目で見ながら、ジルが呟く。
ジルが物心ついたときには、両親は戦争に出ていた。
豊かな他国を侵略して資源を奪うためだ。
両親不在のジルを養育したのは、伯父であるコンラッドであった。
コンラッドは、先代の王に冷遇されていた。
ジルほどではなかったが、兵を率いて戦争で勝利するような才覚がなかった。
そのためジルの養育を命じられたが、ジルに魔法の才能がないと見るや早々に攻撃魔法や戦闘のための教育を諦めた。まるで庶民の親子のように、ジルはコンラッドと楽しく暮らした。
ジルを甘やかしたわけではない。コンラッドは勉学を教え、ジル程度の魔力でも操れる魔法を教え、その他様々な処世術や貴族としての振る舞いを、愛と慈しみと共に教えた。
それが先代の王の逆鱗に触れ、王位を弟のアランに譲ることとなった。先代の王が孫に求めたものは勤勉さと愛らしさではなかった。当代の王アランや王妃バザルデのような才気と酷薄さであった。
更に、今ジルが口にした言葉はコンラッドの思想でもあった。魔導王国の在り方を真っ向から否定するような人間が、いつまでも安穏とした生活を過せるはずもなかった。
ジルが十歳になる頃、反抗的であることに加えてジルの養育に失敗した責任を求められ、前線送りにされた。「勝利すれば許そう」という先代の王の言葉が叶えられることはなかった。コンラッドが得たものは敗北と死であった。
それからの生活は、ジルにとって辛く寂しいものだった。いっそ追い出された今の方が開放感を感じられるほどだ。
「おや、旅の御方。そんな言葉をこの国で言うのは気をつけなさい。この国の王は魔法で敵を討ち滅ぼして栄華を極めているのだから」
ジルは独り言を呟いていたことに気付き、顔を赤らめて向かいに座る男に謝罪した。
「あっ……す、すみません。つい独り言を」
今の季節は春だが、夜は凍えるほどに寒い。旅にはまだまだ不向きな気候だ。こんな時期に旅をするのはジルのようにやむを得ない事情を抱えているか、物好きの旅人くらいだろう。そこでジルは、物好きな旅人に出会っていた。
「いやいや。まだまだ夜は長い。街道を何日も旅していれば誰しも言葉を紡いでしまうものだろう。お邪魔でないならば、晩餐をとりながら雑談でも」
銀髪の、妙に浮世離れした美貌の男だった。
なんでも、絵を描くために自然の風景を探し求めていたら道に迷ったというのだ。最初は旅人を襲う盗賊の、へたくそな嘘なのかとも思ったが、旅人が証拠として見せてくれた絵はとても味わい深い。王城での暮らしで目が肥えたジルでさえそう思ったのだから、生半可な腕前ではない。
同時に、旅の垢に汚れ、そして乾いて死にそうな様子であっても、消えることのない不思議な品の良さがあった。決して盗賊などではあるまいとジルは信じて途中まで旅をすることにした。
そして、絵描きと別れる前に夜が来て一晩明かすことになった。焚き火を起こして食事の支度を始めようとしたあたりで、ジルはつい独り言を漏らしてしまった……という状況だった。
「しかし助かったよ。いやあ、ここまで平坦な土地だと方向感覚や距離感がおかしくなってしまってね。他の国の土地とはどこか風景が違う」
「私も、野菜を頂けて助かりました」
ジルは、実は旅は初めてではない。コンラッドと二人だけで遠出をしたことがあった。馬に乗って狩りをし、野営した。幼少期の楽しい思い出であり、一人旅もできるという自信を与えていた。
もっとも、うっかりしていたところもある。荷物を減らしすぎていた。干し肉と乾燥麦以外の食料を忘れて粗末な食事しかできずに難儀していたところだった。
逆に絵描きは、草や香辛料を豊富に持っていた。それらを持っていたというより、他の食料を食べ終えてしまってそれらだけが残ってしまった、というのが事実であった。ジルと絵描きの利害は一致していた。
「【水生成】も、便利なものだ。僕もこうした魔法が使えたならばと思うことが何度あったか」
「でしょうね」
