旅商人マシュー/麦稈真田の麦わら帽子/懐かしき日々のアイスティー 1
※明日から1日1回更新になります
夕暮れ時。
商売の旅を終えたマシューはシェルランドの街に戻り荷を下ろすと、真っ先に行きつけのレストラン『ロシナンテ』へと向かった。
扉を開ければ、据え付けられたベルがからんころんと小気味良い音を鳴らす。
「お邪魔しますよ」
「いらっしゃ……おお、マシューか! 隊商が来たと聞いたからお前も帰ってきてると思ってたぞ! 半年ぶりくらいか?」
マシューの昔馴染み、オーナーのローランが快く出迎えた。
「ですね。王都での商売が忙しくて。仕事してる内に雪が降って街道も閉ざされてしまいましたし、色々大変でした」
「冬も戻ってこないから心配したぞ。ちょっと痩せたんじゃないか? ちゃんとメシは食ってるか?」
マシューは、ローランよりも線が細いものの背は高い。穏やかな顔つきで服装も白い無地のチュニックに焦げ茶色のズボンと、落ち着いた地味なものだ。とても活動的には見えないが、実際は黒いカバン一つだけを持ってどこへでも旅に出る、フットワークの軽い外交的な男だった。
「食べてますよ。色んな町の料理や酒を楽しめるのがこの仕事の役得ですからね」
「そりゃ羨ましいこった」
「とはいえ……この町ほど料理に力を入れてる町はそうそうありませんが」
マシューはここ、シェルランドの街に拠点を置きながらも、様々な町、あるいは国の外へと赴いて商売を展開している。
ダイラン魔導王国の領地は広い。ここ二十年で戦勝を重ねて一気に拡大した。だが征服して間もないために情勢が不安定な土地も多く、様々な町から町へ旅して商いをするには鋭敏な勘や才覚が必要だ。マシューはそうした才覚を持つ貴重な商人だった。
今日のマシューは、王都を中心に様々な物品を遠くから仕入れてシェルランドの町へ戻ってきたばかりだ。そしてそんな日は故郷の味を楽しむために友人のレストランで食事と酒を楽しむのがマシューの習慣だった。
「へっ、美食に関しちゃ他の街には負けねえよ。それで今回の旅はどうだった?」
「困ったものですよ。王都も港町も何やら空気がぴりぴりしてます。関所の取締りがいつもより厳しくてやたらと待たされましたし……おかげで関所の外で野宿して、体が痛くて痛くて」
やれやれと肩をすくめながら、マシューは外套をハンガーに掛ける。
いかにも疲れたとばかりにカウンターに座った。
「戦争か?」
「今のアルゲネス島に、ダイランに立ち向かう国などありませんよ。反乱や革命を警戒してるんでしょうね……まあ、今の王に勝てるとも思えませんが」
「可哀相なもんだ。滅ぼされた国の生き残りなんかもいるだろうに」
「ま、辛気臭い話はやめましょう。それより香料や乾物を色々と仕入れてきました。驚きますよ」
「そりゃあ楽しみだ。その前に飯でも食べていけ」
薄緑色のスープがマシューの前に出された。
「アスパラと豆のポタージュだ。メインはもうすぐ焼き上がる」
マシューが嬉しげに口をつけた。
どこか疲労の色があった顔が華やいでいく。
「美味いですね。普通、故郷の料理ってのは野暮ったく感じるものですが、そんなことはまったくない」
「当たり前だ。師匠が凄い」
「師匠って……。あの秘密のレストランで働いたわけでもないでしょう」
マシューの呆れ顔に、ローランは逆に自信ありげな顔を浮かべた。
「心の師匠だ。薫陶を受けた。あのレストランに行ったことのある料理人はみんなそう思ってるさ」
「……確かに、あの美味さには脱帽するしかありませんでした」
「突然あの店が消えて十年以上経ったが、ずっと忘れられんよ。あの人はどこで何をしてるのやら……。マシューは旅先で聞いたりしてないか?」
「……いや、あの人らしい姿は見かけたことはありません。それどころか、あのレストランで出された料理も見かけたこともないですね」
