旅商人マシュー/麦稈真田の麦わら帽子/懐かしき日々のアイスティー 2
次の日、森へ行ってみたいという気持ちを抑えてマシューは仕事へ出かけた。
マシューは商人であり、借りている倉庫などはあるが店は構えていない。王都や港町など流通の栄えた街へ趣き、その土地の流行を把握して様々なものを仕入れる。そして仕入れたものをシェルランドの街を中心に売りさばく。そんなスタイルの商人だ。
だが、むやみに何でも仕入れるわけにもいかない。予算に限りはあるし、値打ちのわからないものを買ったところで徒労に終わるだけだ。それゆえ取り扱う品の商品知識や目利きが必要になるが、マシューは他の商売人よりも得意としているものがあった。
「エミリー夫人、ご機嫌麗しゅう」
「あら、お久しぶりねマシュー」
マシューが訪れたのは、シェルランドの街の高級住宅街にある豪邸だ。
そこに住むエミリー夫人は領主の孫娘の一人であり、この町を守護する銀鱗騎士団の団長の妻でもある。祖父も夫もエミリー夫人を溺愛しており、彼女が自由に動かせる金は大きい。マシューにとってありがたい得意先であった。何気ない雑談を交わし、スムーズに商談へと移ろうとする。
今日お披露目するのは、ドレスと帽子だ。
高品質な服や小物こそがマシューの目利きの得意分野であった。
「……それで、王都ではこのようなドレスが出回っておりまして。王家主催の夜会で公爵夫人が着ていたものはそれはもう美しかったと評判でして」
「あら、そう」
だがエミリー夫人はいつもと違い、どこかつまらなそうな様子だった。
「おや、お気に召しませんか?」
「別にそういうわけじゃないのだけれど……」
夫人が露骨に溜め息を付いた。
何か粗相をしてしまったかとマシューは自分の行動を振り返る。
だが特に失礼はないはずだと思い直し、マシューは様々な商品を紹介した。
夫人の好みは十二分に把握している。
どんな流行色があったとしても、何か一つ赤いものを身につける癖がある。
結婚指輪だけはなくすことを恐れてあまり持ち出さず、ここぞという場面でしか使わない。
服に着られるのではなく、服に相応しい自分の美しさを求め、そのための節制を嫌がることはない。
そして着飾った服や小物を昼餐会や茶会で他の婦人に披露する。
この町の女性たちは、誰もがエミリー夫人の服に興味津々だ。エミリー夫人こそシェルランドの街のファッションスターであると言えた。この街の女性たちは夫人の審美眼を信頼し、「ああ、私もあんな風に服を着こなしたい」と思うのが常だ。
マシューは異性としてエミリー夫人を意識しているわけではないが、そうした努力に尊敬の念を払っていた。そして気前良く注文を出してくれることに常々感謝の念を抱いていた。
「……で、飾り紐をつけた帽子が最近の王都での流行でして。日差しの強い日には特に見栄えするかと」
「ねえマシュー。悪いのだけど、今日は下がってもらえるかしら」
だが、今日のエミリー夫人は、興味を惹かれた様子もなかった。
きっと夫人ならば飛びつくであろう物をマシューは持ってきたつもりだ。
マシューは何かまずかっただろうかと自分の行動を振り返るが、思い当たるものはない。
「すみません夫人。何か粗相がありましたでしょうか?」
「そうじゃないわ。お茶会や夜会の頻度を減らしたから、お洒落する機会が減ったのよ。しばらくは大人しくしなきゃいけないの。お散歩くらいはするけれど、そのためだけに洒落た帽子を被るのも気が引けるし……」
はぁ、とまたエミリー夫人が溜め息を付く。
「せめて都会の流行の話を聞けば気が紛れるかと思ったけど、羨ましくなるばっかりね」
「そ、それは失礼しました……申し訳ございません、事情もよく知らずに話ばかりしてしまって」
「ああ、良いのよ、こちらが悪いの。それに何もまったく買わないってわけじゃないわ。……ただ、今の私にはあんまり小洒落たものは必要じゃないの。わかってくださる?」
◆
エミリー夫人の邸宅を出た後、マシューは一人、町の通りを歩いていた。
「あてが外れてしまいましたか……」
マシューは何も、エミリー夫人一人だけが客というわけではない。だが、夫人は夜会における顔役だ。エミリー夫人の身につけている物はこの町での流行となり、マシューの買い付けた物も飛ぶように売れる。悪く言えばエミリー夫人はマシューの店の広告塔とも言えた。
