旅商人マシュー/麦稈真田の麦わら帽子/懐かしき日々のアイスティー 6
マシューの回はここまで
別に真面目な話じゃないわよ。もしそうならついでで呼び出したりなんてしないもの――とエミリー夫人は気楽に語ったが、マシューにとっては一大事だ。マシューは商人として十分以上に稼いでいる方ではあるが、身分は平民にすぎない。領主と1対1での面会など今まで経験したことなどない。
光栄どころか身の危険を感じた。平民が王都を行き来し、大事な孫娘に取り入っている状況なのだ。悪印象を持たれているという前提で行ったほうが良いだろう――そう覚悟を決めて、マシューは侍女の案内に従った。
「スコット様、客人をお連れしました」
「うむ、入れ」
侍女に案内されてマシューは客間へと入る。
渋い部屋だとマシューは思った。
けばけばしい絵画や、目に刺さるような黄金はない。
黒く艷やかな木材のテーブルと、同じ材質の椅子。
そこに一人の老人が腰掛け、茶を飲んでいる。
「すまぬな、突然呼び立てて。孫のワガママに振り回されて大変じゃろう」
声をかけた老人は、どこにでも居そうな姿だった。
薄手のチュニックに綿のズボン。
靴下も履かず、素足にサンダル履きというずいぶん気楽な格好だ。
街角の煙草売りの爺様と言われても、まったく違和感がない。
「あ、いえ、滅相もございません!」
「お忍びでサボリに来てるだけじゃ、そう堅苦しくなるな。ま、椅子に掛けて茶でも飲め」
「ええっ?」
なんと領主が直接、カップに茶を淹れ始めた。
だがそこでマシューは、目の前の老人が領主であることをなんとなく納得した。
由緒正しい家柄の貴族は、濃さや砂糖もしくは蜜、ミルクを入れるか入れないか、後に入れるか先に入れるかなど、こだわりを持つ者が多い。目の前の老人の使う茶器やグラス、それを持つ手つきなど、どこかこだわりを感じさせるものだった。
「美味いぞ」
スコットは紅茶を陶器のグラスに注ぎ、マシューに渡した。
グラスも冷やされているようで、持った時点で冷気が伝わる。
今日は蒸し暑く、冷たいものはありがたいはずだ。
だがマシューは生きた心地がしなかった。
「い、頂きます」
しかも、マシューはジルの手による紅茶を飲んでさほど日数が経っていない。
あのときのような感動は得られまい、と期待せずに口にした。
「こ、これは……!?」
だが、マシューの予測は裏切られた。
「美味いか?」
「すばらしい味わいです……あの人の淹れた物と瓜二つだ……。ジルさんの淹れたものよりも再現度が高い……」
マシューがアイスティーを口に入れた瞬間、花開くように秘密のレストランの光景が頭をよぎった。それほどまで、過去にレストランで飲んだものと味わいが似ていた。
ジルの淹れたアイスティーは、マシューにとって鮮やかさと若々しさに満ちた味だった。茶葉による旨味は昔マシューが飲んだものと同じように感じられたが、切れ味が強く、冷やすことによって失われる香気をシナモンによって補完するという違いがあった。自分好みに工夫しようとしている発展途上の美しさがあった。
だがスコットの淹れたものは、完成されたものだ。旨味、口当たりの優しさと深さ、すべて昔飲んだものと同一と言っても良い。伝統を守るという意志の込められた完成された美だ。
「ほう。儂の腕前も鈍ってはおらんな」
「領主様がこれほどの腕前とは思いも寄りませんでした」
マシューはそう言いながら一口、二口と飲み進める。
「おかわりはある。そう急ぐな」
微笑ましいものを見るような目でスコットはマシューを眺めた。
「し、失礼しました。しかし、どうやってこの淹れ方を知ったのでしょう……?」
「どうやっても何も、コンラッド様に直接習ったのよ」
「コンラッド様……?」
聞き慣れない名前に、マシューはぽかんとした顔をする。
スコットはそれを見て、盛大に溜め息を付いた。
「おいおい、マシューよ。おぬしも確か行ったことがあるじゃろう? コンラッド様の秘密のレストラン。あやつが招待状を出した人間は儂も把握しとるからしらばっくれるなよ」
その言葉を聞いたときにマシューはむせそうになった。マシューが秘密のレストランに行ったことは、一緒に行った友人以外に誰も知らないはずだ。
だが、よくよく考えて見れば秘密にしておけるはずがないとマシューは気付いた。門番に話を通して街の外に外出しているし、何よりレストランにはマシューたち以外の人間も当然いた。
店のオーナーだ。
「……コンラッドという御方が、あの店の主人の名前なのですか?」