「とはいえ魔法使いという人種はプライドが高い……いや、もっと言えば、魔法が使えない人間を同じ人間とは見なさない。あなたのように料理をするために魔法を使ってくれる人がいるとは驚きだ」
「でしょうね」
ジルと絵描きは、一つの鍋を囲んでいた。
ジルが【水生成】の魔法で鍋に水を張り、弱めた【灼光】の魔法で火を起こした。干し肉を茹でる。そこに絵描きが塩、乾燥させ油に漬けたトマトや香味野菜の粉末、器用に刻んだ野草を入れた。
できあがったスープは、ジルが食べ慣れた宮廷料理の味に比べたら少々下品であった。だが、正しい下品であった。体力を常に消耗し続ける旅人には欠かせない刺激と滋養に溢れていた。
妙に舌を刺激する辛い味の野草と、肉とトマトのまろやかさがよく絡み合っている。残った汁で乾燥させた麦を炊いたものは、暴力的とも言って良いほど体に吸収されていく。
「この草はなんですか?」
「辛子草さ。東国の野草だが意外に美味しい。乾燥させれば日持ちもするんだ。ああ、もし見かけても花と球根は食べてはいけないよ。腹を壊してしまうからね」
「なるほど……」
「葉の生え方と葉脈の数で他の野草と見分けるんだ。花だけでは他の毒草と間違えることもある。栽培用の野菜や果物のようなわかりやすさはないから注意が必要だ」
絵描きは、一度喋り始めると実に饒舌であった。
話の内容は旅のコツであったり、流行の絵のモチーフであったり、周辺各国の戦争の状況であったりと多岐に渡った。どんな質問をしても何らかの答えを返した。ジルは決して愚鈍ではない。書物をよく読み、算術にも明るいが、それでも絵描きの頭脳明晰さには舌を巻いた。
「おっと失敬。私ばかり話をしてしまったね」
「いえ、聞くのは楽しいですから」
「では、話すのは楽しくない?」
「……どうでしょう、よくわかりません」
少なくとも、コンラッドがいなくなってから数年、ジルは自分から何かを話して楽しい気分が得られることなどなかった。
実の母には愛想を尽かされ、自分に侍る者も自分を軽んじる者ばかりだ。親しい人間がいないわけではなかったが、それもまた王城ではジルと同様に肩身の狭い者で、気付けば暇を貰っていることが多かった。
結果、ジルは部屋にこもりがちになり、魔法の訓練か趣味の刺繍、そして書物庫から借りた本を読むばかりの日々を送っていた。
「それでも何かを口にしたいことはある。先程のことは、本心かな?」
「え……?」
「魔法の本質について。さきほどあなたは『魔法は剣や弓の代わりではない』と」
ふふ、と絵描きは微笑を浮かべている。
嫌味で悪趣味だなと思いつつも、いやらしくはなかった。
「よろしくないとあなたが仰ったでしょう?」
「確かに言ったとも。だがそれはそれ。よろしくない思いや、筋の通っていない願いを抱くのも人間の本質というもの。そして願いは言葉にしなければ叶うことはない」
「そんなに都合が良いものでしょうか」
「もちろん。その証拠に、僕はあなたと出会うまでにぶつぶつと呟いていた。『誰か道を教えてくれ』、『ついでに水もくれ』と」
「願いは叶ったようですね」
「そう。叶えるためには絶対に不可欠なものさ」
絵描きには不思議な魅力があった。
顔や外見ではない。
気付けば彼の語り口に引き込まれている。
それがジルの口を緩めさせた。
これまで口にすることのなかった思いが言葉となった。
「人を殺すためだけの魔法など嫌いです。魔法は本来もっと素晴らしいものです。どうか今の世が変わり、人を幸福にするために魔法使いが魔法を使う。当たり前の日々の喜びのために魔法を使う……。そういう世になって欲しい」
これがジルの伯父、コンラッドの願いだ。
そして、ジルにとっての願いでもあった。
「……もっとも、そんな願いを持つ者は弱い。躊躇なく魔法を武器とする人には抗えません。夢物語です」
「夢物語か。一歩前進だ」
「前進?」
「夢物語であると知ったとはつまり、夢がどのような形であるかを捉えたということさ。後は実行に移すだけのこと」
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