エミリー夫人自身もそれをよく理解している。むしろ自分が流行の最先端であることに誇りすら感じている。夫人は名誉を、マシューは金を……という関係のはずだった。
だがそれは四ヶ月前までの話だ。今は状況が変わった。
マシューは情報を探ったところ、どうやらエミリー夫人が懐妊したとのことだった。喜ばしいことだ。だが医者から「酒や茶は控えた方が良い」と言われて、夫である騎士団長も大いに同意したのだそうだ。これまで夫人が主催していた夜会も茶会も自粛せざるをえなくなった。
エミリー夫人も妊娠中は平時と違う振る舞いをすべきと頭ではわかっているし、エミリー夫人を慕うこの町の子女も祝福している。
だがそうは言ってもストレスはたまるし、そうでなくとも妊娠中は心身に負荷がかかる。何かと我慢をしなければいけない状況で夜会用のドレスや茶会用の帽子を持っていったのは、間が悪いと言うしかなかった。
「申し訳ないことをしてしまいましたね……。せめて王都で越冬せずに早めにここに帰っていれば……いや、過ぎたことか」
王都で買い込んだ服などの在庫を抱えた状態になってしまったが、別に売れないと決まったわけでもない。町のブティックへ持ち込んだり、あるいはサロンなどで物を見せて商談に持ち込めば売れるはずだ。
「……気分転換して、仕切り直しますか」
マシューは、どこか喫茶店にでもしけこんで茶でも飲もうと思った。
この町は食事が安くて美味い。不思議とここの魔法使いは王都や他の地域と違って、食料保存や栽培に魔法を使うことを嫌わないのだ。他の町や王都であれば「はしたない」と怒られるはずなのに、だ。
ダイラン魔導王国の全体として見渡せば、シェルランドの町は辺境だ。だがそれでも食料事情が豊かなのは、魔法使いのおかげであった。マシューも実は、ちょっとした魔法ならば使える。氷を出して茶を冷やすくらいのことは問題ない。魔力量が少ないのでそう無駄遣いはできないが。
マシューはシェルランドの町の大通りを歩き、結局行きつけの喫茶店を選んだ。
「一人ですが良いかな?」
「はーい……あら、マシューさん? 町に戻ってたのね」
ウェイトレスの少女の気さくな挨拶に、マシューは心が安らいだ。
「おっと、覚えててくれましたか。ありがとうございます」
「覚えてるわよ。紅茶で良いかしら?」
「あ、冷やして飲みたいんです」
「大丈夫、いつものやつね」
この店は凝った飯は出さないものの、そのかわり茶と茶菓子が美味い。
マシューはローランのレストランと、この喫茶店をよく愛用していた。
特にマシューは、仕事を終えた後に冷やした紅茶を飲んで一服するのが習慣だった。
ウェイトレスに顔と注文内容をセットで覚えられるくらいには。
(今の王になってから、無骨なものばかりもてはやされている……そのうち王都よりもここの方が文化の中心になるかもしれませんね)
それは予測であると同時に、マシューの願望だった。
マシューは、楽しいことや美しいことが好きだ。子供の頃は周囲から「男らしくない」などと馬鹿にされることもあったが、マシューはそんな罵声など鼻で笑い、思うがままに行動した。東の港町に珍しい絹織物が入ってきたと聞けばすぐさま旅立ち、西の王都に最先端の服を織る針子がいると聞けばこれまた急ぎ旅立った。船に乗って海の外に出ることも何度か経験した。
どこかの大店で働いてるわけでもないのに隊商に自力で交渉して仲間に入れてもらい、旅のいろはを学び、基本的に一人で様々な商売、商談をこなす。それもこれも、情熱あってこそだ。
だが、そんな忙しい日々を送れば当然疲労がたまる。ただ体が疲れるというばかりではない。心や、心に宿る情熱にも疲労はたまっていく。こうして昼間から茶を飲むくらいしないとやっていられない。
「はーい、紅茶ですよ。氷はどうします?」
「大丈夫、自分で用意しますよ」
「わかりました。ごゆっくり」
ウェイトレスが紅茶と、クッキーが三枚乗った小皿を置いて去っていく。
この店では何も言わずとも茶菓子が付いてくるが、これまた美味い。
マシューは一口飲み菓子を囓ると、疲労が解きほぐれるような気がした。
(雪解けしてからはあまり休んでませんでしたね。少し羽根を伸ばすのも良いかも知れません……うん?)