「本当に謎めいていたな」
しんみりした空気のところに、少年が料理を持ってきた。
「どうぞ。豚のロースト、ビネガーソースかけです」
「君はマルスでしたね。大きくなりましたねぇ!」
「ありがとうございます」
マルスがはにかみ、ぺこりと一礼した。
厨房へ戻るマルスの背中を、マシューは感慨深く見つめていた。
「ずいぶん立派になりましたね。今はまだ学生でしたよね?」
「ぐっと背が伸びただけで中身は子供さ。遊んでりゃ良いのに、仕事を手伝うって言って聞かなくてな」
「将来楽しみですよ。そういえば下の子の方は元気ですか?」
「んー……元気というか、元気すぎて困ってる」
ローランが苦笑を浮かべる。
おや、とマシューは疑問に思った。ローランが昔から子煩悩な男で、下の娘は目に入れても痛くないとばかりに可愛がっていたことを知っていたからだ。
「ケンカでもしたんですか?」
「ま、そんなところだ。勝手に町の外の森に行ったみたいでな。叱っちまった」
苦々しい顔のローランに、マシューが慰めるように言葉を掛けた。
「それは流石に、叱るのが正しいでしょう。まだ十歳にもなってないんでしょう?」
「……なあ、マシュー。お前は秘密を守れるやつだよな?」
「なんですか、意味深ですね」
はは、とマシューは笑うが、ローランの顔は真剣なままだ。
マシューは咳払いして、ローランの言葉を待った。
「これから言うことは俺の思い込みかもしれんし、そうでなくとも迂闊に触れ回って良いことじゃない。だから誰にも言うなよ」
「わかりました。死んだ親父に誓いますよ。秘密は守る」
「誘惑の森に、新しい主人が現れたかもしれない」
「なんですって!?」
がたり、とマシューは立ち上がりかけた。
「落ち着け。はっきり決まったわけじゃない」
「……すみません。続きを」
「ウチの娘が友達と一緒にあの森で遊んでて、倒れたか何かしたらしいんだ。森の中にきれいな女がいて介抱してくれた……みたいだ」
「女。男じゃないんですね?」
「橙色の髪の、不思議な服を着た女だそうだ。髪の色はあの人と同じだろう」
「あの人の家族や関係者だとでも? 別に珍しい髪の色ではないでしょう」
「それだけじゃない。あの人の作ったプリンのレシピを知ってた。あの人の弟子か家族かもしれない」
ごくり、とマシューは唾を飲んだ。
このシェルランドの町には一部の世代だけに通じる噂がある。
それは『秘密のレストラン』と呼ばれるものだ。
どの国も属さない不思議な、そして素晴らしい料理を出す店が森の奥にある。
ただ味覚を堪能できるだけではない。
飾られた花も絵画も、調度品もすべてが美しく、流れる音楽も一級品。
王侯貴族でさえも味わえないような贅沢が堪能できる。
だがその一方で、王侯貴族でさえも自由に出入りはできない。
レストランの主人が認めなければ招待状をもらうことができないのだ。
「あのときはまだ子供で、酒も飲めませんでしたね」
マシューとローランはそれが噂ではなく事実であることを知っている。
この二人も、レストランに招待されたことがあった。
子供の頃にマシュー、ローラン、そしてここにはいないもう一人の友人と共に『病に倒れた老人を医者に連れて行った』という何気ない善行によって「おまえら偉いな! よし、ご褒美をやろう!」と屋敷の主人に褒められ、招待状をもらったのだ。
「確か夏だったな。料理を存分に楽しんだ後は冷やした紅茶とプリンを出された。あれは美味かったな……」
外は炎天下であるが、レストランでは不思議と涼やかなそよ風が流れていた。
美しい庭を眺めながら飲んだ紅茶の味は格別だったと、マシューは昔を懐かしむ。
大人の楽しみとはこういうものかと、妙に胸が高鳴ったものだ。
「もう一度、行ってみたいものですね」
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