「うむ? 知らんのか?」
「初耳です。私が招かれたのは子供の頃でしたし、あまり他言できる経験でもありませんでしたので……」
「なんじゃ。なら説明してやろう。ありがたく聞け」
領主スコットがにやっと意地の悪い笑みを浮かべる。
「はっ!」
「いや冗談じゃよ。堅苦しくなるなと言ったじゃろう」
「は、はぁ……」
どうもマイペースなご老人だなとマシューは思う。
だがこの緩い風土の領主らしいとも感じた。
「まず誘惑の森とその館。あそこは儂の領地ではない。あの森と屋敷が一つの独立した領地なのじゃ」
「……シェルランドの領地ではなかったのですか!?」
「うむ。あの森の領主は、高い身分を持ちながらも何か不始末をしたり、あるいは王の不興を買った者が任ぜられる。そして、許しがない限り王都へ戻ることはできぬ……つまり、牢獄の役割を持つわけじゃ」
その説明に、マシューは表情を取り繕うことさえ忘れて驚愕した。
だが牢獄に送られるような王族と言われて、マシューはようやくコンラッドの素性を把握した。
「ろ、牢獄……!? では、コンラッド様とはもしや……」
「当代の王アランの兄君のコンラッド様である。先代の王への諫言が仇となって誘惑の森に追いやられた。だがアラン王の娘の養育のために十七年前、王都へと呼び戻された」
「……だから突然、この街から消えたのですね」
「そうじゃ。そして」
「戦争で亡くなられました」
マシューの陰りに満ちた言葉に、スコットは小さく頷く。
「不運な運命にある者があそこに送られる。……そして、シェルランドを治める者はあの屋敷に住む者がよからぬことを考えぬように監視する立場じゃ。それが王家との盟約である。それゆえ」
ごくり、とマシューは生唾を飲んだ。
どんな恐ろしい言葉が出るのかと覚悟した。
「あのレストランに毎週でも行きたかったのに……立場が邪魔をして行けなかった……!」
「あ、そ、そうですか」
「美味かったじゃろうがい!」
呆れの入ったマシューの呟きに、スコットが怒ったように言葉を返した。
「し、失礼しました……ですが確かに素晴らしい味でした」
「うむ、惜しい者を亡くしたものだ」
「私ももう一度お会いしたかった……。生きてはいないのではないかと薄々思ってはいましたが、恩返しができないことが悲しくてなりません」
「くそ、あの愚王め。ダイランばかりが勝って富を得ても島全土で見ればひもじくなる一方じゃ。今は良くても十年後か二十年後は相当まずいことになるぞ。戦国の世に戻りかねん」
マシューは心を無にして聞かなかったことにした。
確かに当代の王は多くの人間に恨まれているが、かといって公然と批判している場面にいたなどと知られたら自分の首が危うくなる。
「あの、領主様。お話ありがとうございます。あの屋敷の来歴についてはよくわかりました」
「おっとそうじゃ。話がそれたの。そなた、森の屋敷に行ったな? 町の門番から聞いておるからこれ以上しらばっくれるなよ。素直に話せ」
「は、はい」
「今、あそこの森の主人はジル様じゃ。どうじゃった?」
スコットは、ジルの名に敬称を付けた。
そうしなければならない立場の人ということだ。
それがマシューの予測に裏付けをした。
「質問を質問で返すようで申し訳ないのですが……やはりあの人は、ジル元王女殿下なのですね?」
マシューは王都と地方を頻繁に行き来するために、政治の話もよく耳に入れている。第一王女のジルが廃嫡されるかもしれない、という噂も耳にしていた。マシューの推測を裏付けるようにスコットが頷く。
「うむ。その通り。王アランと王妃バザルデの娘であり……コンラッド様に育てられた、ジル様じゃ。忌憚ない印象を聞きたい」
「仮にも高貴な御方をこのように評するのは不敬かも知れませんが……」
「ふむ」
「ちょっとうっかり者ですが、素直で良い子でしたね」
スコットが、ぶはっと笑った。
「ここに来たばかりのコンラッド様もそんな奴じゃったのう。あやつがレストランを始めたときもトラブルばかりじゃった……」
「そ、そうだったのですか」
「しかしおぬしも果報者じゃな。その様子じゃとジル様にも茶を直接淹れてもらったのじゃろう? どうじゃった?」
スコットが意地の悪い視線をマシューに送る。
だがマシューにとっては今更だった。
秘密のレストランの主人が王族のコンラッドであることを知ったのだから。
「恐らくコンラッド様と同じ茶葉を使って丁寧に淹れた茶でした。味わいは違っていましたが」
「どう違った?」