マシューは、隣のテーブル席に女性がいるのを目にした。
暗い赤色の、何気ない麻のローブを着ている。
(深みのある良い色だ……。生地そのものは珍しくないが染めが美しいですね。橙色の髪ともよく合っている)
いかにも魔法使いらしい姿の人間には、マシューは自然と警戒する。身分が高く、それ以上に気位が高いことが多い。だがそんなことを忘れてマシューは見入ってしまっていた。
そんな不躾な視線が、相手に気取られてしまったらしい。
魔法使いは警戒した目でこちらを見返した。
「ええと、何か……?」
「あ、いえ、失礼しました。良い色のローブを着ていらっしゃると思って」
マシューは、自分の調子が悪いと思った。こんな下手なナンパのような言い訳があるだろうか。魔法使いの方は「ありがとうございます」と曖昧な表情で礼を言い、視線を自分の紅茶に戻した。
話を流してくれた相手の優しさに、マシューはホッとした。
身分の高い魔法使いだったらどうなっていたことか。
「【氷結】」
冷たいものが欲しくなり、マシューは魔法を唱えた。【氷結】とは、小粒の氷を作るだけのなんてことのない魔法だ。
この店が出す冷やしの紅茶はそこまで冷えてはいない。より冷気を楽しみたいのであれば店員に氷を頼むか自分で作るのが、この町の喫茶店でのスタイルだった。
「えっ? 魔法を?」
魔法使いの女性は、驚いてマシューを見た。
またしてもしまった、とマシューは思った。
「あー、その……人前ではしたない使い方をしてしまいましたね、はは」
完全に視線があった。
これはまずい。
燃えるような鮮やかな髪。
この橙色は王家や、王の血が混ざった貴族の家系に多い髪だ。
もちろん、王族がこんなところにいるはずがない。
杞憂に過ぎないはずだ。
だが、只者ではないとマシューは思った。
貴人の容貌だ。
「いえ……。この店では、そうしても良いのでしょうか?」
「いや、その、私がつい無自覚にやってしまったのです。どうかお目こぼし頂ければ」
この国における魔法とは戦争で使う誉れ高い武器と同じだ。
形のない名剣であり、鎧具足だ。
職場や厨房ならばともかく、喫茶店の客席や人目に付く場所で日用品代わりに使うことに生真面目な者は目くじらを立てる。
ただ、この町はなんとなくユルい。そういう風土なのだ。隣のテーブルの魔法使いがその風土を知らない、他の地域から来た魔法使いである可能性は高いだろう。マシューはそれをすっかり忘れていた。仕事の失敗で気が緩みきっていた。
「あ、えっと、勘違いしないで下さい。注意したいとか怒りたいとか、そういうんじゃないんです」
魔法使いは慌てて否定し、そして魔法を唱えて氷を作った。
丸く艶やかな氷が魔法使いの手の上に現れる。
これは見事だとマシューは感じた。氷を作るだけならば少々の魔法の心得があればできるが、完全な球体に作るのは精妙なコントロールができる証拠だ。
「これはお見事」
マシューの言葉に、魔法使いがまた困ったように笑った。
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