「そうですね……喉越しが良く、暑い日に飲むには最適かと思います。ただ茶葉の深みはスコット様の方が出ていたかと」
「ははは。コンラッド様は、予約客には水出しのアイスティーを前もって用意していたからな。儂はそれを真似したのよ」
「水出し?」
「沸かした湯で茶を淹れてそれを冷やすのではなく、最初から水で淹れるのよ。時間はかかって面倒だが、味わいはこの方が出るぞ」
「そんな単純なことでこのように味わいが出るのですか……」
マシューは素直に感動していた。
茶にうるさい方でありながら、湯で淹れるものだという固定観念があった。実はアイスティーという飲み方は古くは邪道とされており、一般的になったのはここ二十年くらいのことだ。アイスティーの飲み方や楽しみ方は、ダイラン魔導王国においてはまだまだ発展の余地があった。
「ところでマシューよ。ジル様は、何かやりたいことなどはあるじゃろうか?」
「やりたいこと?」
その質問にマシューは一瞬身構えた。
城を追放された王族としてやりたいことは何かと言うと、最初に思い浮かぶのは名誉回復だろう。だがマシューの目から見たジルには、そんな野心などまったく感じなかった。それをどう伝えるべきかマシューは迷った。
だが、それを察したかのようにスコットが苦笑する。
「別に堅苦しい意味ではないぞ。コンラッド様のようにレストランをやりたいとか、あるいは絵を描きたいとか喫茶店をやりたいとか、そういう趣味みたいな話じゃよ」
「あ、そうでしたか」
マシューはホッとして、ジルの言葉を思い出す。
「……服や雑貨を作って売りたいと。それで先日ジル様から帽子を買いまして、ご懐妊の祝いにエミリー様にお譲りしました」
「帽子か。コンラッド様に似て趣味人じゃのう」
「なんであの屋敷に送られる人は趣味人ばかりなのでしょうか……?」
マシューは首を捻るが、スコットは微笑んだ。
「それは秘密じゃ」
「は、はぁ」
「冗談ではないぞ。そこは詮索するな」
「……はっ、はい!」
「あの森の秘密を暴こうとしたり、屋敷に押し入ろうとして森の領主が怒ったら……流石に誰であろうが儂は庇えぬぞ?」
スコットの表情は、雑談しているときとは違い真剣だった。
マシューは思わずごくりとつばを飲み込む。ジルについて、そして屋敷について、まだまだ謎が多いとマシューは肌で感じていた。そこに釘を差された格好だ。
恐らくスコットは、この言葉が町の民に説得力を持って伝わることを期待している。これが領主スコットの本題なのだろうとマシューは感じた。
「……ん? 森の秘密を暴くな……ということは、ジル様の素性などは喋って構わないのですか?」
「そこはいずれバレるじゃろしな。コンラッド様の素性も別に秘密ではなかったぞ。大っぴらに自己紹介しなかっただけで、気付く者は気付いておった。子供には説明が難しいから、おぬしの同年代はあまり知らなかったのじゃろう」
「そ、そうでしたか」
「とはいえ、難しい立場の人じゃ。わかるじゃろ?」
「はい」
「無理にとは言わんが、できる範囲で見守ってやってくれ」
冷遇されている元王族。
その身分や立場に惹き付けられる人間は危険な存在に決まっている。
そしてその危険な存在をこの領主は密かに監視をしている、ということだ。
マシューも注視されている。
そして今、注視される側から注視する側への勧誘を受けているようなものだ。
「承知しました」
「だがともかく平和に暮らしているようだし、権力を笠に着るような人物でもなさそうじゃの。あとはコンラッド様ほどやんちゃでなければ良いのだがのう」
その言葉には、なんとも言えない優しい響きがあった。
どこか楽しそうでもある。
マシューも同じ思いを抱いていた。
あそこに住む人間が何を生み出し、どんな未来を描くのか見てみたい。
「ですが、若い人を見守るのは良いものですね」
「そうじゃな」
マシューは再びアイスティーを飲み、妙に緊張した会話で乾いた喉を潤す。
子供の頃に憧れた大人らしさ。
それはマシューが想像していたものとは大きく違っていた。
息苦しい秘密を抱えることもある。
心配事は多い。
足腰も十代の頃に比べれば幾分重くなった。
自分のことでいっぱいいっぱいなのに、見守らなけらばならない人間もいる。
そんな疲労を、茶の清涼感で流し込むのだ。
「もう一杯、頂けますか?」
「うむ、飲んでおけ。小腹も空いたな。おーい、茶菓子はあるかー?」
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